2014.2.14工夫するということ
工夫とは生活の知恵から生まれる。大きくは環境に順応するために、例えば、気候(四季)の変化に対するため、またモノの機能を自分にフィットさせるために工夫することが挙げられる。
第一の四季への対応として、衣食を適応させることである。「衣」については、冬は重ね着やコートを着て保温する。逆に夏は気温に合わせて薄着をする。中間の季節の春と秋は、合着という名前の衣料もある。暑さや寒さに対しては、人によって感覚の差があり、一年中裸に近い状態で過ごす豪の者もいるが、これは例外であって一般的には自分の皮膚感覚で着衣は選ばれる。これが伝統的ともいえる気候の変化に対する人の工夫であるといえよう。
次に「食」であるが、冬は「鍋に限る」と言ったように食べればすぐ温まる食事が好まれる。夏は「冷麦」のように氷を使った喉越しの良いものが好まれる。尤もカレーライスのように四季にかかわらず人気のある食べ物もあるが、あの辛さは冬は温まり、夏は大汗をかかせて体をリフレッシュしてくれるからだ。
このように、環境の変化に対応して衣食を変えるなどの工夫することは、日本では当たり前のことであり、その工夫する心があらゆる分野に及んでいるという、広がりの大きさが、日本人の特性と言えるのではないだろうか。
何に対しても置かれた環境に合わせて工夫を施すことが、習性にすらなっている。工夫しない者は、単なる無精者であるとさえ言ってもいいだろう。
工夫して新しいモノに生れ変えさせる知恵を出すのが、特に町工場など、中小零細企業である。生き残りを賭けているので、必死に独自性あるモノ造りに挑んでいる。その結果、従来の製品に一工夫加えて、世界市場で認められるようなモノ造りをしている企業が、沢山生まれてきている。これもひとえに、日本人のくじけないで工夫して、何とか他より優れた品物を作り出す苦肉の知恵の発露なのかも知れない。
2014.6.15 ひと工夫
工夫するということ(2.12)の続編である。
そのまま使ったのでは、何となく物足りないモノがあるものだ。
食べ物を作る時に、隠し味を忍ばせるように、ちょっと工夫を加えると、物足りなさを解消できることがある。
ひとつ例を上げてみると、例えば、座椅子で結構ハイバックなモノが、和室に置いてある。これはそのまま直に使うと、固くて背中も尻も痛くなる。折り畳みテーブルを出して、その高さに合わせ、足のある椅子の様に使おうと、これも折り畳み式の踏台(収納する場所に限界があるので、前にも書いたが何でもコンパクトを心掛けている)の上に乗せて座ってみた。どうも不安定で頼りなく、後に反り返りでもしようものなら、いとも簡単にひっくり返ってしまう。
これでは危険で怪我の元になる。それではと、座椅子の上に踏台を乗せ、小振りなクッションを敷いて座ってみた。ハイバックなので背中をもたせかけることもでき、パソコンを使うのに、丁度良い塩梅に収まった。
このように、ほんのちょっとした工夫を加えると、思いの外良い結果が得られる。小物などは工夫して使わないと真価を発揮できないモノの典型だ。使う際に、発想を少し変えてみたり、逆転の発想を取り入れるのも、また工夫する時には必要なのかも知れない。
記憶から記録へ
人は誰でも年を取れば、忘れっぽくなる。無論例外はあるが、大概の人はそれは定めのようで、認めざるを得ない現象なのだ。
酒飲みによくあることだが、酔うほどにくどくなる。それも昔ばなしを何回も繰り返す。本人は初めて話すように得々としている。周りの者はまたかと思うが、ふんふんと聞いている。周りの者も始めて聞く話だと感じているなら、それはそれで和やかな席になる。人は昔のことはよく覚えているが、最近のことは、夕べの食事に何を食べたかも忘れてしまう。
私も例外ではない。そこで、記憶に頼ることはしないように、記録に頼るように切り替えた。日常生活な代表的な例を上げると、出金記録で、お小遣い帳みたいなものだ。これは私に限らず、結構多くの人が日記帳代わりに使っているようだ。日記と言うと何か構えてしまうが、お金の使い方を記録するのは、レシートさえ残しておけば、後でも記録できる。行動にはイメージが付きまとうので、単にお金の記録だけでなく、その時の記憶も蘇るものだ。
私の場合は、その他にも色々メモを取っている。行動記録とか、歩いた歩数とか、思いついたこととか、それぞれ別のツールを使って残すことにしている。全て電子化している。前にも紹介したが、iPodは金銭帳(おカネレコ)と行動記録(瞬間日記)というアプリを使っている。歩いた歩数は、携帯電話に付随する機能にある。そして、一番役に立つのが、手書きの電子ノートで、何でもかんでもメモる道具だ。
そうして集めたデータは、好きな時に取り出せるようにデータベース化している。データベースは、私にとって物書きの部品のような存在である。電子ノートもアナログとデジタルが結び付いた一種のデータベースと言うことができる。ジャンル別に仕訳してあるので、ネタ元を見つけるのはそれほど苦労しなくて済む。
更に、高度なデータベースは、クラウド(Cloud)の活用である。私は、Evernoteというアプリがそれに該当する。
物を覚えるには、かなりのエネルギーが必要だ。更に、そこから覚えた物を引き出すには、更なるエネルギーを要する。そういう事に残り少ないエネルギーを消費するより、電子的に保存されたデータベースを活用する方が、労力を使わないし、効率もよく、正確である。
データを探し出してしまうと、不思議なもので、付随して過去の記憶が蘇ってくることがある。記憶は失われるのではなく、奥深くに仕舞われているものだと言う事が分かる。
最近のことを忘れてしまうのは、毎日同じリズムで繰り返される事柄は記憶に残し難いせいである。何か動機付けのようなインパクトがあれば、新しい事でも記憶に残るものだ。例えば、親父が娘の結婚式のことは一生忘れないというように。
先にも述べたように、忘れるのを前提に、何でもメモしてしまう。いい例が、本屋で面白そうな小説を見つけたとする。何日か経ってしまうと、書名も著者も綺麗に忘れている。その時ちょっとメモしておけば、後悔しないで済む。
データも「塵も積もれば山となる」の喩えのように、今では膨大な量になっている。他人から見れば屑でも私にとっては宝の山である。整理整頓がいまいちであるので、データを取り出すのにしばしば苦労するが。特に頻繁に使う電子ノートは、ノート名となるタグが多くなること、削除をマメにやらないので、メモを探し出すのに苦労している。
データベース機能でも優れているのは、先に紹介したCloudの一つであるEvernoteと言えよう。私は自分のPCの共有サーバーとして使っているので、有料版であるが、無料版もあり、十分役に立つ。契約は年契約であるが、1回契約すれば、全ての自分のマシンから操作できるのが気に入っている。電子ノートで下書きしEvernoteで清書する。そのデータは、コピーしてホームページで使っている。
こうした、直ぐには必要でもないデータを電子化しておくことで、今、私はこうして物を書くことが出来るのだ。これは記憶だけに頼っていては、無理なことである。
また、メモしたデータをそのまま使うことは無い。必ず辞典などの参考文献に照らして、正確性の維持や肉付けを行ってから発表する。この一連の作業過程で、本を読むという習慣が守られ、脳も活性化しているのではないかと思っている。
2020.10.6