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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ現代訳 第七十ニ話 詩文可否の標準(3)



 孔子曰く「学びて時に之を習ふ」も楽しいことだが、学んでその論理を理解した時もうれしいものだ。友が遠方から訪ねてくれるのもうれしいけれども、故郷の親と久しぶりに会うのもうれしい(友ありの解釈が果たして後の世の人が言うように、自分の徳を慕ってきたものとするなどと言うよりもっと面白いことはまだいくらでもある)。憤らない者が君子だということぐらいは、誰でも心得ていることだ。
(*子曰。
「学而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方来。不亦楽乎。
人不知而不慍。不亦君子乎。」)
 巧言令色などを旨い言葉などという人もいるけれど、我々の目から見ると媚(*こびる)の一字を詳しく説明したのに過ぎない。孔子の道とは忠恕がもとかそれとも仁がもとなのか、仁とは難しいものだと学者はいうが私は仁の実行こそが難しいので、人の解釈などは容易いことなのだ思うのだ。何もやかましくいうほどのものではない。徳行の上のことは知らない。
 単に理屈の上から言えば、孔子よりは孟子の方がよっぽど発達していた。孟子よりは程朱(*中国宋代の儒学者、程顥(ていこう)・程頤(ていい)の二兄弟と朱熹(しゅき)をいう)の方が利口であった。王陽明はまた一段とその上に出たかもしれない。これはもとより時世(*時の流れ)の開明(*知識が開かれていること)だから当然の事である。  2020.9.12

 

 

 

 

 

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