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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ現代訳 第五十二話 六歌仙の比較(1)



 6月1日の頃だったと思う。一々会を中学校の第一教場で開くという連絡を幹事から受け取った。それによれば幹事の家永氏は私に諸氏(*演説者)の批評(*講評)をすることを頼まれた。私はもとより不束者であるが、どうしてもと頼まれたのでついつい引き受けてしまった。
 注目する点は今回は校生(*学生)の傍聴を許すもので、そうしたことは今回が始めてとなることである。同日夜出かけると聴衆は30人ほどだった。演説者は6人のはずだったが、一人欠席して5人だった。
 家永氏がはじめに開会の主意を述べ、次に佐々木清磨氏が最初に「日本現今の著述家」という演題で、今の著述家は金銭と名誉とを目的とする陋習(*ろうしゅう:悪習)に陥っていると長々と非難した。
 2番目の演説者は喜多村佳一郎氏の「英国経済史」という題で、英国の経済上の進歩をベースに日本の経済に言及して日本を富強(*経済的に豊かにすること)にしなければならない理由を説明した。
 3番目の演説者は高田  (*空欄2つ)氏で論題は「貧民救済策」で、我が国は貧乏人が多いので、これを救済する方法を歴史に照らして論説している。結論は殖民(*主として国外の領土や未開地に自国民の移住・定住を促し、開発や支配を進めること)が最良の方法だと丁寧に論じて演壇を下りられた。
 4番目の演説者は菊池謙次郎氏で、我国の倭歌(*漢詩に対して、奈良時代までに発生した日本固有の詩歌の称。長歌・短歌・旋頭(せどう)歌・片歌などの総称。後世、他の形式がすたれ、もっぱら短歌をさすようになった。やまとうた)は支那文学から伝来したことを詳しく述べられた。
 5番目の演説者は「地勢論」と題して石井八万次郎氏が論じた。地勢(*地勢は自然地理学で一般的に用いられる語であり、地形の在り様を意味している。標高や勾配、その土地の地形の特徴の傾向を意味する語としても用いられる)の兵事商業工業等万般の事業に関係があることを、学術的実際的に説明された。
 終わりに家永氏が私を諸氏に紹介して「有名なる批評家であるのでさぞかし面白くて雄壮で愉快な演説にちがいない」と言われた。私は壇上に登って「私は幹事に頼まれてやむなく諸君の批評を承諾しましたが、実にやむを得ないわけであります。殊に今、幹事のご紹介が余りぎょうさん(*オーバー)であったので、私はあっけにとられて何を言ってよいやら分からんようになりました。演説者の議論を批評するには、その人より1等も2等も上の学識を持っていなければならないのに、私のように浅学浅見の一書生が諸先生方のご演説を評論することはとても手に合うことではありません。それも私と同じ宗旨のものならばいざ知らず、この会のように諸々の宗旨の寄り集まった所では猶更のことであります。孔子様でも子供に太陽の遠近を問われた時に困ったそうですが、まして私らにおいては当たり前といってもよかろうと思います。 続く 2020.3.21

 

 

 

 

 

 

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