saji












2013.11.1甘いもの大好き

 私は甘いものに目がない。特に小豆の粒餡の入った(小倉餡)甘味モノが大好きだ。
 これから色々な品を並べ立てるが、その前に甘党とその体質について触れることにする。
 甘党ゆえの宿命か血糖値が高く、糖尿病 の指標とされる A1C(正式にはHbA1c)が 8.0を下ることはなくなって久しい。(糖尿病ということ)
 食事に気を配り甘いものを口にせず、最善の努力はしたものの、7.3まで下がったのがベストスコアだった。
 もちろん、遺伝的な体質もある。例の体内酵素との因果関係も否定できない。(下戸と上戸に記載)逆説的に考えると、私の甘いもの大好きなのも、これまた体質的なもののせいかもしれない。色々考えた末、節制して甘いものを禁じてもストレスはたまるばかりである。年齢を考えれば、ストレスのかかる食事療法より、食べたい時は甘いものを摂ると、勝手に解禁してしまった。
 お陰で、食生活への不満は解消された。代償はA1cが8.0を下ることはなくなった。
 勝手に解禁したのには、それなりの理由がある。今年3月に他の病気で、生まれて初めて4日ほど入院した。その時出された食事が糖尿病向けのメニューで、これには泣かされた。最初の2日間は全く箸をつけることが出来なかった。内視鏡の手術であったものの痛みが残り、食欲も減退していた。3日、4日経っても食事のまずさに、半分も食べることが出来なかった。特にご飯は100%麦飯で、これには完全ギブアップ、最後まで喉を通らなかった。内緒でカミさんに頼んで、病院内の売店で菓子パンとコーヒーを調達してもらい、露命を繋いだという有様だった。
 確かにあのような食事を1か月も続ければ、糖尿病は治ると思うが、その前に飢え死にしてしまう。生きるべきか死すべきか、私は迷わず死ぬより、甘いものを食べて運を天にまかせることにした。その時の闘病記もあるのだが、とても紹介できる代物でないので止める。
 そこで「甘いもの大好き」に話を戻し、甘いものをリストアップする。小倉餡 系を筆頭とすると、先ずおはぎ、大福、最中、羊羹、どら焼き、お汁粉 (田舎しるこ)、あんみつ、中華アンマン、止めはアンドーナツということになる。
 辛党が見たら、さぞ気分が悪くなるような品揃えだと思う。私などは考えただけで、喉の奥から涎(よだれ)が湧き出てくるほどなのだが。他にもケーキやチョコレートなど甘いものなら何でもOKである。今回はこれ位にして、いずれ個別の品目について思い入れを語っていきたい。


2013.11.4アメリカンコーヒー(前編)
 
最初に断っておくが、私は珈琲通ではない。しかし、コーヒーなしには朝は訪れない。 寝起きの一杯が私を覚醒させる。珈琲通は豆の種類に拘る。モカ、マンデリン、キリマンジェロ、究極はブルーマウンテンといった風に、品種でああだこうだと論ずる。
 私はそういうことには無関心である。第一ブラックなど苦くて飲めた代物ではないと思っている。おまけにアメリカンコーヒーにですら、砂糖もミルク(クリープ)も必ず入れる。珈琲通が見たら顔をしかめるに違いない。
 一般的にアメリカンコーヒーは普通のコーヒーを薄めたお湯割りと思われがちである。実際ドトールやMACやCafe de clieなどのアメリカンコーヒーはその手の薄めたコーヒーである。
 本場のアメリカでは、アメリカンコーヒーなどというメニューはない。日本で勝手に付けた名前である。アメリカでは、かつてボストン茶会事件という歴史的事件があり、一次紅茶が市場から姿を消した。その代替品として紅茶に似た薄い色のコーヒーを飲むようになった。これはコーヒー豆を粗挽きにし苦味を取り、砂糖なしでもお茶代わりにガブガブ飲めるようにしたというのが事の始まりだそうだ。
 私がアメリカンコーヒーを好むのは、「甘いもの大好き」にも結びつきがあるが、次のコラムで述べることにする。

2013.11.7アメリカンコーヒー(後編)
 
私は一日4,5杯 のアメリカンコーヒーを飲むが、それでもブラックは丸でダメ、甘党の常で砂糖なしでは飲めない。
  また、家ではインスタントのコーヒーは飲まない。あれはおなかにもたれる気がして好みではない。 アメリカンコーヒー用に焙煎した豆を挽いたものを袋売りで購入し、ドリップ式のコーヒーメーカーで淹れて飲む。サーバーが魔法瓶になっているので、3時間はもつ。香りはドリップしている時だけ匂うが、飲む時には飛んでしまい、香りを楽しむと言う情緒など全くない。
  アメリカンコーヒーは煎りが浅い分、薄い色をしているが、普通のコーヒーより カフェインは多いいそうだ。ところが、コーヒー店のアメリカンコーヒー は前編で述べたようにブレンドコーヒーのお湯割りであるから、 カフェイン も弱まっていることになる。
 同じアメリカンでも本来のものと、お店のものとでは中身が違う。と言いつつ、このコラムはドトールコーヒーのアメリカンを前にして書いている。きっといつにも増して中身の薄い仕上がりとなっていることだろう。人もコーヒーも見た目で判断すると間違いを仕出かすことになる。 その本格的アメリカンコーヒーなしに過ごせない私は、カフェイン中毒なのかもしれない。


2013.11.10庭木(生垣)

 最近散歩していて目に入るのが、橙(ダイダイまたはポンカンか)、柿などの実が色付いて、黄色や赤く鮮明に庭を彩っていることである。
 あまり他人の庭先などに関心を抱かなかったが、それを見て、日本人の庭に対するきめ細かな心配りを見直した。
 我が家は小さなマンションと言われる共同住宅だ。従って、庭を持つということは出来ない。
 庭を持つということは、所有する土地の広さによって様々変わってくる。大きい屋敷から40坪程度の一戸建まで、それ相応の広さに比例している。今回は比較的広い庭を持つ家で、道路に面する部分を生垣で囲っている家(邸宅)に注目してみた。
 昔は(半世紀ほど前)生垣というと、柾(マサキ)や槇(マキ)そして皐月(サツキ)といったものが多かったと覚えている。しかし、今は実に多様な樹木が妍(けん)を競っている。最近はヒノキ科のヒバの類の密度の高い葉を持つ常緑の樹木をきれいに剪定して生垣にしたものも見かけられ、それは壮観である。
 元々マサキなどは素人でも手入れがし易く、頭が出るくらいの高さで整えて、歩く人の邪魔にならないようにできるし、花も実も生るので四季を楽しめる。子供の頃マサキの若葉をクルリと巻いて草笛にして楽しんだことが頭によみがえる。
 2m近くになるヒバのような樹木は素人では手におえない。植木屋さんが入り、手間、暇欠けて剪定するのだろう。そうした見事な生垣を眺めながら歩くのも目の保養になる。色々趣向を凝らしてくれることは借景しかできないわが身としては嬉しいことだ。


2013.11.13語呂合わせ(前編)

 人は物事を忘れないために、語呂合わせにして覚えることがある。私も家の電話番号や携帯電話の番号は、そうして覚えている。突然電話番号(特に携帯)を聞かれたリすると、とっさには出てこない。語呂合わせで覚えているので、相手にそのまま伝えたのでは通じる訳もない。たいていメモ帳に書き出してそれを読み上げる始末である。意味のない数字を11桁も覚えることはかなり難しい。そこで語呂合わせにしてある。わざわざ,書き出して伝えるのは二度手間で面倒だが、いちいち電話帳を出すよりは、頭の中に仕舞っておいた方が良い。
 monoのところで男の身の回りグッズに触れたが、このグッズの覚え方には、かつて有名な語呂合わせがあった。「鳩が豆食ってパッ」というもので、上から順に頭文字を並べたもので、以下のようになる。
 鳩の「ハ」はハンカチ、「ト」は時計。豆食っての「マ」は万年筆、「メ」は眼鏡、「ク」は櫛、「テ」は手帳。パッの「パ」はパス(定期)のことである。(後編は現代に合わせたグッズ語呂合わせを作ってみた)

2013.11.16語呂合わせ(後編)

 しかし、時代が変わり身の回りグッズも変化している。そこで、私なりに自分の「お出かけグッズ」を語呂合わせにしてみた。川柳仕立てでかなり独善的ではあるが・・・
 「秘め事は相手を隠し通すmono」以下のように上から順に説明する。
 {秘め事は}の「ヒ」は筆記具(最近は多種多様で万年筆はマイナーだ)、「メ」は眼鏡、「ゴ;コ」は小物入れ、「ト」は時計、「ハ」はハンカチとハット(帽子)。{相手を隠し}の「アイ」はID,ICカード類、「テ」は手帳とティシュー、「オ;ヲ」は金(お金)、「カ」は鍵と傘、「ク」は薬(救急用や常飲医薬品)、「シ」は写真機(表現が古いがカメラの「カ」は使ってしまった)、「通すmono」の「ト;ド」はドリンク(飲料水)、「ウ」はウィンドブレーカー(予備の防寒着)、「ス」はスニーカー(歩き専用のものを選ぶ)。monoはグッズのまとめ。
 自分だけにしか分からない語呂合わせだ。何となく後ろめたささえ漂う。他人(ひと)の受けを狙うフレーズには仕上がらなかった。

2013.11.19バッグ(前編)mono
 出かける時は、バッグは必需品である。私の携行するバッグは時代と共に変わっている。現役の時は手提げかばんかアタッシュケースまたは2ウェイのショルダーバッグと言ったものをTPOで使い分けていた。それは背広の生活が大きな要因である。
 定年を迎え、背広を着る機会は無くなったと言ってよい。ラフな格好で外出するのに、現役時代のバッグは相応しくない。散歩に相応しいバッグが定着するまで、結構いろいろの形態のバッグを使ってみた。ウォーキングする時には手提げ式は、手をふさぐので除外した。そうするとショルダーバッグかリュックサックかという選択になる。
 最初は軽便なナップザックを試してみた。これだと収納するものに限界がある。傘やペットボトルなどの携行には向いていないということが分かった。次に大き目なnovacicという製品を使った。これは3ウェイで、手提げにも、ショルダーにも、更にはウェストポーチにもなる優れもので、少し大きめで傘やタブレット端末程度は収納でき、使い勝手が良かった。唯一の弱点はウェストポーチにするには大きすぎた。矢張りリュックのように肩に担げないと、両手がフリーにならないという不満が残った。それではどうしたら自分に納得のいく解決策に到達できるか、後編で探ってみる。

2013.11.22バッグ(後編)mono
 結局、バッグ一つではすべての条件を満たすのは難しいという結論に達した。そこで考えを振り出しに戻して、「隗より始めよ」のたとえに従い、直ぐに取り出す必要のあるものは小さくまとめて1つにする肩掛けの小バッグ(ポシェット)に割り当てた。それ以外のものは小さなリュックサック(12ℓ位が適当)に入れて持ち歩き、乗り物などで人の邪魔にならないで、簡単に肩から下ろすことが出来るというサイズのものにした。結果、2つのバッグを携帯する面倒さは残ったが、必要にして十分な要求を満たすことが出来るようになった。
 現在は外出時のスタイルとして定着して、自分なりには満足している。語呂合わせて示した携帯グッズは、結構な点数に上るので結局はこのようなバッグの使い方になるのではないだろうか。
 外出時の携行品は、男女では異なり、年代や職業、好みなどで非常に多様性があり、その携帯方法もまた千差万別と言える。
 バッグなどは、大きくは袋物の分類に入るので、そこまで身の回り品や買い物品を収納するものにまで範囲を広げるとなると、小は巾着から、大は折り畳み自転車を入れるような大袋まで数え切れないほど種類がある。
 今回は袋物、それもバッグ、そして自分だけの専用グッズとしての携行バッグに拘ってみた。

2013.11.25庭木(植木)
 日本人が狭い庭であっても植木するのは、独自の文化であるようだ、このような庭の有り様は諸外国には見られないということだ。中国辺りでは、庭になるようなスペースはまとめて畑にするというのが風習だそうだ。つまり、個人所有の庭など無駄ということらしい。アメリカ人の家も同様に、空きスペースは芝生にし、バーベキュー大会などの集まりに使うのは、私などの浜っ子には見慣れた光景だった。最近では日本式庭園を造るアメリカ人の金持が増えているのは、日本での生活を見直しての変化かも知れない。
 それに対して、日本人の庭に対する愛着というか思いは、その手入れ一つ見てても伝わってくる。最近の三階建て建売住宅に庭のスペースがないのは、少し寂しい。(スペースがないから3階建てにしているのだから仕方がないが)
 それでは少し人様のお庭を拝見することにしよう。大体定番の樹木は、梅、柿、柚、橙そしてかつて春日八郎という演歌の大御所が歌った「お富さん」に出てくる見越しの松(黒松・五葉松)である。松は大概玄関脇に植えられ最も手が掛かる。梅も手入れをしないとドンドン枝を伸ばして針先のような枝の先端で、人に怪我をさせることもある。花を咲かす庭木は、アジサイ、ジンチョウゲ、キク、バラなど盛り沢山である。裏にはアオキ、ミュウガ、オモト(万年青)などが植えられるている。樹木の実は食され、葉は薬草となり、生活の中で愛でるだけでなく、実用としての役割もちゃんと果たしている。
 こうした古来より日本人が伝えてきた、生活の中で生かされる知恵は、末永く続いてほしい。

2013.11.28散髪(mono)
 私はもう40数年床屋に行ったことがない。だからと言って髪も髭も伸び放題、仙人のような姿を想像されては困る。見た目は普通の人と変わらないはずだ。
 しかし、時々後ろ髪が虎刈りになる。これには、多少事情がある。
 冒頭で40数年前と言ったのは、私が世帯を持った時を示す。
 その時から、頭はママさんならぬカミサンバーバー(ババーではない)が散髪セットを購入して、カッターとハサミで調髪してくれていた。
 1998年に松下電器が「自分でカット」という製品を売り出した。長い間カミサンの手を煩わすのも、気が引けるところもあり、自分ひとりで調髪しようと決めて、この製品を購入した。
 どこまで自分だけでできるか手探りの状態から始まった。当然ながら、暗中模索といったところから、思うようにはカット出来ず、仕上げはカミサンの手助けが必要であった。
 1年も続けると、学習効果が出てきて、助け無しで調髪出来るようになった。
 風呂に入る前に鏡に向かい、前髮からはじめる、これはどうにかクリア出来たが、後髪は勘頼りのカットなので、実は仕上がりは見たことが無い。電動バリカンのようなものだから、下手に立てると切りすぎて、虎刈りになってしまう。掠めるように、梳くうように、手早く仕上げるのがコツと分かったのは、4、5年の経験で体得した。
 驚くことに、この製品(日本製)ー実に丈夫にできており、たまに電池交換するだけで、全く故障知らずで切れ味も衰えない優れものである。
 水洗いできないので、一度浮気をして、その手の類似商品を使って見たが、1、2度使って、全く感触が違い使いにくく、今はどこにあるかも分からない。
 それ以降はこの愛機一筋、月2回ほどの調髪を続けている。
 電気小物は手に馴染むと、中々手放せない。モーターが駄目になるまで働き続けてくれることだろう。
 手放せないmonoは、良い仕事してくれる仲間のような存在だ。