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2022.8.2 諺集に見るわが人生(108)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「借り着より洗い着」人に借りた美しい着物より、たとえ洗いざらしでも自分の着物を着るほうが着心地がよいということから。 人に頼って見栄を張るよりも、自分の力で質素に生活することが大切であるというたとえ。[類義]人の物より自分の物。人は誰でも身の丈に合った生活をすることが大切ということか。
 「画竜点睛」 物事を完成するために、最後に加える大切な仕上げのたとえ。また、物事の最も肝要なところのたとえ。文章や話などで肝心なところに手を入れて、全体をいっそう引き立てるたとえ。
 その由来は中国の故事成語で、「歴代名画記」に書かれている。 中国南北朝時代の梁の画家・張はお寺の壁に睛(ひとみ)のない二匹の竜の絵を描き、「睛を入れれば、たちまち竜が飛び去る」と言った。でも、人々からそんなのは妄言だと非難された張が、一匹の竜に睛を書き入れると竜は壁から抜け出して天に昇っていき、睛を入れない竜は残ったという。この言い伝えから、竜の睛を描き入れることが、物事を立派に完成させるための最後の仕上げの象徴とされ「画竜点睛」という言葉が生まれたと言われている。
 私などはこのコラムを書き始めてからかれこれ10年ぐらいになろうというのに、そんな技法は使い勝手が分からないままだ。
 「 画竜点睛を欠く」上記のことわざと対を成す「物事をりっぱに完成させるための、最後の仕上げを忘れること。また、全体を引き立たせる最も肝心なところが抜けていること」これなら年中経験している。
 「借りる八合済す一升(かりるはちごう なすいっしょう)」 米を8合借りたら、1升にして返すのが礼儀というものである。他人に物を借りたならば、かならずお礼の品物か利息を添えて返すのが、良識というものであることをいう。
 今風にたとえると「車を借りた時は洗車してガソリン満タンで返すのが礼儀である」と言い換えることができる。なお「済す」とは返済すること。 次回に続く。

2022.8.6 諺集に見るわが人生(109)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「枯れ木に花」 いったん衰えたものが再び栄えたり、起こるはずのないことが起こったりすることのたとえ。 また、望んでも不可能なことのたとえ。 「枯れ木に花咲く」とも言う。もう一つ、「嘘や作り事で取り繕う」という意味を持ち合わせている。
 「類義」炒り豆に花が咲く。埋もれ木に花咲く。老い木に花咲く。職人の世界では匠と呼ばれる人はいくつになっても花を咲かせる技を持っている。羨ましい話だ。
 「枯れ木も山の賑わい」つまらないものでも、無いよりはましであるということ。また、役に立たない者でも、いないよりはいたほうがましだということのたとえ。何もない殺風景なはげ山よりも、たとえ枯れ木でもあれば山の趣を添えてくれ、風情を賑わしてくれるということから。自分のことを謙遜して言う言葉で、老人が若者に混じって何かをする際などに多く用いる。自分を謙遜して言う言葉なので、他人に対して使うのは失礼にあたる。
 「類義」蟻も軍勢。餓鬼も人数。枯れ木も森の賑わかし。枯れ木も山の飾り。歪み木も山の賑わい。こういう訳で年を取って枯れても員数に入れば、山の(集いの)賑わいになる。長い人生も捨てた物じゃない。
 「彼も一時、此れも一時(かれもいちじ、これもいちじ)」時とともに、世の中のことは移り変わっていくものである。だから、あの時はあの時、今は今で、あの時と今とを単純に比べることはできないということ。また、栄枯盛衰も一時限りであるということ。「彼」は、あの時の意。
出典 『孟子』孟子が斉を去って鄭に帰るとき、弟子から「先生は浮かない顔をしていますが、君子はどんなことがあっても天を恨んだり、人をとがめたりしないものだとおっしゃったじゃないですか」と言われ、答えた言葉から。
 時に関する孟子の感性は今の時代でも古びることなく輝いている。 次回に続く。

2022.8.9 諺集に見るわが人生(110)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「彼も人なり我も人なり」同じ人間なのだから、他人にできて自分にできないことなどない、ということ。自分の奮起をうながす場合や、自分の権利を主張する場合などに用いることば。由来は八~九世紀、唐王朝の時代の文人、韓愈の文章の一節から。昔の人は、舜という聖人の話を聞くと、「彼も人なり、予(われ)も人なり(その人も私も同じ人間だ)」と考え、自分も舜のようになろうと朝晩、努力したものだ、と述べたところから。このことわざなどは時代を超えて今も、人間の本質は変わらないものだから、自分鼓舞するのによく使われる。
 「彼を知り己を知らば百戦して殆(あやう)からず」敵についても味方についても情勢をしっかり把握していれば、幾度戦っても敗れることはないということ。『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。
「100回戦っても大丈夫」なのはあくまでも適切な準備ができているからで、それが戦うための条件だと言っている。相手の優位性について知るだけでなく、自分の弱点を知ることが重要という言葉。特にプロスポーツの世界のように実力が拮抗している場合に生きてくることわざ。
 「夏炉冬扇」夏の囲炉裏や冬の扇は、時期がはずれていて役に立たないことから。また、時宜を得ず役に立たない才能や言論のたとえ。
『論衡』に「益無き能を作し、補う無きの説を納るるは、夏を以て炉を進め、冬を以て扇を奏むるなり(役に立たない才能を振りかざし、役に立たない意見を君主に提出するのは、夏に囲炉裏をすすめ、冬に扇を差し出すことと同じだ)」とあるのに基づく。職場で働く人。あなたの上司にそんな人がいませんか。 次回に続く。

2022.8.12 諺集に見るわが人生(111)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「可愛い子には旅をさせよ」 本当に子供がかわいいなら、甘やかすのではなく世の中の辛くて苦しい現実をつぶさに体験さほうがよい」という児童観が反映されたことわざ。 女児に対して使うことが多いが、男児にも使える。 厳密に何歳から旅をさせてよいか、という話ではない。
 「旅」は比喩で「苦難の人生」のこと。 「いとしき子には旅をさせよ」「可愛い子は棒で育てよ」ともいう。 「可愛い子には旅をさせよ」の由来は、昔の旅が過酷だったことにある。
  現代のように電車や飛行機などの交通の便がなく、足だけが頼りだった昔の旅はひたすらに辛く厳しいもので、旅立つ時には水杯(みずさかずき)を交わすほどだった。(WURKより)
 {類義」可愛い子は打って育てろ。可愛い子には薄着をさせろ。獅子の子落とし。憎まれっ子世にはばかる。
 スパルタ教育の典型で今では見直されている。見方を変えれば、それだけ甘やかされているということだろう。
 「可愛さ余って憎さ百倍」かわいいという気持ちが強ければ強いほど、いったん憎しみの感情が沸けば、その憎しみは度もはなはだしいものだということ。日頃から可愛がっていた者に裏切られたりして、ひとたび憎いと思うようになると、その憎しみは可愛さの何倍も強くなるという意味。愛と憎しみは表裏一体であるということが伺える。
 人の心の機微は誰にも分らない。特に政治の世界では親しい兄弟ですら骨肉相食むこともあるだろう。
 「川越して宿を取れ」 先のことを考えて、後になって困らないように事前に対策を取らなければいけない。 できることは後回しにしてはいけない。 という意味。 「川越して宿を取れ」ということわざの由来は、昔の旅の様子が由来になっている。
 現代では考えられないが、昔は大きな川には橋はなかったので、水量が少ないタイミングを見計らって歩いて渡るのは普通の光景だった。 馬に乗って渡ったり、渡し船を使ったり、人に担いでもらったりするなど、色んな方法があったが、どの方法も 川の流れが穏やかなタイミングじゃなければ不可能。
 有名なのは東海道の大井川で「箱根八里は馬でも越すが。越すに越されぬ大井川(『箱根馬子唄』は、神奈川県箱根峠の馬子らが歌った民謡・馬子歌)」 次回に続く。

2022.8.17 諺集に見るわが人生(112)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「皮一重」容貌の美醜もただ一枚の皮膚の表面上のことで、その下は皆同じである。転じて、わずかな差異をいう。紙一重は類義。「紙一重」は物と物との間に、数量や程度において、ほんの些細な隔てしかない様子を意味する。たとえば、物質的なもの同士、また状況や地位など目に見えない事象の間にある「わずかな違い」を指す時に使われる。紙一重の方が重用される。
 「一瞬の差」という意味でも使われることがあり、例えば、猛スピードの車にぶつかりそうになった時「紙一重でぶつかりそうになった」と言ったりする。
 「皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を切る」自分を犠牲にし相手により強い打撃を与える」という意味で使われる表現。 自分の皮をあえて相手に切らせて、相手の肉を切り、そして自分の肉をわざと切らせて、相手の骨を切るという意味。「肉を切らせて骨を断つ」とフレーズ自体に似た部分が多い。
 単独で「肉を切らせて骨を切る」と使われることが多い。これは自分の肉を切らせておいて、相手の骨を切るという意味から。そもそもは、剣道で強敵を倒すための極意として使われることば。
 「閑雲野鶴(かんうんやかく)」何事にもとらわれず、のんびりと自然を楽しみながら暮らすこと。悠々と自由に暮らす境遇。
 【語源・由来】「閑雲」は静かに空に浮かんでいる雲。「野鶴」は原野で気ままに遊んでいる鶴。大空を静かに流れる雲と、広い野に遊ぶ野生の鶴の意味から、世俗に煩わされず、自由にのんびり悠々と過ごす境遇のたとえ。
 あまり見慣れないことわざだが、ローマ字変換では一発で出た。老いて後はこうした生き方が理想だが、なかなかそうはさせてはくれないのが現実だ。 次回に続く。

2022.8.20 諺集に見るわが人生(113)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「考える葦」人間は一本の葦のようだが、考える能力を持っている。パスカルの遺稿集「パンセ」の中の言葉。「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない,だがそれは考える葦である」として,自然において脆弱ぜいじやくだが思考する存在としての人間の本質を表現したもの。ブレーズ・パスカル(1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家である。
 葦とは、弱い木で、少しの風でもしなってしまう。さらに他の木と比べると強度も低い。しかし、強い木でもある。葦は少しの風でもしなるかわりに台風でもその風に身を任せ、しなってやり過ごす。このことから、流れに身を任せる賢い木と言える。つまり、「人は考える葦」とは葦のように弱いがそれと同時に賢く考えることができる存在という意味になった。
 「侃侃諤諤(かんかん-がくがく)」ひるまず述べて盛んに議論をするさま。議論の盛んなことの形容。また、はばかることなく直言するさま。▽「侃侃」は強くまっすぐなさま。剛直なさま。「諤諤」は、はばかることなくありのままを正しく直言するさま。「侃諤」ともいう。出典「侃侃」は『論語』郷党、「諤諤」は『史記』商君伝。侃々諤々の例文としては、「議論は紛糾し侃々諤々の様相を呈した」などの使い方がある。大勢で様々な声を上げているものの、まとまりがないさまを表すのによく使われる。また、「対立した陣営から侃々諤々の意見が交わされた」など、意見の対立と騒がしさを強調する際にも用いられる。侃々諤々が騒がしいながらも前向きな議論のさまを表すのに対し、「喧々囂々(けんけんごうごう)」はただ騒がしいだけのさまを表すため、使い分けに注意が必要である。
 日本の国会での野党との質疑応答は「侃侃諤諤」なのか「喧喧囂囂」なのか。『総理!総理!』と叫ぶ声が再び議場に響き渡るのだろうか。 次回に続く。

2022.8.24 諺集に見るわが人生(114)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「眼光紙背に徹す」「眼光」とは、物をじっと見るときの目の光のこと。「徹する」とは、貫いて奥深く達すること。
目の光が紙の裏側まで見通すほど書物に書いてあることを、表面だけでなく真意まで理解することのたとえ。読解力に長けていること。
「眼光紙背に徹する」「眼光紙背に徹る」「眼紙背に透る」ともいう。
 [由来] 江戸時代末期の儒学者、塩谷宕陰(しおのやとういん)の文章、「安井仲平へいの東遊するを送る序」の一節から。安井仲平(号は息軒けん)の才能について、「書を読むに眼は紙背に透る(読書するときには、書かれている紙の裏まで見通す)」から。
 このHPの「禅の研究」などに出てくる「原文」には難解なものが多く、その文を研究者の脚注などを読まないと内容が理解できない。そうした研究者は「原文」の裏にあるものを見通している。つまり紙背に徹しているのだろう。往々にして研究者によっては意見の違いが見られるのも面白い。
 「函谷関の鶏鳴(かんこくかんのけいめい)」《「史記」孟嘗君(もうしょうくん)伝から》斉の孟嘗君が秦から逃れて函谷関まで来たとき、鶏鳴まで開かない規則の門を、鶏の鳴きまねがうまい者の働きによって開けさせて無事通過することができたという故事。とっさの機転や言動によって、難を逃れたり問題を解決したりすることのたとえ。
 このことわざは『箱根八里』作詞:鳥居忱、作曲:瀧 廉太郎の一節「箱根の山は 天下の嶮 函谷關も ものならず」と小学唱歌に思い出がある。随分と難しい歌詞が入っていたのだと今にして思う。なお箱根馬子唄「箱根八里」は「 8.12 諺集に見るわが人生(111)」でも使われている。 次回に続く。

2022.8.27 諺集に見るわが人生(115)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「換骨奪胎(かんこつだったい)」古人の詩文の表現や発想などを基にしながら、これに創意を加えて、自分独自の作品とすること。他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと。骨を取り換え胎盤を奪い取って、自分のものとする意から。詩文の創作法として「換骨」は、古人の詩文の意味を変えないで字句を変えること。「奪胎」は古人の詩文の内容・主意を取って作りかえること。今では、他人の作品の一部を作りかえて、新しいもののように見せかける意に用いられることもある。
 (出典)宝覚真空禅師録(1346)乾・頌古・僧問趙州、十二時中、如何用心「換骨奪胎真秘訣、臨行抛在栢庭西」
 (例文)「過去の傑作をうまく換骨奪胎した小説だ」や「この作品は既存作品の換骨奪胎に過ぎない」といった使い方ができる。かなり古典的表現法で昨今では見かけることはない。漢字が難しいせいもあるだろう。
 「閑古鳥が鳴く」人が集まらずものさびしい様子。特に商売などがはやらず、さびれている様子をいう。閑古鳥とは、カッコウの別称。人のいない山里でカッコウの鳴き声がもの悲しく聞こえるさまから。
 コロナ禍の不景気で温泉街も土産店にも「閑古鳥」が鳴いている。
早く閑鳥の鳴き声が遠のき、門前市を成し、人々のざわめきが戻るのに期待しよう。 
 「雁書(がんしょ)」手紙のこと。中国漢の昭帝のとき、匈奴は漢と和睦を結んだが、漢の使者蘇武(そぶ)を捕らえ、武は死んだと言い張って帰さなかった。そこで帝は、庭園で射落とした雁(ガン)の足に、武の生存を伝える手紙を収めた帛(はく)(絹布)が結んであったと詐(いつわ)って、匈奴と交渉し、ついに蘇武は帰国することができた、と伝える『漢書(かんじょ)』「蘇武伝」の故事による。
 雁は候鳥(こうちよう)で,秋には南に渡り春には北に帰るところから,中国では遠隔の地の消息を伝える通信の使者と考えられ,雁信,雁書の説が生まれた。私も年に3-4回ほど礼状を兼ね遠隔地の友人に書簡を送っている。 次回に続く。

2022.8.31 諺集に見るわが人生(116)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「勘定合って銭足らず」 帳簿上では収支の計算が合って儲かっているはずなのに、手元の現金を数えてみると足りないことから、理論と実際とはなかなか一致しないということ。会社の経営上のことなので、自分の細やかな小遣い勘定には当てはまらない。
 「感心上手の行い下手」他人の言ったことや、やったことに対して、非常に感心(深く心が動き良いことだと思うこと)を示し、同じ意見であると言っているのに、 まったく、それを実行しようとしないことを言っている。また、そのような人のことも意味している。 このことわざは、柴田鳩翁という心学者の話の中の言葉のようだ(心学=「しんがく」と読み、江戸時代、神道と儒教と仏教を1つにして、わかりやすい言葉で説いた庶民教育の1つ) 。
 感心と関心とは同音異義語だが、意味が違う。まずは「感心」とはどういう意味かというと感動するという意味がある。その他にも、褒められる態度や行動の時も「感心」は使われる。まれに皮肉の意味でも「感心」を使う。使い分けが大切。
 「では関心」の意味だが、「関」は、関わるや、つながりを持つという意味で、「心」は、こころのことである。漢字の意味そのままで、分かりやすく言うと、「関心」は「興味」ということで、より詳しく知ろうとするのを「関心」という。
 ゴロのいいことわざだがあまり耳にしない。少し理解しにくい言葉の使い方のせいだろう。
 「韓信の股くぐり」韓信が若い頃,町で無頼の青年に辱められ相手の股をくぐったが,のちに大をなしたという故事。大志のある者は目前の小事には忍耐して争わないというたとえ。「史記―淮わい陰いん侯こう伝」に見える、漢王朝の創業に大きな功績を挙げた将軍、韓信のエピソードから。
 韓信にまつわる話から生まれた故事成語としては、ほかに「背水の陣」「敗軍の将は兵を語らず」「千慮の一失」「金石の交わり」などもある。若い時はとかく自我が強く、忍耐に欠けるものだ。範とすべきことわざと言えよう。 次回に続く。