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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

  筆まかせ現代訳 第六十一話 賄征伐(1)


 私は一昨昨年より一昨年の夏まで一ツ橋外れの高等中学校に寄宿していた。ここの食堂はかなり大きい建物で平屋造りで床は板の間であった。長方形の机が4×4の形で整列しており、皆腰掛けて食事するようになっていた。室に順に並ぶ規則であったが、同室や隣室は大概は同級生が多かったから、食堂でも従って同級生は同じ机に並ぶことが多かった。私と同級生の場所は東寄り左から2番目の机で各自の定席には一々姓名を書いた札があった。定められた時間内に食堂に入り、自分の決まった席につく。
 なお朝食は6時頃から8時まで、昼食は11時から午後1時まで、晩飯は5時から7時までとなっていた。さらにこの時間の始まりには必ず鐸<たく*銅または青銅製の大型の鈴。扁平な鐘の中に舌 (ぜつ) があり、上部の柄 (え) を持って振り鳴らす>をふって知らせることになっている。なのだが餓鬼仲間の書生はいつも定時よりは10分ほど前に入口の前に集まり、ドン々、ドン々、ドン々、ドン々と戸を叩き甚だしい奴は靴で戸を蹴破るものもいる。
 我々ボール仲間は同じころから食堂と寄宿屋との空き地でノックをはじめる。戸を叩くのを忌避するものたちはノックを見物しながら、食堂の扉が開くのを待つ。
 新手の餓鬼大将たちは続々と扉の前に集まり扉を打つ。このように三々五々と段々と人数が増して20人も詰めかけるまでになると、賄方(まかないかた)もその勢いに恐れて定時よりも15分ぐらい前に扉を開く。その時は今迄につめかけていた餓鬼どもがドヤ々、ドヤ々、ドヤ々と押し合って走りこむ様は、池の堰を一時に開けたような様である。
 定席につけば菜(さい)はつけきりのもりきりなのだが、飯をよこせと皆「賄い、賄い」と怒鳴る。飯は小さい塗り物の丸い櫃(おひつ)に入れて持ってくる。これだけは幾度でもお代わりがきく。賄い方を呼ぶのに「賄い、賄い」と呼んでも声の小さいものは、大声のものに圧せられて、欲しい飯も諦めて泣き寝入りとなり、しおしおと食堂を出るので、終いには卓上に備えてある自分の名前を記した木札を使って卓を割れんばかりに叩くことになってしまう。
 始めて入舎して食堂に行った時には何だか間が悪くて卓を叩くことを遠慮したのだが、少し慣れるに従い賄い方を呼ぶよりも机を叩く方が面白くなって、無暗に叩くので部屋中が雷声が満ちている感じがして、初心者には不愉快に感じるかもしれないが、これも慣れてくるに従い不愉快に感じなくなるだけでなく、なるべくやかましく叩くほど愉快になり、卓を打つ音の多少は食欲の度合いと直に釣り合うという風になるというのも不思議である。  2020.5.27

 

 

 

 

 

 

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