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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ現代訳 第六十七話 賄征伐(7)


 翌日学校えもいつも通りに行き、食堂に行っても給仕が特別我ら同級生を恐れて気をつけて何事もなく済んだ。
 この日の夕方に菊池は証人のところに行ったところが、学校から証人に召喚状がきていた。無論理由も何もなく、ただ明日午前8時出頭せよというだけ云々だと帰校後話したのだが、何のことだか分らなかった。だれもが何なんだろうと思ったのだが、賄征伐のことについてだと思ったものは少なくはなかった。
 翌朝8時頃に小使いが菊池を呼びに来た。彼は暫くして笑いながら部屋に戻って来たので、どうなったと聞くと「停学停学」とという。皆どんな理由なのか分からず、驚いて「停学とは何でだ」と問えば「賄征伐のせいだ。今証人にあったが証人にまで言い渡しがあったようだ」と答えた。「それはそうだろうが、だからといって菊池だけというのは道理にかなわない。我々にも証人が来るに間違いない」と今か今かと待っている内に両3人は同じく証人からの呼び出しに応接所に行ったところ、皆停学並びに退舎を命じられた。
 私も今にも証人の来ることだろうと待ち受けていたが、一向に来ないので仕方なく学校に出席し、9時ごろ帰ってみると、停学退舎の厳命を受けた者はほとんど10人にもなっていた。だが私には何の沙汰もなかった。
 運命の定まった者たちはそれぞれ荷じまいをして、昼の弁当として賄所よりパンと卵をしこたま取って来て暖炉の上で煮焼きなどして食う様は如何にも愉快そうである。
 私も待ちかねて諸子と共にパンのお相伴をしている内に舎監属大嶋氏が私の部屋にやって来た。色々と話をしていく中で私は同氏に向かって私の運命はどうなるのかと問うたところ「都合11人の退舎だが君は入っていない」と言うのには私は驚いた。
 罪も同じ罪、寄宿も同じ寄宿、非常も同じ退舎なのに、「独り誓いの網にもれて、沈みはてなんことは如何に」と口には出さず、腹の内は俊寛の思いをした。(脚注:平家全盛の平安末期。都の名刹、法勝寺で執行を務めていた僧都の俊寛は、平家打倒の陰謀を企てた罪科により、同志の藤原成経、平康頼とともに、薩摩潟の鬼界島に流されてしまう。それからしばらくして、都では、清盛の娘で高倉天皇の后となった中宮徳子の安産祈願のため、臨時の大赦が行われる。鬼界が島の流人も一部赦されることとなり、使者がかの島へ向かった。
 成経と康頼は、日頃より信仰心あつく、島内を熊野三社に見立てて、祈りを捧げて巡っていた。ある日、島巡りから戻るふたりを出迎えた俊寛は、谷川の水を菊の酒と名付けてふたりに振舞い、都を懐かしむ宴に興じる。ちょうどそこに清盛の使いが来て、大赦の朗報をもたらす。ところが赦免状には、俊寛の名前だけがなかった。驚き、絶望の淵に沈む俊寛に、周りの皆は、慰めの言葉もなかった。やがて赦免されたふたりを乗せて舟は島を離れる。俊寛は、舟に乗せよとすがりつくのだが、無情にも打ち捨てられ、渚にうずくまりあたり構わず泣き喚く俊寛(『平家物語』に描かれた俊寛の悲劇を舞台化した能の一幕)。2020.7.17

 

 

 

 

 

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