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2021.9.2 諺集に見るわが人生(16)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「石に立つ矢」どんなことでも、必死になって行えば必ずできるということのたとえ。(故事)昔楚の国の熊渠子(ゆうきょし)という勇将が、夜間行軍をしたとき横たわる石を見て、虎がうずくまっていると思い込み、勢いよく矢を放つと、矢は立つはずのない石に刺さったという話が『韓詩外伝』(かんしがいでん)の中にある。この書は、前漢の韓嬰(かんえい)による書物である。さまざまな事柄や故事を記し、関連する『詩経』の文句を引いて説明したもので、説話集に近い。
 説明が長くなったが、この諺も私は初めて見る。 同じような諺に「思う念力岩をも徹す」「一心岩をも徹す」があり、これらは良く知っている。自分はこれほど強烈な一念で物事を達成したことなどない。誰にでもできることでないから余程異能の持ち主でないとこんなことはできないだろう。諺だからそんなにむきになって語るほどのものでもないが、ちょっと穏やかな諺「精神一到何事か成らざらん」などは、HP作成などでも精神を集中しなければ何も生まれない。
 さて、元に戻して「石をも徹す」ようなことは実際どんなものなのだろうか。例えば、プロ野球の投手が1年に1回あるかないかの完全試合を達成するとか、ジャンボ宝くじを毎回3万円も継ぎ込んで遂に6憶円をゲットしたといった話なのだろうか。それとも研究に研究を重ね、遂にノーベル賞を貰うほどの研究成果を上げた人のことをいうのだろうか。どれもこれも何万人もの人が同じように努力を重ねいても日の目を見ない中での結果だから「僥倖(ぎょうこう)」としか言えない。
 「石の上にも三年」という諺がある。私の仕事(HP作成)も殆ど毎日更新を続け10年近くになる。「石に上にも10年」で結局足腰を痛め歩くのにも不自由している。次回に続く。
 さて、元に戻して「石をも徹す」ようなことは実際どんなものなのだろうか。例えば、プロ野球の投手が1年に1回あるかないかの完全試合を達成するとか、ジャンボ宝くじを毎回3万円も継ぎ込んで遂に6憶円をゲットしたといった話なのだろうか。それとも研究に研究を重ね、遂にノーベル賞を貰うほどの研究成果を上げた人のことをいうのだろうか。どれもこれも何万人もの人が同じように努力を重ねいても日の目を見ない中での結果だから「僥倖(ぎょうこう)」としか言えない。
 「石の上にも三年」という諺がある。私の仕事(HP作成)も殆ど毎日更新を続け10年近くになる。「石に上にも10年」で結局足腰を痛め歩くのにも不自由している。次回に続く。

2021.9.6 諺集に見るわが人生(17)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「石部金吉鉄兜(いしべきんきちかなかぶと」まるで私のことを言っているような諺。ただし鉄兜(てつかぶとではない)何が鉄兜なんでしょうかね。その意味はというと、堅すぎるくらいで、まじめ一方の人のこと。堅い物の代表である石と金とを組み合わせた名前の人が、更に鉄製の兜をかぶっているほどの堅物という意から。「石部金吉」だけでも用いられる。
補説に、まじめすぎて極端に融通の利かない人や、男女の情愛を理解できない人に対する人に対する皮肉として用いられることが多いとある。私は性格が臆病で意思表示するのに難点がある面での堅物である。
 次は医者に関する諺を2,3紹介しよう。
 「医者寒からず儒者寒し」医者は貧乏しないが、学者は貧乏するということ。はじめてみる諺だが言い得て妙だ。医者だけでなく歯医者も薬局も結構潤っている。そこいくと学者は今の世でも、博士号を持っていても仕事が無く貧乏暮らしをしているのが実情のようだ。子供の教育に金をかけるなら、文系(法学部除く)より理系の方が投資効果が高いのは今の世も昔も変わらない。
 「医者知者福者」友として有益な人。また、この世で大切にすべき人。(補説)『徒然草』にはよき友三つあり。一つには物くるる(品物をくれる)友。二つには医者(くすし)。三つには知恵ある友とある。私にはかなり悪友がいたが、皆大切な友人だった。
 「医者の不養生」立派なことを言いながら、実行が伴わないことのたとえ。医者は患者には養生をすすめながら、自分は不養生なことから。類義に「紺屋の白袴」「髪結いの髪結わず」などがある。私は足腰が悪いので、毎日散歩に出て筋力を強めると人には言うが、実際は中々実行に移せない。他にも腹の中では思っていることで実行に移せないものがかなりある。例えば「終活」など。次回に続く。

2021.9.10 諺集に見るわが人生(18)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 今回の最初は「衣食足りて礼節を知る」で「人は生活が豊かになると、礼儀や節度をわきまえる余裕が出てくる」という意味の諺で、これは有名なので誰でも知っていると思う。私の子供時代は大戦直後であったので、生きるのにせい一杯で、なりふり構わずの生活が続いていた。その時代と今を比べて礼節がどうなったかというと、飽食時代の今の方が「礼節」は知られていないようだ。自己中心の風潮のなせる業であろう。
 「以心伝心(いしんでんしん)」言葉によらずに、互いの心から心に伝えること。言語では説明できない深遠・微妙な事柄を相手の心に伝えてわからせること。いかにも仏教から生まれた諺のような響きがあるが、その通りで「もとは禅宗で、ことばや文字で表せない仏法の神髄で、師から弟子の心へ伝えることを意味した」という補説がついている。実際には言葉や文字がなければ自分の意思を伝えるのは難しく、私などは修行が足りないせいか、言葉ですらうまく伝えられず「しまった」と思うことがしばしばある。
 このように相互に齟齬(そご)が生ずるケースに合う諺に「鶍(いすか)の嘴(はし)」がある。この意味は「物事が食い違って、思うようにならないことのたとえ。鶍のくちばしは上と下とが交差していることから」実際こんな難しい漢字の諺は多くの人が知らないはずで、私は鶍という鳥など見たこともない。それでもこのたとえは的を射ている。
 「痛し痒し」利害が混在して、どちらかを選ぶのに迷うこと。搔けば痛いし掻かなければ痒いという意から。どちらを取っても自分に都合の悪い結果になる時に用いる。原本ではこう説明しているが、とすると利害の利はもともと選択肢に無いのかなと思ってしまう。マイナス思考よりプラス思考でとらえて「選択が正しく効果を上げた」ということになる「使い方」も語法として「あり」かもと探してみると「あった」。コトバンクを見ると「痛(いた)し痒(かゆ)し」《かけば痛いし、かかないとかゆい意から》二つの方法のどちらをとってもぐあいが悪く、どうしたらよいか迷う。また、ぐあいのよい面もあれば悪い面もあって、困る。という記述もある。どちらか正解か選ぶのも「痛し痒し」か。  次回に続く。

2021.9.13 諺集に見るわが人生(19)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「板につく」態度や服装などが地位にぴったり合っているさま。「板」は芝居の舞台の意。役者の芸が舞台にぴったり合うという意から。私は歌舞伎の世界は知らない。一度も見たことが無いから。それでもその世界では大体世襲で幼い時から舞台(板)の上で厳しい修行をする。一歩一歩の足にも型があるにちがいない。それが寸分違わぬようになると多分「板につく」のだろう。今巷では総裁選の前哨戦が火花を散らしている。政治家の地位の最上位が総理である。果たして選任された政治家がその器にぴったりと収まるならそれは板についたことになるのだろう。私には不相応な諺である。
 「 一衣帯水(いち-いたい-すい)」一筋の帯のように、細く長い川や海峡。転じて、両者の間に一筋の細い川ほどの狭い隔たりがあるだけで、きわめて近接しているたとえ。▽「衣帯」は衣服の帯。細く長いたとえ。「水」は川や海などをいう.言葉の組み合わせは「一、衣袋、水」のように区切る。
 「一衣帯水」の由来は、李延寿が著した『南史・陳後主紀』にある「我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎」という一文。読み方は「我、百姓の父母たるに、あに一衣帯水を限り、これを拯(すく)わざるべけんや」で、現代の日本語に直すと「私は民衆の親の立場にある、あのような細い川で隔てられているからといって、その民を救わずにいられようか」となる。
 この故事は「中国の南北朝時代、南朝の陳は第5代皇帝・後主の圧政により民衆が困窮していた。それを見かねた北朝の髄の皇帝である文帝が、南下して陳に攻め入ることを決意した際に語ったとされる言葉が「一衣帯水」である。
 私はこの諺を見たことはあるが、その意味は知らなかった。こんな国家的問題に対処する時に使われるとは思ってもいなかった。日本では「対日平和条約に対しては、まだ多くの未調印国家、未批准国家があり、特に一衣帯水のソ連並びに中共との間には戦争の状態が残っておるのであります。(浅沼稲次郎『浅沼稲次郎の三つの代表的演説』)」この諺が引かれている。未だにこの国際問題は解決を見ていない。次回に続く。

2021.9.16 諺集に見るわが人生(20)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「一か八か」結果が思いどおりになるかどうか見通せない状況だが、せっぱつまって、運を天にまかせ思いきってやってみること。のるかそるか。また、二つのうちのどちらであるか。カルタ賭博から出た語という。[補説]ばくちの用語で、「一か罰か」でさいころの目に一が出るかしくじるかの意とか、「丁か半か」の「丁」「半」の字の上部を取ったものとかいう。「当たって砕けろ」とかいったちょっと捨て鉢な気持ちで行動をとることは若い時はあったものだ。青春とは冒険ができる一番楽しい時である。でも大体は失敗に終わるものでもある。
 「一芸は道に通ずる」一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人に抜きん出ることができるということ。同じような諺に「多芸多才」がある。これ は、様々なものごとに才能を発揮する人のことを言う。「博識多才」 は、さまざまなものごとに対して知識がある人のことを言う。実に羨ましい存在である。確かに中学校などでは一人ぐらい文武両道(勉強ができてスポーツでも優れた才能を発揮する)に優れた者がいたという記憶がある。私には無縁の諺。
 「一期一会(いちごいちえ)」有名な諺だが、少し詳しく見ると、どういう意味かというと「一生に一度だけの機会。一生に一度限りであること。言葉の原典は「安土桃山時代の茶人千利休の弟子山上宗二(やまのうえのそうじ)の言葉「一期に一度の会」による。その日の茶会での出会いは一生にただ一度だけのものと心得て、誠実な心で人と交わるべきだということ。人生は一期一会に成り立つというまとめ方は、日本語の奥の深さを感じさせる。
今回の〆は「一事が万事」一つのことを見れば他のすべてのことが推察できるということ。一般に、あまりよくない一面を見て、他の面でも同様に悪いだろうと推察する場合に用いるとある。他人が自分を見る目は厳しいものだ。だから何事も人に後ろ指をさされないように、気配りを含む五配り(目配り、気配り、心配り、手配り、身配り)することが大切だ。 次回に続く。

2021.9.22 諺集に見るわが人生(21)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「一日千秋(いちじつせんしゅう)」非常に待ち遠しいことのたとえ。ある物事や、人が早く来てほしいと願う情が非常に強いこと。
 一日が千年にも長く思われる意から。▽「千秋」は千年の意。「日」は「にち」とも読む。一般には「一日千秋の思いで待つ」と用いる。もと「一日三秋」から出た語。若い頃は受験したり、転職を繰り返した。そういう時合格通知や、採用通知が届くのを「一日千秋」の思いで待ったものだ。苦い思い出の一つである。
 「一度あることは二度ある」あることが一度起こると、同じようなことが続いて起こるということ。これを受けて「二度あることは三度ある」と続くおまけがつく。よくないことはことは続いて起こりやすいので注意せよという戒めに使われることが多い。この年になると自分でコントールできないところで不幸が続けて起こるということを経験する。類句に「一災起これば二災起こる」というのもある。これなどはその人の運も大きく左右する事柄といえよう。それ故神社は繁盛する。この場合は厄払いの神様(近隣では川崎大師)にお願いすると良い。
 「一度死ねば二度死なぬ」これは強烈な諺だが結構よく知られている。死は一度きりだという意味。死の覚悟を決めたり、自棄(やけ)を起こしたりするときに用いられる。覚悟と自棄とでは随分違う精神状態だが、今は平和な時代だが、先の大戦では私より15歳ぐらい年上の若者が戦いの中でこうした心境で「特攻」に駆り出されていったことだろう。よしんば生き残ったとしても心に傷を負う。戦争が「究極の悪」たる所以(ゆえん)である。
  「一難去ってまた一難」これなどは誰でも知っているような諺。先の「一度死ねば二度死なぬ」とは違い覚悟もしていないうちに、次々と災難や困難なことがやってくること。 一つの災難を切り抜けて安心しているところへ、また別の災難が降りかかかってくること。「踏んだり蹴ったり(踏まれたり蹴られたり)」などの類句もある。今回は災難続きの諺ばかり集める結果になってしまった。 次回に続く。

2021.9.24 諺集に見るわが人生(22)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「一日の計は朝にあり」一日の計画は朝のうちに立てよということ。計画を立てて実行せよという教え。ようやく朝の散歩を再開し、およそ3000歩を歩いて家に戻る。結構しんどいが続けられそうだ。三日坊主にならなければいいのだが。
 家に戻ると丁度MLB中継で大谷翔平の記録へのチャレンジを観る。今どきはホームラン競争と前人未到の二刀流二けた勝利への期待がテレビに釘付けされる。同時並行で仕事をする。ながら仕事になるので、当然集中できない。その代わり時間は更新までには十分あるので、しっかり見直しや推敲する。こうした流れは順調な時で、これから楽しみな野球観戦も1か月ほどで終わると、一日の計画に穴が開くから全面見直しを迫られている。
 「一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四に風邪引く」子どもの頃にお袋がよくクシャミをした。その度にこう言って冷やかしたが、お袋のクシャミはこの倍ぐらい続いた五以後はどう表現したらいいか聞いたことがない。そこで「五に叱られ六に笑われ七に泣かれて八にさよーなら」とでもしとこうか。
 「一念発起(いちねんほっき)」それまでの考えを改め、物事を成し遂げようと決心して励むこと。元々は仏語で、決定的な「一念」を起こすこと。私もよく一念発起するのだが、念が続かず止めてしまう。その繰り返しである。ただ一つ煙草を止めようとして一念発起した28歳以降一度も喫煙したことはない。もっぱら受動喫煙に悩まされた。周囲の友達がヘビースモーカーが多かったせいである。
 「一の裏は六」悪いこと後には善いことのあるたとえ。さいころの目の最小の一の裏は、最大の六であることから。悪いことが起こって落胆している人を励ますときに用いる。長い人生善いことも悪いこともある。人の世の定めに逆らうことなどできはしないさ。 次回に続く。

2021.9.28 諺集に見るわが人生(23)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「一富士二鷹三茄子(さんなすび)」夢、特に初夢に見ると縁起がよいとされるものを並べたことば。ここまでは誰でも知tっている。これには続きがある「四扇五煙草六座頭」(しせんごたばころくざとう」とある。これらは最初から想定外だったことは次の諺由来の記述から読み取れる。補説に「江戸時代から言い伝えれていることわざで、徳川家康が領有した駿河の国(静岡県)の名前を並べたとする説。駿河の国で高いもの(富士山は高さが日本一、鷹は愛鷹山の通称、茄子は初茄子の値段)を並べたとする説。富士は「不死」に通じるので不老長寿を、鷹は「高・貴(たか)」と訓が共通するので出世栄達を、茄子は実がよくなるので子孫繁栄を意味するとした説などがあり、地域版が全国版にまで広がったものと推察される。
 私は夢をよく見るのだが、余りよく覚えていない方で、富士山や鷹、茄子に及んではまるで記憶にない。怖い夢を見ると目が覚める。ところで初夢は元日に見るものと思いがちだが、「初夢とは、新年のある夜に見る夢。この夢の内容で、1年の吉凶を占う風習がある。 字義どおりに新年最初に見る夢とされることは少なく、現代では元日(1月1日)から1月2日の夜、または、1月2日から1月3日の夜に見る夢とされることが多い」とする、どちらが正しいのか分からない説もある。
 更にネットで調べると「日本の文献では平安末期の歌人による初夢の記述が確認され、この頃は、節分から立春にかけて見る夢を初夢と呼んだそうだ。室町時代には、縁起の良い"七福神を乗せた宝船の絵"を枕の下に敷いて寝ていたとか」で時期も夢の内容も違う。現在でも初詣で七福神周りをすることはよく知られており、私も違うコースを2度ほど回った経験がある。。
 次の諺は「一枚の紙にも裏表(または表裏有り」物事は表面と裏面の両方を見て判断する必要があるということのたとえ。
 私が購読しているビデオの刑事ものでは、よく表の顔はマット―な商売をしており、裏の顔は人身売買や麻薬売買のボスであることがテーマであるものが多く見られる。これなどは典型的な裏表の違いだが、犯罪が立証され「一網打尽」で幕を引くというお定まりの結末をみる。次回に続く。