2024.6.3 諺集に見るわが人生(276)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「順境は友を作り逆境は友を試す」生活が順調なときは、多くの友人が出来るが、その友人が真の友人かどうかは、生活が苦しい時にわかるもので、逆境の時でも変わりなくつきあう友が、真の友人であること。
(解説)たとえば、成功している時にはたくさんの人が友達になりたがるけれど、何か問題が起きた時にそばに残ってくれる人は少ないかもしれないね。
(例文)順境は友を作り、逆境は友を試すというが、落ち目になってから友人が減った。
松下幸之助の名言
逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。素直さを失った時、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む
・苦楽を共にした友達が、老いには勝てづに去っていくのはとても寂しいことだ。
「春秋に富む」年齢が若いこと。また、前途洋洋として将来が長いこと。「春秋」は、ここでは年齢をいう。この言葉は、文字通りには「春」と「秋」、つまり年月を表しているが、ここでは人の若さや人生の長さを指している。
(解説)たとえば、学校で勉強している若い学生や、キャリアを始めたばかりの若手社員が「春秋に富む」と言われることがある。これは、彼らが若く、人生の多くの機会や可能性をまだ前に持っていることを示している。
(例文)春秋に富んだ子供たちを見ていると、時々無性にうらやましく思うことがあるが、私も年をとったものだなあ。
(出典)『史記』斉悼恵王世家
・人は誰でもそういう時代がある。終わって見れば、大半が平凡な生活を過ごしている。
「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」春宵一刻値千金とは、春の宵は趣深く、そのひとときの時間は千金にも値するということ。
(注釈)「一刻」はわずかな時間の意味で、昔の一時の4分の1、約30分。「千金」は千両・大金の意味。
(由来)蘇勤の詩 『春夜』に「春宵一刻直千金、花に清香有り月に陰有り、歌管楼台声細細、軟曜院落夜沈沈 (春の夜の趣には千金の値打ちがある。花は清らかな香りを放ち、月はおぼろに霞んでいる。夜になるとそれまで高殿で歌や音楽に興じていた人々の声も静まっていき、中庭のブランコに戯れる人もなく垂れて、夜はしんしんとふけていく)」とある。
華やいだ後の静寂が、春宵の価値を高めていると言える。
(例文)春宵一刻値千金の季節を存分に楽しみたい。
次回に続く。
2024.6.6 諺集に見るわが人生(277)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」春の風が、のどかに優しく吹いているさま。転じて、何事もなく平穏であること、また、温厚でのんびりした性格や態度のこと。
(由来)六朝(りくちょう)の謝兆((しゃちょう)(五世紀の詩人))に、「春物方(しゅんぶつまさ)に駘蕩たり」という句があるのが、もとの出どころだろう。これは春の景色がのどかなことを詠(うた)う。「駘」の原義は、のろい馬、「蕩」は、広く流れる水の意だが、「駘蕩」と連ねて「広く大きい―のどか」の意となる。タイタウ(トウ)と音がそろう。
(類語)颯颯・嫋嫋・晴朗・晴れやか・晴れ晴れ・うららか・うらうら・のどか・好天・晴天
(使用例)人を紹介する場合などに、「彼は成績抜群な秀才であります。だからといって、秀才にありがちな青くさい嫌みなどまったくない円満そのものの人物です。まさに春風駘蕩たる人物といってよろしいかと思います」と使ったりする。
「順風満帆(じゅんぷうまんぱん)」順風を帆いっぱいに受けて舟が快く進むこと。転じて,物事が順調に進行すること。
(補説)この語の場合、「帆」を「ほ」とは読まない。
(由来)「順風満帆」は、船の進行が由来している。「順風」は「船の進行方向に向けて吹く風」を意味し、「満帆」は「船の帆にたくさんの風を受けること」を意味する。船の動力となる風が、進行方向に向けてたくさん吹いていることから、「順調に旅を続けられる」という意味で「順風満帆」が使用されていた。
(使用例)彼の新しいビジネスも順風満帆にスタートした。
(類義語)・一路順風(いちろじゅんぷう)・一路平安(いちろへいあん)・上昇気流(じょうしょうきりゅう)
(対義)波瀾万丈(はらんばんじょう)
人生振り返ってみると、順風満帆とは言えないが、波瀾万丈と言うほどでもない平凡なものだった。 次回に続く。
2024.6.11 諺集に見るわが人生(278)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「春眠暁を覚えず(しゅんみんあkつきをおぼえず)」続き全文で示す、漢詩 『春暁』春眠暁を覚えず・・・の作者は、中国、盛唐の代表的な詩人、孟浩然 (もうこうねん•もうこうぜん)。
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落ちること知る多少
春の暁は気候も暖かく、心地よい眠りに夜が明けたのも知らず、寝すごしてしまった。
ふと眼をさませば、あちこちで小鳥の啼く声がきこえる。
そういえば、昨夜は風雨の音がはげしかった。
あの嵐で、庭の花はさぞたくさん散ったことだろう。
語句の意味
・ 春暁・・・春の夜明け方
・覚えず・・・気づかない
・処処・・・あちらこちらで
・ 啼鳥(ていちょう)・・・鳥のさえずり、鳥の鳴き声
・夜来・・・夜以 降(昨夜という説もある)
・多少・・・どのくらい多く、さぞたくさん
(類語)俳句の季語に、「朝寝」と言う言葉がありる。これは、「春眠暁を覚えず」の「春眠」から派生したとされる言葉で、心地よい、春の朝のうつらうつらする気分、朝遅くまで寝ていることを表現している。
私は年中眠い。歳のせいだろうか。
「小異を捨てて大同につく」「大同小異」から派生した言葉で「意見の多少の違いは無視して、大勢の支持する意見に従うことをいう」この言葉は、末広鉄腸と雪中梅の二つのことわざから成り立っている。1この言葉は、野党が反対することが多いときに使われることがある。
「小異」はわずかに違うこと。「大同」は多くの人がまとまること。このことから、意見の多少の違いは無視して、大勢の支持する意見に従うこと。また、小さな違いがあったとしても、基本的なことが一致していればよしとすること。「小異を捨てて大同を取る」ともいう。
(類義語「大同小異)荘子・天下の大同にして、小同と異なる、此を之れ小同異と謂ふ。「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異」。意味は「世の中には大同にして小同と異なるものがあり、これを小同異という。これに反して万物ことごとく同じく、ことごとく異なるものがあってこれを大同異という」ということ。
(例文)小異を捨てて大同に就くつもりがなければ、この議論はいつまで経っても答えが出ない。
(大同小異の例文)スマホなんてどこのメーカーだって大同小異でしょう。 次回に続く。
2024.6.16 諺集に見るわが人生(279)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「葉公の竜」上辺だけもっともらしく見え実際はそうでもないこと。似て非なる物のこと。
(由来)葉公は竜について非常に興味を持っていたとされ、彼の居室は竜の絵や彫刻で飾られていた。しかし、実際に竜が彼の前に現れたとき、葉公は恐怖のあまり逃げ出してしまったという話がある。この話は、外見や理論上の興味と実際の事態が異なることを示している。
(補説)「竜」と「龍」の漢字の違い
常用漢字の「竜」は「龍」の省略体
「竜」は西洋(ヨーロッパ、アメリカ)の神話における空想の生き物。
「龍」は東洋(アジア)の神獣・霊獣であり、姿は少し蛇に似た生き物。
(使用例)政治家のことばって上辺だけで葉公の竜だね。
あまり知られていないことわざだが、使ってみるのも面白い。
「上戸の手弱(じょうごのてよわ)」酒が好きな人は、普段は真面目で融通が利かない人でも酒を飲むと物分かりがよくなるということ。人の弱点や好みが、彼らをコントロールしやすくすることを教えている。
(例文)普段は頑固者だが、上戸の手弱だから契約交渉は簡単だろう。
酒を飲ますと善きにつけ悪しきにつき、こう言ったタイプの酒飲みは多い。
「正直の頭(こうべ)に神宿る」正直の頭に神宿るとは、正直な人には必ず神のご加護がある。
(由来)神様は誠実な心をもって正直に生きる者を見守っており、必ずそのご加護があるという意味で、正直の大切さの教え。
(例文)正直の頭に神宿るもので、彼は欲のない人だが、成功することができた。
(類義語)正直者に神宿る/神は正直の頭に宿る/神明は正直の頭に宿る/言直は一生の宝/正直は最良の策である/正直は一旦の依怙あらざれどもついに月日の憐れみを被る。
よく目にすることわざで神様を信じている人にはうれしいことわざだ。 次回に続く。
2024.6.20 諺集に見るわが人生(280)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「正直の頭(こうべ)に神宿る」正直者には必ず神のご加護があるという意味を持つううが、これは「正直に生きていれば、必ず良いことがある」というたとえでもある。 神様は、誠実な心を持って正直に生きている者を常日頃から見守っていて、かならずそのご加護がある、という正直の大切さを表している。
(例文)正直の頭に神宿るもので、彼は欲のない人だが、成功することができた。
(類義語)正直者に神宿る/神は正直の頭に宿る/神明は正直の頭に宿る/誠は宝の集まりどころ・正直は一生の宝/正直は最良の策である・正直は一旦の依T古にあらざれどもついに日月の憐れみを被る
「正直者が馬鹿を見る」ずる賢い者はうまく立ち回って得をするカヾ、正直な者は秩序や規則を守るために、かえって損をする。
(注釈)正しい事がなかなか通らない世の中の矛盾を批判した言葉。
(類義語)・偽りの頭に宿る神あり・正直は阿呆の異名・正直は一旦の依怙にあらざれどもついに日月の憐れみを被る・正直貧乏横着栄耀
(例文)正直者が馬鹿を見る世の中なんておかしいじゃないか、変えていくべきだと思う。
(補説)良い結果を出す人は効率良く要領良く頑張っている。
真面目が馬鹿を見るのではなく、馬鹿が馬鹿を見るのだ。。
正直者とお人好しとは違う。結局お人好しが馬鹿を見ることになる。
「小事は大事(しょうじはだいじ)」些細な事が大事を引き起こす例は少なくない。小事だからといって物事をおろそかにしてはいけないという戒め。日々の小さな事柄にも注意を払い、慎重に扱うべきだという考えを示している。
(類義語)・小事を軽んずる勿なかれ・蟻ありの穴から堤も崩れる
(例文)気になることは後回しにしない方が良い。小事は大事だから、大ごとになる前に対処した方が楽だ。
つい小事は軽く扱われ、後で「あの時確りしておけば、こんな大事にならなくて済んだ」と悔やまれることは多々ある。 次回に続く。
2024.6.23 諺集に見るわが人生(281)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「小事は大事(しょうじはだいじ)」 些細な事が大事を 引き起こす 例は少なくない。 小事だからといって物事をおろそかにしてはいけないという戒め。 小さな問題を軽視すると、それが積み重なって大問題に発展することがあるってこと.
小さな問題を見過ごすことなく、初期段階で適切に対処することが、最終的に大きな問題を防ぐためには不可欠である。
(同義語)・小事を軽んずる勿れ・蟻ありの穴から堤も崩れる
(類義語)蟻の穴から堤の崩れ。
(例文)小事は大事なのに、事件化するまで警察は動いてくれない。
小事はとかく疎かにされがちだが、それが大事に至ることはよくある。
「盛者必衰(じょうしゃ-ひっすい)」盛者必衰とは、この世は無常であるから、栄華を極ゆている者も必ず衰えるときがくる Iいうこと。
(由来)『仁王経』の「盛者必衰、実者必虚 (盛んな者はやがて衰え、満ちている者はやがてからっぽになる」に由来する。
仏教にある人生観で、この世の無常を表している言葉。
『平家物語』の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理 (ことわり)をあらわす (祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している。思い上がった者は長く続かない)」は、あまりにも有名である。
(類語)盛者必衰の類語・類義語としては、この世に生を受けた者は必ず滅び死ぬことを意味する「生者必滅」、世の中の一切のものは常に変化し生滅して永久不変なものはないことを意味する「諸行無常」や、栄えたり衰えたりを繰り返す人の世の儚さを意味の「栄枯盛衰」などがある。
栄枯盛衰を使った分かりやすい例としては、「会社や事業の栄枯盛衰を多く見てきました」「栄枯盛衰の激しいITビジネス業界です」などがあげられる。
(例文)平家物語にみる盛者必衰の理に、万物の諸行無常と人生の虚しさを覚えました。
次回に続く。
2024.6.26 諺集に見るわが人生(282)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「小人閑居して不善を為す(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)」小人物は暇ができると悪事に走りやすいということ。暇を持て余して悪事を働いてしまう人を非難する言葉。目上の人に使用することはできないので注意しよう。
(語源)「小人」は、「君子」に対する語。教養や人徳のない人のことをいう。「閑居」は、することがなくて何もしないまま日を送ること。「不善」は、道徳上好ましくないこと。
(出典)「大宇」の「小人間居して不善を為せば、至らざる所なし」
(解説)暇を持て余すことが必ずしも良いことではなく、特に道徳的に劣る人々にとっては、その時間が悪い行動につながる可能性があることを教えてくれている。適切な趣味や建設的な活動に暇を使うことの重要性を示唆している。
(例文)小人閑居して不善をなすというが、暇な人ほど、人の悪いところを探したり、悪口をいう。
陰口のようなものはその典型であろう。
「小水石を穿つ(しょうすいいしをうがつ)たゆまず努力すれば、どんな困難なことでもやり遂げることができるたとえで、少しの水でも絶えず流れ続ければ、ついには石にも穴をあける意味から。「小水」少しばかりの水。
(出典)「遺教経(ゆいぎょうきょう)」
(例文)根気と集中力があれば、小水石を穿つ。必ず事は成し遂げられる。
(類義)「雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)」
雨垂れ石を穿っとは、どんなに小さなカでも、根気よく続けていればいつか成果が得られるということのたとえ。
軒下から落ちるわずかな雨垂れでも、長い間同じ所に落ち続ければ、ついには硬い石に穴をあける意味から。
『漢書・枚乗伝』に「泰山の雷は石を穿ち、単極の航は幹を断つ」とある。
次回に続く。
2024.6.29 諺集に見るわが人生(283)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「上手な手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる)」どんなに上手な人でも、時には失敗をするというたとえ
いつも完璧にこなす人が、珍しくしくじること。
(逸話)昔昭和天皇が外国の大使と会食した際、洋風のテーブルマナーをよく知らなかったため、フィンガーボールに入った水を飲むものと勘違いして飲んでしまわれました。すると外国の大使も、天皇に恥をかかせまいと自分もフィンガーボールの水を飲んだそうです。
(由来)「上手」は、そのことに巧みである人の意で、囲碁将棋の世界では七段の免状を持つ者を「上手」。九段の免状を持つ者を「名人」と称した。そのような名人や上手と呼ばれるほどの人でも時には思わぬ失敗をするということから。
(類義語)・猿も木から落ちる・弘法にも筆の誤り・河童の川流れなど。
私などは下手の手で水は漏れ放し。
「上手は下手の見本、下手は上手の見本」芸を精進することの厳しさや真摯さをいう。上手なものは下手なものの手本になるのは当たり前のことだが、上手なものにとって下手なもののすることが参考になるということ。この表現は、どんなレベルの人でも他人のやり方から学ぶことができるという考えを示している。
(由来)室町時代初期に活躍した能役者・能作者の世阿弥の著書『風姿花伝』には、次のような言葉がある。「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」。上手が下手の手本であるばかりでなく、下手が上手の手本にもなるというといっている。
(例文)上手は下手の手本、下手は上手の手本といい、未熟者の下手な技術を見て自分の反省点を見出す。
(類語)・人こそ人の鏡・人のふり見て我がふり直せ・初心忘るべからず
最近将棋に凝っていて、名人クラスの棋譜をよく見る。自分では知らない世界のように、数多の手が繰り出されていて、ただただ仰天するばかり。 次回に続く。