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2022.11.4 諺集に見るわが人生(135)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「義は泰山(泰山)より重く、命は鴻毛(こうもう)より軽し」人の守るべき道は泰山よりも重く、それにくらべて命は鴻(おおとり)の羽毛より軽い。義のために命をすてることは少しも惜しくないという意。
司馬遷の史記の中の一説、元の言葉は、「人固(もと)より一死有り。或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し。用の趣く所 異なればなり。(略)最下は腐刑、極まれり。」というもの。
戦国時代に生きたことわざなので、現代に通用するかは疑問。家族のために命をすてる方が分かりやすい。

「驥尾(きび)に付す」この意味は以下の通りとなる。
(1)優れた人に従えば何かを成し遂げられる喩え。
(2)賢い者に従って行動すれば愚者でも志を遂げる喩え。
(3)その道の先人などを見習い行動する事を謙った表現。
(4)「驥尾に付く」「蒼蠅驥尾(そうよう-きび)」も同義。
"驥"は「一日に千里走る名馬」「駿馬」、"尾"は「尻尾」、"付す"は「ついてゆく」「従く」「添える」で、名馬の尻尾に捕まり付いていくのが「驥尾に付す」
由来は、中国前漢時代の歴史書「史記」の一文「顔淵は篤学なりと雖も、驥尾に付して行い益々顕る」となる。
例文:新人議員などは最初の派閥選択で「驥尾に付す」が試され、そこで上手くやれば後は順当に大臣になるのも夢ではない。

「木仏金仏石仏(きぶつかなぶついしぼとけ)」融通の利かない堅い人。また、人情の薄い人のたとえ。感性の鈍い人や心の冷たい人を、仏像に見立てていったことば。主に男女の情愛に関する機微がわからない人に使う。
類義語:石部金吉、杓子定規、四角四面、謹厳実直、頑固意綴、馬鹿正直などがある。
例文:彼は木仏金仏石仏だから、いくら責め立てたって、きっと理解できないよ。 次回に続く。

 

2022.11.8 諺集に見るわが人生(136)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「気脈を通じる」連絡を 取り合い 、互い の 気持ち や 意志 が 相通ずる ようにつながり を保つこと。
(類語)には「裏切り・内応・内通・背信・背徳・背任・変心・寝返り・密告」と悪だくみの類がずらりと並ぶ。

「鬼面、人を嚇(おど)す」(鬼の面をかぶって人を脅かすことから) 権力や見せかけの威勢で、人を脅すことをいう。こけおどし。「嚇す」は「威す」とも書く。絵になりやすいので映画などでは多用される。

「木もと竹うら」木は根元のほうから、竹は先のほうから割るとうまく割れるということ。物事にはやりやすい方法や順序があるというたとえ。「うら」は、「末」で先の方の意。人の名前のようで覚えやすい。
私は多くの初めてお目にかかることわざをこの辞典の中で見るが、紹介できるのはほんの一部で、できるだけ知っているようで知らないものや使えそうなものを選んで取り上げている。

「鬼門金神我より祟る」わざわいは鬼門や金神(こんじん)の祟(たた)りによって起こるのではなく、すべて自分の不謹慎が招くものであるという教えである。「鬼門」陰陽道で悪鬼が出入りする門の意味。方角では艮(東北)をさす。「金神」陰陽道で祭る方位の神。戦乱・大水をつかさどるといわれ、この神の方角に向かって工事や移転・嫁取りなどをすると、ひどい祟りがあるという。今でも家を建てたり、引っ越しをするとき方角を気にする人は多いと思う。嫁取りは自由恋愛の世の中だから方位方角に気を配る人は少ないだろう。だから離婚が多いのかも知れない。

「客の朝起き」泊り客が主人より早く起き出すのは、迷惑であるということ。また、物事の順序が逆になって処置に困ること。客が泊まった場合、翌朝は主人が早く起きて準備するのに、客の方が早く起きるということから「客の早起き宿の迷惑」ともいう。
隣の客の夜更かしも迷惑である。 次回に続く。

2022.11.11 諺集に見るわが人生(137)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「杞憂」無用の心配をすること。取り越し苦労。▷紀=現在の河南省にあった小国の名。
(補説)中国。周の時代、杞の国に、天が落ち地が崩れて身の置き所がなくなるのではないかと心配し、夜も寝られず、食事もろくに食べられない者がいたという寓話による。
私も最近はヨタヨタあるきなので、自転車や車にぶつけられるのではないかとオドオドして歩くようになってしまった。このオドオドは杞憂だろうか。中国の故事とはそれこそ天と地ほどの違いがあるが。さすがに中国はデカイ。

「急行に善歩無し」急げば歩調が乱れるように、急いでした仕事は出来ばえが良くないと言う例えに使う。中国の数百年前の学者で、翟 灏(てきこう)の名言でこの後に「促柱(そくちゅう)に和声少なし(弦の調子が早い時には、調和した音声は少ない)」と続く。
(類義)急いては事を仕損じる。こちらは『 江戸いろはかるた 』の一つなどで誰でも知ることわざだろう。ほかにも「急がば回れ」とか「 待てば海路の日和あり」などがある。
私もそそっかしいので、ろくに考えもせずに事を決めて失敗したことなど多く経験した。

「九死に一生を得る」助かると思えない状態から、奇跡的に助かり生き延びること。助かる見込みが十分の一という命を、かろうじて得る意から「万死に一生を得る」「九死一生」ともいう。次のような状態が考えられる。
・危険な状況の中で偶然にも助かり生き延びること
特に病院のERではそういう患者が命を救われている。私の胸の傷跡もその名残。

「窮すれば通ず」最悪の事態に陥ってどうにもならなくなると、かえって活路が開けるものである。『易経・繋辞伝・下』に「困は、窮して通ず(占いで困の掛は、行き詰まっても必ず切り抜けることができる)」とある。
(原文)窮則変、変則通、通則久。窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し。
(意味)あらゆるものは絶えず変化していき、事態がどん詰まりの状態まで進むと、そこで必ず情勢の変化がおこり、そこからまた新しい展開が始まる、変化することで「通じ」、「久し」となる。という。
ただし「「器を身に蔵し、時を待ちて動く」と釘を刺してる。 次回に続く。

2022.11.16 諺集に見るわが人生(138)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)」弱い立場でも窮地に追い込まれれば逆襲することができるという意味。中国の漢文「塩鉄論」が由来で「塩鉄論」において「死に物狂いなった鼠は強敵である猫さえ噛むことがある」と述べた箇所があり、後に「窮鼠猫を噛む」として使われるようになった。
(例文)窮鼠猫を噛むというように、不当な扱いを受ければ臆病な人でも激しく言い返すこともある。

「窮鳥懐に入る(きゅうちょうふところにいる)」追い詰められた者が、どうしようもなくなって救いを求めに来ることのたとえ。また、そういう者には力を貸してやるべきだ、ということ。
[由来] 「顔氏家訓の一節から」争いごとには力を貸さない方がよいが、「窮鳥懐に入る(追いつめられて逃げ場を失った鳥が、人のふところの中に飛び込んできた)」場合は特別。心ある人間ならばかわいそうに感じて当然だから、見捨ててはいけない、と説いている。
(類義)窮鳥懐に入らずんば猟師もまたこれを撃たず。尾を振る犬は叩かれず。袖の下に廻る子は打たれぬ。
人の情けの本質をついたもの。

「朽木(きゅうぼく)は雕(え(るべからず」やる気のない者は、いくら教育してもだめであることのたとえ。
[ 由来] 「 論語 」に出て来る、 孔子 の「「宰予昼寝、子曰、朽木不 レ 可 レ 雕也、糞土之牆不 レ 可 レ 杇也、於 レ 予与何誅」の言葉。 ある弟子が昼寝をしていたことに対して、「朽木は雕るべからず、糞土の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず(腐った木には 彫刻 はできないし、崩れかけの土塀には上塗りはできない)」と述べて、激しく非難している。
たとえは朽木であるが、人間をやる気にさせるのが師の務めではないか。特に軍隊などでは厳しい訓練によって士気の高揚に努めている。 次回に続く。

2022.11.19 諺集に見るわが人生(139)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。


「笈を負う(きゅうをおう)」勉学のため郷里を出て遠い土地に出かけること。遊学すること(「史記」蘇秦伝から。本箱を背負って旅する意)
「笈(訓読おい)」は「負い」と同義。書籍、経巻、仏具、衣服、食器などを入れて背負って歩く道具。現在の背嚢(はいのう)、ランドセル、リュックサックのようなもの。
私は地元から夜間専門の短大に通った。3年制だった。

 

「今日あって明日ない身」人の世の無常をいう言葉。人はいつどのようなことになるか知れたものではないというたとえ。
齢84歳こうしたことが身近な年ごろになった。

「胸襟を開く(きょうきんをひらく)」隠し立てがなく本音を打ち明ける事。要するに気を遣わないでいられる関係で、本音を言い合える昔からの友人や気を許した同僚といったところ。よく政治の世界では両首脳は胸襟を開いて、打ち合わせに臨むとかいった内容が記事になるが、これは嘘っぱちであることは誰でも知っていることだ。

 

「行住坐臥」仏行くことと止まること,坐すわることと横になること,の四つの動作。日常の立ち居振る舞い。四威儀(しいぎ)。
「四威儀」は仏教用語。 (1) 行,住,坐,臥の4種の起居動作。 (2) またそれに関して出家修行者の守るべき戒律として定められたもの。『菩薩善戒経』に説かれている。
禅宗では日常生活のすべてが修行であり、特に規律と作法に則った行動を重んじている。
これはなかなか難しいことで、だからこそ僧は修行する。普通の大人だと、ふだんの行動に恥じることのない人は少ない。

 

「共存共栄 (きょうぞんきょうえい)」二つ以上のものが敵対することなく、互いに助け合って栄えていくこと。
「共存」は二つ以上のものが敵対することなく、生存したり存在したりすること。「共栄」はともに栄えること。「存」は「そん」とも読む。子どもの頃この言葉をよく聞かされた。いわば「向こう三軒両隣」という仕組みでこれを実現させていた。「あたしのものはあなたのもの」だから子どもの頃は他人の家でチャッカリ昼飯を食っていた。今では想像できない自由がそこにはあった。 次回に続く。


2022.11.22 諺集に見るわが人生(140)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「兄弟は他人の始まり」親子の関係は切っても切れないが,兄弟(姉妹)は利害関係や結婚などによって,互いの情愛も薄れて他人のようになるということ。
私が子どもの頃は「生めよ増やせよ」 のかけ声で、一つの家族に5人や6人の兄弟姉妹(我が家は8人)がいることは別に珍しいことではなかった。無計画と言えばそれまでだが。今でも多くが存命しているが(私以外は全部女性)、長兄が亡くなってからは疎遠になっている。コロナ禍の影響もあるが。ましてや市内の家族関係はとなると30人を超え大変な集まりになる。これだけ集まったのは兄の葬儀が最後だ。


「兄弟は左右の手の如し」兄弟は左右二本の手のように、互いに助け合わなければいけないの意。(「魏志‐王脩伝」の「夫兄弟者、左右手也」による) 。(類義)「兄弟は両の手」上のことわざの反対語。こちらの方が倫理的だが、現実は最初のことわざが最近の傾向である。人情は薄き紙のごとし、 「合理主義」とはすべて「計算」された思考である。己にとってどちらが有利かの選択である。
その結果として、「人情」は紙のごとく薄くなっていく。

「驚天動地」直訳すると「天を驚かし、地を動かすような」という意味。 そこから、「世間を非常に驚かせるような」「あっと言わせるような」という意味で使用されている。
(由来)唐の詩人・杜甫の詩「李白の墓」に見える言葉。同時代人で先輩の李白の残した詩文を「驚天動地の文」と賞賛している。天を驚かし、地を動かすほど素晴らしいといっている。
(例文)東京オリンピック延期は本当に驚天動地でした。

「京の着倒れ大阪の食い倒れ」京都の人は衣服に金をかける着道楽、大阪の人は飲食に金をかける食道楽の気風があるということ。
(解説)着倒れ」は、着るものに金をかけすぎて財産をなくすこと。 「食い倒れ」は、飲食に金をかけすぎて財産をなくすこと。 服飾にできる限り贅沢をする優雅な京の気風と、飲食の質を重んじる商人の町である大阪の気質を対比させていったことば。 これにならって、他県・他国(主に近隣)との対照的な違いを指したことわざが多くある。例えば「江戸履き倒れ」というのがある。
これは江戸の町では男性比率が高く職人や商人が多く、活動範囲が広く「草履」「下駄」が珍重されたという。
今の時代都会では戸建住宅で「ローン倒れ」 次回に続く。



2022.11.25 諺集に見るわが人生(141)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「今日の情(なさ)けは明日の仇(あだ)」人の心は、その時その時の利害や感情によって変わりやすいものだということ。今日は好意的態度をとっている人も、明日は敵となるかもしれないという意から。
※浄瑠璃・国性爺後日合戦(1717)二「昨日の味方は今日の敵、けふの情はあすのあた、頼む方なくなりはつる」
裏切りは人の常。態度をはっきりしないとよく裏切られる。

「今日の後に今日はなし」今日という日が過ぎれば二度と同じ日は来ない。1日1日を大切にせよという意。だから今日できることは今日やっておけという戒めの言葉。
(同義語)今日あって明日なし
(類義語)歳月人を待たず/盛年重ねて来らず/今日の手後れは明日へついて回る/今日できることを明日まで延ばすな
私は足腰が悪い、そこで出かけない。すると足の筋肉が衰えますます状態が悪くなる。そこで散歩しようと決意するが、なかなか実行に移せない。覚悟が伴わないからだろう。

「京の夢大阪の夢」京の都の夢、繁盛する商都大阪(大坂)の夢。夢の話をする前に唱えたことばとされるが、必ずしも意味は明確でなく、文脈によってかなり幅がある。
(解説)江戸のいろはかるたの最後の句。
夢は不思議なものであることをいうのは、京都にいる人が大阪にいる夢を見たり、夢の中では京都のことが大阪のことに変わったりすることから。
夢では様々な願望が実現することをいうのは、夢の中では京都も大阪も見物できたりすることから。
人の願望は千差万別であることをいうのは、京都の人が見る夢と大阪の人が見る夢は違ったりすることから。
正夢(現実の出来事と一致する内容の夢)というのもたまにある。
反対に悪夢(睡眠時に見る嫌な夢。もしくは、悪い夢のこと)などは精神的に障害を起こすPTSDが問題になっている。戦争の悪夢が多い。かのランボーなどはその典型。 次回に続く。

2022.11.29 諺集に見るわが人生(142)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「今日は人の上、明日は我が身」今日は人ごとと思っていた災難も、明日は我が身の上に降りかかってくるかもしれない。災難というものは、いつ誰に起こるかわからないものである。昨日は人の身、今日は我が身。
[類義]昨日は人の身今日は我が身・明日は我が身。
いつの時代でも通用する、人の上に災難が降りかかるは予見できない。

「器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから)」器用な人は人の役に立って重宝がられるが、その人自身は一つの事に徹しきれず、結局は大成しない。
(類義)細工貧乏人宝、職人貧乏人宝、巧者貧乏人宝。
職人仕事などは一生が修行で、技を磨くので大成しやすい天職のようなもので、多くは円熟期なれば匠と言われるようになる。中には腕はいいが飲んだくれで、いつも貧乏な奴もいる。

「虚虚実実」(きょきょじつじつ))」策略や秘術を駆使し、持てる力を出し尽くして戦うという意味がある。 策を出し尽くして戦うということは、スポーツなどでよくいわれるベストを尽くすということとは異なり、どんな手段を使ってでも勝とうとするところにある。
私の好きな娯楽「麻雀」では、常に虚虚実実の駆け引きが展開する。

「曲学阿世(きょくがくあせい)」真理にそむいて時代の好みにおもねり,世間の人に気に入られるような説を唱えること。
曲学=真理をねじ曲げた学問。阿世=世におもねる。こびへつらうこと。
出典は『史記』の「儒林列伝(じゅりんれつでん)」という章。この章には「公孫子(こうそんし)、正学(せいがく)を務(つと)めて以(もつ)て言え、曲学以て世に阿る無かれ」とある。その意味は「公孫子よ正しい学問に務めて自分が正しいと思うことを直言せよ。学問をねじ曲げて世間の人にこびへつらってはならない」
新型コロナウィルスの蔓延は留まるところを知らず、評論家諸氏はこぞって「曲学阿世」の説を唱えて憚らない。 次回に続く。