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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ現代訳 第四十六話 子供の教育


 子供を教育する時に子供が嫌がる事柄を無理に教え込んではいけない。例えば数を数えることの嫌いな子供に無理に一、二、三、四といい聞かしたところが、覚える気づかいはなかった。こうした場合はその子供のすきな有機物(果物、毬、水晶玉の類)等を使って数を教えるようにするべきだ。幼稚園は実に実に良い教え方をしている。子供を面白らせながら、これに厳正なる思想(*正しい考え方)、精密なる思想(*正確な考え方)を吹き込んでいる。小児は押しなべて諸色(*カラフルな色)が配色されているのを好むものである。だから幼稚園では色紙または着色した麦わらを使うことが多い。私は幼き頃より物を覚えることが嫌いで、現に小学校を卒業する時に暗記で落第するところだったが、教師の憐憫(*思いやり)で特別に及第したのであった。
 現段階に及んでも益々その度合いは強まり、歴史の暗誦にはほとほと困り果てた。私は各国史はさておき、万国史さえも通読したことはない。日本史といっても私は全く知らない。日本の政治家の歴史よりもむしろ八犬伝の剣士の履歴の方をよく覚えている。しかし、歴史を覚えなくてもいいという訳にもいかない。子供の時から知らず知らずのうちに覚えられるようにしなければいけない。すなわち絵草子などを与えてその説明をしてやるなどすることがよろしいのではないだろうか。中でもかるた、双六などは実に無上の教育法である。これに俗諺や歴史上の事実を描いてあれば、小児は自然にこれを記憶するようになるだろう。
 とにかく絵画ほど小児の教育に大切なものはないから、読本類にはなるべく多くの絵を挿入して、その絵もなるべく教育上好ましいものを選ばなければいけない。どうしてかというと読本の挿絵のようなものは、心の奥底にまでも刻み込まれ一生忘れることはないから、その人の記憶、絵心など皆小学校の時に見た図画に胚胎(*はいたい:根付いている様)するのである。
 ドイツの読本はきたない上に挿絵がないのが最大の欠点である。この頃になって同国では読本を大きく改良しようという動きがあるそうだ。また書物の板(*表紙の中の板か)や表装などもなるべく立派なものが良いとされる。これは小児が書物に親しむことに大きな効果があるためである。結論を言うなら、書を愛するということは、書を読むようにすることが第一着(*碁・将棋の初手)になるからである。 2020.2.7

 

 

 

 

 

 

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