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2021.1.1 一年の計は元旦にあり

 「一年の計は元旦にあり」と 大げさなタイトルで始まった今年初めてのコラムだが、私には一年を通じて守らねばならぬことがある。
 それはこのHPの継続である。今年で8年目に入る75歳というかなり高齢になってから始めて、今年は83歳になるから、相当長い期間続けてきたことになる。中身は頑固に同じパターンを繰り返している。それがこのHPのコンセプトだからだ。日常細事を中心に4つのポケット、時の風物詩、字源そしてサイドを飾る「人物百相」と「生物百様」(百相・百様は245枚目だから、さらに500に数字を改めようと思っているほどだ)。寿命が許すなら取り敢えず85歳までは続けたいというのが私の願いである。それが元旦の計である。
 昨年も語ったように、このHPは当初は閲覧者との交流も考え掲示板も設置したのだが、今はやりのSNSのような気軽さもないもので早々に閉鎖してしまった。
 結果として、このHPは発信だけの受信なしの一方通行で「我が道を行く」または「独断専行」はたまた「独り善がり」のそしりを免れない。他人の言葉には一切耳を貸さないというポリシーだとういうことになる。この頑固な姿勢は年ごとに募るようだ。
 最近のコロナ禍で自宅で仕事をするテレワークが流行っている。私は自分の㏋は仕事だと思っているから、最初からテレワークを実践していることになる。
 とまあ仕事については安定している。体調管理については今は巣ごもり状態だが、マスクが取れて外出ができいるようになったら、ずっと欠かしている散歩を再開することも今年の計画の重要課題となっている。
 先のことは分からぬが「明けぬ夜はない」という諺もある事だから、光あふれる朝は必ず来るものと信じて新年の言葉とする。

2021.1.4 ボールペンと糊

 原文の2016.7.17付け「鉛筆(シャーペン)」の最後にボールペンについて後日考察したい」という話を受けて、今回はボールペンを含む筆記具について感想を記すことにした。
 私が使う筆記具はメモは殆どボールペンである。 それも一種類で使い切るまでインクが根詰まりしないカランダッシュ(クライン・ブルー 849)というモノで、これは人からもらったモノ。40歳の頃から使い始め、何回かリフィール(中のスペアカートリッジ)は替えた。今は簡単なメモにしか使わないから、インクが想像以上にもっており、スペアを買って待っているのだが、なかなかインク切れしない。書き味も文句ない。100円ボールペンとは比較にならない質の違いを見せつけている。
 他にも太さの違うものを購入して使ったが、暫く使わないと殆どが根詰まりしてインクが出なくて放置されている。そういう経験は誰でも覚えがあるに違いない。
 私にとって欠かせない筆記具に筆ペンがある。これは以前取り上げたことがあるので、今年の年賀状に使ったものを紹介する。
 愛用の呉竹の筆ペンは穂先が筆圧に敏感に反応するので、その時の気分次第で出来不出来が表に出るもおだ。そこで今年はボールペンではないが穂先が毛ではない特殊樹脂製の使い捨ての安い筆ペンを使った。これだと均一の太さでなお筆の味を保って書けたので、年賀状の添え書きに使った。
 次は糊についてであるが、紙を張り付けるのに使うものに限っても数種類ある。
 形状から見ていくと、スティック糊、歯磨きのようにチューブ入りの液状糊、小学生が工作などで使ううどん粉を練ったような「ヤマト糊」などが思い付く。
 スティック糊は封緘する時よく使う。幅広く塗って紙を張り付ける時はヤマト糊が合っている。液状糊はスティックのように押し付けるのでなく、練り歯磨を歯ブラシに薄く延ばすような感覚で塗る。そしてヘラなどで更に薄く引き伸ばし隙間を失くす。すると紙と紙がピタッと貼り合わさる(はずだ)。
 このように糊もTPOで使い分けるのが効率的である。次回はモノ好き第2弾の続編。モノ好き第二弾

2021.1.7 棚(日曜大工)

 原文では「2016.12.18 棚(mono)」とはどんなものかについて詳しく記している。そこで今回は、実際我が家ではどんな風な状態で棚があるのか見ていくことにする。自作のモノについては何を素材にどのようにして作ったかについても紹介する。
 先ず我が家の玄関を入ると両脇には括り付けの靴箱があり、中には平らな板で仕切ったものと、片側にはスライド式の棚で仕切ったものがある。今は満席で、外にも何足か出ている。ここでも悪い癖で何足も、もう履かなくなった靴もあるのだが、未だに捨てられないで場所を占拠している。
 靴を脱いですぐ脇にトイレがあるが、ここにも括り付けの天棚があり、足元には百円ショップで買ったどこにでも置けるこの字型の網性の棚が置いてあり、小物が載せてある。
 トイレの向かい側に3畳の寝室兼物入れの小部屋がある。ここは大改造をした。その頃は日曜大工に凝っていた頃で体もタフで結構細工をしたものだ。その改造とは部屋の突き当りにある板戸のついた納戸を解体して、旅行トランクなど大型なものを入れる場所と、本や模型の箱を収納するというもので、板戸を取り払い、納戸が押し入れのように2段に仕切ってある所を電動鋸で分断し右半分に新たな空間を作り出した。残った方は棚が宙ぶらりんの状態なので、中仕切りの大きな板をホームセンターで購入し支えとして打ちうつけた。新しく出来た空間には4段ほどの棚を新設した。ここには本棚の役割が多く与えられた。引き戸の代わりに布製のカーテンを設置し目隠しにした。この改造した納戸が私が生涯で行った最も大きな大工仕事だった。
 台所には先の納戸の扉を再活用して4つに分断して周囲を棒状の角材で囲って補強し、2段式のキャスターにした。今はダイニングキッチンの片隅で訳の分からないモノを満載し余生を送っている。多分今動かしたならヒシャゲて壊れてしまうだろう。所詮素人の付け焼刃な荒仕事であると反省している。
 素人仕事としてもう一つ50種類以上ある箱入りのPCのソフト(ほとんど時代遅れでただの箱化したもの)を入れる棚を作った。かなり頑丈にできた2段式(棚は箱の補強にもなる)だが、両開きの扉をつけたのだが、取り付け位置の金具が少しずれてしまい、ピッタリとは閉まらず隙間ができてしまった。磁石で固定するよう細工をしたが、扉の隙間は今でも気になる。
 居間にはテレビやオーディオ関係のデッキを載せるスチール製の大型ラックが設置してある。組み立てはカミさんがした。これを買った頃から家の力仕事はカミさんがすることになる。水回りやトイレのウォシュレット交換も彼女の仕事で完全にこなす。
 私の仕事は無くなり、不要になった電動大工道具一式は古道具屋に回収してもらった。モノ好き第二弾終わり。

2021.1.10 モノ忘れ
 歳をとる毎に人は物忘れがひどくなる。大体は人の名前が覚えられない、思い出せないという兆候で表れる。そのいい例がテレビのクイズ番組などで、人の名前や場所を当てるのに、喉元まで来ているのだが口には出てこないといった塩梅だ。私などは最近の若者の音楽グループなど頭の端にも引っ掛からない。
 他にも場所も覚えない。知らない場所に初めて行ったところは、少し時間が経つと必ず道を間違えて行き着くのに余計に時間を使う。これは天性の方向音痴のせいもあるのだが。
 こうした「モノ忘れ」は二つに大別される。根底にあるのは同じで記憶力の減退である。その表れ方が人の名前が出てこない頭脳面のものと、物の置いた場所を忘れるなどの物理的忘却とに分類できる。
 これらは軽度の認知症の表れと言ってもいいだろう。症状と対策について、ホームページで調べると「好きだったドラマや読書が楽しくない、やる気がわかない、集中力がなくなった、同じ話をすることが多くなった、直前に食べたものや口座の暗証番号を忘れたなどの症状があると、軽度認知障害が疑われます」とあり、俗な言葉で言えば「爺臭く」なる訳だ。 
 さて、対策であるが一にも二にも歩くことだそうで、ところが歩く時は私などは杖を突いて歩く有様で、若い時に比べ神経を使う。散歩中は特別気配りする。車が来たら必ず止まって脇に身を寄せる。そうしないと足元が覚束ないので、何時ふらついて倒れてもおかしくないからだ。気持ちを集中させる。足の筋肉を丈夫にする。それが特に高齢者には健康法なのだそうだ。
 私には、その散歩がこのコロナ騒ぎで巣籠状態になり、家の中に閉じこもっている。これでは老化は加速するばかりだ。思い切って厳重装備で外に出よう。そして20分以上は外の空気に触れよう。「一年の計は元旦にあり」でも書いたように、始動の時は既に来ている。
 とまあ威勢よく宣言したが、歳をとってからの悪い点は、モノ忘れだけでなく、物臭になることで、活動を切り替えるのが億劫になる。少なくとも今は散歩に出る気にならない。こうしている内に時間ばかり前に進む。モノ好きで集めた時計は10個以上。目の前で賑やかに時を刻んでいる。先の宣言通り、時に合わせて行動を起こすとしよう。


202.1.13 テレワークの心得(1)
 本稿では原文「生活のデジタル化(その1)で記したものを抄訳する。
 テレワークとは自宅でパソコンを使って所属する会社などのサーバー(自前のモノもあればレンタルもある)にインターネットで繋いで仕事をすることである。この他にインターネットを通じて非常に大きな世界に入り込むことができる。そうした仮想現実を「仮想世界」いう。詳しくいうと次のようなイメージである(https://style.nikkei.com/)「今でもネットスーパーで買い物をしたり、LINEで会話したりなど、直接出向かずに必要な要件を済ませることが可能ですが、「仮想世界」ではさらに私たちの日常生活が実現されるようになります。毎日会社に行かずとも仕事ができ、学校に行かずとも勉学、友達と遊ぶことができるようになります。
 実はそのようなサービスは以前からありました。しかし、従来のサービスはゲームの世界の延長と見られて、リアリティーが乏しく広くは普及しませんでした。
 ところが、近年の技術の進歩で、例えば、仮想現実(VR)で視覚や聴覚、ハプティクス(触覚)技術で触覚、AIで味覚や嗅覚を作り出す技術が生まれており、人間の五感は仮想世界で再現出来るようになりつつあります。さらに、5Gなどネットワーク技術の進歩、AI技術でより現実に近い「仮想世界」を作れる技術が生まれつつあります。今後より現実に近い仮想世界で、私達は人とコミュニケーションを取ったり、仕事が出来るサービスが広がってくると考えます(現実に今回のコロナ騒ぎでその実現が加速化している)」
 お分かり頂けるように人の行動範囲は現実に行動できる物理的行動範囲を遥かに超えた異次元の社会に入り込むことになる。
 しかし、人と機械との融合にはお年寄りには大きな壁が立ちはだかっている。先ずパソコン或いはスマホが使いこなせないと、この世界には入れない。世界最大級の仮想社会「GAFA(その基盤がMicrosoft)」を利用する場合、私の場合Amazonで買い物をしたいと思うと、まず認証登録が必要になる。
 ここでは個人のプライバシーに関わる多くの事項を満たす必要がある。多分一番悩むのは金融機関のカード番号を登録する場合だと思う。「そんなことは嫌だ」という向きは、ここで先に進むことはできない。安全性を担保するならPaypal( 初心者でも安心してオンライン上でクレジットカードやデビットカードで決済出来る便利なWeb決済システムです)を使うのも一考に価する。だがしかし、そこでも認証のためのID(例えば、名称や加入しているメールの番号など)と自分で決めるパスワードは必須条件となる。
 この大きな壁を乗り越えれば、目出度くこの仮想社会の一員になれる。(続く)

2021.1.16 テレワークの心得(2)
 本稿では原文「生活のデジタル化(その1)で記したものを抄訳する。
 前回では目出度く仮想社会に一員になれたところでまで語ったが、実はそこからが大変なのだ、
 私の場合は通販が多いのだが、この世界では1か所に一組のIDとパスワードが必要になる。そこで数ある組み合わせの認証済みのIDやパスワードをどう保管するかという問題が持ち上がる。私の場合70件ほどのものを登録しているので、Excelで一覧表を作り管理している。使う度にパソコンを立ち上げExcelを開くのは結構面倒なので、紙にプリンアウトしA4のセルロイドケースに入れ裏表見えるようにして使っている。パソコンが壊れればデータは消えてしまうので、必要なデータは紙で保管するか、バックアップを確り取っておくことが安全である。バックアップの手法については後述する。
 人によってはアナログ指向でノートにメモする。仮想社会とは違い、形あるものは失くしたり、仕舞い忘れもあるので注意が必要だ。
 テレワークの実際は私のような隠居生活者には無縁で、インスタグラムによるオンライン会議などはテレビで見てそういうものかと理解している。前大統領のトランプで有名なツイッターなども経験していない。私が唯一人との繋がりがあるのはメールだけで、それも限られている。80過ぎの年寄りがメールでやり取りすることはまず無い。
 さて、バックアップの話に戻すと、パソコンがあることを前提に話を進めると、パソコンの側面には多くの外部出力デバイスがある。一番使うのがUSBで多様な使い方がある。話がバックアップなので、その機能に限定して見ると、第1にUSBメモリー(最大512GB<ギガバイト>が市販されている)を使うこと。第2に外付けハードディスク最大8TB(テラバイト)などはとてつもない容量である。この場合スピードの関係でUSB3.0という規格が必要である。最近はパソコンに内蔵されていたSSDもUSB3.0で接続できるようになり、小型化高速化が主流になりそうだ。第3にDVDプレーヤーに繋げてDVD(最大両面二層17.08GB)に記録する。これは殆ど動画の録画用だ。第4にパソコン側面の細長い溝に挿入するSD(HC,XC,US)カードが上げられる。最高規格のSDUCは最大128TBである。これは技術革新の賜物で、5K時代になればさらに加速される媒体である。普通バックアップは1TBあれば十分足りる。
 次回は仮想社会のバックアップや実際に仕事を行う舞台になるクラウド(cloud)について記述する。

2021.1.19 テレワークの心得(3)
 前回に続いてテレワークに関し話を続ける。
 今回はクラウド(cloud雲)について手短に説明する。クラウドとは雲のようにインターネットで接続する仮想のデータベースだと言える。例えば私が最も利用している一例を上げるとMicrosoftのone-driveがある。これはWindowsパソコンを購入すると、簡単に登録できる。使える容量は無料で使える分は現在5㎇に制限されている。私のように古いユーザーは30㎇だったが、それも5㎇に減らされるそうで、今私は14㎇ほど使っており、殆どがホームページ運用のバックアップで、整理すれば5㎇には縮小できるだろう。他にはAppleのicloudも5㎇が無料で使える。それ以上大きくしたければ有料になる。
30人以上の従業員を抱える企業などの場合、利用者は機器やソフトウェアの「買い切り」をせず、通信回線のように利用期間や利用実績に応じて料金を支払いサービスを利用する。オープンなサービスの場合はネット環境さえあればどのような場所や端末からでも自分用の操作画面やデータにアクセスできるようになる。この様に多様で大容量のクラウドサービスを使うことが一般化している。そうでないとリモートで操作するテレワークは実現できない。
 私のHPはGMOcloudという会社と個人契約して、そこのサーバーの一部をかりて運用している。papars.netという名称はドメイン(領土)といって、世界に一つしかない固有のものであることを示している。ホームページのURLに「●●.com」や「△△.co.jp」や「××.net]のような文字列が並んでいるのを目にすると思う。この文字列がドメインだと思ってよい。
 こうしたドメインの種別は固有の文字列を業態別に示すものなど多彩である。現下のように外出制限が発出されている時には、素人でも簡単にネット上で開店し商売できる。言ってみれまamazonのようなイメージで、お客が商品を受け取る仕組みとなっている。SNSなどと組み合わせれば一層販促に繋がるかも知れない。
 今回は仮想社会の一部を紹介したが、コロナ禍においては「禍を転じて福と為す」というバーチャルな世界が幅広く発展して行くことになるだろう。
 最後に一言付け加えるなら、こうした異次元の社会に入り込むことは「諸刃の剣(もろはのつるぎ)」にもなりかねないから御用心。(「生活のデジタル化(その1))」完)

2021.1.22 インターネットで楽しむ
 今万人が望んでいることは新型コロナウィルスによる疾病の終息だと思う。人々は巣籠の生活を余儀なくされ、不要不急以外の外出制限(どうとも取れる言葉で、都合よく使えば自由に外出できることになる)で外に出る訳にはいかない。
 では、家の中でどう時間を過ごすかということになる。私のような隠居老人は家に閉じこもっている生活(必要なことはかみさん任せ)には慣れている。そこで私の場合、昼寝以外退屈を凌ぐのにどうしているかと言うことを例に引いて説明する。
 生活のデジタル化(その2)の原文にあるように、電子エンタメに楽しみを見い出している。映画、音楽、小説、パソコンゲーム(麻雀や囲碁)、雑誌などそのジャンルは多岐にわたる。実際どういう物があるか紹介していこう。
 映画はAmazon-prime(年間4,900円)を毎日一本は寝床に入って寝入るまで観ている。興が乗れば夜更かしするし、途中で寝てしまうような作品は翌日観るか、他の映画に切り替える。つまらない映画もあり、それこそ時間の無駄遣いになってしまう。アクション物が好きで、全世界の映画をくまなく観て回つて、今では有料の物(prime会員でも新しい映画は有料が多い)ぐらいしか食指が動かないくらいだ。たまに同じものを観て、途中で気がついてもそのまま最後まで見ることもある。好きな映画は何回も観るという人もいると聞くが、気持ちは分かる。芸術かエンタメかの分岐点にある作品は「よくできているな」と感心する。Netflixも同様の映画配給チャンネルだが有料なので、私の選択肢にはない。
 書籍は同じAmazonのkindleをよく使う。HP作成の資料はほとんど(北斎や歌麿、広重など浮世絵など)ここから入手している。読みたい本は一応リストアップしてあるが、専門書がほとんどで中々頁は開かない。大衆小説の類はいったん読み出すと止まらないという経験から今はあえて手を出さない。
 雑誌はDマガジン(月額400円で200誌読み放題)で原本にあるように風呂の中で読むことにしている。毎日のニュースは無料のアプリで何種類か登録してあり、これも風呂の中で読む。ぬるま湯に浸かり1時間ほどかけて拾い読みする。原本と少し変わったのはiPodがiPadに変わり画面が大きくなり視聴に困ることは無くなった。
 こうしてまさにドップリとインターネットの世界にはまり込んで退屈を凌いでいる。
 今回は自分の体験に基づいたインターネットの楽しみ方を紹介した。

2021.2.26 カード社会
 コロナ禍で私の外出は医者に行く時だけとなっている。余所の人を見る僅かな機会である。全員がマスクをしている。実に異様な光景である。それがもう一年間も続いている。わが神奈川県は非常事態宣言下にある。とても自ら自由に出かける気にはならない雰囲気での生活が続いている。
 私はこうして毎日パソコンに向かいホームページの更新が日課で、今までにも説明したような仮想社会で過ごすことが多い巣籠り人間だ。
 そんな中で個人的買い物(不思議と買い物が楽しい)をする。決済はすべて人が見えないカード認証で行われる。荷物だけは人の手によって運ばれる。受け取り方も非接触な玄関前に置いていくことが多い。
 こうしたカード社会の現実を原文の中「生活のデジタル化(その2)」では説明している。
 その時と変わったことは、決済にPeyPal「手続きの流れ①買い手はアカウントにカードまたは銀行口座情報を登録する。➁商品やサービスの決済時にペイパルで支払う。③代金は売り手のビジネスアカウントに残高として振り込まれる。④残高は登録した銀行口座へ引き出せまる)となっており、直接VISAなどから引き出せない仕組みで、支払いごとにその分支払われて安心を確保できることがメリット(paypayやwaonやsuikaも同じ充当式)」。これなど一部の支払いにしか使えず、普及には時間がかかりそうだ。
 次に、私もマイナンバーカードを入手した。現在は日本における私の身分証明書としての機能しかない。銀行口座と紐づけされたマイナポイントというのがあって、それを使うと20,000円で25%還元(2021.3.31まで)と促進策が講じられたが、手続きが複雑で手当てできないでいるうちに期限が迫る。マイナポイント登録者は、2020.8.31現在で16.6%(マイナンバーカード普及率は19.4%)と低迷している。これは一に手続きの煩雑さにある。
 私は運転免許返納時に合わせて区役所に行ってマイナンバーカードを取得した、ことは前にも書いたが、苦労もしたし時間もかかった。パソコンを使わない高齢者がマイナンバーカードを取得するのには壁が高すぎる。警察で運転免許返納時に自動的にマイナンバーカードを取得の手続きがとれればいいのに。「そんなことできっこない」と縦割り行政の悪さがここにも顔を出す。
 令和3年3月から健康保険証と紐づけされる。これはまずマイナンバーカードの普及に大きく働くことになるだろう。普及率が90%を超えれば、選挙などにも使えるし、その裾野は全産業に影響を与えることだろう。そのとき多分完全なカード社会が到来すると私は見ている。そういう社会がいいのか悪いのかは、これから散々議論されることだろう。

2021.1.29 人の一生
 今年最初に届いた手紙は訃報だった。亡くなったのは50年来の付き合いのある親しい友人だった。コロナ禍で葬儀等は家族で慎ましく済ませたそうだ。享年84歳だった。
  その彼は「エンディングノート」を残していたそうで、その中身は相当細かいようで、入院したら延命措置はとるなとか墓は遠い故郷の地にある先祖から伝わる墓所に納骨しろとか、遺影は私が送ったA4版に引き伸ばした彼の遺影(冗談で数年前に送った)を使えなど、細々書かれていたようで、ユーモアを兼ね備えた文才のある男だったから、きっと冗談交じりで書き残したにちがいない。
 こうした手記は人は死ぬものと実感させられるもので、身近な友がどのような覚悟でこれを記したか知る由もないが、私が始めて現実に接したエンディングノートの存在がそこにはあった。
 果たして私は死ぬことに際してこのようなエンディングノートを書き残すだろうか。私の実感がそれをさせない。明日死ぬことはないと思い込んでいるから。多分医者に余命を宣告されたら筆を執るだろう。多分私より長生きするだろう家族に残すべき事柄は数多くある。インターネット関連の契約の解除などは私しかできない。残された家族に残すのがエンディングノートなら、それはもうそう遠くないうちに作成しておく必要がある。
 人の一生は一つの大河ドラマになるという喩がある。亡くなった彼から聞いた話の数々は生きていた彼のほんの一部だから、記憶力抜群の彼ならきっと素晴らしい作品を書き上げることができただろう。「記憶より記録」というのが私の口癖だが、記録に残すということは手間暇かかる難しい作業だ。だからほとんどの人は自分が生きた証拠を文字にして残すことはない。
 亡くなった彼は体が大きく六尺豊かで100キロを超す体の持ち主で、見た目通り豪放磊落でいつも人の中心にいた。怖いもの知らずの親分気質でそれが魅力だった。私も彼には少なからず恩義がある。それが借りならばそれは最早返すことはできない。
 ここでは一見彼と私との関係のように見えるが、我々はグループ関係の一員である。かつて職場を一にした。いわゆるOB会となってからは、6人のグループとなり、毎年数回宿泊麻雀で会合した。四人づつ交代でまだ60代の時は徹夜で楽しんだ。それから20年近く時が過ぎ、6人の内2人が欠けた。残された4人も80歳を超える高齢者ばかりだ。3月ごろからワクチンの接種が始まるという。6月ごろに接種が終われば、今度は4人で再会することになるだろう。その席でどのように追悼のメッセージを送ればよいのか、一人一人の胸の内は哀しみとちょっとした困惑を感じていることだろう。