2014.2.1話の間
私は落語、それも古典落語が好きである。志ん生、5代目柳屋小さん、志ん朝そして円楽(新作もある)など皆故人であるが、CDが出ており、iPod touchにアルバムとして保存してあり、100話ほど収録されているので、好きな時に聞いている。
特に円楽(顔の長い)の語り口は、聞くたびに味が増す。彼の話しの特徴は、独特な「間」である。そのタイミングが絶妙である。
人は誰でも話をする。それぞれに個性がある。それでも、話に引き込まれることはそうそうお目にかかる事はない。
語りはただダラダラ、メリハリなく続けられると、内容に関わらず退屈してしまう。抑揚やテンポも大切だが、何より大切なのは「間」である。
話しの腰のようなもので、空白の時間であるにも拘わらず、欠かすことのできない要の働きをする。
円楽の落語の魅力が、その間の使い方にあると述べたが、誰でも真似ができるといった簡単な技ではない。剣道は間合の見切りにあるというが、それに似ている。円楽の間は実に絶妙な技。聞く人を円楽ワールドに引きずり込んでいく。
先にも書いたが、私など興に乗ってくるとついついアップテンポになり、前のめりになる癖がある。聞く相手は口を差し挟む余地もなく、共感することもないだろう。いつに「間」の欠如である。間とは、人と呼吸を合わせるところに生まれる。
講演会で話をする先生方ですら、聴衆との息が合わず、自分の持論に酔いしれて、聴衆置き去りというシーンを演じている人もいる
こうした先生方でも、聴衆一人ひとりと対面して、語りかけるように心がければ、自ずから話し方は変ってくる筈だ。
ここで大切なのは「間」の取り方で、まさに「無用の用」のような存在だ。
間を体得するには、時間をかけ修練するしか道はない。
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