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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ現代訳 第五十七話 上京紀行(3)


 手紙を書き終わって(*前回の船酔いの後友人にその模様を手紙で書き送っている。その文面は省略)、直ちに汽車で丸亀え行き須田氏を訪ねた。この汽車の大きさは東海道の鉄道と同じで、車両が新しいせいか下等(*昔の3等級の一般車両)さえも寥々(*人が少ない様)としてさみしかった。金毘羅のお祭りには寄って見物することにした。
 正春氏は松山地方に出かけて留守だった。残る所は大叔母さんと増田夫人の所だ(夫人というものか何というものか知らないけど、もう既に貴人の仲間入りしたと聞いてこの称号を与えた)ここでご馳走にもなり、面白い話も聞いたり話したりした。
 おばさんの話の中に「ここによしかねやという男があるが、よほど面白い男で、この間始めて内へも来たが、ちょっと煙草入れを出して筒をたたいて『づつうがするづつううがすると思えば皮色が違ふとる。しかし心配することはない。ここにおじめ(*煙草入れの口にまわした緒を束ねて締めるための具)がついておる』などとしゃれをいふたり。また内の家内中が先日一処に写した写真を見せたら、その時丁度かなめ(要女:夫人の名前)が脇で蜜柑を食べておったが、よしかねやが要女の顔を見て『この写真の顔とあなたが蜜柑をくうておいでなさる顔とは顔が違う』じゃといふ男じゃ。この男はじゃぎ(痘痕:あばた)があるが『私の若い時は種痘というものはなし。ほんとに私が自分で鏡を見ると気の毒になる』とかいうてゑッぽど(*よっぽど)面白い男じゃがナ〃〃〃〃〃〃〃内の下女が先日いうことにや『おならがブーとおっしゃた』ハ~~~〃〃〃〃〃いつか土佐の人に小烏賊(こいか)を出したらせん(甲)ごともにがぢりとおかみてゑっぽどおかしかった」などということを聞いたものだ(*話し言葉は原文表示した)。
 私も相槌(あいづち)を打って「あたしがいつか信州の岩岡という男にあった時その男が話すに『僕は国にいる間は海の魚は塩水に住んでいるから辛いものだと思ふた』と言ったが、これは信州に送る魚は塩漬けにしてあるからそう思ふたんじゃ」などと話しながらご馳走をつめこみ、暮あひの(*夕暮れの)汽車で多度津に帰ったが、店の者が「今夜はきんりゅう丸が早く着きますから、これにおのりになってはどうでございますか」という。  2020.4.30

 

 

 

 

 

 

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