2023.4.18 諺集に見るわが人生(176)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」えんじょうしから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「袈裟(けさ)と衣(ころも)は心に着よ」 袈裟も衣も、ただ身に着けているだけではだめで、心にしっかりとした覚悟を持ってこそ、正しい仏道信仰といえる。
(脚注)米沢本沙石集(1283)七「法師の形として袈裟衣(ケサコロモ)をきながら、此悪行を企つる事返々(かへすがへす)不思議也とて」
法事などでお寺に行くと、住職が袈裟をつけて経をあげる姿はみるが、経をを聞く側は殆ど袈裟を着ているのは見ない。
住職(和尚・坊さん)は仏の道を説くが、本当に覚悟をもって信仰に打ち込んでいるのかは外見では分からない。中には「生臭坊主」もいるかも知れない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざもある。
「下種の後知恵」愚かな者は必要なときに良い考えが浮かばずに、事が終わってから良い考えが思いつくものだということ。
下衆/下司とも(心根の卑しいこと。下劣なこと。また、そのようなさまやその人)。下司(げし)とは身分の低い役人。特に、中世、荘園の現地で実務を行った荘官のこと。京都にいる荘官の上司に対していう。げす。
私なども事が終わった後で、あの時はこうすればよかったなどと後悔したこと数多く、下司の一員だったと言えよう。
「下衆の勘繰り」・下劣な者、心の 卑しい 者ほど気をまわして邪推する・性格が悪い嫌らしい者は、 僻(ひが)みっぽく余計な邪心を巡らせる・「下種の勘繰り」「下司の勘繰り」とも書き同義。
性格悪い者が余計な事をしてきたり悪意から疑ってくる事。素直に取れば良い事でも、下衆な人は疑ってかかるので、結局は悪いと推量するの。それが僻みや妬みによるものが大きいので、そんな人は"下衆"という扱いになる。よって、「下衆の勘繰り」とは「上から目線」の悪口や陰口めいた言葉でもあり、言われた当人は面白くないどころか腹立たしく感じる。 次回に続く。
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