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2021.4.2 球春と終活
 東海大相模が10年ぶり春3回目の優勝を決め、最後はサヨナラヒットという劇的シーンを見せてくれた。神奈川県人としては嬉しい贈り物だった。観客は1万人と制約があり、観客の声こそないが、拍手での応援が選手には力強い力を与えたに違いない。2年ぶりの93回大会というかつて経験したことない空白を生んだ大会だけに、その喜びはひとしおだったろう。
 一方、我がベイスターズは5戦戦って未だに勝ち星がない。内容はそれほど悪くないのにどうしても勝ちが遠い。外国人選手の出場が無いのもその一因だろうが、コロナ禍で5人の主力選手を欠いたヤクルトにも負けてしまった。これは困ったもんだ。浜の番長三浦監督に早く白星をプレゼントしたいというのが選手の気持ちだろうが、もどかしい限りだ。これを書いている4月1日の試合はぜひ初白星を上げて欲しい。
 今日もこのコラムを書いている最中だが、あと2時間ぐらいでナイターが始まる。巣籠生活に欠かせない娯楽なので、それまでに仕上げなければならない。
 最近のコラムは書くネタが思い浮かばず、このように成り行き任せの書き方ををせざるを得ず、当人が一番苦しんでいるのだが、閲覧する人もその辺は見抜いていることだろう。話題を探してもあまり明るい話題が無い。
 今日はたまたま冒頭記した高校野球の地元優勝の話題で救われたが、次回の話題を探すに一苦労するの決まっている。それなら一層のこと止めてしまえという声も聞こえそうだが、そうもいかない自分で85歳になるまでは続けると決めているからだ。
 それというのは「2021.3.22 整理する」の記事で『終活』を始める考えを示したが、いよいよ明日辞書・事典・図録の買取業者が見積もりに来る。買値が付かなければまたどこかに保管するか、ゴミとして処分するしかない。そう言う作業などを続けている内に85歳になってしまうだろう。記事に関しても「禅」の研究が未だ道半ばである。これもぜひ仕上げたい。ついでに「般若心経」も空で暗誦できるようにしたい。昨日の晩飯も忘れるのに、できるのだろうか自信はない。

2021.4.7 創作する
 前にも一部書いた記憶があるが、私のHPの作り方には独創性がある訳ではない。例えば歌麿や北斎の浮世絵や肉筆画は、経年褪色を元に復元しようという試みなのである。
 原版は相当に色褪せしている。だが輪郭さえ分かれば、一旦原版を白黒(グレースケール)にして、それを原版と対照してより鮮明な色を着色していく、色の境目やグラデーションのかかった個所はボケ筆で色に変化を付けるなどのテクニックがいる。
 同じ絵でも「生物百様」のような花果などを描く場合は、写真の画像を写生する。デジタル画であるので、これもトレースするようにパソコンで輪郭をなぞる。PCでトレーシングペーパーに変わるのが、レイヤーといった原画に被せる層を設定して行う。コピーすると別に白黒画ができるので、それに写真を参考に色をつけて行く。これは場所によって多少アクセントをつけ、私の場合はできるだけ混色を避けて「張絵」のイメージで描いていく。これなどマイペインティングも同様の手法を使う。
 前者の浮世絵が原画の褪色を復元するのに最大の努力が払われるが、ポケット「えがく」の他のジャンルは基本はデッサンなので、私の好みの色が絵に反映されるので、独自性がある。それが創作と言われる所以である。たまにネット上他の人の作った、テーマを主題にした画集に一部取り込まれて紹介されることがあるが、一目で自分の描いた絵であることがわかる。
 パソコンの画像は点(ドット)の集合体である。精密な絵ほど細かいドットを多く使う。念の入る作業なので、集中してデジタルペンを振るう。
 集中する「今ここだけ」の瞬間に没頭する時生きている実感を感じる。そこに自ずから命を与えた作品が生まれる。
 復元作業と贋作との違いは、そこに人を欺く行為が伴う。私の場合はあえて言うなら模写である。素人のわたしは模写で絵を学ぶ。だから私は描き続ける限り、常に学んでいることになる。
 だが、こうした作業に自分を燃焼している限り、生を実感できる。孤独な作業のように見えるが、頭の中に色々な光や形が織りなされ夢中になる。そこに独りぼっちではない別次元の自分がいる。
 生きるという実感は人によって違うと思う。だがしかし、我を忘れて打ち込むことができるなら、その状況は全く違っていても「ただその瞬間を生きている」という実感は同じような性格を持っているに違いない。それ故「それ」にとり付かれる。

2021.4.10 ネジを巻く
 私が蒐集している時計の中に、唯一毎日ネジを巻き、1分の進みを調整しなければならないモノがある。今から半世紀前なら当たり前の小仕事だったのかもしれないが、そういう時計は今ではレトロな存在として珍重される。
 何故こんな話をするかというと、最近とみに頭の働きが鈍くなって、仕事に入る前に一度頭のネジを巻き直さないとスムーズに頭の中が動かないようだ。油を差せばよいのかも知れないが、油は頭皮には差せても中までは浸透しない。サプリメントにそういう効能のあるものが宣伝されているが高い金を出してまで手に入れたいとは思わないし、どうも嘘っぽい話でもある。
 加齢による物忘れについてサプリメント販売の「www.wismc.org」によれば
 「物忘れの多くの原因は加齢によるもの。実は20代から徐々に始まっていると考えられている。脳の奥にある記憶を管理している『海馬』の神経細胞が減少することで、どんどん記憶力が低下していくため、物忘れが起こる。対応策として、脳に適度な刺激を与ることで予防出来るので、積極的に色々なことをチャレンジして脳の老化を予防して行こう」としている。
 この話は、頭のネジを巻き直せと言っているのに等しい。現在進行形の話として、いまこうして筆を取っていることこそ「適当な刺激」であり、それによりこのHPを継続させることがチャレンジになっている。
 現在在宅勤務などの新しい勤務形態が生まれているが、その時、人々の頭のネジは巻き直され、慣れない環境変化にも適合しようとする。緊張感と刺激で脳の活動が活発化する。これなどはコロナ禍で生まれた「日常が壊れ、新しいライフスタイルに変える」と言ったプラスの側面と見てもいいだろう。
 東京では12日から「まん延防止等重点措置」が実施されることになる。これまでに増して、空気がピンと張りつめている。
 こんな局面でモチベーションが上がったいい例として、プロ野球・ヤクルトの頑張りが顕著なので紹介する。3月31日以降の試合で主力選手欠場下において戦績4勝2敗2引き分け(4月8日現在)という信じ難い働きを示している。
 欠場選手はキャッチャーの西田選手が罹患したことで、青木選手、内川選手など6人の選手が濃厚接触の可能性があると判断され2週間の自宅待機となっている。
 「火事場の馬鹿力」という言葉があるが、人は非日常的な出来事に直面した場合などに、普段は出せないような力が出るものである。一野球ファンとしてヤクルトの選手たちにエールを送る。

2021.4.13 近代日本防疫史
 現在コロナ(covid 19)が変異を繰り返し猛威を振るっているが、こうした流行り病は今に始まったことではない。
 江戸時代後期から明治時代初期にも大きな疾病が日本中に蔓延し多くの犠牲者が出た。
 その疾病とはコレラである。罹患を避けるために採られた防疫策が今に似ているので紹介する。
 今回も仄聞(そくぶん)で恐縮だが原本は『日経nippon.com/』から抜粋した。
 我が国においては、感染症のパンデミック(世界的大流行)には、19世紀まで巻き込まれていない。この国に最初に猛威を振るったのが、江戸時代後期のコレラである。
 その状況について「100万人以上が暮らす世界最多の都市人口だった江戸の町に、コレラの脅威が及んだのは安政5(1858)年。感染源はペリー艦隊に属していた米国艦船ミシシッピー号で、中国を経由して長崎に入った際、乗員にコレラ患者が出たと伝わる。
 これを発端に、パンデミックが起き、江戸の死者数は約10万人とも、28万人や30万人に上ったとも記録が残っている。発祥地が横浜のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」だったことも事象がにている。
 先ずコレラという名称だが、色々説がある。上記原本では「各地方でいろいろな名前で呼ばれた。頓死を意味する「コロリ」という呼称が定着する。くしくも「コロナ」とは一文字違いである。漢字の当て字もさまざまだ。まるでキツネやタヌキに化かされたように急死するために「狐狼狸」と書いたり、千里を駆ける虎のように瞬く間に伝染していくことから「虎狼痢」という字を当てたりした。後に病名が「虎列剌(コレラ)」として浸透したので「虎」の字は猛威を伝えるのにふさわしかったのだろう」とある。
 続いてその対処法だが「コレラの流行まで、日本国内に医学的な感染症対策はほとんどなかったが、江戸幕府は文久2(1862)年に洋書調所に命じて『疫毒預防説』を刊行させた。その中に『身体と衣服を清潔に保つ』『室内の空気循環をよくする』『適度な運動と節度ある食生活』などを推奨している」
とあるように、現在行われている一般的防疫法で、マスク、ワクチンや治療薬がないところが現代と違うが、国民ができる対処法は基本的に同じである。
 いずれ収束するであろう新型コロナウイルスの名称も「コビット」とか「新コロナ」といったような俗称で民衆の頭に刻まれることだろう。

2021.4.16 枕元に水差し
 私は寝る前にペットボトルのミネラルウォーターと清涼飲料水(多くは炭酸飲料)を置いておく。
 もちろんこれには相応の理由がある。私は寝床に入ってから必ずビデオ(amazon prime会員向け)を1本視る。そのため睡眠はその次になる。常用している睡眠導入剤は寝る直前に摂ることになるので、ペットボトルの水が必要になる。
 次に2-3時間経つと目が覚める。口の中がカラカラである。てっきり大口を開けて寝ていたからだと思っていた。ところが、それ以外にも生理学的に、人間は寝ている間に相当量の汗をかく。そのため、夜中に喉が渇いてしまうのだと言うことだ。
 口の中がカラカラというのは単に乾いた状態ではなく、ゴワゴワになってギコチナクナル。当然これでは眠り続けることはできない。そんな時に、わざわざ水を飲みに台所まで行くのは面倒だ。そこでいつもペットボトルを枕元に置くことにしている。何故水ではいけないのかというと、カラカラの口には水より清涼飲料水の方がスッキリ味があったり、刺激(炭酸水)があって口のこわばりをすんなり取ってくれる。こんな所は自分の趣向のせいもある。趣向というのは根っからの甘党だからだ。
 私は甘いものが好きである。それが原因か糖尿病を患っている。だから夜中に甘いものは摂るのはいいはずがない。そこで最近よく出回っているゼロシュガーのものを選んで飲んでいる。 ダイエットコカコーラにはゼロカロリー、ゼロシュガーという表記がある。
 私は太ってもいないので、カロリー制限は必要ない。しかし、糖分は避けたいので、ゼロシュガーのモノを選ぶ。人工甘味料の味はいまいち物足りないが、これは仕方ない病気なのだから。また夜中の糖分補給は虫歯にもなるので、良いことはない。
 今回は「枕元に水差し」というタイトルにしてあるが、実際に寝ながら水や白湯を飲むのに、昔から「吸飲み」という容器があって、文字通り水を吸い込むという方法で水分補給した。実は私も枕元の水のペットボトルの蓋にはストロウーを使った吸水できるモノを置いている。
 今も昔も寝ながら水を飲む方法は「吸う」ということで共通している。私などの年寄りは気管に流し込む誤嚥が多く、これは肺炎も誘発する危険があるので、吸う飲み方の方が理にかなった飲み方と言えよう。

2021.4.19 試みる
 私がかつて経験したことがないほど今は人々が環境への転換に迫られている時期である。
 これは言うまでもなく新型コロナウィルス(covid19)に起因する。崖っぷちに追い込まれた状況での窮余の一策であるところが普段とは違う。今回は私たちの生活に密着した食料品を扱う、スーパーやコンビニの今を見ることにしよう。
 2020年はコロナ禍で消費動向が大きく変わり、スーパーとコンビニの業績は明暗を分けた。これまで伸び悩んでいたスーパーが躍進し、好調だったコンビニは苦戦を強いられた。その理由としてGooニュース(2020/12/08https://news.goo.ne.jp)は「住宅立地の店舗においては高齢化もあり日常使いの店舗への変化することが必須だ。外出自粛やテレワーク、休校により家でご飯を食べる機会が増え巣ごもり需要が生まれた。野菜や肉、酒などの食料品、日用雑貨を買いためるため、スーパーに多くの人が来店し客単価も上昇した。
 売れ筋商品の変化も著しかった。ちょっと立ち寄って買う利用者が多かったコンビニでは、主力のおにぎりやソフトドリンクの販売が激減。セブン―イレブンでは『今までの商品では通用しない』即座に食品メーカーと商品戦略の見直しに着手した」としている。
 実例として上げている一つに「外食店の休業で納入が滞っていた高級食材がある。「秋田県産の比内地鶏を使った親子丼は飛ぶように売れた。競合するコンビニからも余った地域食材を使った新商品投入が相次いだ。各店で野菜の販売が増えたのも、購買行動変化を受けての策だ」と言っている。
 また、新型コロナは、「あらゆる店で電子決済が可能になるなどデジタル化を加速させた。イオンリテールは『レジゴー』の運用店舗数を拡大し、レジに並ばず支払いができる仕組みを考え出した。他のコンビニのファミリーマートやローソンも無人決済店の実証実験を行い、人に代わって商品を陳列する遠隔操作ロボットの試験も始めた」という。
 このように苦境に立つと必ず知恵が出てくる。これが伝統的商人(あきんど)根性といったものなのだろう。

2021.4.22 比べる(売れ筋)
 今回はコロナ禍の店舗売れ筋商品の動向について検証してみた。
 新型コロナ時代の"3種の神器"というのがあるそうだ。それは今までは日の目を見なかったモノばかりで、筆頭は「マスク」次は「手指消毒剤」そして「非接触型体温計」の3製品である。
 マスクは普段でも花粉症の人などは使うが、私などは防寒用にしか使ってはいなかった。それがこのコロナ騒ぎで一躍売れ筋商品のトップに躍り出た。品不足で一時売り上げがダウンするという想像もできない時期を経て、今ではコロナ禍前の180倍もの売れ行きを示している。今では各種のマスクが出揃い、販売競争は激しいが、現下のように非常事態宣言も発出されるようなご時世では、常に需要は増えるから、製造メーカーは電機製造業にまで広がり、小は手作りのネット販売から、大手商社まで取り込んで展開する事態になるとは仰天だ。
 手指消毒剤は日常では今までお目にもかからなかったモノだが、これも通常時の20倍にも達した。今は5倍ぐらいで推移している。我が家でも玄関口に置いてある。私は今歯医者にかかっているが、玄関口に非接触型の手を差し出すと雲霧するモノが置いてある。
 今ではどこの医者でも非接触型体温計で検温するが、これが市場に出たのは「手指消毒剤」に比べ供給が追いつくまでに時間を要した。非接触型体温計は、7月下旬になってようやく10倍を超えた。10月下旬と11月下旬には、30倍を超える場面もあり、年末の時点でようやく16倍までい落ち着いた(週刊東洋経済プラス)とあるように、一番遅れて整備された。これは業務用という点が他の2つとは違う。
 このように新型コロナ時代の"3種の神器"の出現こそ、非日常化の証拠である。
 目を転じてこれ以外で高水準の需要が続いたものは同誌(週刊東洋経済プラス)によれば、麦芽飲料がある。麦芽飲料といえば鉄分やビタミン、カルシウムなどがバランスよく含まれている栄養機能食品で、日本で販売が開始されたのは1973年のこと。ネスレのミロが発売してから50年近くになるロングセラー商品だが、爆発的に売れ出したのは7月。ツイッターからブームに火がついた。
 ここで特筆すべきことは、SNSの影響が大きく、巣ごもり状態の下でネットを通して噂が急速に広まり、結果それが特定の製品(クリーナーのような雑貨)が大きく売り上げを伸ばしている。

2021.4.25 田植えが始まる
 本日は七十二候の一つ(17候)「霜止出苗」(しもやみてなえいずる)。農作物を枯らす霜がようやくやみ、苗代で稲の苗が成長する。種籾(たねもみ)が芽吹き、青々と健やかに稲の苗が育つ頃。この頃から田植えの準備が始まる。(時の風物詩4月)とあるように、外に出ると木々は青々と茂り、花は色鮮やかに、また可憐に咲き誇る。
 春は冬と夏の間の束の間にきて束の間に去っていく。今日などは25度を超える夏日で、もう夏かと身体がびっくりする。
 半そで短パンといういきなりの衣替えにあたふたする人も多いだろう。まだこれから梅雨が来るというのに、ホント気候変動は、これも新型コロナウィルスのせいか。いまだ外はコロナ禍にあり、収束する気配を見せない。
 神奈川県も「まん延防止等重点措置」に指定されており、不要不急の外出はしないようにと言っている。なお東京には今日から非常事態宣言も発出された。そんなこんなで私は殆ど外出していない。そのせいで足の筋肉が萎えてしまって歩くのに不自由している。最近薬を貰いに行って医者と話したら、「毎日歩かないとそのうち歩けなくなるよ」と脅された。「近所を一人で散歩するぐらいなら新型コロナウィルスに感染することはないから、まず歩け」と言う。
 巣籠生活が続くと外出が億劫になる。あれほど取材で歩き回ったのが嘘のように歩く気がしない。
 今日(24日執筆時)は11時からダルビッシュの試合が11時から始まる。終了時にはDenaベイスターズがやっと連敗脱出した後の試合(相手は首位阪神)なので見逃すわけにはいかない。非常事態宣言が出されたので 今後は無観客での開催とはなっていくのかと心配だ。
 という訳で朝のうちに毎月検査する眼医者に行った。往復約5500歩で音を上げる始末だった。この原稿は昨日から書き始め、メジャーリーグの試合前に済ませることができた。毎日朝の散歩とメジャーリーグの試合とDenaベイスターズの試合が始まるまでの間に原稿を仕上げるようにすれば、これはこれで結構な毎日になるのだが・・・。

2021.4.28 耳に残るソング
 テレビを視ていてコマーシャルソングが耳に(正しくは脳に)残って、番組が終わってもしばらく頭の中で繰り返し鳴っていることがある。こんな経験はきっと誰にでもあることだろう。
 私の場合は例を上げると「この街に この家に こころは 帰る 家に帰らば 積水ハウス」がある。CMは人の耳に残りやすいリズムや歌詞を持つものが多い。他にも野球のある日はプロ野球球団応援歌などが頭の中でリフレイン(詩や楽曲の各節の終わりなどに同じ言葉や旋律を繰り返す技法)する。「いざゆけ 無敵の若鷹軍団 いざゆけ 炎の若鷹軍団 我らの我らの ソフトバンクホークス」などはインパクトがある。ところが何故か私の応援するdenaベイスターズの歌は全然思い浮かばない。
 なぜ脳内リピートするのかというと、一説によると、「これは自然現象であり、それを研究することは難しいと言われている。ゆえに、脳内で起きるこの現象の正確なメカニズムは未だに解明されていない。中には、知識を歌を通して伝えていくという人類古来からの行動の表れでは」という説もある。それでも一応学説らしきものがあるので紹介する「一部の科学者は、人間の脳はハードウェアのようになり、伝聞や歌によってもたらされる情報をエンコード(デジタルデータを一定の規則に従って、目的に応じた符号に変換すること)し、必要に応じて思い出すのだと」と分かりにくい説明をしている。
 これはネット検索の結果分かったことだが、「ダートマス大学の研究者達は、有名な歌の一部分だけを被験者に聞かせるテストを行った。すると、脳の聴覚皮質は音楽が止まった後も、曲は被験者の頭の中で続いたという結果がでた。ある曲を聞けば聞く程、頭にそれが残る、それは特に驚くこともない当たり前のことなのだろう。さらに、強迫性障害の人は、より頭に歌がこびりつきやすい傾向がある」いうことだ。
 こうした脳内リフレイン(リピート)は耳鳴りのように不快なものでなく、むしろ思わず口ずさんでしまうような楽しいものが多い。最初に紹介した積水ハウスのコマーシャルソングなども10以上のバージョンと長い歴史がある。いわばヒット曲なのだ。