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2021.3.2 不細工2
 前回の話の続きになるが、次の段階ではさらに不器用さが顕著になる。今回は時計ベルトの交換について話をする。ベルトにはステレンス以外にも布や皮、シリコン、ウレタンなど豊富にある。ベルトは時計本体の径の大きさに対応して18mm 19mm 20mm 21mm 22mm ぐらいの中からラグ幅を決めることから始まる。ベルトの幅が決まれば、それを時計本体に取り付ける訳だが、元々ついているベルトを外さなければならない。
 時計本体裏側の付け根にバネピンを外す小さな空間(穴)がある。そこにÝ字型のバネ棒外しを使ってバネをへこませると穴から外れてベルトが本体から外れる。簡単なようだがこれも何回も失敗した。バネ棒外しが空振りして親指の先を傷つけ出血を見たりした。こういうのも不器用が原因だが、非常に肉眼ではミクロな場所に見えるので、ヘッドルーペ(片目にはめ込む単眼鏡もある)などをつけて臨むのが必須といえよう。
 新しい時計バンドを取り付けるには逆の動作で行う。この時大切なことは、先に外したバネピンを使うので、無くさないよう注意が必要だ。もし無くすと同じ長さのバネピンを工具の中にある予備のバネピンを探し出すのに苦労する。ピッタリ合っていないと、バンドの取り付けに失敗することになる。
 以上が時計ベルトの調整と取り外し、取り付けの顛末で、かくして自分の精密作業の不細工さが実証された。
 さて、これに関連して私が最近蒐集したレプリカの時計(モノ好き第一弾 2014.8.3 時計(mono)を参照頂きたい)は、見た目はRolexやグランドセイコー風に似せてあるが、よく見るとリューズなどの細かい仕事はほぼ手抜きしてあり、特にステンレスベルトはどれも安っぽい。中身は一応機械式とクォーツ製の区別はあるがその出身母体は不明である。
 私がレプリカに拘っているのは、値段のせいばかりとは言えない。私自身がHP上で掲載する画像系はレプリカと同じ複製でまだまだ未熟だらけで、こうした蒐集もブランド志向でなくて身の丈に合ったコピー品で良しとしている。

2021.3.6 笑いの源泉から(1)
「話の市(笑い)」から笑いが如何に人の健康に良いかをダイジェストしてみた。
2018.5.26付において笑いの健康効果を医学的に実証した説では「"笑い"がNK細胞を活性化して 体の免疫力をアップする!」という見出しで、「人間の体内にはNK(natural killer)細胞が50億個もあり、その働きが活発だとがんや感染症にかかりにくくなると言うもので、人が笑うと、免疫のコントロール機能をつかさどっている間脳に興奮が伝わり、情報伝達物質の神経ペプチドが活発に生産されることになる。"笑い"が発端となって作られた"善玉"の神経ペプチドは、血液やリンパ液を通じて体中に流れ出し、NK細胞の表面に付着しNK細胞を活性化する。その結果、がん細胞やウイルスなどの病気のもとを次々と攻撃するので免疫力が高まるということになる」という何か今どきの新型コロナウィルスの説明を見ているようだ。
 NK細胞とは、自然免疫の主要因子として働く細胞傷害性リンパ球の1種であり、特に腫瘍細胞やウイルス感染細胞の拒絶に重要である。細胞を殺すのにT細胞とは異なり事前に感作させておく必要がないということ から、生まれつきの細胞傷害性細胞(natural killer cell)という意味で名付けられた。形態的特徴から大形顆粒リンパ球と呼ばれることもある。また神経ペプチドとは「興奮の伝達あるいは抑制に作用する脳内物質ペプチドのこと。通常脳内には微量しか存在しない。蛋白質と同様アミノ酸が連なったものだが,さらに小さな分子である。 1975年に豚の脳から発見されたエンケファリンや快楽物質として有名なエンドルフィンはともに鎮痛作用をもっていて,モルヒネと同じように受容体に結合してオピオイドと呼ばれる。( ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)」
 生理学的に笑いの効果を示したため、難しい表現になってしまっているが、これらが定説になっているので、覚えとして記載した。
 他にも笑いの効果はある。2018.5.29 笑い(2)では、「笑いの効果として、血行促進や記憶力アップにつながると言う説がある。それはどういうことかというと、「思いきり笑ったときの呼吸は、深呼吸や腹式呼吸と同じような状態になる。体内に酸素がたくさん取り込まれるため、血のめぐりがよくなって新陳代謝も活発になる。
 何よりも笑いの効果は、自分自身がポジティブに"笑える毎日"を生み出すことで、日ごろから自分でおもしろい話を考えて周囲の人に話し、一緒に楽しむことが、その秘訣だという」とあるのだが、家で過ごすことの多い昨今は、笑う機会も減っているのが残念だ。

2021.3.9 笑を作る
 コロナ禍にあって、鬱々として日々過ごしている人も多いだろう。そんな時だからこそ「笑い」が一時の緩和剤として求められるようになる。先にも記したが、テレビなどでは笑い系や癒し系の番組が増え、報道にもお笑い芸人がMCを勤めるなど広く笑いを生むような構成が目立つ。
 お笑い芸人はお笑いを生み出すために、"サンマ"のように存在自体がお笑いという芸人を例外として、お笑いの創出のために日夜腐心していることだろう。
 今回は「笑いの源泉」の一考として、笑いを生み出すためのノウハウについて探ってみる。
 笑いと言えば漫才が直ぐに浮かんでくる。この漫才は大体二人一組が多い、歴史的に見てもそうしたルーツが見られる。
 「漫才は基本的に「ボケ」と「ツッコミ」という2つの役割で成り立っている。それぞれ古典萬歳の「才蔵」と「太夫」に由来する。
「ボケ」は、冗談を言う、話題の中に明らかな間違いや勘違いなどを織り込む、笑いを誘う所作を行う、などの言動によって、観客の笑いを誘うことが期待される役割である。ボケは、もともととぼけ役と呼称されていた。芸席において紹介のつど「つっこみ(役)・とぼけ(役)」と称されていたことが、後に「つっこみ・とぼけ」→「つっこみと、ぼけ」のように転じた」(wikipedia)
 以上でその役割は理解できる。では実際にはどのようなやり取りが行われるのか実例を上げてみる。高度な技、「ツッコミボケ」がこれ。この例はオール阪神巨人のネタより拝借)の又借り。
 A「きみ、血液型、何型や?」
 B「子供の頃調べたときはB型やったけど、最近は調べてへんからわからへんわ」
 A「あほ、血液型がそんなにコロコロ変わるかいな。結婚してはじめて変わるんや」
(http://www.potalaka.com/)
 文章にしてしまうとそれほど面白くないが、発想が常識外れなところが、笑いを呼ぶ。笑いとは「ありそうでない」所から生まれる。また、漫才は見て楽しむ部分が多く、言葉の抑揚やタイミングなどのやり取りや表情の中に笑いを誘う面が大半を占めるようだ。

2021.3.12 笑いの源泉3
 前回は漫才を取り上げて「笑いを作る」と題し(笑いの源泉2に相当する)賑やかな掛け合い漫才について考証したが、今回は単独(一人)で「笑い」を生む、落語・漫談・司会などを取り上げて、芸として「お笑い」を究明する。
 私は落語が好きで、中でも江戸(関西の上方に対し)落語の歯切れの良さやべらんめー調が好きだ。中でも古典落語(江戸時代から明治時代・大正時代にかけて作られたものを指すことが多い)を五代目古今亭志ん生の「演目」で聞くと、いつも酔っぱらった口調でそれ自体が笑いを誘発し、同じ話を何回聞いても同じように面白い。これが芸というものだろう。
 志ん生の次男の3代目古今亭志ん朝や弟子の5代目三遊亭圓楽も芸を引き継ぎ自分独自の「笑い」を作り出している所も素晴らしい。今は3人とも生の声は聞くことのできない人となってしまったが、ツタヤのレンタルCDやDVDにはまだ残されているはずだ。
「えー、毎度ばかばかしいお笑いを一席。中略・・ある時、ようやくかわいらしい男の子が産まれました。お父さんとお母さんはとても喜んで、この子が元気で長生きするようにと偉いお坊さんに頼んで、長生きできそうな名前を付けてもらいました。こんな名前です。
寿限無(じゅげむ)寿限無五劫(ごこう)の擦り切れ
海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)
雲来末風来末(うんらいまつ ふうらいまつ)
食う寝るところに 住むところ
藪(やぶ)ら小路の 藪柑子(ぶらこうじ)
パイポ パイポ
パイポの シューリンガン
シューリンガンの グーリンダイ
グーリンダイの ポンポコピーのポンポコナの
長久命(ちょうきゅうめい)の長助」
から始まる「寿限無」は落語の基本で落語家になるにはこの演目は登竜門のようなもので、どんな表現と動作で聴衆を笑わせられるかで明暗を分けることになる。
 古典落語だけでも数十の噺を頭に詰め込まなければならないから、並の努力では一人前(東京の落語家は、前座、二ツ目と昇進し、真打を目指す)にはならない。
 こうしてみると「笑い」は芸人にとって汗と涙の結晶であることが読み取れる。
 繰り返すが、コロナ禍のこの時節「笑い」は心を慰めてくれる「漢方薬」のようなもの、じっくりと味わえば必ずや効果が出ると確信している。

2021.3.16 「道具の移り変わり」その後
 HPの中の「江戸の職人」で紹介しているように、職人に道具は付き物で、今見ると珍しいものも結構あるが、大工道具などは今も同じ工具を多く見かける。電化により道具は大きく変遷したが、そうした変遷を記したのが、この「道具に移り変わり」である。さらに「生活のデジタル化」に示しているように、パソコンの発明は大きな技術革命を生み出している。自動車を筆頭にスマホに至るまで、小型のコンピュータを搭載している。9編にわたり掲載してから2年半が経過し、今は過去に経験したこともない疾病の中にあり、ライフスタイルさえ大きく変わらざるを得ない状態となっている。
 このことに関し2月24日の「バーチャルな生活の知恵」で詳しく述べているように、リモートワークという仕事の現場が特定の場所に限定されなくなっている。こうした可能性はかつてあまり経験したことが無い(私が経験した場所中心の職場主義は4半世紀前のこと)ほどに新しい職場環境を生み出している。
 元よりコロナ禍という非日常が生み出した産物、言い換えると今盛んに論じられている「副反応」のような予期せぬ状況と言えないでもない。
 現在コロナ撲滅のためのワクチン接種が着々と進んでいる。世界全体で既に統計上で死者数(累計)2,648,162人(3月15日10時時点)内日本の死亡者数8594人(3月14日 23:59 時点)という今世紀最大の疾病である。普通ワクチンの普及までは3年かかるというが、1年余りで実際に広く世界中で接種が行われている最中で、これは世界中の人が期待した一筋の光明で、これまで期待された何よりも大きな喜びをもたらすものとなるだろう。
 人々はワクチンが見つからなければ、暗黒の未来を経験すると感じていたに違いない。医学の分野でのイノベーションもこの災禍の中で急速に進歩していることを実感する。
 人の英知と努力には必ず結果が伴う。再三記すが「禍を転じて福と為す(出典『戦国策』『史記』蘇秦列伝より)」 「明けない夜はない(シェイクスピアの悲劇「マクベス」の中のセリフ"The night is long that never finds the day")」を再掲して今回の結びとする。

2021.3.19 比べる
 今回は人間の能力について検証する。(原典:比較と選択)
 人はある危機的状況においては思いもかけない能力を発揮する。それは現在猛威を振るい歯止めの機会も明確でないコロナ禍(変異株の拡大)においても、仕事の面でも大きく発揮しているように見える。(政府は3月21日に1都3県の非常事態宣言を解除する見通し)
 人の能力を分類するのに総括的には「人間力」として、さらにそれを5つに分類している例がある。細分化したものは15種類の能力となる。(3.bp.blogspot.com/カタカナ表記を漢字に一部書き換え)
1.知力(分析力・判断力・創造力・発想力)
2.気力(活力・挑戦力)
3.共感力(理解力・受容力・表現力)
4.体力(持続力・適応力・自制力)
5.実践力(行動力・統率力・経験力)
 そうした能力の中で「コロナ禍で求められる具体的能力」について調べたところ以下のような結果が示された。(corp.en-japan.com)
 この調査の結果上位に挙げられたのは「オンラインに適応するITリテラシー」(23%)、「ビジネス課題を解決するテクノロジーを活用する能力」(16%)、「"改善"に留まらず、"改革"を推進する能力」(16%)。
 となっており、ここでもテレワークがカギとなっている。
 こうした非常事態で求められる能力としては、
1.高いレベルでの業務遂行能力
2.専門職種の知識・経験
3.判断を自ら行い、それに対して責任を持つこと
 ここでは上の調査結果の追認を行っている。
 テレワークでは「成果主義」が判断基準になる。そのため人材として、
1.コミュニケーション能力と調和性がある人材
2.自主的に動ける人材
 などを上げており、自由放任主義の勤務形態に見えるが、実力のない者には厳しい対応が迫られる。そのことを裏返せば適材適所の転職機会が多く生まれていることにもなる。
 今回のレポートは奥の手を使いほとんどgoogleでのコピー&ペイストで作成した。

2021.3.22 整理する
 日本人の生活の知恵の筆頭の上げられるのが「ものを大事に使い、節約をする、残すこと」が発想の原点になっている。
 ところがモノ好き私には、それが今悩みの種となっている。おびただしい数の本、時代物となった旧式のカメラ。十を超える鞄などのほか今は着なくなった衣服。そして靴。それらは今存在の危機に立っていいる。狭い家に長く居座った私のモノたちは家族にとっては不要なものでかえって邪魔なだけな代物なのだから。
 私にとってもこれらのモノを使い機会はほとんどないだろう。それほど時間も残されてはいない。最近相次いで親しい友人を失った。80歳を過ぎるとそういう状況が増え、年賀状リストから毎年削除される知人も多くなった。
 そこでモノの整理だが、これが終活と言う名の身辺整理という運びになる。
 私の構想では、順に手放すことになるモノを上げると、まず書籍類である。これらが消えればうちのスペースはかなり生まれる。辞書・事典類は数も多く分厚く大きい。古書買い入れについてネットで調べると、辞書辞典類は購入価格は高くても、時間が経過すると内容が変わるため、殆どゴミ扱いになるか、引き取ってもらえないという。一度これらを集め、段ボール(2個分)ごと査定に出してみようと考えている。その結果を見てその他の書籍についても処分していくことになるだろう。
 次に、時代物のビデオカメラなどは古い記念動画をテープ別に再現するために残しておいたものなのだが、思い出と共に順次売却可能かどうかを確認して処分していく。
 衣類などは寄付することが出来そうなのでその方向で処分を進める積りだ。
 このような「終活」とは結局色々な「思い出」を断ち切ることを意味する。モノには一つ一つに思い出が付きまとう。それを手に取ると鮮やかに思い出が蘇るモノもある。
 モノと共に思い出を忘却するという行為は、冒頭示した「生活の知恵」とは裏腹の行為になるが、これも年齢のなせる業で、もう先が見えた人生において、「ものを大事に使い、節約をする、残すこと」は無用になった。身辺整理が終われば、周囲は綺麗に空間が生まれ、「思い出は」頭の中にだけ残るモノとなる。

2021.3.26 知恵と工夫(実践例)
 今回はコロナ禍において人々が生み出した新しい生活様式や、様々な工夫について調べてみた。そうした中でいま注目されている考え方が、「withコロナ」の社会。新型コロナウイルスと"共に生きる"ことを前提に、新しい事業形態が形成されつつある実態を見ることが出来る。
 緊急事態宣言下で多くの飲食店が営業時間などの制約を受ける中、24時間営業できる自動販売機で弁当やスイーツを販売するという非接触型店舗が増えている。これにはアイデアを生み出したベンチャー企業の仲介がある。この企業は手ごろなリース料で販売のプロデュースまで手がけており、参入が相次いでいる。このケースなどは3密対策が徹底しており、コロナ時代の新ビジネスとして注目されている。店舗などのアクリル板の仕切り同様緊急避難的要素も含んでいるので、日常が戻った時には、人との密なコミュニケーションを好む日本人(日本人以外のどこの国でも)には受け入れ難いアイデアとも感じられる。
 イノベーションの展開が、逆境をバネにして、今広く展開しようとしている。介護・生活支援ロボットを例に挙げて、その実態を少しだけ紹介する。
 超高齢化社会の中でのコロナ禍は介護に割ける人材が決定的に不足するようになった。そこに登場したのが、個人に寄り添うような、人間の感覚や感性を考慮したコミュニケーションロボットやパーソナルロボットの製品化の加速だ。実例として「GROOVE X社のLOVOT(らぼっと)」は 人々の生活に潤いを与える存在として、人が一緒にいたくなるような新世代の家庭用ロボットで、『人の情緒に訴えるロボット』として2019年から販売が開始されたもので。その開発ポリシーについて同社では「将来癒しを与える存在を超え、人の潜在能力を向上させる力も持ち得ると考えています」としており、新しい産業として注目されている。
 実際に私が驚いたのはソフトバンクのホームオープン戦で「無観客のレフトスタンドに、ホークスの応援団として、人型ロボット『ペッパー』20台と犬型ロボット『スポット』20台がずらりと並んだ。ロボットたちは、七回裏の攻撃前に、球団応援歌「いざゆけ若鷹(たか)軍団」に合わせてダンスを披露した(ソフトバンクニュース)」ことで、ロボットがより身近な存在に感じられた。

2021.3.29 比べる(春が来た)
 マンションの入り口に咲く桜が今満開を迎えている。開花から一気に満開になったような気がする。毎年春の到来を告げる桜だが、今年は昨年に続きゆっくりと鑑賞することが出来ない。新型コロナウィルスが一向に収束してくれないからだ。
 これから年度末そして新年度。日本の春はいつもなら心躍る季節だ。新しい出会いやスタートの季節でもあり、独特の活気に満ちているはずだ。その流れに掉さすのがこのコロナ禍である
 外に出れば、自然も生物や動物もいつもと変わらぬのどかな風景を見せている。人だけが置いてけ堀を食ったように、コロナ対策に追われて、通常の春を迎えることが出来ない。
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
花が咲く 花が咲く どこに咲く
山に咲く 里に咲く 野にも咲く
鳥がなく 鳥がなく どこで鳴く
山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く
 日本の原風景は何も変わらない。数百年も前から気候は大きくは変わらないように見える。
 ところが気候変動が京都議定書(今はパリ協定)以来人々に警鐘を鳴らしており、200年前の地球の総人口は10億人。今は70億人。生きるために自然が破壊される。人災である。このまま地球環境が破壊され続けると、22世紀は『ブレードランナー』の世界になってしまう。
 このcovid19が示した別の顔は、世界の生産現場が足止めを食った時、地球環境は改善されたという皮肉である。北京の汚れた大気汚染の空が青空になったそうだ。この事実は人類に対する警告なのかもしれない。争いをやめクリーンなエネルギーだけで生活する。そんな社会を生み出すことが人類の英知なのだと教えている。
 科学は世界を変える。それを支配するのは政治である。世界の指導者と言われる人々にそうした英知があると信じたい。
 今回は成り行きで普段の「日常細事」の枠を超える話に広がってしまった。これも「日常」が失われた生活が続き、小さな隙間から空を見上げると空の大きさが分からないような、そんな閉塞感が成せる業なのだろう。