これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
しかるにシナ風(中国風)ということで、昔の人ほどほめるのは何故かというと中国の書物は宗教的教えがちりばめられているせいだ。このようにシナ風がシナ崇拝の日本へ早くから渡来してきたもので、日本の書物でも本文よりは解釈の難しい言葉が多い。
私は殊に「俳諧七部集(江戸時代中期の俳諧撰集。佐久間柳居編。 12冊。享保 17 (1732) 年頃成立。松尾芭蕉一代の撰集のうち代表的なもの7部,『冬の日』『春の日』『阿羅野』『ひさご』『猿蓑』『炭俵』『続猿蓑』を編集したもの)」「大鏡(平安時代後期の歴史物語。作者未詳。6巻。ただし増補改修が加えられた流布本は通常8巻,古本系統本は通常3巻。 12世紀に入っての成立か。文徳天皇から後一条天皇まで 14代 176年の歴史を列伝体で物語風に叙述し評論している)*以上コトバンクより脚注」にこうしたものを見る。この書の中では七部集はほめるところがない。殊に芭蕉翁の句に至っては一も二もなくむやみやたらにほめあげるのは笑止の至りである。それではその解釈はどうかと言うと、いつでもこの発句は古人のこの歌の面影があるとか。
シナの故事の事例を見せたところ、魂だとか言って注釈が長ければ長いほどその句を褒めそやすような規則ができているようだ。何かにつけて故事を引用するのはシナの弊害で、日本もこれに同調してしまってはと、今の西洋学者などは痛烈にこれを批判している。
かつまたこの発句は古人(いにしえびと)の歌の意味だと言ってほめるのは、この上なき大間違いで、我々の目から見れば古人の趣向を盗んだものとして、擯斥(ひんせき:排斥すること)するほかない。
私はかつて芭蕉のある句(忘れてしまったが)をこよなく面白いものと思っていたが、このかぎ『大鏡』を見てその句は古人の歌から出たことを知ってからは、その歌を面白意と思っても、その発句は全く価値を落としてしまった。 2020.9.27