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2024.5.2 諺集に見るわが人生(268)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「衆寡敵せず(しゅうかてきせず)」たくさんの人がいる「衆」と少ない人数の「寡」では、力の差があって対等に戦うことはできない、つまり数が少ない方は数が多い方には勝てないという意味。
(出典)『三国志の魏書張範伝(ぎしょちょはんでん)』です。董卓(とうたく)という武将が反乱を起こした時に、政治家の張承は、兵を集めてそれを滅ぼそうとした。しかし、弟の張昭が、「今、董卓を滅ぼそうと思っても、多数と少数では相手にならない、衆寡敵せず」と述べて、兄の張承を思い止まらせた。このことが転じて、少数では多数に敵わないことを「衆寡敵せず」と言うようになりました。
(出典2)『孟子(もうし)』梁(りょう)の国の恵王(けいおう)はあるとき、孟子に「鄒(すう)という小国が楚(そ)という大国と戦ったらどうなるか」と聞いた。
すると、孟子は「楚が勝つでしょう。小は大にかないません、寡は衆にはかないません。弱は強にはかないません」と答えた。
(例文)味方全員が分散している今、いったん戦闘となれば衆寡敵せずであることは明らかであった。
(類義語)多勢に無勢(たぜいにぶぜい)

 

 「習慣は第ニの天性なり」習慣は第二の天性なり
身についた習慣は生まれつきの性質のように、日常生活に影響を及ぼすということ。また、身についた習慣は生まれつきの性質に劣らないほど人間に深く染み込むものである、という意味もある。
(由来)
古語源・代ギリシアの哲学者であり、ソクラテスの孫弟子にあたるディオゲネスの言葉や古代ローマの政治家で哲学者キケロの「至善至高論」が出典元である説など諸説ある。
(類義語)・習慣は自然の如し・習慣は常となる・習い性となる
(例文)習慣は第二の天性なりというが、毎日少しずつでも勉強は必ずするようにしてきたことで、最難関の大学に合格することができた。
癖なども第二の天性なのだろうか。 次回に続く

 

2024.5.6 諺集に見るわが人生(269)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「主従は三世(しゅじゅうはさんせ)」主人と家来の関係は前世(過去)・現世(現在)・来世(未来)にわたる深い因縁があるということ。→親子は一世、夫婦は二世、主従は三世。
(由来)封建社会で、主従関係を強調するために使われた言葉。
(例文)親子は一世だが主従は三世といい、とても深い関係だ。
(類義語)三世の縁/三世の契り/三世の機縁/親子は一世、夫婦は二世、主従は三世/子は一世、夫婦は二世、主従は三世、他人は五世

「周章狼狽(しゅうしょうろうばい)」あわてふためくこと。 うろたえ騒ぐこと。「周章」と「狼狽」のどちらも、「あわてふためく」という意味をもつ言葉。 その2つを合わせることで、慌てている様子を強く表している。
(由来)中国・唐の時代の随筆である『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』によると、「狽」はオオカミの一種で、前足が短く後ろ足が長い動物だとか。反対に、「狼」は、前足が長く後ろ足が短いことから、「狼」と「狽」はいつも一緒に歩き、離れると倒れてしまい、あわてふためくと言います。この時のあわてぶりから、「周章狼狽」という四字熟語が生まれたという説もある。
(例文)円安の影響で店が赤字続きになり、店主は周章狼狽していた。
(類語)・右往左往・泡を食う・うろたえる・あたふたする
事に臨んで「周章狼狽」することは、よくあることである。

 「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」態度や意志が、激しく厳しいこと、また堅固であること。権威などが、厳正でおごそかなこと。秋に降りた霜のように厳粛で、夏の暑く照りつける日の光のように強く厳しいことの意。刑罰などの厳しさについてもいう。
(語源)「秋霜」というのは 「晩秋の寒さによって生じる霜」のことを言う。「烈日」は 「激しく照りつける夏の太陽、また、その光」という意味。この二つの言葉は、どちらも自然界における厳しさを表現している。
(使用例)事件処理は、きわめて迅速におこなわれた。そのきびしいこと、秋霜烈日の如くであった。 次回に続く

 

2024.5.9 諺集に見るわが人生(270)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「衆の好みを同じくすれば成らざるなし」多くの人の好む所をよくわきまえて、それと一致した行動をとれば、何事もなす事が出来ること。
(出典)「三略」このあとに「衆と悪(にく)しみを同じくすれば傾けざるなし(多くの人々と嫌うことが一致すれば、心を寄せない者はいなくなる」とある。
この「三略」は、「孫子」や「呉子」と並ぶ「武経七書」の一書として1000年以上前から多くのリーダーに読まれてきた。漢の高祖・劉邦の軍師として漢の創業を実現した張良が、黄石公という仙人からこの「三略」を授かり奥義を極めたという有名なエピソードがある。また、日本では北条早雲がこの書から大きく影響を受けたことも知られている。
「三略」~上略の1~
『それ主将の法は、つとめて英雄の心を獲り、有功を賞禄し、志を衆に通ず。
ゆえに、衆と好みを同じうすれば、成らざる無く、衆と憎みを同じうすれば、傾かざる無し。
国を治め、家を安んずるは、人を得ればなり。国を滅ぼし家を破るは、人を失えばなり。
含気のたぐい、ことごとくその志を得んことを願う。』
(例文)人と違うことをしては失敗する。衆と好みを同じくすれば成らざるなしで間違いない。
どこかの国の総理にこの「ことわざ」を捧げたい。

 

 「十人十色(じゅうにんといろ)」好みや考えなどは、人によってそれぞれみな異なるということ。人間はひとりひとり、皆それぞれの嗜好や考え方があるという意味。わかりやすく言うと、十人いれば十通りの考え方があるということ。「色」は、色彩ではなく、人の性質や好みをあらわす。
(類語)・多種多様(たしゅたよう)・千差万別(せんさばんべつ)・多角的(たかくてき)・三者三様(さんしゃさんよう)・種々(しゅじゅ)
(例文)十人十色で、みんな好みがちがうから、あんたも最初からそのことは覚悟しなくちゃ。
自分の周りを見回しても、それぞれ違う様相をしているので、誰一人として同一でないことが分かる。
次回に続く。

 

2024.5.14 諺集に見るわが人生(271)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「十年一日(じゅうねんいちじつ)」長い間たっているにもかかわらず、何も変わっていないこと。同じ状態がずっと続いて、進歩や発展がないさま。また、一つのことを忍耐強く守り続けること。
(注記) 新鮮味がない・古臭い・新陳代謝がない・成長しないなど否定的な言葉が類似となるが、安定・存続・持続可能・維持など、そして忍耐強いので、粘り強い・辛坊強い・耐え忍ぶなど諦めない強さめいた言葉も同様に類似である。実際の使い方は、読点を用いて「十年、一日の如し」「十年一日の如く」「十年一日の様な」といった形になりる。一方、類語である「旧態依然」は進歩や変化がないというネガティブな使い方のみである。
(例文)子供の頃から嫌な事は後回しにする性格だったので、それは大人になっても変わらず十年一日の如くと言い得て妙である。
(類義語)旧態依然(きゅうたいいぜん)
(対義語)日進月歩(にっしんげっぽ)
このホームページも10年経つが基本的には「十年一日の如し」といえる。そろそろ引き時かも知れない。

 「十年一昔(じゅうねんいとむかし)」世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。十年という年月を区切りとして、それ以前は昔のように思われるということ。
(例文)技術の進歩は十年一昔だ。特にAI革命は世の中をすっかり変えてしまった。実際私もAI囲碁とAI将棋のソフトをパソコンに入れて学習しているが、AIレベルを下げても中々勝つことができない。
十年一日と十年一昔は何となく表現は似ているように見えるものの、意味としては真逆の状況になるということが分かる。 
あるリサーチ会社が「時代のスピード感」に関して十年一昔と言うが、今だと「一昔は何年くらい」だと感じるか、とアンケートを行ったところ、次のような回答が返ってきた。
まず何年くらいが「昔」と感じるか聞くと、全体では「5年」(33%)が最多となった。次いで「3年」が19%、通説となっている「10年」は15%だった。スピード感はさらにアップしている。 次回に続く。

 

2024.5.18 諺集に見るわが人生(272)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「重箱の隅を楊枝でほじくる」重箱の隅(すみ)を楊枝でほじくるとは、どうでもよい些細な点を問題にし、口うるさく言うことのたとえ。
(由来)重箱の隅にわずかに残ったものを楊枝でほじくり出す意から。
(補説)「重箱の角(かど)を」とするのは誤り。
(例文)彼は重箱の隅を楊枝でほじくるようなことばかりしてるから、みんなに嫌われてるよ。

 

 「秋波(しゅうは)を送る」女性が男性の気を引くために、媚びた目つきで見つめること。
転じて相手の関心を引くこと。政治やビジネスシーンでは「自分たちの利益のために、相手の関心をひこうとする」という意味で使われます。 この時は色っぽいイメージは無いため、同性同士で使われることも多くある。
(由来)秋波とは、元々は中国語で 秋の季節の澄んだ波 。
・空気の澄んだ秋、風が吹いて揺らめく波のような、美人の涼しげな目元。
・そこから転じて、「色目を使う」という意味になった。
・さらに使い方が広がり、ビジネスシーンで「関心をひこうとする」という意味も派生した。
(例文)彼女はよく、自分の美貌にものをいわせて、ちらちら秋波を送ることがあった。
最近は性差別の問題なども絡むのか使わないようだ。

 

 「愁眉を開く(しゅうびをひらく)」この言葉は「 それまでの心配がなくなって、安心する。 その顔つき 」という意味の慣用表現です。 ポイントなのは「愁眉」と言う言葉。 「愁」は「愁える(うれえる)」とも読み、「憂い」と同じ「嘆く、悲しむ、不満を持つ」という意味を持っています。
(由来)「愁眉を開く」は、劉兼の詩『春遊』の中に「愁眉が開く」という表現があったことに由来している。
「愁眉」という言葉の語源は古代の中国女性の化粧にあります。中国は後漢の時代、女性たちは化粧で眉をいろんな書き方をしていたのですが、その一つに細く曲がった眉の書き方がある。
(例文)ずっと思い悩んでいたが、やっと愁眉が開いた。 次回に続く。

 

2024.5.22 諺集に見るわが人生(273)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「十目の視る所、十手の指さす所(じゅうもくのみるところじっしゅのさすところ)」多くの人々が注目している場所や問題に対して、的確な指摘をすることを意味する。このことわざは、視点を鋭く持ち、重要なポイントを見逃さないようにすることを奨励している。
[ 由来] 「 礼記 ―大学」の 一節 から。 「十目所視、十手所指、其厳乎」十目の視みる所、十手の指さす所、 其 そ れ厳なるかな(10人に見つめられている、10人に指で差されているというのは、非常に厳正なことである)とある。
(補説)君子の有する徳を構成する"誠意"について解釈した一章であり、他者の目線や関心のある場所では、嘘、偽り、誤魔化しは、決して通用しない。という厳しさを説いている。
裕福さと有徳の境地を並べている所に特徴がある。
「十目所視、十手所指」額に書かれることはあるが、実例は見たことはない。

 

 「柔よく剛を制すじゅうよくごうをせいす)」弱くても柔軟性のあるものが、強いものにも勝てるということ。
(由来)言葉の由来となった一節が登場する書物『三略』は、兵学についてまとめた中国の書物で、組織を率いるリーダーの手引書としても有名。
(使い方)柔道で、小さい人が大きい人を投げ飛ばした時
(類義語)茶碗を投げば綿で抱えよ(ちゃわんをなげばわたでかかえよ)
茶碗を投げられたら、綿で受けとめようということ。
例えば、子供に腹の立つことを言われても、むきになって言い返さない方が良いということ。
柳に雪折れなし(やなぎにゆきおれなし)
柳の木は、やわらかく枝が垂れ下がっているので、雪が降り積もって折れることはない。
つまり、柔軟でしなやかなものは、堅いものより頑丈なのだということ。
クラブ活動で柔道をやったが、身体が大きく重い大男には余程の業が無いと投げ飛ばすのは難しい。 次回に続く。

 

2024.5.27 諺集に見るわが人生(274)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「雌雄を決す(しゅうをけっする)」決着をつけることを意味し、物事に対して「戦うことで勝ち負けを決めること」、そして「結果として優劣を見極めること」を指す。
「雌雄を決する」は「雌(メス)」が先で「雄(オス)」が後となる。
「雌雄」には3つの意味があり、1つ目は言葉通り「メスとオス」、2つ目は「弱者と強者」3つ目は「勝敗・勝ち負け」となる。
「雌雄を決する」の場合は、3つ目の「勝敗・勝ち負け」の意味をとって使われている。
「雌雄」が男女のたとえだとしても、直接的に女性を非難するような差別用語として認識するのは適切ではない。
(語源)中国の歴史書「史記・項羽本紀」中に「できることならば、ライバルである漢王との戦いの場で、ぜひとも勝ち負けの優劣をつけたいものである」と述べている一説がある。この時に使われた表現が「雌雄を決する」である。
(例文)週末のミーティングでと雌雄を決することになった(激しい言い争いが予想される)
野球やレスリング・柔道などのスポーツではこのことわざはよく使われる。

 

「首鼠両端'(しゅそりょうたん)」ぐずぐずして、どちらか一方に決めかねているたとえ。また、形勢をうかがい、心を決めかねているたとえ。日和見ひよりみ。穴から首だけ出したねずみが外をうかがって、両側をきょろきょろ見回している意から。▽「首鼠」は「首施しゅし」に同じで、躊躇ちゅうちょするさまともいう。「両端」はふた心の意。
(出典)『史記』灌夫伝(かんぶでん)
(例文)首鼠両端を持して動き出したけれど、あまりにも決断が遅すぎた。 次回に続く。

 

2024.5.30 諺集に見るわが人生(275)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

 「出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)」「出藍」は「青は藍より出でて藍より青し」という故事のことで、元になったものよりそこから生じたもののほうが優れていることを指している。この「出藍」が転じて、師匠より優れている弟子のことを表す言葉になった。
(由来)中国戦国時代の思想家である荀子(じゅんし)の教えです。荀子の思想書『歓学』には、「学はもって已(や)むべからず。青は之を藍(あい)より取りて藍よりも青し」という言葉から。"弟子が師匠を上回ること"で、「出藍之誉」と書くこともあり、精進を重ねて師匠より立派になった弟子を称えた言葉。
(類語)・青藍氷水(荀子の教えには、「氷は水之を為して水より寒し」という続きがあり、氷は水からできているが水よりも冷たいということを表している)
・鳶が鷹を生む(平凡な親から優秀な子供が生まれることのたとえ)
(例文)立派な師を凌ぐ研究成果を連発している彼は、「出藍の誉れ」の呼び声が高い。

 

 「朱に交われば赤くなる()」人間というものは付き合う相手によって影響を受けやすいという意味のことわざである。良い影響にも悪い影響にも使われます。交遊関係が人間に及ぼす影響の大きさを表す語句といえるだろう。
(語源)「近墨必緇、近朱必赤」という中国の古いことわざ。「墨に近づけば、必ず黒くなる。朱に近づくと、必ず赤くなる」という意味がある。
(例文)もともとは真面目な少年だったのに、不良グループと付き合うようになってから、朱に交われば赤くなるように、盛り場に入り浸るようになってしまいました。
(類義語)・麻の中の蓬(あさのなかのよもぎ)「蓬のように曲がりやすい植物も、麻にまじって育つとまっすぐに伸びる」という意味。
・水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)水は、容器の形によって四角くも丸くもなるという意味があります。人は周囲の環境によって左右されることのたとえのことわざ。  次回に続く。