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20231.1新年のごあいさつ
謹賀新年 
 明けましておめでとうございます。元日の日常細事は、ことのほかホームページの整備に時間がかかり、ほとんどデモ画面(昨年の最終画像)しかおみせできません。追々更新してまいりますので、暫くの間ご容赦お願いします。
 唯一欠かせない1月のカレンダーはどうにか間に合いましたので、このページの「時の風物詩」アイコンをクリックしてください。
 今年もスタートは元日になりました。この仕事は私のライフワークで、いつまで続けられるかは気力と体力次第で余り自信はありません。できる限り頑張りますので、多くの方が閲覧していただけると力を貰えます。よろしくご支援お願いします。

英文薬 Weblioによる
A Happy New Year. The maintenance of the homepage especially takes time, and the daily life trifling matters of New Year's Day can hardly show only a demonstration screen (the last image of the last year). As you will update it in time, please forgive it for a while.
As the calendar of indispensable January was enough somehow alone, please click the "pastime that gives poetic charm" icon of this page.
The start was New Year's Day this year. I am not confident depending on willpower and physical strength very much till when this work is continued by my lifework. As I do my best as much as possible, I get power when many people can read it. Please support it.

2023.1.8 諺集に見るわが人生(150)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。今年も力の限りこのコラムに取り組んでいくつもりです。

 

「苦あれば楽あり」苦労の後には、必ず楽しいことがあるはずだということ。
人生は苦楽相伴うものだから、苦労ばかりは続かないし、楽しいことばかりが続くわけでもない。
怠けた人生を送れば後で苦労に見舞われるが、苦労をしていれば後で楽になれるという意味も含む。
 このことわざには「類義語」多い。以下紹介する。
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり/悲しみあれば喜びあり/楽は苦の種、苦は楽の種/楽する悪かろう苦をするよかろう/苦楽は相伴う/苦楽は生涯の道づれ/楽は一日、苦は一年/すべてのメダルには裏がある/上り坂あれば下り坂あり/一の裏は六/禍福は糾(あざな)える縄の如し/浮世の苦楽は壁一重/悲しみと喜びとは交互に相次ぐ。
人生長いとこうしたことわざが実感として良く分かる。実際の所モノづくりの人など長い時間をかけ、苦労してはじめて使えるモノができあがる。

 

「食い物と念仏は一口ずつ」食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏は一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。
「食い物」は「食べ物」ともいう。食べ物の怨みは大きいと言う。
 類義語 食べ物と念仏は一口ずつ 念仏と食物は一口が大事 後生と念仏一口が肝心
私も昔女房の分の大福を食ってしまった。そのことを根に持って未だに責められる。ホントに食い物の恨みは恐ろしい。

「喰うことは今日食い、言うことは明日言え」食べ物は早く食べたほうがおいしく味わえるが、ものを言うのはよく考えてからのほうが賢明だということ。
 「言いたいことは明日言え」と切り離してひとつのことわざになっている。喧嘩をしたり腹を立てたりしたとき、思ったことをすぐ口に出してしまうと後悔をすることが多いから注意した方が良いということ。時間をおいてじっくり考えてから、翌日言ったほうが良いという教え。
確かに「売り言葉に買い言葉」というたとえにも じかいあるように、カッとなって、後で後悔した発言をしたことが、記憶に強く残っている。 次回に続く。


2023.1.12 諺集に見るわが人生(151)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「空前絶後(くうぜんぜつご)」「それまでには例がなく、その後も例を見ない」という意味の 故事成語 。 現代的には「未だかつてなく、今後もまずありえない」という意味で使われることが多い。 「空前絶後」の「空前」は「前に 空 ( むな ) しく」でその前には例がないという意味、「絶後」は「後は絶えて」でその後も例を見ないという意味である(「絶対に後がない」という意味ではない)。ただし現代の日本ではこの成句を、「未曾有」「破天荒解」「前代未聞」などといった成語が表す「いまだかつてない」という意味をさらに強調して表現する際に使われることが多い(wikipedia)。
(出典)徽宗(きそう)が唐代の画家の呉道子(呉道玄)の絵画について言及したくだりで、「東晋の顧愷之(こがいし)の絵画はそれ以前には比べ得るものがなく、南朝梁の張僧繇(ちょうそうよう)の絵はそれ以後に比べ得るものがないというが、さて呉道子というはその二人の画才を兼ね備えたほど偉大な画家だ」と評した故事に基づく。
(例文)君の活躍は、空前絶後の偉業である。
かなり大げさな表現なので、余程うまく使わないと、人によっては「馬鹿にされた」といった誤解を招きかねない。

「空中楼閣」蜃気楼(しんきろう)のこと。転じて、根拠のないことがら。また、実際からかけ離れた空想的な物事。もとは、空中に現れた高殿の意。また、空中に築いた高殿の意。▽「楼閣」は高殿・高い建物。
蜃気楼とは何かというと、光の屈折によって物体が浮き上がったり逆さに見えたり、或いは遠くのものが近くに見える現象のこと。要するに、実際には見えなかったりする幻なので、それが転じて、根拠がない事や話などの喩えともなる。不確実なもの全般、根拠がない、怪しい、白昼夢、荒唐無稽、幻想等とも同じような意味合いで、実際に文章として使う場合は「空中楼閣を築く」「空中楼閣を夢見る」「空中楼閣に過ぎない」といった風になる(四字熟語のススメ)。 次回に続く。

2023.1.17 諺集に見るわが人生(152)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「苦髪楽爪(くがみらくづめ)」 苦労しているときは髪の伸びが早く,楽をしているときは爪の伸びが早いということ。「楽爪苦髪」地方によっては「苦爪楽髪」と真逆な四字熟語になっているのもあるという。
確かに自分の身に照らすと、楽をしているせいか、爪の伸びが早い。髪は薄くなり白髪が増えている。髪といえば、髭だがこれは直ぐ伸びる。毎日剃っても翌朝にはザラザラな感触がする。

「釘を刺す(くぎをさす)」トラブルが起きないよう相手に念を押すときに使用する言葉
(由来)日本の木造建築は、昔は釘を使わずに木材に切り込みを入れて組み合わせる工法であったが、江戸時代の中頃から、念のために釘を刺して木材を止めるようになった。そこから生まれた言葉。
今の大工仕事は殆ど釘打ち機を使って組み立てている。それでもなお、寺社の建築にはよい木材に切り込みを入れて組み立てる工法が引き継がれている。
社会人だった時、仕事の上で念押しで「相手に釘を刺しておいた」などという表現をした覚えがある。

「臭い物に蓋をする」都合の悪いことや、世間に知られたくない醜聞が、外部に漏れないように、一時しのぎの方法で隠すことのたとえ。 悪臭の漂うものに蓋をして、外気から遮断してしまえば、とりあえず嫌なにおいは鼻に付かない。 それに、一時の解決策にはなる。しかし、悪臭の元を絶たなければ 根本的な解決にはならない 。このことから転じて、根本的な原因を解決せずに、その場しのぎの状況をやり過ごすことや、人の目を誤魔化して安易に原因を隠すことを意味するようになった。『江戸いろはがるた』の『く』の一つ。
このことわざは誰でも知っているほど有名で、使われ方も多様だ。類義語で「お茶を濁す」があるが、そういう軽い表現として使う。
(例文)これからも政府や行政が臭い物に蓋をするやり方を続けていけば、日本に明るい未来はないだろう(故事ことわざ辞典)。 次回に続く。

2023.1.21 諺集に見るわが人生(153)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「草木も眠る丑三つ時」夜が更けて、すっかり静かになった真夜中のこと。「丑三つ時」は、昔の時刻で牛の刻を四分した三番目の時刻のことで、現在の午前二時から二時半頃。人だけでなく、草木までも眠って静まりかえった真夜中の意から。この時間は昔から幽霊や鬼などの怪異が出るとされてきた時間。
子どもの頃、よく怪談話を聞いたが、必ず幽霊が出るのは丑三つ時で、真昼間に出るものではなかった。肝試しというのがあって、友達にお寺の子があり、夜中にお墓には火の玉が舞う。これは人の魂がこの世から去る印だ、皆で夜中にお墓に入って見に行こうと話になったが、とても怖くて、入り込む勇気は私には無かったと記憶している。実際誰も墓に入るものはなかった。
今では怖いものはそれほどないが、夜中に墓地を散歩するのはお断りだ。

「腐っても鯛」「腐っても味が変わらない」や「腐っても食べることができる」ということを例えているわけではない。 「腐っても鯛」は、「状態が落ちてさえ価値が失われないほど素晴らしい価値のもの」を表す言葉。 鯛が腐ってさえも他の魚より価値があることから、褒め言葉として使う。
最近のことだが、夕餉の膳に「エボダイの干物」が出た。私は昔から肉派で魚は嫌いだった。それが最近は何でも食べる。魚は小骨が面倒だが、指で選り分けて食べてみた。流石鯛の一族脂がのっていて旨かった。好き嫌いしなければ腹は満腹する。

「草の根を分けても捜す」あらゆる方法を尽くしてすみずみまで捜す。草を分けて捜す。
(出典)御伽草子・花世の姫(室町時代物語集所収)(室町末)「山々の木のもと、くさのねをわけて、いたらぬところもなくたづねたまへども」
(例文)①犯人を草の根を分けてさがす覚悟だ。➁どこへ隠しても、草の根を分けてさがし出すよ。 次回に続く。

 

2023.1.24 諺集に見るわが人生(154)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「腐れ木は柱とならず」能力のない者はその地位を保つことができないというたとえで、腐った木は柱には使えないことから。「朽ち木は柱と成らず」ともいう。
( 出典)《「漢書」劉輔伝から》腐った木が柱にはならないように、いつ災いを招くかわからないから、品性の卑しい人を主人としてはいけない。
政治家などに最近富にこういう者が出てきており、職を追われている。正義を貫く気概に欠けるからだ。

「孔子の倒れ( くじのたおれ)」孔子のような賢人でも,失敗することがあるというたとえ。くじだおれ。「くじ」は、孔子(こうし)の呉音読み。
(例文)孔子の倒れというが、まさかあの天才が単純な計算ミスをするなんて。
(類語)河童の川流れ・弘法にも筆の誤り・猿も木から落ちる・上手の手から水が漏れる・竜馬りゅうめの躓つまずき・念者の不念
類語が多くあるように、名人・天才でも間違いは犯す。ましてや凡人においておや。

「櫛の歯を挽くが如し」くし【櫛】 の 歯(は)を挽(ひ)くが如(ごと)し
人の往来や物事などがひっきりなしに絶え間なく続くことのたとえ。櫛の歯は次々とひくようにしてけずり作るところからいう。
※太平記(「国々の早馬、鎌倉へ打ち重て、急を告ぐる事櫛(クシ)の歯(ハ)を引が如し」(コトバンク)。
新型コロナウィルスも目下下り坂にある。各地の盛り場にも人が戻り「櫛の歯を挽くが如し」の様相を呈している。

「九尺二間に戸が一枚」 間口が九尺、奥行き二間、入り口の戸が一枚だけというような、きわめて狭く粗末な家のたとえ。
戦後間もない頃には、雨後の筍のように、焼け跡にバラックが林立し、どの家もトタンで囲っただけの「九尺二間に戸が一枚」寝るのがやっと雨露を凌ぐ程度の大きさだった。 次回に続く。

2023.1.27 諺集に見るわが人生(155)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「楠の木分限(ぶげん)梅の木分限」生長は遅いが、着実に根を張り大木となる楠の木のように堅実な金持ちと、生長が早い梅の木のようなにわか成金のたとえ。「分限」は、「ぶんげん」とも読み、金持ちのこと。
このことわざが「楠の木」のような文言を優位に感じさせようとしているのなら、今の時代を反映していない。現代のIT時代では一夜にて巨万の富をつかむ者が続出しており、それは悪いことではない。MLBの大谷選手などは20代で100億円を超える契約を勝ち取っている。ようは才能と技量のあれば分限者になれる世になっているということだ。

「薬九層倍(くすりくそうばい)」暴利をむさぼるたとえ。薬の売値は原価よりはるかに高く、儲もうけが大きいこと。薬は売値が非常に高く、原価の九倍もするという意から。
(類義)「薬」の「く」と「九層倍」の「く」を掛けた語呂合わせ。同じ形で「ご」を合わせた「呉服五層倍」、「百」を合わせた「百姓百層倍」などがある。
余りにも有名なことわざで誰もがそう思っているようだが、リスクの大きな製品づくりだから、それほど暴利をむさぼっているとは言い切れない。

「薬にしたくも無い」望んでもそれらしい要素は少しも認められないこと。少量を服用する薬がその少量でさえない。ということから「ほとんどない、まったくない」というときに使う。
(使用例)あの人にはいたわりの心など「薬(くすり)にしたくもない」
モノが全くない「コロナ騒動でコンビニの特定の商品が棚から全く消えてしまった」時など。気持ちや行為などで「相手の言うことなどは全く無視する」ことが当てはまるだろう。
今ではほとんど使われなくなった。それは薬が余りに手に入り易くなり、医者も儲かるから処方箋を書く。薬局も運命共同体だから一緒に儲かる。「風が吹けば桶屋が儲かる」式システムができ上っている。とはいっても市販の風邪薬は底をついたようで、『女性自身』の記事によれば「日本では処方薬の約8割を後発薬(ジェネリック)が占めており、それらの欠品の余波が大きな混乱を生じさせているということだ」とある。 次回に続く。

 

2023.1.31 諺集に見るわが人生(156)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 
「薬も過ぎれば毒となる」薬には適量があって、これを無視して使いすぎるとかえって体に毒になる。どんなによいことでも度を過ごせば害になるというたとえ。
(類義)過ぎたるは猶及ばざるが如し
賭け事に夢中になる人は大抵大損をする。引き時が分からないからだ。

「薬より養生」病気になって薬に頼るより、普段から養生して健康を保つことが大事だということ。養生とは健康の増進を図ること。
養生とは私には散歩が必要なのだが、寒いので中々出かけられない。足の筋肉がおり太ももには幾筋ものしわが見られる。かなり悪い状態なのは分かるが、重い腰を上げるのは結構難しいことなのだ。

「管を巻く(くだをまく)」管(くだ)とは、糸を紡つむぐときに巻き付ける 小さな軸のこと。 この管に糸を巻き付ける時にでる音が「ブンブン」と単調な音のため、 酔っ払いがクドクドと愚痴をこぼしている様子をたとえることわざになった。
私は酒は飲めないが、酒宴ではよく人に絡んでく管を巻く奴がいる。

「口叩きの手足らず」話し上手だが仕事はできないということ。 しゃべることは達者で雄弁であるが、いざ仕事をさせると全くできない人を「彼は口叩きの手足らずだ」などと表現する。 「口八丁手八丁」はしゃべりも仕事も達者だが、「口叩きの手足らず」はしゃ「だけ達者なこと。
(類義)口上手の商い下手・口自慢の仕事下手。
(対義)物言わずの早細工
世間ではよく見かけるタイプである。

「口と財布は締めるが得」口と財布はきちっと締めておいたほうが得策だから、おしゃべりと浪費は慎めということ。
(語源)この財布の"紐"については、具体的なイメージを想像しにくいが、かつての財布は、布製の長財布を紐でぐるぐるに巻いて留めておく形状(これには小判が入っていました)をしていたり、巾着袋を紐で縛る形状(こちらには小銭が入っていました)をしていたことから「財布を締める」と言う言葉が生まれた。
私はおしゃべりはそれほどしないが、財布のひもは無いに等しい。 次回に続く。