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郷土の歴史「神奈川区」37

神奈川区誌最終章(4)
 神奈川区誌の記録も今回のシリーズをもって幕引きとさせていただきます。区誌本編では現代まで続きますが、それは割愛し、これから紹介する「神奈川滞在記 ロバート・フォーチュン」が最終章となります。

6 神奈川滞在記(4)
 農民と菊 帰路、丘の低地の小地域に散在する農家に立ち寄ると、どの家にもささやかな家庭があった。ある家の庭で、見事な菊の品一種を見つけたので、私のコレクションに是非共それらを数種手に入れたかったが、農夫がただ自分の楽しみに裁培していると思うと、彼に金を提供して頼むのは気が進まなかった。ところが以心伝心で、適当な代価を払えば、どれでも私の好きなだけ取つてもよいという持主の素ぶりで、私の遠慮は無用なことが判った。私達がすぐに親しい間柄になったことは言うまでもない。 そして早速花を背負つた農夫の子供が、 神奈川に帰る私の後から、とぼとぼついて来た。これは私の日本での最初の買物であった。私はすぐに、ノートに次のことを書き留めた。
 つまり、そうした日本人は海の向うのシナ人の仲間によく似ていて、非常に面倒なことでも、ちょっとした心付で解決できないことはないということを・・・
 トミの案内 私の次の目標は、この地方の土着民で、私の収集を手伝つて貰つたり、
特に案内人として働く男を求めていた。そしてトミという男が、私の目的に適する男として紹介された。 トミは長年この地方を方々歩き回ってい た行商人である。誰でもトミの知合いだったし、トミの顔も広かった。最近まで彼が動めていた神奈川のある外人は、トミを才智のある活動的なしっかりした人間だと考えていた。 しかし、噂によれば、トミは日頃彼の仲間と同様、酒、特に焼酎を好むという一大欠点を、私は残念に思った。 といっても、彼も昼問から酒に溺れることは減多になく、概して頼りになる男ということだった。そこでこの地方における私の調査には、トミの知識が最も必要だったので、彼はほかの誰よりも、私には都合のよい助手と推定して、トミを雇つたのである。
 トミはそれから毎日、この方面をくまなく、私の案内役をつとめた。そして私は、彼の実直な働きぶりが、私を十分に満足させたということを公平に認めねばならない。 彼はたしかに朝のうちは前夜の奔放な鯨飲のせいで眼を赤くしていたが、昼間は大体正気であった。



 毎日毎日、澄み切つた空に太陽が輝き、空気は清涼という快適な天候に恵まれて、私は終日非常に愉快に歩くことができた。 ち.ょうどこの地方に自生する多種多様の樹木や灌木類の果実が熟する頃であった。 私の大きな目的は、ヨーロッパへ移人するために、 あらゆる観賞用品種の供給路を確保することであった。 特にコウヤマキと、既述したアスナロのほか、珍種の松類、イチイ、灌木類の種を手に入れようと望んでいた。ある朝、トミが郊外のさる寺に立派なアスナロの木があることを報告した。これは吉報だったので、その種子を入手できればと、トミと一緒に早速その木を見に出かけた。案内された山間の道は、豊顕寺に行った時とやや似ていた。そして景色も同様な美しさであった。肥沃な田園や雑木山は、十一月だというのに、田野特有の常緑樹や濯木が繁茂していたので、 緑の夏らしく見えた。
 道は次第に登り坂で、丘の頂上にたどり着いた。そこは言わば高原地帯で、全体が耕作地になっていた。途中、絶えず展開する景色は、筆紙に尽くしがたいほど美しかった。眼前に広がる江戸湾の波静かな海上に、漁船の小さな白帆が点在していた。海産物は人口の密集する江戸の市場に供給されるのだろう。横浜寄りに見慣れぬ船や、変わった造りの帆船などが、静かに錯をおろしていた。その高いマストや正方形の帆桁は、遠い西欧の帆船であることを物語っている。
 丘の頂上から見渡す内陸の眺めは、変化に富んでいて興味深く美しかった。眼下には稲田、農家、寺などが見える。その向うに低い丘があり、それからまた田園がつづき、視界ははるか地平線の彼方の山波まで一望に収めることができた。
 数マイル歩いて、 丘の中腹の森の中にある、 東林寺というささやかな寺にみちびかれた。 狭い並木道が稲田から寺の石段の下まで通じていた。石段の両側は草深い土手で、ツツジ、アオキの植込みや、そのほか観賞用濯木が生い茂っていた。 石段を登ると、 寺の境内に手入れの行きとどいた見事な庭園に花が咲き満ちていた。

2020.1.3



 
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