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2023.11.2 諺集に見るわが人生(228)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「酒飲み本性違わず(さけのみほんしょうたがわず)」たとえ酒に酔っても、その人の本当の性格や性質は変わらない。
(説明)アルコールは、飲むと胃や腸からすぐに吸収され血液によって全身に行き渡り、主に中枢神経に作用して、脳の働き等を麻痺させます。脳の働きの中でも特に「自制・抑制心」や「理性・羞恥心」「遠慮」「計算能力」「記憶力」「運動能力」等に影響を及ぼすとされています。アルコールは普段「自制・抑制心」や「理性・羞恥心」によって、押さえ込んでいる場合は、いわばブレーキが外れた状態になって出てことになるので、その言動や行動はある意味、その人の本性であるといえるだろう(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)。

「酒は三献(こん)に限る」酒は適量を飲むのがいいということ。 「三献」は酒宴の礼法で、大・中・小の杯で酒を三杯勧めることを一献といい、それを三回繰り返した三献がほどよい量ということから。
▷「三献」正式の饗宴(きようえん)で、酒肴(しゆこう)を出して酒を三杯飲ませることを三回繰り返し、九杯の酒をすすめる礼法。結婚式の「三三九度」の杯もこれによる。
私は酔っ払いは嫌いだ。泥酔による犯罪も増えている。酒飲みが皆この礼法を守れば世の中はより住みやすくなる。

「酒は百薬の長」酒は百薬の長とは、適量の酒はどんな良薬よりも効果があると、酒を賛美した言葉。
(注釈・由来)酒は緊張をほぐしたり気分を良くしたりするので、適度に飲む酒は薬にも勝るということ。
漢を簒奪した王莽が酒を称えて言った言葉に由来し、『漢書・食貨志下』には「夫れ塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会の好、鉄は田農の本」とある。
『徒然草』では「百薬の長とはいへど、よろづの病はさけよりこそおれ」と、否定的な表現で用いられている。
高齢者は適度な飲酒を守ることで、生活習慣病などの病気のリスクを防ぎ、寝たきりの生活なども防ぐことができる。一方で、最近では高齢化に伴い、高齢者のアルコール依存症も増えている。原因は退職後の生きがいの喪失や配偶者や友人などの別れからによる寂しさからともいわれている。さらに高齢者になると、アルコールの代謝機能も低下するため、、高齢者の適量は1日純アルコール20g以下と指摘されている。 次回に続く。

 


2023.11.8 諺集に見るわが人生(229)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「雑魚の魚交じり(ざこのととまじり)」つまらない小魚が、大きな魚の中に交じっていることから、能力や地位が低い者が場違いに交じっていることをいう。 小物が大物の仲間入りをしていること。
(注釈)「雑魚」とは、小さい魚、つまらない魚のこと。「魚(とと)」は、ここでは大きな魚の意。
(類義)ごまめの魚交じり。ちりめんじゃこも魚交じり。海老雑魚の魚交じり。海老の鯛交じり。
(例文)あの研究チームで彼がリーダーをつとめるなんて、雑魚の魚交じりもいいところだよ。
小学校の高学年のクラスではこういう現象がみられる。

「囁き千里(ささやきせんり)」内緒話は漏れやすく、すぐに遠くまで伝わってしまうということ。
小声でひそひそ話したことが、またたく間に遠く千里も離れた所にまで伝わるとの意から。
出典『淮南子』「耳に附すの言(耳に口寄せたひそひそ話)は、千里に聞こよゆ」とある。
(類義)囁き八町。こそこそ三里。口より出せば世間。壁に耳あり障子に目あり。内緒話は江戸まで聞こえる。
(例文)囁き声で話しても、囁き千里といい内緒話はすごいはやさで広まる。
SNSの世界内緒の話は日本中にまで広がるということなのか。

「坐して食らえば山も空し(ざしてくらえばやまもむなし)」怠け者を責めるときに使われる言葉で、ただ座って、何もしないで食っていたら、山ほどあるものでもなくなってしまう。 働かないで遊んで暮らせば、どんなに大きな財産があっても、遂には一銭も残らなくなるたとえ。 「居て食らえば山も空し」「居食いすれば山も空し」ともいう。
(例文)座して食らえば山も空しといってもこの年齢ではどこも雇ってくれないのが現実である。
働く場所がAIにとって代わる世の中だから。高齢者が貯蓄に走るのはこうした現状がある。
次回に続く。

 

2023.11.11 諺集に見るわが人生(230)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「坐して食らえば山も空し(ざしてくらえばやまもむなし)」 このことわざの意味 怠け者を責めるときに使われる言葉で、ただ座って、何もしないで食っていたら、山ほどあるものでもなくなってしまう。 働かないで遊んで暮らせば、どんなに大きな財産があっても、遂には一銭も残らなくなるたとえ。 「居て食らえば山も空し」「居食いすれば山も空し」ともいう。
(例文)座して食らえば山も空しといってもこの年齢ではどこも雇ってくれないのが現実です。
人は食うために働かなければならない。ところがAIの急速な発展は、職場を奪い人は失職する。

 

「砂上の楼閣(さじょうのろうかく)」砂上の楼閣とは、一見すると立派に見えるが、基礎がもろくて長く維持できないもののたとえ。また、実現不可能なことのたとえ。
「砂上の楼閣」の由来は、聖書だといわれている。新約聖書の「マタイによる福音書」によると、山上でイエスは以下のように説教したと記載されている。
「わたしの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人のようである。雨が降って川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどいありさまである。」
(類語)「砂上の楼閣」と似た意味を持つ言葉はいくつもあるが、ここでは代表的な3つの言葉とその意味を紹介したい。
「空中楼閣(くうちゅうろうかく)」砂上の楼閣の類似表現の一つ。空中に楼閣を立てるのは不可能であることから、「実現できないような架空の出来事」を意味する言葉だ。また、空中楼閣には「根拠がなく現実からかけ離れた考え方や議論」という意味もある。
「机上の空論(きじょうのくうろん)」「頭の中だけで考えた、現実的ではない考え方や議論」を意味する言葉として有名だ。基礎がしっかりしていないことや見掛け倒しであるといった意味を含む「砂上の楼閣」とは少しニュアンスが異なるものの、よく似ている表現の一つとして挙げられる。
「海市蜃楼(かいししんろう)」という言葉も、砂上の楼閣の類語として挙げられる。「海市」と「蜃楼」はともに、「蜃気楼(しんきろう)」を表す言葉。蜃気楼とは、大気の温度差によって光の異常屈折が起こり、周りの景色が実際とは異なって見える自然現象のこと。転じて、「海市蜃楼」は実態や根拠がなく、現実的ではない考えの例えとして使われる。 次回に続く。

 

2023.11.16 諺集に見るわが人生(231)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「匙を投げるさじをなげる」物事をあきらめる、という意味の慣用句。
ここでの「匙」は、昔、薬を調合するために医者が使っていた道具。
それを「投げる」というのは、あれこれ手を尽くしても治る見込みがないので、医者が患者を見放して薬の調合や投薬をやめることを表している。
そこから転じて、これ以上やっても見込みがないので、その物事を途中であきらめるという意味で使われるようになった。
(使用例)蓋を開けようとしたがなかなか開かず、とうとう匙を投げた。
(類義)手を引く(てをひく)・見切りを付ける(みきりをつける)

 

「左遷(させん)」昔、中国で、右を尊び左を卑しんだところから) 朝廷の内官から外官にさげること。また、一般に、それまでよりも低い官職、地位におとすこと。中央から地方に移すこと。
(使用例)嫌われているから左遷で飛ばされたのでは
「左遷」と「更迭」と「降格」の違い
「左遷」転勤を伴い、今の地位や役職から低い地位や役職に下げることで、仕事で大きなミスをしたり、不祥事を起こしたりして、会社や組織に多大な迷惑をかけたり、リストラの対象となった時などに、地位や役職を下げらて転勤させること。
「更迭(こうてつ)」ある地位や役目の人を、他の人に代えることで、ある役職の人を降ろして別の役職にして、その役職を他の人にすること。
「更」は「さら」とも読み「新しいもものと入れかわる」という意味、「迭」は「抜けて他のものとかわる」という意味、「更迭」で「抜けて他の新しいものと入れかわること」になる。
「降格(こうかく)」地位や階級などを下げることで、組織や会社でミスや不祥事をした時などに、地位や階級、給与などを下げること。
「左遷」と意味が似ていまるが「降格」の場合は転勤を伴わない場合もある。
「降」は「おりる」とも読み「下げる」という意味、「格」は「かっちりはめこまれた一定の枠」「規則・基準・地位・等級など」という意味、「降格」で「地位や等級などを下げること」になる。 次回に続く。

 

2023.11.19 諺集に見るわが人生(232)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「沙汰の限りに非ず(さたのかぎりにあらず)」常識外れで、道理にあうかどうかを論ずる範囲を超えていることで、論外、話にならないこと。 もってのほかの意味。
(類義)沙汰に及ばぬ。沙汰の外
(使用例)理非・善悪の問題となる範囲。「是をだに心得ざらんは沙汰の限りにあらず」〈正徹物語・上〉
結構こういう事象を議論する時に「沙汰止み」などとして使われている。

 

「左袒(さたん)」「袒」は着物をはだぬぎにする意) 左の肩をはだぬぎにすること。
中国、前漢の功臣周勃(しゅうぼつ)が呂氏(りょし)を討とうとした時、呂氏につく者は右袒せよ、劉氏(りゅうし)につく者は左袒せよといったところ、軍中すべて左袒したという「史記‐呂后本紀」の故事から。味方すること。同意して肩をもつこと。賛成すること。
あまり使わないことわざだが、こういう事象はよくあることだ。
(由来)「左袒」は、前漢の歴史書である「史記」-呂后紀にある故事から成立した言葉。
紀元前2世紀、前漢王朝を樹立した高祖・劉邦の死後、皇后の呂氏の一族が実権を握ろうと行動を始めていた。
この時、劉氏を守ろうと「周勃」という武将をはじめ、何人かの人物が行動を起こした。
周勃は呂后が亡くなったのをきっかけに、軍隊の指揮権を掌握することに成功する。
その際、兵士たちに向かって「呂氏の為にする者は右袒せよ、劉氏の為にする者は左袒せよ」と呼びかけた。
自分の意見に賛同し、劉氏に味方する者は左の肩を肌脱ぎにせよと呼びかけたわけだ。
その時、兵士全員が躊躇することなく「左袒」した。
周勃の活躍もあって呂氏一族は滅ぼされ、前漢王朝は存続することができた。
洋服の時代「もろ肌脱ぎ」イメージできないかもしれないが、議会などでは手をあげて賛否を問うところなどはやっていることは同じだ。次回に続く。

 

2023.11.23 諺集に見るわが人生(233)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「五月の鯉の吹き流し(さつきのこいのふきながし)」「吹き流し」は鯉のぼりのことを指しており、鯉のぼりの中は空洞で風が吹き抜けることから口が悪くても中身はさっぱりしていてわだかまりのないことを表す。またそこから転じて口先だけで胆力のないことを表現するときにも用いられることわざ。
(語源・由来)「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたは無し」という川柳から出た言葉で、口は悪いが悪気など全くなく、単純で淡白な気質をいったもの。
(使い方)彼はいつも威勢よく意見を述べるが五月の鯉の吹き流しで気持ちが弱いためいざというとき頼りにならない。
私はどちらかと言うと引っ込み思案の方なので、このことわざにあるような人に羨望する気持ちがある。

 

「鯖を読む(さばをよむ)」は数字をごまかす意味として江戸時代から使われている語。
その語源は、サバは傷みやすい魚で、数も多かったため早口で数えられ、実際の数と合わないことから、いい加減に数を数えることを「サバを読む」と言うようになり、数や歳をごまかす意味に転じたとする説が定説となっている。
その他、サバを読むの語源には、小魚を早口で数えることをいう「魚市読み(いさばよみ)」から転じたとする説。
魚のサバの語源には、数の多いことを意味する「さは」から転じたとする説があることから、「サバを読む」も同源とする説がある。
(類語)ごまかす/ちょろまかす/詐称する/でたらめを言う/嘘をつく/目をくらます/水増しする/上げ底する
(例文)お母さんは年齢をきかれると、本当は四十歳なのに、三十五歳だと鯖を読んだ。
今国会が開かれているが、予算と支出が大きく食い違い、支出が大きく予算を上回っている事例が多い。予算は「鯖を読んで」高めに設定しておけば、後になって整合されることになるのではないか、積算根拠が難しくて実際よりはるかに低い予算になっているのではないか。 次回に続く。

 

2023.11.26 諺集に見るわが人生(234)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「寒さ小便ひだるさ欠伸(さむさしょうべんひだるさあくび)」寒さ小便ひだるさ欠伸
寒いときにはなぜかトイレが近くなって、お腹が空くとなんども欠伸が出てしまうことを言う。
つまり、冷えてくると「あれ?トイレ行きたい!」って思うことが多くなったり、お腹がすいてくると「うあ~」って欠伸をしちゃうことを表してる。
「ひだるい」っていうのは、お腹がすご~く空いて、元気がなくなっちゃうことを意味してる。だから、「ひだるさ欠伸寒さ小便」と言っても同じ意味。
簡単に言うと、体が寒いとトイレに行きたくなり、お腹がすくと欠伸をしたくなるっていう自然な反応を表してる。
(例文)寒いと寒さ小便ひだるさ欠伸で頻尿になるので、防寒対策をしっかりする。
私などは普段から頻尿だから、寒くなるとさらに多くトイレに行くことになり、嫌になる。欠伸は眠たい時だけだ。

 

「左右を顧みて他を言う(さゆうをかえりみてたをいう)」直面している問題や状況から目を逸らして、関係のない他のことを話すことを意味している。要するに、問題を直接対処するのではなく、それを避けて別の話題に移ることを指していること。
返答に困って、側近とまったく関係のない話をしてごまかしてしまう意から。
(故事)中国戦国時代、孟子が斉の斉王に次々と問いかけ、最後に「四境の内治まらずんば則ち如何にすべき(一国の君主として国内がよく収まらない時はどうなさいますか)と言ったところ、王ははたと返事に困り、聞こえないふりをして、側の家来と別の話をしてごまかしてしまったという故事による。
(例文)返答に困ると左右を顧みて他を言うけど、正直、こっちに話を振られてもと思う。
確かに話を振られたら返答に窮することだろう。
(脚注)斉王(せいおう)は、中国における諸侯王、あるいは地方政権の君主の王号。斉は今日の山東省に相当する。 次回に続く。

 

2023.11.30 諺集に見るわが人生(235)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「猿知恵(さるぢえ)」一見気が利いているようでも、生意気で思慮の足らない知識のことをいう。サルは動物の中で特に知能が高いと考えられるが、人間のレベルには全く届かない、という判断がその元にある。
(補説)「猿知恵牛根性」は、利口のようで間が抜けている猿知恵と、鈍重だがこつこつと努力する牛の性質ということで、両者が全く正反対であることをいうことば。
(例文)君の考えることはいつも浅くて、猿知恵で使えないんだよ。
いくら知恵を絞っても所詮猿知恵にしかならないのは残念なことだ。

「猿も木から落ちるさるもきからおちる)」木登りに長けた猿であっても、時には木から落ちるということから、達人と呼ばれるような者であっても、失敗することがあるということ。 言い換えれば、初心者や経験が浅い人がミスをするのは当然だが、そうでない優秀な人でも間違えることがあるということを表している。
(類義語)河童の川流れ/弘法にも筆の誤り/釈迦にも経の読み違い/文殊も知恵のこぼれ/上手の手から水が漏れる。
(例文)体育の先生が跳び箱のお手本を見せているときに、手がすべって怪我をした。猿も木から落ちるだね。
藤井聡太(21)八冠でも無敗ではない。とんだ悪手を打ってどんでん返しで負けることがある。まさに「猿も木から落ちる」を地で行くことを見るようだ。

「去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)」親しい者でも顔を合わせなくなるとだんだんと疎遠になっていくことの例えです。 つまり、離れ離れになれば日を追うごとに忘れていくものだということを言ったことわざとなります。 事実、親交があっても交流の機会が減れば親しさも自然と薄れてしまうものなのではないでしょうか。 それら人間関係の儚さを指した言葉。
(出典)『文選・古詩十九首』に「去る者は日に以て疎く、来たる者は日に以て親し(別れた者とは日増しに疎くなり、こちらへ近づいてくる者とは日増しに親しくなるものだ)」とある。
私もこの歳になると毎年親しい友人がこの世を去り、生きている人とも対面の交流がなくなり、疎遠になっていく、その内音信も途絶え生死さえ分からなくなる。 次回に続く。