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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

  筆まかせ現代訳 第六十三話 賄征伐(3)


 食堂は古い建物できたなく、食卓は学校の机のおあさがりらしくて、その板は賄の顔と共によごれている。以上は食堂の景況と規定との概要であるが、この規定は時によって多少の変更はあるが、要するに大体にいて大きく変わることはない。
 私はかねてより賄征伐の名を耳にしたことはあるのだが、未だにこれを目撃したことはない。そういうことだから私たちより後に入校した人はむろんこれは知らない。名前はあるのだが実際は絶えてしまったことは残念なことだ。それでは私たちが一度これを実行してみようという考えは、私たち入舎生の日ごろの持論であった。
 明治21年4月の末の頃ある日のことだった。「今日これを実践する」と同級生の相談がまとまり檄文を各号(*各部屋)に回した。この頃寄宿舎は4棟あって各棟に1号2号の名前を付け、各号の各室に第何室の名を札が下がっている。私たち同級生は3号の右側の3室に主に分散していた。1室には8人収容する規則だったので、20人ほどいた。それ故檄文は4通作成し各室に回した。
 その檄文の大意は「今晩5時振鐸(*しんたく:カラーンカラーンと いう合図)の時を待って周勢一同で食堂に押しかけ、なるべく沢山、米櫃をかえて、兵糧を一時に欠乏させて賄方を困らせるべし云々」という内容であった。この時私たちは余暇1級であったので、上に2級あり、下にも2級あった。丁度中央の位置にある生徒であった。午後5時、賄方が戸を開けて鈴を鳴らすのを合図に真っ先に進入したのは我ら発起仲間であった。ほかの級の者たちも続々とやって来たのだが、予想ほどの軍勢を得たわけではなかった。同級生でも用心深い奴はわざと用事をこしらえて外出し、5時頃には帰舎しない者もいた。
 我らは席に着くや否や直ちに札を使ってゴツゴツドンドンゲッツゲッツコンコンと打ち始めたのだが、賄方が持ってくる飯櫃を茶碗半分ほどに盛り、これを食うや食わぬの間に直ぐ様、飯櫃の飯を机の上にひっくりかえし、札を打って賄を呼び「この飯は冷たいとか、かたいとか、ゴミが入っているとかの口実をつけて新しい飯櫃を持ってこさせたのである。もっとも飯米中に藁などの混入しているのは当たり前で時として虫の死骸を見つけることもあるので、口実としては尤もらしいものであった。否(いな)ここの飯に慣れぬ者ならば実際食べることのできない飯なのである。   2020.6.13

 

 

 

 

 

 

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