2024.10.2 諺集に見るわが人生(305)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「す」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「図星を指す」「相手が思っている通りのことを言う」や「相手が思っていることを言い当てる」というのは、相手の気持ちや考えを正確に理解し、それを言葉にすることを指す。これは、コミュニケーションにおいて非常に重要なスキルで、相手の気持ちを理解し、それを適切に表現することで、信頼関係を築きやすくなる。
例えば、友人が何か悩んでいるときに、その悩みを言葉にしてあげることで、友人は「自分の気持ちを理解してもらえている」と感じ、安心感を得ることができる。
このスキルを磨くためには、相手の話をよく聞き、共感することが大切だ。
「図星」は弓矢などの的の中心のこと
(例文)友人に図星を指されて気まずくなった。
今回自民党総裁に石破茂がなった。よくテレビに出演し、対話するが、彼の発言は時々図星を指すので、視聴者の心を掴む。それが高市早苗氏に逆転勝ちした要因になっていると思う。
「住めば都」どのような場所であっても、住み慣れることでその土地の良いところが見えてきて、住み心地がよくなるものだ
。
(類義)・住めば田舎も名所・住めば都の風が吹く・住めば都で花が咲く
(由来)「都」は、政治や経済・文化の中心となる住みやすい場所の意。実際には都のように便利な場所ではないが、慣れてしまえば不便とも思わなくなり、親しみや気楽さの方が強くなることから。
(例文)転勤が決まったときは嫌で仕方なかったが、住めば都というもので、今では快適に生活している。
(補説)
何を言っても相手の心には響かない
相手のすべてがわかってしまう
相手の考えがわかったらどうなる
相手の全てがわかってしまう
相手の考えがわかってしまう
私が住む場所は、山坂が多く今こそ足腰が悪く、殆ど外出しないが、元気な頃は「住めば都」という感じだった。 次回に続く。
2024.10.6 諺集に見るわが人生(306)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「す」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「する(人)は一時名は一代」つらい嫌な事でも一時我慢してやれば済むことであり、するべき事をしないでいれば、不名誉は後々まで残るの意で、するべきことは、苦痛であってもしなければいけないという教え。
(由来)物事をする苦しさは一時的だが、するべきことをしなかったために生じた不名誉は末代まで残るということから。
(例文)するは一時名は末代というし、成し遂げた後の喜びは何ものにも代えがたい。
「寸陰を惜しむ」ほんのわずかな時間でも大切にすること。時間を無駄にしないこと。
(由来)『晋書』中国古代夏の禹王は聖人であるのに、ごくわずかな時間を惜しんで努力した、まして平凡な一般の人民は、なおさら寸暇を惜しんで精進しなければならない。
(類義)一寸の光陰軽んずべからず
(例文)人間の一生は短いので、寸陰を惜しんで物事に取り組んだ方が良い。
「寸鉄人を殺す」小さな刃物で人を殺すという意味から転じて、警句のような短くて鋭いことばで人の急所を突くことのたとえ。
(由来)『鶴林玉露―地集一』には、一二世紀の中国、南宋王朝の時代の思想家、朱熹が孔子の弟子たち(子貢、曾子)を評した言葉がこのように記述されている。
「博識で弁の立つ子貢は兵器を積んだ車のようだが、堅実な曾子は、寸鉄、人を殺す者なり、この文では曾子のことを、短いが核心を突くような言葉で人を説得することができる者と評している。
(例文)彼は口数こそ少ないが、いざ口を開くと寸鉄人を刺すようなインパクトのある発言をする。
「寸を進まずして尺を退く」少し前に進み、進んだよりも多く退くこと。 または、利益よりも損害のほうが多いことのたとえ。寸も尺も長さの単位で、一寸は約3センチ。一尺は約3 0センチをさす。尺は寸の十倍にあたる。
(出典)韓愈「上兵部李侍郎書」兵を用うるもの言える有り、吾敢(われあえ)て主と為らずして客(かく)と為る。敢て寸を進まずして尺を退く」とある。
(例文)寸を進まずして尺を退くというから、自分からはチャレンジしない。 次回に続く。
2024.10.10 諺集に見るわが人生(307)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「井蛙は以って海を語る可からず(せいあはもってうみをかたるべからず)」見識が狭い人に広い世界の道理を説いても無駄であることを意味している。このことわざは、井戸の中でしか生活したことがないカエルが、広大な海のことを理解できないことに例えている。
(出典)『荘子』秋水「北海若曰、井鼃不可以語於海者、拘於虚也」北海(ほっかい)若(じゃく)曰(いわく)、井(せい)蛙(あ)には以(もって)海を語る可からざるは、虚に拘わればなり。
(関連語)井の中の蛙/井底の蛙/井蛙/坎井之蛙
(例文)井蛙は以て海を語るべからずというから、世間に出ていろんな人と触れ合い学ぶべきだ。
「生ある者は死あり」生きている者には必ず死ぬ瞬間が来る。命は永遠ではない。
(出典)「揚氏法言」生有るものは必ず死有り、始め有れば必ず終わり有るは、自然の道なり。
(類義語)•盛者必衰•生者必滅
(例文)生ある者は死ありといわれるので覚悟はしていたが、身近な人の死はつらい。
「青雲の志」青春期における立身出世や功名心のような意味のほかに、徳を磨いて、立派な人物になろうとする心。また、功名を立て立身出世をしようとする心。▽「青雲」は雲の上の青い空を意味し、高位・高官、立身出世のことをいう。
(出典)王勃(おうぼつ)「滕王閣序とうおうかくのじょ」窮しては亘(まさ)に益(ますます)堅からんとして、青雲の志を墜(おと)さず。
(類義語)•鴻鵠の志•風雲の志•凌雲の志
(例文)父は会社を大きくするために青雲の志を持ち続けている。
「青雲の交わり」立身出世の志をいだいた者同士の交わり。高い地位を目ざして同時に任官した縁による交わり。
(出典)「書言故事」江淹(こうえん)曰く、袁叔明(えんしゅくめい)と余(われ)と青雲の交わり有り、直(ただ)に杯酒を銜(ふく)むのみに非ず。
(類義語)•鴻鵠の志•風雲の志•凌雲の志
(例文)青雲の交わりをもった彼とは、今でも激励し合う仲だ。 次回に続く。
2024.10.19 諺集に見るわが人生(308)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「臍下丹田(せいかたんでん)」
へそのすぐ下あたりのところ。漢方医学では、ここに意識を集中して力を集めれば、健康を保ち勇気がわいてくるという。▽「臍下」はへその下、「丹田」もへその下あたりの意。また、ここを「下丹田」ともいう。
出典『黄庭経こうていきょう』道教の用語であり、エネルギーの中心となる場所を指す。
(例文)姿勢をよくするためには、体の中心、臍下丹田を意識しないといけないんだよ。
「晴耕雨読(せいこううどく)」晴れた日には田畑を耕し、雨の日には読書に励むという生活をすること。
それは世俗から離れて、静かな田園生活や落ち着いた老後を描いている。
(由来)諸説あるが、最も有力なのは、明治時代の漢学者である塩谷節山(しおのやせつざん)の漢詩「晴耕雨読、優游(ゆうゆう)するに足る」を語源とする説。
(例文)文明の利器に慣れた現代の人には、晴耕雨読の生活は不便以外の何ものでもないだろう。
「「青山せいざん骨を埋うずむべし(せいざんほねをうずむべし)」男子たるものは、どこに行っても骨をうずめる覚悟があるということ。「青山」は、青々と木の茂った山。ここでは墓地の意で用いられている。わが国では幕末の僧月性げっしょうがこの句をもとにして、「人間(じんかん)至る処に青山あり」の句を作った。
(出典)蘇軾(そしょく)是処青山可埋骨、他年夜雨独傷神
(訳)是の処の青山骨を埋むべし。他年の夜雨独り神しんを傷まん
(例文)故郷に閉じこもっていてはもったいない。男子として生まれたからには青山骨を埋むべし。
「成事は説かず(せいじはとかず)」起きてしまったことや過ぎてしまったことをとやかく言ったり諫めたりとがめることはしない。
(出典)「論語」成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず
(補説)魯の君主、哀公が、孔子の門人の宰我(さいが)に樹木を御神体とする社のことを聞いたところ、宰我が、
「夏の時代には松、殷の人たちは柏(はく)、周代の人は栗(りつ)を使っている。栗は戦慄につうじるのでよくない」
と答えた。それを聞いて孔子が言ったのが、この戒めである。
過去のこと、あるいはしでかしたことをあれこれ批判してもはじまらないのである。 次回に続く。
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「精神一到何事か成らざらん」精神を集中して物事に当たれば、どんなに難しい事でも、できないことはない。
(由来)中国の宋代、同時代の儒学者である朱熹(朱子)がその門弟たちと交わした言葉を、その没後に集成し門類に分類した(全26部門、140巻)書物である『朱子語類』の『学二 総論為学之方(巻八)』にある一節。「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不レ成(陽気の発する処、金石も亦透る、精神一到何事か成らざらん)」
(例文)勉強と部活の両立は難しいが、精神一到何事か成らざらん、短時間でも集中して取り組んでいこう。
「清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)」「善と悪」や「善人と悪人」など、相対する二つのものを「清濁(せいだく)」と呼ぶ。このことわざは、「清濁の別を問わず、来るものはすべて受け入れること」を意味する。差別せずに、その人の性質や行いを承諾するさまを表している。
(由来)中国前漢時代の歴史書『史記』に「清濁併せ吞む」に関する記述がある。
「法令は治の具にして制治清濁の源に非ず」という一文が出ている。これは「法令は統治のためのものであって、決して清濁を裁くものとは限らない」ということ。
(例文)何事も上手く進めている彼は、まさに清濁併せ吞む人と言える。
「急いては事を仕損じる」何事も焦ってやると失敗しがちだから、急ぐときほど落ち着いて行動せよという戒め。
(由来)『江戸いろはかるた』の一つ「せ」
(例文)急いては事を仕損じるというから、ここはゆっくりでも着実に進めていこう。
「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」予想もしなかったような事件や変動が、突然起きること。
(由来)陸游の詩 『九月四日鶏未だ鳴かず起きて作る』に 「青天に霖震を飛ばす」とある。
(例文)青天の霖震の出来事に、多くの人々がショックを受けた。 次回に続く。
2024.10.27諺集に見るわが人生(310)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「青天白日」よく晴れわたった青空と日の光。転じて、潔白で後ろ暗いことのないことのたとえ。また、無実であることが明らかになること。▽「白日」は輝いて白い太陽のこと。「白日青天はくじつせいてん」ともいう。青天を晴天と書くのは誤り。
(由来)中国の有名な文人である韓愈(かんゆ)が書いた「崔牽(さいぐん)に与うるの書」という文章から来ている。
(例文)裁判で彼は青天白日の身となった。彼は冤罪を被っていたのだ。
「生は奇なり死は帰なり」人がこの世で生活しているというのは、かりにこの世に身を寄せて生きていることであり、死ぬということは天地の本元に帰ることをいう。
(由来)「淮南子 (えなんじ) 」精神訓 中国古代の伝説上の聖王禹帝(うてい)が長江を渡ろうとしたときに、竜が舟の下にもぐり舟を覆そうとしたのに対して言った言葉 「我命を天に受け、力を端して万民に労(いたわ)る。生は奇なり死は帰なみだ
り。何ぞ以て和を滑るに足らん」から。
(例文)生は寄なり死は帰なりというから、この世に執着してはいけない。
「清風故人来る」秋風が吹くとそれがかつての友人が訪ねてきたような温かい感覚を呼び起こすという美しいイメージを持っている。たとえば、秋の涼やかな風が吹くと、昔の友人を思い出す、または昔の友人との思い出がよみがえるような感覚を表している。
(出典)杜牧(とぼく)という人の「早秋詩」という詩の一節
(例文)ようやく涼しくなった。清風故人来るとうれしくなる。
「席暖まるに暇(いとま)あらず」非常に忙しくて一箇所に長くとどまることができない、つまり一か所に落ち着いていられないほど多忙であることを意味している。
(由来)韓愈の「靜臣論」禹(う)は家門を過ぎて入らず、孔席暖まるに暇あらずして墨突黔(くろ)むを得ず。
(例文)選挙に立候補した彼は東奔西走、席の暖まる暇もないありさまだ。 次回に続く。
2024.10.30 諺集に見るわが人生(311)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「積羽舟を沈む」軽い羽根も大量になると、その重さで舟も沈む。小さなことも積もり重なると大事になることのたとえ。
(由来)中国の古代哲学者・荘子の著作『荘子』の中の「山木篇」出典にはこのあとに「羣軽(ぐんけい)軸を折る」とある。
(例文)塵も積もれば山となるし、積羽舟を沈むので一致団結した時の力は馬鹿にできないものだ。
「碩学大樹」広い学識を持つ優れた学者のこと。学問でその奥義をきわめた大学者。
(語源)「碩」は大きいという意味で、「碩学」は大学者のこと。「大儒」はすぐれた儒者という意味。
(例文)碩学大儒になるには、人間の一生は短すぎます。
「席の温まる暇もない」席の温まる暇もない
一箇所に落ち着いていられないほどに忙しいことを意味する。
(由来)韓愈「争臣論」一つの席に長時間居座ると、体温でその椅子が暖かくなる。しかし忙しい人はあっちこっち動き回らなければいけないので、席が暖まることがない。そのような様子から、「席の暖まる暇もない」という言葉は生まれた。
(例文)選挙に立候補したA氏は東奔西走、席の暖まる暇もないありさまである。
「赤貧洗うが如し」ひどく貧しいこと。「赤」は何もないこと。水で洗い流した後のように何もないということから。
(由来)『先哲叢談』に「初め居を芝街に卜す。時に赤貧洗うが如く、舌耕(ぜっこう)殆ど衣食を給せず」とある。
(例文)今の仕事で成功するまでは、赤貧洗うが如しの生活が何年も続いた。
「世間知らずの高枕」世の中のことにうとく、のんきに暮らしていること。世情に疎くて世の中の経験・知識がないために、のんき・気楽な人に対する皮肉・当てこすり。
(語源)高枕」は、枕を高くして眠ること。心配もなく安心して眠ること。
(例文)世間知らずの高枕の彼には、老後の心配なんてないだろう。 次回に続く。