これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
一昨年の夏、私は小説の文章について考えたことがある(*第28話~第30話)。今の日本に小説文の種類は沢山あって、そのどれを善とし、悪とするのがいいのだろうか。今同じことを異なる文体で書こうと試みようとして、その当時に書き出したものを次に掲げる。
机に向かっていても書(ふみ*文面)を読んでいるようには見えない
眼を書にそそぐもので、その瞳が動かないものは読むとは言えない
視線は真っ直ぐに書物の上に向かっている。であるが眼球が上下しないものは文字を読んでいないことを明 確に示している
書物をじっとながめている。身動きもしない、またたたきもしない。よくよく見ると目の玉はちっとも動い ていない。ハテナ(・・? これでは書物を読んでいることにはならない
以上4種類のうち、どの文体がいいのかは人々の好みによって違うことである。諸君子(*皆さんは)はいづれを選択するだろうか。
2020.1.13