homewatch imagepaint2017pre

   コントロール

 今回の疾病(cvid19)は国民に多くの制約を課すことになった。この疾病には国に制約される以前に自ら生活を見つめ直し、自制することも必要である。今回の「話の市」ではセルフコントロールについて過去に掲載したコラムを3つ紹介する。

2015.10.19 加減の取り方
 常に全力疾走するなどと言うことは出来るものではない。マラソン選手がペース配分を大事にするように、力の入れ加減は経験を積まないと身につかない。
身をもって感じ取る力加減であるが、腰の治療を受けているのだが、理学療法士は絶妙の力加減で施術する。強すぎず、弱すぎず指先から熱線が出るように感じる。
 力を入れ過ぎるのは逆効果を招くことになる。かくして物事には力加減が必要だとういうことが分かる。
私が苦労しているのは、筆の力加減で、毛筆で手紙を書くとき毎回同じように活字のようには書けない。特に縦線は難しい。少し長めであるため真っ直ぐ書いたり、太さを一定にするのがうまくいかないうえに、非常に感情の動きに敏感で乱れが直ぐに形に出るので、誤魔化しがきかない。
 私は水彩画は描かないが、同じように微妙な水加減や色の濃淡の出し方に力加減が大切な役割を果たしていることだと思う。名人の作となるとバランスが非常に良くて、ひとつひとつはバラバラのようでいて、全体で見ると実にまとまっているから不思議だ。そこには幾何学的美のようなものさえ感じる。
 私がパソコンで描く絵は、元絵を下敷きにして、なぞって書くので、筆で描くような、太さの変化や濃淡が出し難い。これは描画ソフトやデジタイザーという入力機器(ペンで描く機器)に頼るためで、力加減というより、うまくなぞるという感じで作業する。パソコン上で表現力のある絵を描くようになるためには、力加減を表現できる技術が普及する時が来るのを待たねばならない。それもそう遠い話ではないと思うが。
加減の取り方には他にも色々ある。少し例を上げると「医者の匙加減、味付けの塩加減、自分より弱いものに対する手加減、料理の火加減・水加減、風呂の湯加減」など色々な局面で見ることができる。今回はテーマがテーマだけにいい加減なまとまりになってしまった。

2015.10.23 セルフコントロール(自制)
 自分自身を制御するのは難しいことだ。計画を立て「ああしよう。こうしよう」とは思うのだが、うまく実現できることはそう多くはない。
 それだけ雑念が多く、厳しく律して行動できず、例えば次のような誘惑には逆らえない。特に食い意地というやつで、甘いものには目がない方なので、目の前にするとつい手が出てしまう。どうも糖尿病持ちは、その原因として、甘いものが好きで自制できないところにある。体調が悪い時は我慢できるが、それは意志とは関係なく、また体調が戻ればまた蒸し返しで、コントロールが効かなくなる。
 セルフコントロールとは自制するという意味である。自分自身に節度を守らせようと務めることで、禁欲主義とはかけ離れた軽い抑制である。そんな簡単なことができないかと言う声が聞こえそうだが、自分の嗜好や行動にタガをはめるのは、それほど容易なことではない。
 人によって思うようにコントロールできないことの対象が異なるのは当然である。
私は酒やタバコなどは嗜まないから自制の対象にはなりえない。ところが、大酒飲みやヘビースモーカーにいきなり摂取量を半分に減らせと言っても無理な話で、これは自制の範囲を超えているからだ。もし実行に移せても三日坊主といったところがオチである。
 修行僧ではないのだから、できるところから徐々にセーブするのがいいのではなかろうか。
 社会生活を続ける上で求められるセルフコントロールとは、法を守るということで、これは最低限のルールやマナーを守りましょうということで、誰でも簡単に果たせるはずのものである。たまに道を踏み外して新聞ネタになる人も後を絶たないところを見ると、自制するという行為は、簡単なようで強い意志の力が伴わないと、直ぐに崩れるものであるのだと、胆に命じておく事としよう。

2015.10.27 念を入れるということ
 念という言葉は色々な使われ方があるが。今回強調している念とは、気持ちを集中させることに専念する「念」のことである。
 誰にでも日頃いろいろな局面で何かを決めなければならい時がある。どうしようかと答えを模索して、気持ちを集中させる。このことを念を入れるという。
 念ずるということは、期待が込められた気持ちで、先のことは分からないだけに、年齢には関係なく抱く精神の働きと言えよう。
 「念」に関する諺は多く、必ずしも上に示した意味合いのものばかりではない。少し例を上げるなら「念ずれば通ずる」「念には念を入れよ」「信念は岩をも通す」「一念天に通ず」「馬の耳に念仏」など多くある。最後に上げた諺だけが異質であるが、その他は「祈念」とか「念願」といった言葉に通じるものだ。「記念」や「念書」などの言葉は記憶に残したり、忘れてはならない約束のことなので、未来のために残すという意味で使われている。
 念のために、 小学4年生の学習漢字では次のように解説している。
1 いちずに思いをこめる。「念願・念力/一念・観念・祈念・思念・専念・想念」
2 いつまでも心にとどめる。「念書/記念」
3 思い詰めた考えや気持ち。思い。「怨念(おんねん)・疑念・雑念・残念・執念・情念・信念・断念・無念・妄念・理念」
4 注意。「丹念・入念」
5 含み声で唱える。「念経・念仏」
6 きわめて短い時間。「念念/一念」
 このように小学4年生には少し難しいのではないかと、いささか驚く語彙だ。
 今回この言葉をテーマにしたのは、このコラムを書き始めてから200話を超えたため、発想段階から入念にテーマを選択して執筆に専念しないとコラムの考え方である、「どうでもいいような日々の話題であること」という筋道から外れてしまうからである。そこで初心に戻り、自戒も含め「念」について見直してみた訳である。


 

 


 



 


Copyright 2013 Papa's Pocket All Right Reserved.