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2021.5.2 知恵と工夫(苦渋の決断)
 青い空に白い雲、爽やかな風が吹き渡るのどかな五月。一見平和そのものの風景だが、現実はコロナ禍にあって、多くの人が生活すために苦渋の決断を迫られている。
 今回は2021.3.26知恵と工夫(実践例)のリニューアル版として、さらに新しい発想を生かしてこの厳しい局面に対応している。企業の実例を紹介することにした。(2017.5.11 生活の知恵(最終回))
 緊急事態宣言にある飲食店の中で考え出されたのが、非接触型店舗の展開である。これは個々のお店の発想ではなく、ここにはアイデアを生み出したベンチャー企業の仲介がある。これは新しい発想を貸し出すというリース方式(店舗などのアクリル板の仕切りの施工を請け負う)、このケースなどは3密対策が徹底しており、コロナ時代の新ビジネスとして注目されている。リースであるから日常が戻れば撤去してくれる。
 コロナショックの中で、国内外の観光客が激減した観光業。JTB総合研究所の調査によれば、2020年3月の訪日外国人数は前年の3月に比べ93%減という結果が出ている。
 この会社では新しい発想の事業をコンサルティング事業として発信している。例えば「自治体から営業時間短縮の要請を受け、やむをえず臨時休業を選択した店舗も多かったこと」ことに着目し、成長率の高い「食品通販市場とギフト市場」のふたつに照準を合わせ、地域名産の食材や加工食品に特化した通販サイトを立ち上げた。その結果、通常時は予約の取りにくい人気店が、テイクアウト用のお弁当を販売開始し、事態の収束後にも利用可能なサービスチケットを先行販売することにしたという、明るい話題としてメディアを賑わせた。
 もう一つ新しい発想の事業を展開する企業を紹介する。
 「コロナショック以前からフードトラックという( 900店舗のフードトラックと提携し、ビルのちょっとした空地を活用してシェフこだわりの料理を315カ所で提供)オフィス街に点在する空きスペースのマッチングサービスを提供していた「株式会社Mellow」は、4月から新たに「フードトラック利用に特化した車両リース」を開始した。利用を検討する飲食業者にとっては低リスクでのスタートが可能な内容となっており、大きな注目が集まっている。
 特に中小企業にとっては、いまが踏ん張り所。社内が一丸となって発想を転換することで、前向きに状況の改善を目指すことになるだろう。

2021.5.6 ワクチン接種
 高齢者向けワクチン接種の手紙が来て、間もなく予約の受付が始まった。私はインターネットで手続きを取った。最初システムトラブルなどがあり2日後にアクセスできた。
 手紙の接種券を見ながら必要事項(接種番号とパスワード)を記入してログインすると、折り返し登録したメールアドレスに以下の内容の返信が来た。
「※このメールは 横浜市 新型コロナウイルスワクチン接種予約受付システムから送信しています。
接種券番号:00×××・・・ 様
新型コロナウイルスワクチン接種予約受付システムからの予約を受け付けましたので
登録頂きましたメールアドレスに確認のメールをお届け致しました。
■接種会場
 最寄りの会場名
■予約年月日
 2021/05/29 14:45(2回目は2021/06/19 14:45)
■ワクチン種別
 ファイザー
■予約人数
 1 人
■予約者(接種券番号 生年月日 回数)
00×××・・・ 様 私の誕生日 1回目
■接種会場からのご連絡
・当日、密な環境を避けるため、予約時間に会場にお越しください。
・接種券、予診票、身分証明書(健康保険証、運転免許証等)を必ずお持ちください。
・病気の治療中でかかりつけ医がいる場合、接種について必ず事前に医師に確認してください。なお、おくすり手帳をお持ちいただけると、会場で行う予診の参考になります。
・会場へは公共交通機関をご利用ください」
といった内容の通知が2回分で2通(予約年月日が違うだけ)届いた。
 私は持病があるのでかかりつけ医がいる。明日以降連絡を取ることにした。その結果で接種場所が医者のクリニックに変わることはあり得るかもしれないが、集団接種を選ぶつもりだ。
 80歳未満の方には申し訳ないような優先接種決定通知であり、形通りに行けば6月下旬には接種が終わる。
 政府・自治体は公約を果たしたことになり、私同様の高齢者の多くが今回の疾病に関して安心・安全を確保したと、胸を撫で下ろしていることだろう。後日談はまたこのコラムで紹介していくつもりである。

2021.5.9 有り合わせ
 我が家の昼食のメニューと言えば、私専用の力粥(ちからがゆ:餅が入っている)、そば、チャーハン、焼きそば、ホットドッグなどかなり豊富だが、共通しているのはその具である。
 これは冷蔵庫にある有り合わせたものをメニューに合わせて調理する。冷蔵庫のスペースは計画的に1週間ごとに購入した食材で埋め尽くされている状態となる。主に日々の夕食のオカズ(御数、御菜)として調理されていく。その時に残るものがどうしても生ずる。それが有り合わせの具となり、冷蔵庫が順次整理されることに繋がる。
 このように冷蔵庫の中身は、調理者であるカミさんしか知りえないものが殆どであり、余人をもって代えられない。
 例えば私が「有り合わせ」で何か調理しようと試みたところで、具となるべき素材のありか(在処)が分かるはずもない。よしんばそれをカミさんに聞いて行おうとしても、人にやらすより、自分でやった方が早いので「そんな真似はしないでくれ」と断られることは必定だ。
 ずいぶん前の話だが、同級生が退職後に一念発起して「料理教室」に通い「男の料理」を披露することになった。彼の頭の中には教室で教わったレシピしかなく、冷蔵庫の中身など分からない。そこで、具材をすべてスーパーに行って買い揃えてから調理したそうだ。その結果旨い不味いは別として彼のカミさんからきつい指摘をされたという「あなたは料理する度に材料を新たにスーパーで買ってくる。こんな料理の作り方では家の家計簿は直ぐに干上がってしまい、冷蔵庫は残り物が野放図に放り込まれているので、整理がつかず大変困る。気持ちだけ頂いてこれまでにして頂戴」と宣告されたそうだ。
 だから私がもしそんな真似をしたら、カミさんの領域を荒らしたことになり、逆鱗に触れること間違いなし。
 台所はカミさんの聖域なのだから、私は踏み入らない。「では食事の後の皿洗いなど手伝いしたらご機嫌を取れるではないか」と思われる向きがいるだろう。ところがそんなものでは通らない。洗い方にも一流と二流があり、私はもちろん二流だから、一度は試みたが、結果二流の仕事を一流がやり直すという二重手間がかかることになり、これもダメ出しされた。
 男子厨房に入らず(だんしちゅうぼうにいらず)。黙って出されたものを綺麗に平らげよう。

2021.5.12 変化する事柄
 生活というものは総じて目に見えるほど変わるものではない。それでも長い目で見ると少しづつ変わるものだ。古今和歌集に『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる』と詠まれている。少し表現としては違い今は、二十四節気のひとつ立夏(5月5日から5月20日)の時期だが、町を歩く人の姿が軽装になっている。これなどは、人の目に見える変化である。
 年齢なども急に変化を感じるものではない。ところが最近のワクチン接種のコラムにあるようにいつの間に80歳以上の高齢者になっている。
 そのコラムでは経過についても書くとしたので、その後2回目の接種予約が10日から始まっている。第1回目は僅かな人数だった。これからの予約を順調に行って予定の7月中に終わるかということが話題になっている。連日報道では「それは無理な日程だ」と評しているところが多い。実際に10日のインターネット予約は25分で完了。電話は終日繋がりにくいと悪評止まらず。こうして見ると私が幸運だった言うしかない。ワクチン接種はコロナ禍の現状を大きく変えることになる。 何とか予定のスケジュールで消化して、オリンピック開催に貢献してほしいものだ。
 話を元に戻して身の回りを見ても、じっくり見ると変化は見て取れる。そこには世間では評判が悪い格安通販で買った安物商品が目立つ。特にメガネの類が多く、ヘッドルーペや老眼鏡などは10種にも及ぶ。使うのは一辺に使う訳ではないので、これも同じ通販で買った布製の収納ケースに何個も待機している。この収納ケースは大当たりで便利に使っている。いつの間にか満杯にはなっているが。
 これとは別に趣味で集め始めたレプリカの腕時計も10種類を優に超えて、今は蒐集が終わり時計ケースの中でそれぞれ出番を待っている。時計は小の月から大の月に変わる度に日付を調整してやらなければならない。余分な作業が増えることになったが、その時には全部のメンツと対面するので、これは結構楽しんでいる。普段一番身に着けるのは、日付のないことで返金処理されたセイコーのダイバーズウオッチで機械式なのだが、今まで止まったことがない。ひと月で1分の狂いも出ない優れモノである。機械式(オートマチック)時計は一般的に3日に1回腕にしないと止まってしまうとされているが、セイコーのモノはどれも止まったのを見たことがない。念のためおさらいすると、機械式時計は秒針の動きがクオーツ製と違い流れるように動くもので、カチカチという時計特有の音がしないのが特徴である。
 将に時を刻むに代表される、こうした身近な変化を見ながら自分は静かに齢を重ねているのだと実感している。

2021.5.16 豆談義
 私はあんこが大好きだ。週1回はおはぎを食べるが全然飽きることがない。年はとっても食い意地だけは衰えない。今回は豆類の趣向を口から出まかせで並び上げることにした。
 最初にあんこ(餡子)が出たので、私の好きな菓子をピックアップすると、大福、最中、どら焼き、羊羹が頭に浮かぶ。これらは小豆(あずき)を甘く加工したした菓子だが、他にも赤飯も好きだ。大好きなのは「しるこ」で、これなどは一日寝かした方が旨い。ということで何日でも無くなるまで飽きずに食べる。私は前からいうように、酒はだめだが大の甘党である。
 このコラムを書いている時もテーブルの脇にコーヒーが置いてある。無論砂糖は欠かせない(ブラックは丸でダメ)。コーヒーも豆が主成分である。酒ならぬコーヒーのつまみにはピーナッツが合う。最近は食パンを食べなくなった(朝食はトーストからビスケットの東ハトハーベストに変わった)。以前はトーストにバターピーナツを塗って食べることが多かった。 
 他にもインゲン豆の煮ものやクリームチャウダーもよく口にする。大体豆類は良く煮込んだものが口に合う。たまにインゲン豆の茹でたのも食べるが。茹でた豆と言えば何といっても枝豆でしょう。
 大豆と言えば豆腐も毎日欠かせない食物で、冬は湯豆腐、夏は冷奴、普段はみそ汁の具や麻婆豆腐として供される。こればかりは家で加工できないので購入したものだ。我が家では殆ど 絹ごし豆腐を使っている。これは木綿豆腐より舌触りが良いに尽きると思う。
 思い出したが、あんパンやあんドーナツなどもよく食べる。菓子パンと言えばこの餡子モノとクリームパンが好きである。
 以上記した豆を加工した食品は私が生まれる前からあるもので、モノによっては代々引き継がれる味が珍重されるものも多い。文明堂のどら焼きや虎屋の羊羹、変わり種としては小田原の大きなあんパンなどが上げられよう。総称して和風菓子という分類に属するもので、外国でこうしたモノを味合うのは難しいだろうから、やはり「和菓子は豆にあり」と私は言いたい。

2021.5.19 芋談義
 芋には幾多の思い出がある。先ずさつま芋であるが、これには苦い思い出が(さつま芋が甘いにもかかわらずだ)ある。
 今は昔戦時中(第2次世界大戦)のことで、国民は困窮し食べるものもなく、芋が主食だった時代がある。飽食の時代で生活する人には想像もできない時代だった。
 その時のさつま芋は沖縄100号といって図体だけはでかいのだが、殆ど甘みは感じられない代物で、元々飼料用・アルコール製造用に開発された物で、収穫量の多さだけが取り柄で、どこでも育った。主食だからまるで家畜に餌をやるように、すごく不味いが毎日食わされた。それがトラウマとなった。今では改良されて「栗(9里)より(4里)うまい13里」といって焼芋として結構町では出回っている。焼き芋や蒸した芋は美味しいという人も多いが、私の好みではない。
 それに較べてジャガイモは好きだ。つい最近亡くなった友人が、忘れもしない私の結婚式のスピーチ、で私の顔を評し「ジャガイモ」という名言を残したことだから、ジャガイモには愛情すら抱いている。好きなレシピの1番はポテトサラダで、次いでポテトフライ、おでんの具のジャガイモそれに蒸かした「蒸じゃが」と言ったところが上げられよう。
 姿が違う山芋(ジネンジョウ『自然生』、ジネンジョ『自然薯』とも呼ぶ)は庶民の手には届かない貴重品である。昔は友達と藪の中に入り、見つけ方や掘り方などを教わりながら、自分で掘り出して持って帰り、とろろ飯にして食べたのを覚えている。食後に口の周りが痒くなるのが難点であるが。
 里芋の煮っころがしなども家庭料理として、おふくろの味といわれるような親しい存在である。 里芋(サトイモ)は東南アジアが原産とされる独特のぬめりと食感が人気のイモで、山形県の芋煮会に使用されているイモとして有名である。
 里芋と同類な芋に八頭(やつがしら)がある。八頭は親芋と小芋が一体化し同程度に大きくなって、まるで八つの頭があるように見えることからこの名前が付けられたという。
 もともと里芋は小芋がたくさんできることから「子孫繁栄」の意味合いがある。さらに八頭の八は「末広がり」、頭は「人の頭に立つ(出世する)」という意味を込めて、正月の縁起物としておせち料理に欠かせないレシピである。
 さつま芋を食べると「おなら」がでるのは、 食物繊維が関係で、どうしても腸内にガスが発生するからだと言う。私などはそれでなくても普段からよくおならが出るので、自分から進んで食べることはない。

2021.5.22 汁談義
 「一汁一菜」(一品の汁物と一品のおかず。非常に粗末で質素な食事のこと)にあるような汁物で我が家で食卓に供されるモノについて、今回は談じることにする。
 汁物は大別すると味噌汁、すまし汁、お吸い物、スープなどをあげることができる。菜(おかず)によって具が違う。これなどは各家庭で殆ど内容は異なることだろう。
 昔から私が好きな味噌汁は、本来豆腐と油揚げを刻んだ具が入っているのが好きなのだが、我が家ではしめじやなめこ等のキノコ類が入っている。昔はみそ汁を飯にぶっかけて食べることが多かったが、それが今はできない。正直キノコのあのヌメリ触感が嫌いなのだ。それにみそ汁の具自体が野菜というのも多く、栄養のバランスを考えての献立なのだろうが、益々ぶっかけご飯から遠のいていく始末だ。
 私は食膳に供されるものはすべて平らげるのをモットーとしているので、こうした細かい注文など付けようもない。これは前に書いた「男子厨房に入らず」の伝であるから仕方がない。
 天丼やカツ丼などの丼物に汁物は欠かせない。たまの土用の丑の日にはうな丼が出される。それにはお吸い物が付いてくる。白く透けて見える中にシジミやアサリが並んでいる。何故かこうした汁物が丼物には合う。丼を平らげた後にシジミの身を箸で挟んで採掘するのは結構集中するので面白い。
 春の節句には蛤(はまぐり)の吸い物が出される。我が家ではこれがお吸い物の王者として君臨する。
 次はすまし汁だが、これはお吸い物とは似て非なるモノでネットで調べてみた。 (出典http://www.st39.net/yokuwakaru-chigai/z0098.html)
 お吸い物は出汁をとった汁に味噌やしょうゆ、塩などで味付けしたもので、具材は野菜や魚介類を主に使用している。汁物の一種と思われがちだが、汁だけでなく具材も実と呼んでおかずの一つとして楽しむ料理であるため、スープ料理に類する。 傾向として酒の肴やそれに類するおかずとともに食すことが多い。
 すまし汁はお吸い物と同様に、出汁をとった後、醤油や塩で味をつけるが、澄んでいる汁が特徴であるため汁が濁る味噌は使わない。一般に、具材には旬の食材が使われ、節句に食べる酢飯を使った料理や、めでたい席などでよく食され、ご飯ものに付く汁物である。
 つまり、両者の違いは「具がメインか汁がメインか」「おかずの類いか汁物の類いか」「汁が澄んでいるか否か」である。
 と「なるほどね」と頷ける、中々明快な説明を得ることができた。
 今回は外来のスープまで及ばなかったがいずれの機会に談じることにする。


2021.5.26 丼物談義
 昼食などでカツ丼などの丼物を出前して済ます人は多いと思う。そこで今回は我々の身近なフードとして欠かせない丼物について談義する。
 最近はコロナの関係で外出することがないので、我が家のメニューから丼物を選んで、どのようなものか紹介する。
 最初に出たカツ丼だが、これは市販しているものと同様の作りで、揚げた豚カツを玉子とじにして飯の上に乗せ垂れをかけて、豚汁などと一緒に食膳に供せられる。私が一番好きな丼物である。
 次に具が豚でなく鶏に変わった親子丼があげられる。一時期胃腸を壊している時によく食べた。玉子とじだけの親なしの玉子丼なども時たま供されるるが、これなどはむしろ生卵をブッカケご飯にした方が好きだ。
 天丼なども世間では多くの愛好家がいるが、我が家では惣菜として供されることが多い。飯と皿に盛った天ぷら、私は海老やイカが好きなのだが、大概はかき揚げと野菜の天ぷらが中心である。天ぷらツユと大根の擦った小皿がついてくる。汁物はみそ汁である。
 丼物の横綱は何と言いてもうな丼だろう。今は輸入品だろうが、見た目では分からないし、私の舌では見分けはつかない。うな丼はタレが生命線でこれは鰻を購入した時にセットで付いてくるようで、良い味加減である。それに山椒をひとふりかければ、お店のうな丼と遜色ない。ただ私が苦手なものが時たま残っている小骨で、これが喉に引っかかったりしたらひと騒動である。それが苦手で忌避する人もいることだろう。添え物は本来うなぎの肝吸いなのだが、それは専門店とは違いシジミの澄まし汁に取って代わられる。
 他にもマグロの刺身を乗せた鉄火丼が世間では有名だが、私の食膳に供されることはない。それというのは私が刺身が苦手だったせいもある。最近は俗に青物と呼ばれる魚類(サバやイワシ)を除いて食べらるようになった。
 他にもや中華丼(天津飯)や肉丼なども古くから親しまれる丼物でたまに昼飯代わりに供される。添え物としてはさっぱりしたけんちん汁『建長寺の典座(てんぞ・寺の司厨長のこと)が作っていたため、「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったなど』が口に合う。
 そもそも丼物は江戸時代に遡る。江戸の町人文化が開花するのに従って、短気で飾らない職人たちの食文化は広がりを見せるのに始まる。人々はぶっかけ蕎麦(のちのかけそば)を常食とし、その他のおかずも飯の上にぶっかけた。こうして、おかずをご飯の上にたっぷりとかけた丼物は、時間がかからず気取らない食事として好まれ、次第に階級を越えた代表的な和食として親しまれるようになった。

2021.5.29 ライス物談義(1)
 今回は我が家でもよく口にするライス物、カレーライス・ハヤシライス・オムライス・チキンライス・カツライスなどを食卓に並べて談じることにする。
 カレーライスだが、これにはライスカレーという呼び方があり、私は勝手にライスの上にカレーをかけたのがライスカレーで、一つの皿でライスとカレーを仕切ってあるのがカレーライスだと思い込んでいた。今回談じるに当たって正確を期すため調べてみた。 
  実はライスカレーとカレーライスには大きな違いがあるそうで、まずカレーが日本に伝わった時にはライスカレーと呼ばれていた。それがある時点からカレーライスに切り替わったらしい。
 専門家によると、二つの最も大きな違いはカレーとライスの出され方だという。
 ライスにあらかじめカレーがかかっているものをライスカレーと呼び、カレーが容器などに入れられてライスとは別々に出てくるものをカレーライスと呼ぶのだそうだ。
 だから、ライスカレーには気取らない大衆的なイメージが強く、カレーライスにはややハイカラで高級なイメージが強いという。どうにも俄かには信じられない話だ。
 カレーライスの主な具はそれぞれの家庭で異なるだろうが、メインはカレーの元(カレールー)に牛肉、豚肉、鶏肉のいずれか、野菜は玉ねぎ、人参、ジャガイモなどで煮込んで仕上げる。添え物には野菜サラダが合う。
 相当に胃袋の状態が弱っている時でも、カレーライスは食欲をそそる特異な味である。
 どうして食欲をそそるかと言うと「 スパイスの研究のデータの中に、食欲が減退している人にクミンの香りを嗅がせると、食欲が増したという報告があり、特に、日本人に多く見られる傾向だそうだ」とあり、納得がいった。
 カレーライスの始まりは、明治時代にイギリスから伝わり、横浜に駐留していた欧米の商人・役人・将官(などの外国人居留者)向けに、海外出身のシェフがカレーを出したことに始まるとされている。それが、日本の軍隊食(今でも横須賀に行くと軍艦カレー専門店が幾つかある)として採用されことが普及の転機となった。
 煮込みメインで手軽に作れ、栄養バランスも抜群のカレーは、軍隊で好まれたそうで、今でこそいろんなカレーがあるが、当時は軍隊をきっかけに、カレーが一様に日本中に広がった。こんな現象は、ほかの食べ物ではあまり見られないそうだ。
 今回はカレー談義で紙数が尽きてしまった。その他のライス物は次回以降に談ずることにする。