2024.3.6 諺集に見るわが人生(255)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「親しき中にも礼儀あり」どんなに親密で親しい間柄であっても、守るべき礼儀があるという意味を伝えることわざ。
仲が良すぎたり、関係が深すぎたりすると、つい気が緩んでしまい、一線を越えて礼を失するようなことをしてしまいがちであり、またそのことから人間関係を損なうことがあるので、気を付けなければならないという戒めの意味を持っている。
(由来)『論語』(学而第一より)
原文:
有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美、小大由之、有所不行、知和而和、不以礼節之、亦不可行也。
書き下し文:
有子曰く、礼の用は和を貴しと為す、先王の道、これを美と為す。小大之に由る。行われざる所あり、和を知って和すとも、礼を以てこれを節せざれば、亦行わるべからざるなり。
(例文)いくら親しい仲でもお礼の言葉は忘れないようにしたい。親しき仲にも礼儀ありだ。
親しい友達と話をする時でも、言葉を選んで対話しなければ、ほころびが出て隙間風が吹くことになる。
「滴り積もりて淵となる(したたりつもりてふちとなる)」わずかなものでも多く集まれば大きなものとなるたとえ。塵ちりも積もれば山となる。
(説明)滴りも塵も、淵や山になるまでには、気が遠くなるほど長い期間、積もり続けなければならない。
途中で積もることをやめてしまっては、淵にも山にもならない。しかし、途中で滴りや塵の源が尽きそうになることもあるだろう。
例え、途中で一時中断することがあったとしても、早い機会に再開し積もり続けることが大切だ。
人が大きなことを成そうとしても、同じことだろう。ゴールに到達する近道やウルトラCなどはない。愚直に地道に一歩ずつ進んでいくしかない。
途中で失敗したり、あるいは他の人から「そんなことは無駄だからやめとけ」と言われたり、「何をバカなことやってんだ」と嘲笑されたり、邪魔されたりしても、そこでめげて辞めてしまっては、元も子もない。
とにかく「やめない」こと。これに尽きるだろう。
次回に続く。
2024.3.10 諺集に見るわが人生(256)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「下にも置かない」客などを非常に丁寧にもてなす様子。 下座につかせないとの意から。
(例文)主催者側の下にも置かない対応ぶりに、出席者一同はいたく感激し、恐縮した。
時代劇などを見ると、殿様は一段高い上座に座り、家来たちは対面で下座に座る。
「舌の根も乾かぬうち」短い時間で何かが起こることを意味する。この表現は、何かが急速に進展する状況や、出来事が次々と起こる瞬間を表す際に使われる。
前言をすぐに翻(ひるがえ)す人を非難するような意味を持つ慣用句。
人と議論する場合など、しばしばこのような「前言をすぐに翻す人」は多くいるものだ。
「舌を巻く」短い時間で何かが起こることを意味する。この表現は、何かが急速に進展する状況や、出来事が次々と起こる瞬間を表す際に使われる。
(語源)『漢書揚雄伝』に「礼官博士巻其舌而不談」という記述があり、この 「舌巻」が語源とされている。
(例文)彼女の文章のうまさには舌を巻いてしまった。
(類義)「目を見張る」:驚いたり感心したりすること
「脱帽する」:感服すること
「言葉を呑む」:感動や驚きで何も言えなくなること
プロの選手には、傍から見ていて「舌を巻く」プレーを見せてくれる。
「地団駄を踏む(じだんだをふむ)」「悔しくて地面を踏みつけること」を意味する。悔しさのあまり腹を立て、そのうっぷんを晴らすために何度も足を踏み鳴らす姿を現す。また、「地団太を踏む」とも書く。
(由来)「地団駄」は「地踏鞴(ふいご)」(足で踏んで風を送る大きな鞴)が変化したもの。
(例文)地団駄を踏んで悔しがったが、今となってはどうしようもできないことだった。 次回に続く。
2024.3.14 諺集に見るわが人生(257)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「七転八倒(しちてんばっとう)」苦しみや痛みの為に転げまわってもがくさま」という意味。
(由来)中国の故事で「七顛八倒」という言葉で世の中が乱れる様子を表したこととされている。
(使い方)突然起こったぎっくり腰に、昨日からずっと七転八倒している。
(類似語)「七転び八起き(七転八起)」何度失敗してもその度に立ち上がり、やりぬくこと。
座右の銘としては「七転八起」が使われる。
「至知は幾ならず(しちはきならず)」最高の知恵というものは、目立たないものであるべきで、機知や作為が目につくうちは、たいしたことはないこと。至知▷この上なくすぐれた知恵。また、それのあるさまや、それをもつ人。幾▷物事の察しの早いこと。機転が利いたり、何かを巧妙に処理することが目立ってしまうようであれば、それはまだ本当の知恵ではないという意味。
(出典)呂氏春秋(りょししゅんじゅう)の故事
(類義)至智は智を棄て、至仁は仁を忘れ、至徳は徳ならず。
(例文)至知は幾ならずというが、彼は目立たないが実はすごい。
厳しい見方である。
「死中に活を求める」せっぱつまった状況を打開するため、必死に危険に飛び込んでいくこと。助かる望みのほとんどない絶望的な状況にあって、なお生きる道を探し求めることから「死中に生を求む」ともいう。
(類義)九死に一生を得る。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
(例文)死中に活を求めて行動した結果が、幸せに繋がった。
中小企業の経営においては、サバイバル競争の中で、必ず「死中に活を求める」場面を経験は避けられないだろう。 次回に続く。
2024.3.18 諺集に見るわが人生(258)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「日月逝けり、歳我と与もならず(じつげつゆけりとしわれとともならず)」時が経つのはとても速くて、月日は決して人を待ってはくれないという意味.
(読み)「逝けり」は、「逝く」「逝きぬ」「逝いて」などとも読む。「与ならず」は、「与にせず」とも読む。
(出典)孔子(前552~前479)とその門弟たちの言行録。四書の一つ。十三経の一つ。日月(じつげつ)逝(ゆ)けり、歳(とし)我(われ)と与(と)もならず。「孔子曰わく、諾、吾将に仕かえんとす」
(類義)歳月人を待たず・光陰人を待たず・光陰矢の如し・光陰に関守なし・歳月流るる如し・今日の後に今日なし
歳をとるのに従い実感としてよく分かってくる。
「疾行には善跡無し(しっこうにはぜんせきなし)」急いでやったことには、よい結果が得られないことをいう。急いで行くときれいな跡が残らないこと。「疾行」急いで行くこと。「善迹」きれいな跡。
(類義語)・急せいては事を仕損じる・快行には好歩なし・急行に善歩無し
(出典)「枚皐(ばいこう:漢の文人)は文章を作るのが早く長卿(前漢の詩人司馬相如)は遅くてなかなかできなかったが、ともに文名をうたわれた。けれども長卿の作った文は、一貫して美しくおだやかであり、枚皐の文は重複した字句が多かった。そこで、急いで歩くと足跡は乱れてよい跡が残らないことが分かる」とある。
「質実剛健(しつじつごうけん)」飾り気がなく、力強くしっかりしていること。まじめで素朴であり、充実感があふれていて、たくましいこと。
▽「質」は質朴、「実」は誠実の意で、「質実」は飾り気がなく、まじめなこと。「剛健」は心やからだが強く、たくましいこと。「剛健質実ごうけんしつじつ」ともいう。
小学校の頃からこのような教育を受けた。 次回に続く。
2024.3.21 諺集に見るわが人生(259)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「知って知らざれ」よく知っていることをひけらかさないのが奥ゆかしく正しいあり方だということ。
(由来)「老子」の「知って知らざるは上なり、知らずして知るは病なり」に由来している。
(例文)知っていても黙っていた方が、知って知らざれというように奥ゆかしい。
知ったかぶりは見っともない。
「失敗は成功の基」失敗することによってやり方を改めることができ、かえって成功へと繋がることになるから、一度や二度の失敗にくじけるべきではないという教え。
また、失敗してもその原因を追究しなかったり、やり方を改善しようとする姿勢がなければ、また同じような失敗をくり返すだろうということ。
(例文)失敗は成功のもとだから、何度もチャレンジしていく。
人生には困難なこともあるが、失敗にめげずに挑戦しつづけることで、大きな成功を手に入れることができるのではないか。
「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」十把とは十束のことで、一絡げとは一つの束にまとめること。この言葉は、個別に扱うべきものや価値のあるものを一緒くたにしてしまっているというマイナスなイメージで使われることが多い。
(由来)把」は、束ねたものや矢を数える時に使う助数詞です。したがって「十把」とは「十束」のことを指す。また「一絡げ」は一括りという意味。
束に差異があっても、そんなことは気にせず一括りにして取り扱うということから「十把一絡げ」という言葉が生まれた。
(類義)・一緒くた・ごちゃまぜ・一括・二束三文
(例文)彼らの作品を十把一絡げに扱ってはいけない。
「十把一絡げ」は、物事を雑に扱ったり、全部同じだと思い込んだりしないで、それぞれの違いや特徴をちゃんと理解しようということ。
十把とは十束のことで、一絡げとは一つの束にまとめること。この言葉は、個別に扱うべきものや価値のあるものを一緒くたにしてしまっているというマイナスなイメージで使われることが多い。 次回に続く。
2024.3.28 諺集に見るわが人生(260)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「尻尾を巻く」勝ち目がないとみて、負けを認める態度を取ること。降参する。喧嘩に負けた犬が尻尾を巻いておとなしくなることから。
(例文)うちの犬は、近所の犬の体のデカさを見て尻尾を巻いて逃げだした。
(類義語)・白旗を上げる・両手を上げる
「市道の交わり」市場での取引のように、お互いの利益や損得を基にした関係を指す言葉。個人的な感情よりも、ビジネスライクで、何かを得るため、または失うことを避けるための交流を表している。市道とは(1)市の区域内にある道路で、市長がその路線を認定したもの。(2)商売の道。利益の追求をもっぱらにする商人の道。
出典:(史記)「夫れ天下は市道を以って交わる。君勢い有れば我則ち君に従い、君勢い無ければ則ち去る。之固より其の理なり(そもそも人々はみな己の損得で交わるものである。主君に勢力があれば従い、勢力がなくなれば離れる。これが道理である)
(解説)この言葉が生まれた時代には○○市という自治体はないので、市道とは違う意味だった。
「市道の交わり」の「市道」とは、市場へ向かう道のこと。
市場には、品物の仕入れに向かう人たちと顔を会わせる。
つまり、市道で会う人たちは仕事上でしか付き合いのない人のこと。
(例文)市道の交わりの人とは仕事をやめたら疎遠になるだろう。
「品川海苔は伊豆の磯餅」同じものでも違う場所では呼び名が変わるということを表している。「品川海苔」浅草海苔の異名。
(類義語)・難波の葦は伊勢の浜荻・所変われば品変わる
(解説)東京の品川では「海苔」と言って、海でとれる緑色の海藻を指すのだが、伊豆ではそれを「磯餅」と呼ぶというように、それぞれの場所によって、同じものの名前が変わるもののことをいう。 次回に続く。