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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

  筆まかせ現代訳 第六十ニ話 賄征伐(2)


 寄宿舎には舎監、両3名と下役両3名が勤務していて、常に舎中を監督し、というか舎生の細事に干渉し、殊に食事の時には両3名づつ食卓の間をぶらぶらと歩き回って生徒の乱暴を取り押さえるなどあたかも警察官と同じである。食費は一日11銭くらいだが、朝飯のおかずは味噌汁と豆位で、午餉(*昼飯)は牛肉の煮たものと肴の煮たものとが隔日位に出る。晩飯は西洋料理一皿である。これを下宿屋と比べると雲泥の差があるのだが、これも料理屋の料理と比べると劣ることはいうまでもない。西洋料理などという名で驚かしているだけだ。
 また各自の好みにより飯をパンにかえ、菜(*おかず)を卵にかえることもできた。もっともパンを食べたければ朝飯は常にパンとか、朝昼2度は常にパンとかいうように決めることはできない。
 また翌日のおかずは前日の晩に食堂に掲示するので、きらいなものの時は前日にこれを卵にかえてくれと指定する。卵は生卵でもゆで卵でも、または焼き卵であっても自分の勝手に決めることができる。
 昼飯晩飯のおかずを卵2個にかえることができる。もし飯さえもかえるというのであれば、おかずとともに都合3個の卵を得ることができるという内規がある。であるので、今日の晩飯をよそで食うとわかっている時は、その昼飯の時に理由を賄に話して卵3個をゲットできる。これを煮たり焼いたりして食う事がしばしばあった。
 これは表向きは弁当として晩飯代わりに3卵を得たということになるので、その卵を昼飯の時に食うということは公の事ではない。賄は、なれてくると横着になり、また旨いものは食わせぬと時々これを代えることがある。賄方に付属した給仕人(女ではなく、髭だらけの大男が普通だが)は大抵10人以上いる。中でも新参者は撃卓の音に目まいして、きょろきょろとまごつくだけで、一食時間に僅かに十人のお給仕しかできない。その中にあって慣れた者は撃卓声中を縦横無尽に駆け回って一食に五、六十人のお給仕をする。
  2020.6.7

 

 

 

 

 

 

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