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2020.3.3 福岡県(お国柄37) 
 今回は九州に渡って九州全体と福岡県を見ていくことにする。 九州は、 19世紀に黑船が来るまでは日本の表玄関だった。 明治以降は日本の大陸進出で前線基地となったが、 敗戦でアジアとの関係が薄くなるにつれて貿易の中心としての役割は薄くなった。九州の中核は北西部の福岡、長崎、佐賀、熊本県で、九州のイメージを形成した。大分と宮崎は瀬戸内海とつながっていて幾内との関係が早くからできた。鹿児島は八世紀になって大和朝延の支配を確立した。
 福岡県は、筑紫の国と呼ばれ、九州全体の鎮守府・太幸府がおかれ、政治、軍事、外交の西の玄関として重要な役割を果たしてきた。遣隋使、遣唐使もここから出発し、戦国時代には日本三津(港)の一つとして貿易商人の手で自治的に栄えた。江戸時代に豊前、筑前、筑後に区分されたが、風上の違いなどから相手への対抗意識が根強く残った。明治以降に遠賀川流域に炭田が開発されて、血の気の多い「川筋気質」が生まれた。 
 福岡県人がほかの九州人と異なるのが、目立ちがり屋の性格で芸能人排出率が圧倒的に高い。遊ぶことやお祭り騒ぎが大好きだ。おおらかで明るく、ノリがよく「博多どんたく」や「博多祇園山笠」などは全国から観光客を呼び寄せる。
「酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞまことの黒田武士」で知られる「黒田節」にあるように、剛毅で酒が強いという気質は、福岡県の県民性でもある。女性も、博多女性は「馬賊芸者」と呼ばれたほど男勝りで酒も強い。
 大和朝廷時代から大陸への玄関口として栄えた福岡県。異文化の影響からか、人々は開放的、派手好き、祭り好きの賑やかな性格でとにかく目立つことが大好きで、おだてに弱く、おしゃべり、お祭り、お酒大好き。遊びには糸目をつけず、人を拒まぬ親分気質。立ち直りもめっぽう早い。地域性として見ると、筑前・北九州は、よそ者ルーツで排他的。豊前は人情型の任侠タイプ。筑後はコツコツ真面目なタイプが多く、全県的にはわかりやすい性格といえる。
 福岡県人は何といっても「九州代表」の自負を持っている。
 「どげんしょったや、生きとったとや(こんにちは、久しぶり」

2020.3.7 佐賀県(お国柄38) 
 佐賀県は東に九州一の大都市福岡、西には観光都市長崎があり、その両県の狭間にある。そのため地味な印象がある。そのイメージとは裏腹にすごい県なのである。何がすごいかというと、食である。有明海産の板海苔の生産量やハウスみかんの収穫量は日本一である。名品としては有田焼や伊万里焼といった有名な焼き物がある。
 江戸時代、現佐賀県を統治していた佐賀藩(肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩ともいう。鍋島家が藩主であったことから鍋島藩と呼ばれることもある)は、農業生産を向上させるため一種の鎖国政策を実施し、藩への絶対服従と厳しい禁欲を課した。この時に「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」の一文で有名な『葉隠』書を提唱。軟弱な生き方を強く否定する内容の書は、昭和初期まで全県の学校で唱和されていたほど。このため、保守的で閉鎖的な性格があたり前に確立。地道な努力を美徳とし小手先の芸を嫌う「いひゅうもん(変人)」といわれる堅物が県民性となった。仕事に真面目で頑固な人が多い県民性のため、仕事に対して不真面目な人を許せなかったり、軟弱な人間を嫌う人が多いのも佐賀県の県民性のひとつである。また、佐賀という地に誇りを持っている人が多いため、仲間意識が強く、よそ者を寄せ付けない雰囲気がある。ただし、多少付き合いにくくても、多くの人は順応性に富んでいる。
 佐賀県を地域別に北部と南部に分けてその県民性をみると、北部と南部で県民性が若干異なる。
 北部とは、唐津市を中心とした旧唐津藩であった地域を指している。唐津は、商人の町である博多との交流もあったためか、南部と比較して陽気で明るい人が多いとされている。
 また、特に唐津市に住む佐賀県民は、「唐津市民である事」「旧唐津藩の流れをくんでいること」に誇りを持っているので、出身地を聞かれた際には、他県の人が相手であっても「唐津です」と答える人が多いのが特徴だ。
 南部とは先に示したように「葉隠」が提唱されてきたことも影響し、頑固な人が多いと言われるが、仕事に対して責任感が強く、真面目な人が多い事も特徴で、筋の通らないことは好まない傾向にある。
 こがんうーしかつして、はよなおしとかんね。(こんなに散らかして、早く片付けなさい。)

2020.3.10 長崎県(お国柄39) 
 長崎県は古くから日本の交易の拠点であり、戦国時代にはポルトガルやオランダなど西洋の船が唯一入港できる出島があった歴史があり。そのため今でも異国情緒が漂う。
 鎖国時代には出島が国内で唯一、外国との貿易を許され、外国人が管理のもとで出入りできた。近代化に必要な最先端の軍事、医事、科学、語学などが字ぺる都市でもあって、全国から人材が集まったことは容易に理解できる。
 こんな新しい文化にじかに接してきた場所で育った長崎県人。当然のように「進取の気性」に富み、「食生活を楽しむ」人が多い。そうした事柄を背景にして「コツコツ貯めるより、「今日が楽しければ」とパッと浪費するタイプ。粘り強さや、積極性に欠け、自分に甘いなどの問題もあるが、面倒見がよく他人の世話を焼くのが大好きだ。
 ここで地域別に県民性を見ていくことにする。
 長崎県のほぼ中央に位置する大村市、東彼杵町、川棚町、波佐見町は【県央地域】という地域で分類される。ここには空港や高速道路のインターチェンジ、鉄道なども集中しており、長崎県の中心的役割を果たしている場所だ。そんな県央地域は、農業も長崎県全体の2割の生産高を占めており、長崎県内で有数な農業地域として数えられている。県央地域に住む人たちは、長崎を活性化させるために様々な取り組みを実施している。中でも、J1チームV・ファーレン長崎を地域密着型チームにするためのスポーツツーリズムの推進するなど、県央地域の人たちは、長崎県の中央部の特性を活かした地域活性活動のため、力を注いでいる、熱い県民性を持つ人達が多いことが特徴といえる。
 島原地域は、島原市・雲仙市・南島原市から成る有明海・橘湾に囲まれた半島である。名水百選に選ばれた湧き水群があったり、違う水質の温泉があるなど、県内でも有数な自然に恵まれた地域である。また、「日野江城跡」「原城跡」「島原城」など歴史を感じることが出来る観光名所が多い。島原地域の県民性は、観光地という場所柄からかサービス精神が旺盛である。
 壱岐地域は古くから、文化の中継地として大きな役割を担っており、多くの史跡や文化遺産が残されている場所でもある。玄界灘に浮かぶその地理特性から、壱岐地域に住む人たちは古くから海上交易を行ってきた。特に朝鮮半島との交流が深く、日本本土との中継地点として、架け橋的役割を果たしてきた。古い歴史が色濃く残る壱岐地域の県民性は、豊かな自然や文化を誇りに思う島人精神を持つ人が多く、長崎県の伝統を守る職人気質が特徴といえる。
 「でんでらりゅうばでてくるばってんでんでられんけんでてこんけんこんこられんけんこられられんけんこーんこん」方言の意味:出られるのなら出るけれど出られないから出ていかない行こうとしても行くことができないから行かない行かない

 

2020.3.13 熊本県(お国柄40) 
 肥後と呼ばれていた熊本には、今も「肥後の議論倒れ」「肥後もっこす」という言葉がある。この言葉は、熊本県人には強情っぱりで議論好きが多いということ。自分の考えや発言が間違っていたとしても、そんなことに関係なしに意見を押し通す強さがある。
 「もっこす気質」の表れとして、こんな言葉がある。「いっちょのこし」と言われることで、数人で食べるとき最後の一個に手をださないことである。これこそ熊本らしい頑固で生真面目、純粋で気が小ささを表している。私たちの地方では最後の一個は「遠慮の塊」といって、手を出しにくい状況を示すことをいっている。
 だから「もっこす気質」がカッコ良く見えるが、単に「頑固者」「意地っ張り」に過ぎないとも思える。
 さて、熊本は九州の中心に位置しており、北部には阿蘇の大自然、下には天草の美しい海が広がる自然豊かな県である。観光は大自然だけで無く、指定文化財である銀杏城、通称「熊本城」や世界遺産に認定された天草「三角西港」・荒尾「万田坑」等の他、湯治として大人気の黒川温泉や人吉温泉など、バラエティ豊かな観光地がある。
 熊本北部の荒尾・玉名は福岡に近いため、流行に敏感で派手好きの方が多い傾向がある。
 熊本県中部、熊本市や宇土市・八代市には鷹揚な(小さなことにこだわらない)性格の人が多いようだ。その理由として、熊本県の地理・気候に関係しているかもしれない。
 熊本県内でも鹿児島・宮崎に近い人吉等の南部地域は「いひゅうもん」と呼ばれるタイプが多いようで、「いひゅうもん」とは熊本では「異風者」つまり「変わった人」を表している。
 また、政令指定都市として2014年に認定された熊本市の中心街には、全長約1㎞程ある西日本最大のアーケード街「上通り」「下通り」が通っており、ショッピングや観光の人々で大変賑わっている。そして熊本と言って欠かせないのは、やはり「くまモン」!今や国内に留まらず海外にまで進出したくまモンの人気は熊本県内でも静まる事はない。
 そんな熊本県に住んでいる熊本民の特徴は冒頭で紹介したが、これに加え、恥ずかしがり屋な人も多い。また、裏をかく事や計画を立てる事ができない真っ直ぐな人達が多く、一度激しく言い争っても陰険な事はしない。気のおけない仲になると家族同然の様に受け入れてくれる懐の広さも熊本県民の特徴の一つである。
 「なんばいいよっかわけくちゃわからん(何を言ってるのか訳がわからない)」 

2020.3.16 大分県(お国柄41) 
 福沢諭吉は大分県(中津)の出身で幕末・明治にかけての当代一の知識人であった。「個人主義」「自主独立」という福沢のライフスタイルは大分県人の気風そのものであった。
 また「赤猫根性」と呼ばれる気質がある。これは「ケチ」で「がめつく」。「偏屈」で「利己的」で「協調性がない」というもの。ここまでの悪態をつかれるのには訳がある
 歴史的に豊の国(大分)は小さな藩(八藩)の寄せ集めの国であり、各藩がそれぞれ生き延びるのに必死だった。そのことが皆で手を取り合いながら、何か一緒にことをはじめるという習性が育たなかったというのだ。実際大分県人は「よだきい」という言葉をよく使う。「大儀」「億劫」という意味で、共同で集まろうとすると、「よだきいから、やめとくわい」と参加を拒む人がいる。これなどは「協調性のなさ」を象徴する気風だといえよう。
 悪い面ばかり書いて大分県人には申し訳ないが、私の父親も大分県(臼杵)の出身であるから、私の中にも半分大分県人の血が流れている。私にはあまりその傾向は見られない。母親の気質を強く引き継いだようだ。
 さて、やや冷たい印象を持たれることも多い大分県民。実際の県民性の特徴としては、しっかりと自分の意見を持っており、公平な立場で物事を判断する。そのため商売上手が多く「一村一品運動」を始め、地域での村おこしが盛んで明朗な人が多い。社交下手な部分があるが、仲良くなると裏切らない一面もある。
 地域別にみる県民性はというと。
 別府地区は世界的にも有名な温泉地であり、海外からの観光客も多くグローバルな地区である。そのためか、自分の意見をストレートに述べる性格の人が多く、利己的な印象もある。しかし、実際は昔から湯治の名所でもあり困っている人がいれば助けるという風に人情厚い。
 湯布院地区は「洗練された文化」を意識しており街並みともに洗練されている。この地域の特徴としては別府温泉が地域密着なのに対して、湯布院温泉は観光メインになっている。そこで外部の人間に対しても、おもてなしの心を意識していて、ゆったりとした性格の人が多い。
 臼杵地区は古い建造物や街並みが色濃く残る地域である。昔ながらの街並みや空気感を大事にしており県内ではめずらしく郷土意識が強い。古くより私塾や寺子屋が多く作られ、教育に関しての意識が高い。
 中津地区はいわゆる「県北」と称される地域。もともとこの地区に住んでいる人は親族などとの関わりを深く持ち、いわゆる「亭主関白」のような県民性がある。
 日田地区は大分市内へいくよりも福岡県に入るほうが近いことから独特の県民性を持っている。地域密着のイベントが多く、仲間意識が強い。観光に行って楽しむというよりは「住んだら都」の地区になっている。
「どげーいわれてもよーしきらん(何と言われても上手くできない)」

2020.3.19 宮崎県(お国柄42) 
 宮崎県の旧国名は日向国(ひゅうがのくに、ひむかのくに)。日向(ひゅうが)と書いて「ひなた」と呼ぶこともあり、あたたかなイメージがある。そのイメージ通り、宮崎県はご存知の通り、東は太平洋に面し,北西南の三方を山に囲まれた豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、その気候風土は,「高温多雨晴」で表される「南海型気候区」と、「台風」の通り道のために「自然の恵み」と「災害」を受ける相反した気候を持った県でもある。
  私の感覚ではあの東国原秀夫(そのまんま東)さんが知事になって、突如有名になった県という印象が強かった。ところが実際は1981年~2010年平年値の平均値データでは、平均気温(3位)・日照時間(3位)・快晴日数(2位)と全国トップクラスで、春季のプロ野球を筆頭にスポーツのキャンプ地としても有名な上、日本で1位のものが「通勤・通学時間の短さ(平均約19分)※平成23年調査データ」「物価の安さ(消費者物価地域差指数)※平成23年調査データ」「水道・光熱費の支出額の安さ」「共働き世帯における夫の家事関連時間の長さ」といったように驚きだ。
 宮崎県の産業に目を向けると。
1位:きゅうり(宮崎市・西都市)※平成28年
1位:きんかん(日南市・串間市)※平成28年
1位:日向夏(日南市・宮崎市・綾町)※平成28年
1位:スイートピー(日南市・都農町)※平成27年
1位:ブロイラー<にわとり>飼養羽数(都城市・日向市)
1位:近海かつお一本釣漁獲量
1位:焼酎出荷量(県全域)※平成28年
 宮崎は、生産高ベース自給自足率287%で全国1位(平成28年調査データの概算値)
 これでまたびっくり。これだけ豊かな国だから、民のおおらかさや優しさには定評がある。その気質を象徴する言葉に、「てげてげ」、「よだき」がある。「指摘されてもあまり気にする様子もない」ことを意味する方言である。楽天的な人が多い、温和で素朴、お人好し、何事にもポジティブといった良い評価がある反面、積極性に欠ける「億劫」で「面倒」くさがる、辛抱強さがない等と見られている。
  腰の痛さよ山畑開き 春はかすみの日の永さ 焼酎五合の寝酒の酌に おれも嫁女が  欲しゅなった ヤレ もろたもろたよ いもがらぼくと 日向かぼちゃのよか嫁女  ジャガジャガマコチ エレコッチャ(宮崎市制30周年を記念した公募を機に誕生した楽曲)

 

2020.3.22 鹿児島県(お国柄43)
 鹿児島県は九州地方の最南端にある。県本土の他に奄美大島や屋久島といった離島が点在している。鹿児島のシンボルとも言われる活火山、桜島は現在も活動を続けている。火山が多いため、温泉が豊富で日本2位の数を誇っている。また、偉人を多く輩出したことでも有名で、西郷隆盛や大久保利通、天璋院篤姫など幕末に活躍した偉人が数多い。現在の鹿児島県の県民性の礎と言っても過言ではない。
 鹿児島県では、ごちゃごちゃ言つている暇があったら黙つて働けと「議を言うな」を美徳として、理屈をこねる男を「ひっかぶい(弱虫)」「やっせんぼ(臆病者)」とさげすむ。奈良時代に薩摩と大隅半島を住国としていたのが隼人と呼ばれる人々。鎌倉時代に島津氏が薩摩、大隅、日向を統一、七百年間も藩主が交替しなかったので「薩摩にバカ殿なし」といわれた。
 鹿児島県は離島が多く存在するため地域によって県民性に違いが見られる。
 鹿児島県本土と呼ばれる離島以外の県民性は、郷土愛が強く無骨な人が多い。保守的な土地で排他的な思想が根付いているので、よそ者を受け付けない風潮がある。
 そういった思想は、鹿児島モンロー主義とも呼ばれている。熱しやすく冷めやすい性格は、体育会系のアツい情熱的な県民性の表れである。
 適当という意味を表す「てげてげ」という方言がよく使われることから、頑固ながらも大らかさを合わせ持った県民性が現れている。一見楽天的に見えるが、芯はしっかりしているので、考え方がぶれることがない。
 島によっても県民性や気質が異なる。喜界島はしっかりした人が多い、奄美大島は都会的な場所と気性が激しい場所の差が激しい、徳之島は全体的に気性が荒い、沖永良部島は努力家、与論島は優しい人が多いとされている。
 薩南諸島の人達は、沖縄に近い穏やかで心が広い県民性も持ち合わせている。島ならではの暖かい気候がそうさせるのだろう。鹿児島県本土と薩南諸島では、ここでも県民性が異なるようだ。
 鹿児島県男子を言い表わす言葉に「ぼっけもん」という言葉がある。ぼっけもんとは、薩摩、鹿児島県人の県民性をさす方言で、大胆な人、乱暴な人という意味を持っている。武士道を地でいくような、勇敢で剛健な人を意味する。内面の強さを表にあまり出さない人が多いので、見た目で勘違いされてしまうことも多々ある。口数が少なく、豪傑で無鉄砲な県民性は、鹿児島では美徳とされている。
 嫁じょを貰ろときゃ、親を見っせい貰ろえ (嫁を貰う時は、本当の姿を見る為に嫁の親を見なさい)

2020.3.26 沖縄県(お国柄44)
 沖縄県は歴史的に見て、琉球王国「琉球王国、琉球國は、1429年(宣徳4年・正長2年、永享元年)から1879年(光緒4年・明治12年)の450年間琉球諸島を中心に存在した王国」という一つの国から日本領土の沖縄県になったという経緯がある。
 その後幾多の混乱を乗り越え、太平洋戦争後、1972年に日本に返還されるまではアメリカが統治。歴史的にも激動の道を歩んだ沖縄だからこそ、沖縄県人の郷土愛は全国一強い。南国らしく、人々の性格は、明るく楽天的なのが特徴だ。「門中」と言われる血縁をまとめる仕組みにより、一族間の連帯意識は非常に強いのが特徴。また、他県を「本土」と呼ぶように、警戒心は強くても、決して排他的ではないので、第一印象で判断しないほうが無難。
 男性は楽観的、女性は強くてしっかりしている。平等意識が強いので、男女差別的な言動や行動は御法度だ。
 沖縄県は約160の島から成り立っており、ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最高気温と最低気温の差も小さく標高の高い山も存在しないため氷点下になることもない。八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体である。
 気温とともに人間性もおおらかな人が多く、「うちなータイム」という言葉があるように、時間を気にしないでゆったりしているという特徴がある。
 沖縄県の地域別にみる県民性はというと。
 北部地区は自然が多いため、のんびりしていておおらかな性格という県民性がある。那覇や北谷といった商業地からは少し離れており、そこまで足を延ばせるといった忍耐力もあるし、個性的な性格な人が多い。
 中部地区はエイサー(本土の盆踊りにあたる沖縄の伝統芸能のひとつ)が盛んで商業地が多いことから、社交的で陽気という県民性がある。エイサーでは青年会や保存会が結集されているので団結力があるともいわれている。また、米軍基地が占める割合が高いのでアメリカンチックな人やものが割と多い。
 南部地区は農業や漁業が盛んなこともあり、性格的にはのんびりしているという県民性がある。自然に囲まれているのもあるので北部地域の人と似ている面もある。一方、恥ずかしがり屋で内気な部分もあるという県民性もあるようだ。
 データからその県民性を読み解くと「残業しない県」で第1位「転職率が高い県」で第1位「離職率が高い県」でも堂々の第1位と、働くことに縛られない面が強く出ている。だから暗いかというかその反対で「なんくるないさ(なんとかなるさ)」と言って、仲間と泡盛を浴び、輪になって歌い踊る。
 「はいさい。ちゃーがんじゅーね?」(こんにちは。お元気ですか?) 次回から関東地方。

2020.3.29 関東と茨城県(お国柄45) 
 関東の県民性は非常に強気で、 しっかり者の女性が多く、 生計を支える。 言葉も性格も荒い。 自己主張が強く 反抗的なタイプが多い地域でもある。 西の方から新しい文明が入ってきたのは上野·下野(こうずけ・しもつけ)の毛野(けの)だった。
 京の政府に頼らず自らを守る武士が生まれたのが関東。 南関東が関東の中心になったのは鎌倉幕府からである。
 茨城県人を評して「怒りっぽい、忘れっぽい、飽きっぽい」の「3ぽい」と言われる。元は江戸時代の水戸藩士の気質を表した「理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい」ものとされているが、現在でも茨城県出身者の中に反骨精神旺盛な人が多いことなどからこの「3ぽい」は県民性を表す際によく使われる。
 言葉に独特のなまりや語気の荒さ(語尾に「だっぺ」とつけるなど言葉遣いが乱暴に聞こえる)のがあることから、他県民の人には少々近づきにくい印象を与えがちだが、根はまじめで忠誠心の深い仲間思いの人が多いのも茨城県民の特徴である。
 地域別に見る県民性はというと、
 日立市やひたちなか市のある北部地区は県の中でも気性が荒く、大雑把で見栄っ張りな人が多いと言われている。江戸時代、現在の北部と中央エリアが水戸藩だったことからその影響を強く受けていると考えられる。茨城県民を表す「3ぽい」もこの辺りの地域の人のことを指すことが多いという。
 北部と同様、水戸藩が位置していた中央地区も荒々しい気質が特徴。反骨精神旺盛で、小さいことにはこだわらない強気な姿勢が敬遠されてしまうことも…。男女問わず男勝りな人が多いが、その一方で根はまじめで忠誠心の強い人が多いのもこの地区の特徴である。
 鹿島、神栖地区は北部、中央エリアと違い、県南に位置する東部、西部、南部エリアはややおっとりとした性格の人が多い。東部地区は水戸藩の強気な姿勢を受けてか、落ち着いていて、なおかつ穏やかで保守的な人が多いとされている。
 常総、下妻地区は、穏やかな人が多いのが特徴である。特に女性は献身的で男性を立てるのが上手いとされている。茨城県民の一般的に言われている県民性とは少し異なるのが、西部、南部地区の特徴かもしれない。
 筑波、土浦などがある南部地区も東部、西部と同じく温和な人が多いのが目立つ。明るく元気な人が多く、協調性もある。しかし、やはり言葉遣いや、なまりなどから誤解されやすく、口数の多くないことから本心が伝わらないこともある。
「そんでー、そごおー、まがってったらー、いのししにでっかせでー、たまげっっちゃったどやー」意味:それで、そこを曲がって行ったら、猪に出くわして、びっくりしちゃったよ。