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2022.12.3 諺集に見るわが人生(143)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「玉石混交(ぎょくせき-こんこう)」すぐれたものと劣ったものが区別なく入り混じっていることのたとえ。宝玉と石ころが混じり合っている意から。▽「玉石」は宝玉と石。よいものと悪いもの、賢者と愚者などのたとえ。「混淆」はいろいろなものが入り混じること。「淆」は「交」とも書く。
私の知る小学校の同級生に2人の麒麟児がいた。我が家の近くにある医者の息子だった。一人は東大医学部を出て研究者の道を選び、もう一人は慶応医学部を出て家業を継いで町医者になった。この二人は嘱望され予想通りの道を一直線に歩み玉となる運命を果たした。私のようなただの石ころは老いてなお石ころである。

「虚心坦懐(きょしんたんかい)」「虚心坦懐」とは、心に何の先入観も持たずフラットな気持ちを意味する。 評判や、苦手意識を全て捨てて、目の前のことに素直に向き合おうとする姿勢のことを言う。 「虚心」とは、字のとおり、からっぽの心のことをいう。「坦懐」は少し難しいが、「平坦」の「坦」に「懐おもい」という字を書いている。つまり、平らかな思いでいること。似たことばを二つ重ねた熟語だということが分かる。
こんな例文を見つけた(domani.shogakukan.co.jp)「「さまざまなことがありましたが、今日は虚心坦懐に話し合いましょう」
例えば、ビジネスシーンなどで、意見のぶつかり合いがあった人などと再度接する時には、心にわだかまりを持ってしまうこともあるものだ。だが、過去のことは一旦忘れて、素直に話し合いましょうと言いたい時に、こうした表現が生きてくる。

「虚は気を移す」人は、地位や環境によってその気持ちが変わり、善にも悪にもなるという意。
〈原文〉「居移レ気、養移レ体、大哉居乎」(「孟子‐尽心・上)「居は気を移し、養は体を移す。大なるかな居や」
地位や環境は、人の気持ちを変化させ、栄養は、肉体を変化させるものであるというが、なるほど地位や心構えは大切なものである。
大体世の中何が起こるか分からない。元大学教授(犯罪心理学者)が自分の妻を白昼堂々地裁前で殺めた事件。その動機を本人は語らないが「なんでそうなるの」と言いたい。 次回に続く。

2022.12.6 諺集に見るわが人生(144)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「漁夫の利」両者が争っているのにつけ込んで、第三者が利益を横取りすることのたとえ。
出典は少し長くなるが、中国の戦国時代の話から。趙(BC403~BC228 戦国時代に存在した国。戦国七雄の一)が燕(BC1100~BC222 周・春秋・戦国の時代に存在した国。現在の北京周辺の土地を支配した。戦国七雄の一)を討とうとしていた。蘇代という遊説家が燕のために、趙の恵文王のところに言ってこう説きました。「今回こちらに来る途中易水(河北省を流れる川。現在の中易水)を渡りました。そこに蚌(はまぐり)が出てきて、鷸(しぎ)がその身をついばみました。すると蚌は鷸の嘴(くちばし)を挟みこんでそのままぴたりと口を閉じてしまいました。鷸は『今日も明日も雨が降らなければお前は死んでしまうだろう』と言いった。蚌も負けずに『そっちこそこのままなら死んじまうだろう』と言い返した。両者はお互いに譲ろうとしない。そこに漁師がやってきて鷸と蚌の両方を捕まえてしまった。今、趙は燕を討とうとしているが、燕と趙が争って民衆が疲弊すれば、強大な秦(しん)(BC778~BC206 周・春秋・戦国の時代に存在した国。BC221に中国を統一したが、BC206に滅亡。首都は咸陽)が乗り出し漁夫の利をかっさらっていきはしないでしょうか?どうか大王様、ここはぜひともよくお考えください」
これを聞いた趙の恵文王は「なるほど」と言って燕攻めをやめた。
この話が元になって「漁夫の利」という故事成語ができたのだそうだ。
使い方の例として、これは空想だが(私は競馬を直接見たわけでもないので)本命馬と対抗馬が競り合いの駆け引きをしている隙に脇から抜け出てゴールを駆け抜けた馬がいた。この馬は漁夫の利を得たのだろう。かな。 次回に続く。

2022.12.11 諺集に見るわが人生(145)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「毀誉褒貶(きよほうへん)」褒めたりけなしたりすることを意味し、転じて「世間のさまざまな評判」という意味でも使われる。▽「毀」「貶」はともに、そしること、けなすこと。「誉」「褒」はともに、ほめること。
(用例)口先や筆先では毀誉褒貶に超然としているらしく見せかけていても、文壇人は俳優や音楽家と同様、人気を気にするのが普通である。<正宗白鳥・旧友追憶>(goo辞書)
難しい漢字でとても覚えられそうにないが、結構このことわざは使ったリする。それだけ世の中「毀誉褒貶」の世界だからだろう。

 

「清水の舞台から飛び降りる」思い切って大きな決断をすることのたとえ。
「清水」とは、京都市東山区にある音羽山清水寺のことで、北法相宗の総本山。
清水寺には高い崖に張り出して作られた舞台があり、その崖から飛び降りると所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったという(実は願掛け江戸時代234人、生存率85% といわれている)。
私などは最近財布の中身が枯渇し、何を買うにも「清水の舞台から飛び降りる」覚悟が伴う。文字数の多いことわざだが結構口にする人がいる。私もその一人。

 

「虚名久しく立たず」これは『太平記』にある一節で、事実とは違うすばらしい評判は、一時的には大きくひろがるけど、そのうちに実態が明らかになって、だいたい、消えていくものだということ。
「人の噂も七十五日」と言われるように、人の記憶は時間と共に薄れていく。

 

「魚目燕石(ぎょもくえんせき)」似てはいるが本物ではないもの。にせもの。まがいもの。 ▽「魚目」は魚の目玉。「燕石」は燕山(河北省)の石。ともに珠玉に似てはいるが、偽物であり無価値であることからいう。
私は趣味で時計のブランド品のレプリカを20種類ほど集めたが、たとえば、ロレックスが1,600円ぐらいで本物の100分の1程度。見た目はそっくりだが、中身は中華製の安ものチップで機械など何もない。さすがに外には付けて出られない代物である。 次回に続く。

2022.12.14 諺集に見るわが人生(146)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「綺羅星の如し(きらぼしのごとし)」立派な人や明るいものが、ずらりと並ぶ様子のたとえ。「綺羅、星の如し」からできた語で、「綺羅」は、美しい衣服の意。転じて、外見が華やかなこと、栄華をきわめること。本来「綺羅と星と」と、美しいものを列挙した語が、のちに誤って「綺羅星」と一語化された語になった。
鹿鳴館の時代を思い起こすイメージ。豪華な衣装を身に纏い美しく化粧した令嬢と軍服姿の若い士官が大広間でオーケストラがワルツを演奏する中、手に手を取り合って踊る姿が目に浮かぶようだ。

「義理と褌欠かされぬ」義理を欠いた(道理に外れた)行為はしてはならない。
「解説」男子が常にふんどしを身につけていなければならないように、義理を欠いては事は成せないと戒めることわざ。 または世の中を渡り歩く際、義理は欠かせないものであるということから。
「褌(ふんどし)の由来」男子の下着の一つ。越中褌,もっこ褌,六尺褌などの種類がある。古くは犢鼻 (たふさぎ) ,肌袴 (はだばかま) といい,幅の広い帯状のものであった。鎌倉~室町時代にかけては手綱 (たづな) ,江戸時代からは下帯,褌と呼ばれるようになった。褌の語源は「踏み通し」で,肌袴の着用には両足を踏み通したことに由来するといわれる。
私が幼少の頃、親父が褌姿(越中褌)でお袋に着物を着る手伝いをさせる姿をよく覚えている。

「桐一葉(きりひとは)」物事の一端から、全体の動きを察知することのたとえ。また、物事の衰退するきざしのたとえ。青桐は他の木よりも早く秋の気配を感じて落葉するため、青桐の落ち葉によって秋の到来を知る意から。
(由来)「淮南子 (えなんじ) 」説山訓から》桐の葉が落ちるのを見て秋を知ること。衰亡の兆しを感じることのたとえ。 「梧桐一葉落天下盡知秋」
青木橋の近くの「サカタのタネ」の裏側に「桐畑公園(きりばたこうえん)」という名の小さな更地の公園がある。文字が示すように入口に桐の巨木がある。私はよくソフトボールの壁投げをしに出かけたものだ。この山の頂上には青木橋の円覚寺がある。誰がいつこの裏山を削って公園にしたのかは不明であるが、1時間ぐらいのトレーニングの間ほとんど人が訪れない隠れた公園である。この公園の桐が落葉している様は記憶にない。 次回に続く。

 

2022.12.16 諺集に見るわが人生(147)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「麒麟児(きりんじ)」才能・技芸が特にすぐれ、将来性のある若者。
▷麒麟=聖人が世に出るときに現れるという中国古代の想像上の動物で、体は鹿、尾は牛、ひづめは馬に似ていて頭上に肉に包まれた一角がある。一説に雄(おす)を「麒」、雌(めす)を「麟」という。「麒麟児」は、その子という意味。
同じく、非常に優れた才知を持つ子供の事を指す言葉として「神童」という言葉があり、そちらを使われる事が多い。
キリンのイメージはキリンビールの製品のラベルでよく見るので、それが脳裏に焼き付き他の姿は想像できない。
小学生のころ学年で一番の子を「彼は神童だ」などと褒め上げたものだ。

 

「軌を一にする(きをいつにする)」考え方や、やり方が同じであるということ。同じわだちをたどって進むという意から。また、国家がよく統一されていることのたとえ。国内各地の車輪の幅を同じにするという意から。
鉄道などを見ると、わだちは三種類あり、標準軌(幅1,435mm)と狭軌(1,067mm)である。実例として小田急箱根登山鉄道の線路を見ると、小田原発には二種類の電車が相互に乗り入れており、線路は三本あり、小田急は狭い方で、箱根登山鉄道が広い方だ。これは各地で見らられる。もう一種類は路面電車や馬車鉄道由来の1,372mmといったものである。
なぜこのようになったのか更に調べると「日本が最初に導入したのがイギリス製で イギリスではこの1435mmを「標準軌」とし、それより狭い幅の線路を「狭軌」、広い幅を「広軌」とした。日本は最初の鉄道建設時に、狭軌である1067mmを採用した。
基本的に、線路の幅が広いほど、車体も幅の広いものを使うことができるので、輸送力は大きくなる。それゆえに、東海道本線の大きな輸送需要を救済するために建設された東海道新幹線は、1435mmの標準軌を採用した。
一方で狭軌は、より急なカーブを敷設できたり、用地買収が標準軌よりも容易になったりといったメリットがある」とある。 次回に続く。

2022.12.20 諺集に見るわが人生(148)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「義を見てせざるは勇無きなり」人として「何が正しい行動かを理解していながら実行しないのは、勇気がないからだ」を意味する言葉。「論語」の一節が語源となっており、漢文では「見義不爲、無勇也」と表す。
私は小さい時から臆病で、欄干の無い橋はすくんで歩けないといった塩梅だから、きっと今でも体を張ってまでして行動することは無いと思う。映画でもハイジャックやバスジャックの乗員の中で勇敢に立ち向かうのは一人で、その他は身動きできない設定になっている。
江戸時代には「敵討ち」助っ人は付き物で、「義を見て・・」と名乗りを上げて馳せ参じる者が登場する。
思うに武器の携帯(刀やピストルなど)が大きく行動に反映される時代があって、そこから生まれたことわざだろう。
(類義)「言うは易し行うは難し」

「木を見て森を見ず」木を見て森を見ずという言葉には、小さなディテールにとらわれ過ぎて、事件や事象の全体像を見失ってしまうことを示している。たとえば林の中に足を踏み入れたとき、近くの木の美しさや老木の切なさに心を奪われていると、森や山全体の良さや問題点が分からなくなるものだ。
(例文)ビジネスでは、目の前の小さな目標に取り組むことに必死になるあまり、全体の目標を見失う「木を見て森を見ず」の状況に陥ることがよくある(www.bing.com)。
確かに目先のことに捉われて、本筋を見失うことはよくある。人生長生きすると、過去を振り返り「あの時はこうすれば良かった」と悔やむことが多い。

「金科玉条」黄金や珠玉のように善美を尽くした法律や規則の意。 転じて、人が絶対的なよりどころとして守るべき規則や法律のこと。 現在では「金科玉条のごとく守る」などと用いて融通のきかないたとえとして用いられることもある。 ▽「金」「玉」は貴重なもの・大切なもののたとえ。
歌舞伎などの世界では、幼少の頃から鍛えられ、演技の一つ一つが「金科玉条」の連なりのように見える。中には成長してからその枠に反逆する役者もいる。如何に金科玉条を守るのが大きなストレスになることを証明している。 次回に続く。 



2022.12.23 諺集に見るわが人生(149)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「欣喜雀躍( きんき-じゃくやく)」小躍りするほど大喜びをすること。▽「欣」「喜」はともに喜ぶ意。「雀躍」は雀すずめがぴょんぴょんと跳ね行くように喜ぶこと。
(由来)「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」から。本書は、古代中国の年代記である「春秋」の注釈書で、春秋時代の歴史を語るうえでは欠かせない文献。「雀躍」は中国戦国時代の思想家・荘周が書いたとされる「荘子(そうじ)」が由来。
(例文)彼は溢れるような喜びを抑えきれず、欣喜雀躍のごとく飛び上がっている(domani.shogakukan.co.jp)。
私には、ちょっと漢字が難しく、使う気にはなれない。

「金城湯池(きんじょうとうち)」非常に守りの堅いたとえ。また、他から付け入り攻め込みにくい堅固な備えのたとえ。▽「金城」は金で築いた堅固な城。「湯池」は熱湯をたぎらせた堀のこと。
出典には「必ず将(まさ)に城を嬰(めぐ)らして固く守らんとす。皆金城湯池と為(な)り攻む可(べ)からざるなり(攻めることができない)」とある。それで諦めては007
(例文)彼女を口説こうとしたが「金城湯池」の鉄壁な守りで、敢え無く諦めた。
それで諦めては007が笑うね。

「琴線に触れる(きんせんにふれる)」ある物事が人の心を揺り動かし、強く感動したり、深く共鳴したりすること を表す言い回し。 「琴線」とは、和楽器の琴に張られた糸(弦:げん)のこと。これは中国・周の時代に生まれた故事が語源だとされている。中国の漢文『列子』には「琴の音色を聴いている耳は、まるで私の心の中のようである」という文章が示されている。現在でも、中国では心の奥や心情を「琴の糸」になぞらえて、目に見えることのない感動や共鳴を表す。
このことわざは結構いろいろな状況で使うことができるフレーズだ。「か行」の「き」終了。 次回に続く。

12.27  年末休刊のお知らせ 
 今回は「ことわざ」をお休みして、年度末のホームページの整備についてお知らせします。例年の通り、次年度も前期(1月~6月)、後期(7月~12月)に分けます。それぞれスタイルは同じです。内容も続けられる限り今までのテーマを引き継ぎます。
 フォルダーを作り、新しいファイルを入れるのには結構な手間暇がかかります。従って年末の休刊日は明日[28日(水)~31日(土)]までとさせていただきます。
 今年も皆さまの訪問数は取材をしていた頃の6割減ぐらいで、およそ一日200人ほどの人が訪れてくれています。その内半数以上が外国からのアクセスで、ドイツからの訪問数が30%位と多く、他も含めれば50%以上が外国からのアクセスです。このホームページの目的である日本文化の伝播が、徐々に根付いてきた証とも言えましょう。
 本年中のご愛顧に感謝します、これからも応援してください。
 皆様の健康と繁栄をお祈りいたしまして、今年の店仕舞いとします。