これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
その後彼(*新海)は漸く煩悩のおそろしさを自覚したようだ。仏教の悟りについてかくかくしかじかとあげつらったりしたが、去る2月28日の夜、彼は私の8号室にやってきて「仏教のいわゆる悟りとは悟りとは悟っても人に伝え得ないものだとか、果たしてそうであるならば実につまらないものではないか」という。わたし答えて「つまるともつまらぬものとも分からないけれど、普通の感情に従っていえば、むしろ高尚だと言ってはいけない」と笑うと、彼は「もしこれをして高尚ということならば、それは仏教の外にもたくさんあることだ。画のようなもおものもその一例であるのではないか」と言う。
私も答えて「そうだ。そうだ。絵画のようなものもこれを悟る者はその善悪の是非をはっきりと意識したとしても、口または文にしてそのことを説明することはできない。画だけに限らずほかの技芸でも同様である。学者でも同様である。であるからして悟りとは煩悩を脱することである。それだから仏僧といえども、技芸家といえども、学者といえども、その悟りに二つはないものと思う。左甚五郎のように世俗の伝えられる所によれば、飄々として仙人のようで、行こうと思えば出向き、止めようと思えば止める。天気次第で行くという訳ではなく、金銭次第で止まるわけでもない。王侯に媚びず恐れず、地位の低いものだといって侮ったり賤しむことをしなかった。気の向くままに彫刻し、気の向かない時は、何と言われようと彫刻しなかった。死ぬとか生きるとかには一向に介せず、褒められたり貶されたり(*毀誉褒貶)といったことを気にしなかった。こうしたことは真に悟りの極意に達したものと言うべきだろう。ギリシャ古代の学者にもこの類(たぐい)が多いように見受けられる」云々と話した。
この夜は餅菓子、焼き芋などをやたらに食って「今夜は遺精(*夢精)をやりそうだ」などと話して寝についた。果たして3月1日のあけがた、あけの明星のきらとする頃精液を漏らした。夜が明けた後も何も思うことはなくて、8時頃学校に行こうとする道すがらふと思い出したことだが、何だか自分の心の現象に異常を呈しているように感じた。よくよく考えてみると妙にぼんやりとしていて死生などいうことも意に介せず、その他の煩悩も自ら我が身を離れ、今は六根清浄となったような心持ちがする。学校に行ってもいつものように苦しいとも思わず、10時頃に退校した時は大方ネジが戻って煩悩も再現するのではないかといぶかったが、12時頃は何だかうれしくなってきた。これはよほどネジが戻るしるしと見え、この日午後向嶋へ行き浅草などを歩いている時は、煩悩も増し我が身は浮世の中にいるのだった。 2020.2.28