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神奈川宿を歩く(3)

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⑩青木橋・本覚寺・大綱金比羅神社
 権現山について触れたとき、幸ヶ谷公園のある丘と本覚寺がある丘とは元は一つであったと記述したが、この2つの丘は明治5年新橋ー横浜間に鉄道が通されたされた際切り開かれ、その上に青木橋が架けられた。かつては交通の中心としてこの付近は栄えた。昭和3年に今の横浜駅ができると、その中心性は失われた。そのような経緯を知って橋の上から周囲を見渡すと、両側が切通になっており、横浜駅が本の300mぐらい先に見える。
 スクランブル交差点を右に渡ると直ぐに急な上り坂がある。その頂に本覚寺(山号:青木山)があるが、その門前にアメリカ領事館跡の石碑が立っている。寺の登り口の国道脇に見慣れた標示板がある。そこには、開港当時ハリス(日米修好通商条約の立役者で初代駐日公使)は眼下に横浜を望み、更には湾内を見通すことができる本覚寺をアメリカ領事館に決めたと記されている。(写真37-39)
 本覚寺のある丘の根元には元東横線のトンネルがあり、東白楽ー横浜間の地下鉄化に伴い改修して東横緑道と呼ばれる遊歩道が整備されたが、その終点になっている。そこ越すと、直ぐ右手に石段が見える。金比羅さんの入り口である。正式には大綱金比羅神社と言い、社伝によれば平安末期の創立と言われ由緒ある歴史があるようだ。大天狗の伝説でも知られ、鳥居をくぐり石段を上ると、社殿に出る。質素ではあるが脇に立つ大天狗様は、迫力ある形相で訪れる者を睨み付ける。二つとも再建されたものだろうがユーモラスな取り合わせだ。(写真40-42)


⑪田中屋・神奈川台の関門跡・歴史の道終点
 神社を後にすると、緩やかな上り坂に入る。そこが旧東海道の道筋であり、道幅も狭く両側はマンションが壁を連ねている。(写真43)そんな中にポツンと料亭らしき建物が建っている。坂本龍馬の妻「おりょう」が働いていたという「田中屋」である。今も面影を残す造りで、門前に標示板がある。それによれば、この建物は文久3年創業で今も続く数少ない料亭だそうだ。坂本龍馬の妻おりょうが明治7年勝海舟の紹介で働いていたと記されている。英語も話せたというから当時は相当な才女だったのだろう。(写真44)
 坂の頂上に近づくと右手に神奈川台の関門跡の標示板があり、この辺りは台町と呼ばれるのもその名残であろう。この関門は居留地の外人が何人も殺傷されたことから、各国の領事が幕府を非難し、安政6年に関門や番所を設け警備体制を強化したと記してある。(明治4年廃止)(写真45)
 いよいよ神奈川宿の探訪も最終章に入る。坂を上り切り、少し下ると沢渡公園の入り口に到達する。橋のたもとに立派な標示板がある。(屏風のようなコンクリート造りでカラーで絵図が書かれている。写真が撮りにくいのが難点)これには、ここが神奈川宿の起点と記されている。私は川崎宿から順に西に向かって史跡を訪ねたから、もし、初めて神奈川宿を歩いてみようという向きは、ここをスタート地点すると分かり易いだろう。(写真46)
 写真37-46を見るにはここをクリック
 以下つづく「保土ヶ谷宿を歩く」

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