これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
しかし全体からいうと六歌仙は皆そうそうたるものに違いありません。 即ち諸君がたは未来において必ず六歌仙と名を等しくするような人になられるでありましよう。 佐々木君が真成(紛れもなき)の著述家となって天下の耳目をさまし、喜多村君が積極的に日本を経済的に豊かにし、高田君が消極的に日本の貧民を救ひ、菊池君はまた堅苦しいことばかりではいけないということで、三十一文字(*短歌)のような文字数の少ない表記法を提議されました。 そうして石井君のような学者があって学問上の理論として物理学の本質を解き明かして実用に適合させるに及んでは、日本の開化はどんなに進むか、はかり知れません。
このように考へを進めてきますと 私は「日本帝国万歳。一々会万歳と大きく声を上げざるをえません」ということで壇を降り、散会となった。(以下抹消)
これを記したついでに、試みに紅葉会の会員を六歌仙に比べた一覧は次のようになる。
喜撰法師ー武村小鍛治、僧正遍照ー佐伯蛙泡、小野小町ー伊藤鉄山、在原業平ー新海非風、文也康秀ー五百木隠居、大伴黒主ー河東奴可理 2020.4.8