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 改訂版 日本の神様(No.87-No.96) スライドショウはこちら

現在「八百万神」として掲載されているものの中の一部10枚(No.87-96)を改訂版として再編集したものを紹介する。

オモイカネノカミ
『古事記』では思金神、常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)『日本書紀』では思兼神『先代旧事本紀』では思金神、常世思金神、思兼神、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)、八意思金神と表記される。
高御産巣日神の子であり、天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命の兄。最も有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている。国譲りでは、葦原中国に派遣する神の選定を行っている。その後、天孫降臨で邇邇芸命に随伴した。
(八意)思金神の「八」を「多い」、「意」を「思慮」と解し、「八意」は思金神への修飾語、「思」を「思慮」、「金」を「兼ね」と解し、名義は「多くの思慮を兼ね備えていること」と考えられる[1]。
アメノコヤネノミコト
天児屋根命 高天原で天照大御神に仕え、祭司という重要な役目を任された。神を喜ばせる言葉、祝詞の生みの親である。中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された他、藤原氏の繁栄にあやかって現在では出世の神としても信仰されている。
アメノウズメノミコト
記紀神話の天岩戸開きに登場される神様で古事配には天字受売命、日本書記には天鈿女命と記されてる。天岩屋戸にお隠れになった天照大神を再びこの世に誘い導き出すために、八百万の神々は天安河原に集まリ、岩屋戸の前でお祭りが行われた。この時、天鈿女命が桶の上で衣もかなVリぐり捨てて、余リにも調子面白<踊られたため八百万神々は大笑いする。命の所作は神楽の起源と言われ神楽・技芸等の芸能の祖神:祀られてる。
アメノタヂカラオノミコト
天手力男命 日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神。アマテラスを引きずり出して、それにより世界に明るさが戻った。
天孫降臨の際、アマテラスが三種の神器にオモイカネ、タヂカラオ、天石門別神を副えたとあり、その後伊勢の佐那県(三重県多気町佐奈)に鎮座したとしている。
クシナダヒメ
クシナダヒメ(櫛名田比売)ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。大山津見神の子であるアシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛(ゆつつまぐし)になる。スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。
オオクニヌシノミコト
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。出雲大社・大神神社の祭神。須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせ りびめのみこと)との婚姻の後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神(おおものぬしかみ)を祀ることによって葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを完成させる。だが、高天原(たかあまのはら)からの天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となった。のちに支配権を得ることになる建国の神。神話にも数多く登場し成長を重ねていく姿は人々の心をとらえて離さない。
コトシロヌシノカミ
事代主神 葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。この天ノ逆手は一般に手を逆さに打つことだと考えられている。宣託の神、漁業の神、海上交通の神、天皇家の守り神そして恵比寿様としても信仰される神
タケミナカタノカミ
建御名方神 軍神をはじめとして、農耕など篤く信仰された神だが、「古事記」ではタケミカズチノオ神との勝負に敗れるという残念な扱いをされた神。諏訪大社(長野県諏訪市ほか)の祭神として祀られていることから、諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、お諏訪さま等とも呼ばれる。
ニニギノミコト
瓊瓊杵尊 日本神話で天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命令で、葦原の中つ国を統治するため、高天原(たかまがはら)から日向(ひゅうが)高千穂峰に天降ったとされる。天照大神の子である天忍穂耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命の子(つまり天照大神の孫。皇孫(すめみま)、天孫(あめみま)とも称される。高皇産霊尊の意により葦原中国の主として天降(あまくだ)り、日向国の襲の高千穂峰へ至った。さらに国を探し求めて吾田長屋笠狭岬へと至り、そこで大山祇神の娘の鹿葦津姫(かしつひめ)、またの名は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を娶った。
サルタヒコノカミ
猿田彦神 天孫降臨でニニギノミコトの道案内役を託された神様。現在は、道の悪霊を防ぎ、行く人の安全を守る神として祀られている。邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田毘古神で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来た。
2020.1.1






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