これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
私が東台に身を寄せていた時のことを書き記す。以前庭先を歩く鶏のことを書いたが、そのなれ睦ましい有様をこんな風に書いた。
「ある日学校から帰って、いつものように障子を開けたが、鶏は見えなかった。どうしたのかと思っていると、女中が夕餉を運んできた。膳に向かい椀の蓋を取ってみると肉の叩いたのが盛り込まれていた。さてはあの鶏は殺されたのではと思いが至ると旨いとは思わず箸を取った」と書こうとしたのだが、これでは余りにあからさまで面白くないということで、
「膳に向かい膳の蓋を取ると叩いた鶏肉の羹(あつもの)であった。さてはと気が付けば旨いとは思えず、箸を取った」
と改めたが、またまた思い直して、
「膳に向い椀の蓋を取って、さてはと気がつけば旨いとは思えず箸を取った」
とした。私は文章は簡単でなければならない。最も簡単な文章が最も面白いとの議論をあくまで主張する者だから、この文章をこのように簡略に改めたが、もしこれでわけが分からなければやむを得ずと長い文章を採用してはいけない。諸君子の判断を仰ぐ。
2020.8.16