2024.12.2 諺集に見るわが人生(320)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)」恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。
(出典)『詩経』小雅(しょうが)小旻(しょうびん)「・・・・ 戦戦兢兢として、深き淵に臨むが如く、薄き氷を履むが如し」
ここでは、断崖の先に深い淵があるときには落ちないように注意し、薄氷の上では氷が割れないように慎重に歩きなさいということを説いている。
この一節から、「戦戦兢兢」という言葉は「恐れながらも、しっかりと用心する」ことを表す言葉として広まったのです。
(例文)先ほど地震警報があった。今、私たちの家族はみんな戦戦兢兢としている。
私が幼少の頃大きな戦争があり、空をB29の編隊が通過し、爆弾を落とすことがあり、警戒警報がなると「戦戦兢兢」としたものだ。
「栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし))」栴檀は、白檀のことをいう。
白檀は香木であり、双葉のころから非常によい芳香を放つことから、すぐれた人物は幼少時代から他を逸したものを持っていることを「栴檀(せんだんは双葉より芳し」というようになった。
「柄檀は二葉より芳し」とも書く。また、「芳し」は 「こうばし」とも読む。
『上方いろはかるた』の一つ。
(類義語)梅檀は双葉より薫じ梅花は蕾めるに香あり/双葉より芳し/梅花は苔めるに香あり/梅は蕾より香あり/実の生る木は花から知れる/松は寸にして棟梁の機あり/良竹は生い出るより直ぐなり/啄木鳥の子は卵から頷く/鸞鳳は卵のうちよりその声衆鳥に勝る/頻伽羅は卵の中にありて声衆鳥に勝る/蛇は寸にして人を呑む/虎豹の駒は食牛の気あり
(由来)平家物語の一節に、「栴檀は二葉(ふたば)より芳(かんば)しとこそ見えたれ」
(例文)柄檀は双葉より芳しというのは本当で、彼は小学生の頃から神童として有名だった。
政治家の中には、東大を出て財務省に入り、ハーバード大学で博士号を取る御仁がいるが、こういう人は子どもの頃から抜きん出た才能を示していたことだろう。 次回に続く。
2024.12.7 諺集に見るわが人生(321)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「船頭多くして船山に上る」船頭多くして船山に上るとは、指図する人が多くて方針の統一がはかれず、物事がとんでもない方向にそれてしまうことのたとえ。
(注釈)船頭とは、和船の船長のこと。—艘の船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく退ばないことをいう。
(例文)•船頭多くして船山に上るというもので、指示通りに動ける人がいなければ収拾がつかなくなる。
ベイスターズの日本一を確定した三浦監督は船頭に例えれば、チームに一人の名監督だ。
「先入主(せんにゅうしゅ)となる」先に記憶したものが自分の考えの中心になり、あとから入ってくる事柄は、なかなか受け付けないことをいい、固定観念を打ち破ることの困難にたとえる。
(語源)前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるという意から。この語から「先入観や」「先入主」という語が出来た。
(出典)『漢書』「先入の語を以って主と為(な)す無かれ」とある
(例文)年をとると、どうしても経験が先入主となり、若い人の考え方につはついていけなくなる。
運転していた頃は先入観にとらわれて行き先を見失うことが多々あった。何しろ麦も左も分からなくなるほどの方向音痴だから。
「善人なおもて往生を遂ぐ(おうじょうをとぐ)、況(いわ)んや悪人をや」「善人でさえ往生できる。ましてや悪人なら尚更だ」という普通の考え方とは真逆の言葉なため、一度聞いたらなかなか忘れられない言葉で、普通なら「悪人なおもって往生を遂ぐ いわんや善人をや」となりそうなものなのに、どうして「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と言われているのだろうか。
(出典)親鸞聖人「歎異抄の一文」「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」しかるを世の人つねにいわく「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」ここでのポイントは、往生を果たすことが善悪の行為に依存しているのではなく、阿弥陀如来の他力によるものだという浄土真宗の教えに基づいている。 次回に続く。
2024.12.10 諺集に見るわが人生(322)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「千人の千年、蜻蛉の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)」寿命が長い仙人と短い蜻蛉では、長短の差があってもどちらも同,一生も、その期間の差が大きいということ。
このことわざは、生命の長さには個々に大きな差があるが、それぞれの生命が持つ価値は等しいという考え方を示している。仙人が千年生きることと、蜻蛉が一日しか生きないことには大きな違い臂あるが、それぞれの生命はそれぞれに意味があり、一生は一生として尊いということなのである。「蜉蝣」とも書く。
(使い方)寿命に大差があり、仙人の千年、蜻蛉の一時だが、天から与えられた時を大事に過ごすべきだ。
(物語)昔々、山奥に住む仙人と、川辺に住む蜉蝣がいました。仙人は千年の長い人生を楽しんでおり、毎日ゆっくりと風景を見ながら、四季折々の美しさを楽しんでいました。一方、蜉蝣は一瞬の命を持つものの、毎日一生懸命に楽しいことを見つけて生きていました。ある日、仙人と蜉蝣は偶然出会いました。
「あなたは長生きで、時間がたっぷりあるね」と蜉蝣が言いました。「私には一瞬の命しかないけど、その少ない時間の中でも最大限楽しんでいるよ!」仙人はにっこり笑い、「確かに、君の生き方は素晴らしい。一緒に楽しいことをしましょう!」と言いました。二人は意気投合し、すぐに森を歩き回ることにしました。
森の中を歩きながら、蜉蝣は「僕は急いで花を探して、最も美しい花を見つけたいんだ!」と叫び、まるで風のように飛び回りました。仙人はそれを見て、「君のスピードに驚くよ。でも、花を求める気持ちを楽しむことも大切なんだ」と優しく言いました。蜉蝣は笑いながら、「でも、僕には時間がないから、急がなきゃ!」と応えました。
結局、二人は素晴らしい景色を見つけ、美しい花を摘むことができました。蜉蝣は一瞬の命の中で喜びいっぱいに、仙人は悠久の時間の中で感動していました。その日、彼らは互いの生き方から学び合い、長さと短さの違いはあれど、共に楽しむことが大切だと実感したのでした。蜉蝣はすぐに飛び立ち、仙人は長い年月をかけてその思い出を大切にしました。この出会いが、彼らにとって永遠の宝物となったのです。(新解釈物語より) 次回に続く。
2024.12.19 諺集に見るわが人生(323)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「善敗己に由る(ぜんぱいおのれによる))」成功と失敗は己による。事の成否は自分の責任であることを言った言葉。
(出典)八重樫のHPより『春秋左氏傳』僖公二十年。
君子曰
君子曰く、
君子が言いました
隋之見伐、
隋(ズイ)の伐(う)た見(る)るや、
隋が伐たれたのは
不量力也。
力を量(はか)らざればなり。
自分の力を考えなかったからである。
量力而動、
力を量りて動けば、
自分の力を考えて行動すれば
其過鮮矣。
其の過ちは鮮(すく)なし。
過ちはすくなかっただろう。
善敗由己、而人由乎哉。
善敗は己に由る、人に由らんや。
成功と失敗は己によるのであり、人によるのではない。
(例文)人生は善敗己に由るというように自己責任で、誰のせいにもできない。
「善は急げ」良いと思ったことは、ためらったり躊躇したりせずに、すぐに急いで実行するべきだということ。
(例文)提出期限は3日後だが、善は急げというので今日提出しておこう。
(類義語)思い立ったが吉日「何かをする決心をしたら、その日のうちに取りかかるべき」という意味のことわざ。
鉄は熱いうちに打て「絶好のタイミングを逃してはいけない」という意味のことわざ。
「先鞭(せんべん)をつける」他に先んじて着手する。他の人より先に始める。
(由来)中国の晋(しん)の時代、劉こん(りゅうこん)と祖逖(そてき)は友人の間柄であったが、劉こんはさきに祖逖が手柄を立てることを恐れ、「いつ自分より先に祖逖が馬に鞭を入れるのではないかと、戦々恐々としている」と知人に手紙を出したという故事による。
(例文)彼のリーダーシップが、新製品の開発にに先鞭をつけた。 次回に続く。
2024.12.23 諺集に見るわが人生(324最終回)
諺集最終回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「千万人と雖(いえど)も我往かん」自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。
(出典) 『孟子』に出てくる言葉で、原文は「自反而縮雖千万人吾往矣」「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。」
(例文)千万人と雖も吾往かん、自分が信じる道ならば、誰にも恥じることは無い。
平凡な人間にはとても出来るような話ではない。
「千三つ」千のうち本当のことは三つしか言わない意から、うそっき、ほらふき。千に三つくらいしか取引がまとまらない意から、土地や家屋の売買や貸金の斡旋を職業とする人のこと。
(由来)不動産取引を取り締まる「宅地建物取引業法」が制定されたのは第二次世界大戦後間もない1952年(昭和27年)のこと。それ以前は法の縛りがなかったため、多くの地主が悪徳業者の口車に乗せられて、条件の悪い契約書に判を押してしまったり、土地の権利書をだまし取られるといったトラブルに苛まれていたことから、そうした悪徳業者を千三つと呼んだ。
(例文)新商品販売ラッシュだが、この中で生き残るのは千三つだ。
今の世の中はインターネットを使ったSNSなどで人を集め強盗させるという、より悪質な犯罪が横行している。
「千里同風」世の中がよく治まっていて平和であること。逆に世の中全体が混乱していることをいうときもある。▽「千里」は遠く離れた地域。「同風」は同じ風が国土の隅々まで行き渡っている意味。「風」は風俗・教化の意。
(類義語)万里同風(ばんりどうふう)天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。
「万里」ははるか遠くまでということ。
「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。
「万里(ばんり)風(ふう)を同じうす」とも読む。
(出典)『論衡(ろんこう)』雷虚(らいきょ)夫れ千里風を同じくせず、百里雷(らい)をを共にせず(太平でない世は、そもそも千里にわたって同じ風は吹かず百里にわたって同じ雷は鳴らない)
(例文)この町の人は、誰に対してもとても親切で千里同風である。
諺集の最後に当り、日本がこのように平和がつ続くことを祈る。