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2013.12.1後期高齢者運転免許更新講習
 75歳に達したので、後期高齢者のための運転免許更新講習を受けさせられた。これは法律に定められているので、免許を返納しない限り避けて通ることができない。
 72歳の時も高齢者講習を受けたが、今回は全く違う内容だった。主な目的は加齢による判断能力(認知テスト)と動体視力(特に夜間)の判定に主力が置かれていた。
 実技テストは任意であったが、2年ぶりにハンドルを握るので、受けてみた。その間運転しなかったのは、敬老パスを受けていたので、横浜市内の交通利用が無料乗車できるところが大きな要因である。(前払いで幾らか収めなければならないが、外出機会の多い人には非常に有効)ウォーキングを日課としているので、自ら運転したのでは、体のためにはならない。しかし、色々の場所を訪れるためには交通手段の助けも必要だ。
 さて、さすがに2年のハンディは大きく、運転操作に関しては、自分でも分かるミスを何回か犯した。運転免許試験なら落第ものだったろう。
 夜間視力検査が非常に悪く、0.2と昼間の視力0.9を大幅に下回った。夜間の運転には十分気を即けるようにという指摘を受けた。動体視力についても大幅な減退が見られ、自分の老化を再確認させられる結果であった。「続く」

2013.12.4後期高齢者運転免許
更新(続き)
 一応講習の結果は、適正点76点を上回っており、運転の継続に問題なしとする証明書を受けることができた。
 自分では視力に自信がなかったので、特売メガネを新調して臨んだのだが、このテストに関しては不要であった。更新に係る費用よりずっとかかたので、なにか損した気もする。メガネ屋の視力測定では、0.4だったからまさに我が目を疑ってしまった。どうもメガネ屋の測定器には仕掛けがあるらしい。
 どちらにしても、夜間の運転にメガネは必要だろう。そうした結果を踏まえて、二俣川の試験場に赴き、更新を行った。この時裸眼で比較的楽にパスしていることから、メガネ屋の計器に疑問を持ったわけである。
 この更新のために2万円を超える出費を余儀なくされたが、これから何回運転する機会があるか分からないが、取りあえず3年間は運転できる。
 それが過ぎて、まだ元気なら、その時には免許証を返納しようと考えている。
 ちなみに、諸外国ではこのような厳正な更新手続きを行っている国は、他に見当たらない。車検制度などもない国が大半である。免許も車も、一度手に入れてしまえば、一生ものというのも、どうかとは思うが。
 この日本固有の制度はどこに由来するのだろうか。思いやりなのか、お節介なのかルール好きな国民性なのか、私にはよく分からない。

2013.12.7みかん(甘味)

 今年は、特に「みかん」が美味しい。暑い夏と急激な冬の到来がもたらした恩恵なのだろう。
 みかんの北限は神奈川県辺りまでと言われている。大体みかんと言えば温州(「うんしゅう」と読む、中国の地名、代表的産地であるが種苗の関わりはない)が定番で、出荷されるみかんの3分の2に上るという。その昔みかん船で財を築いた紀伊国屋文左衛門のみかんは、紀州みかんで、今では滅多に口に出来ないそうだ。
 神奈川のみかんも、小田原に近い曽我という場所が有名で、一度友達に連れられて、みかん狩り行ったことがある。50年ほど前の話しで、当時の神奈川みかんは、酸っぱくて全く人気がなかった。ほとんどがみかんジュースとして出荷されると言う話であった。
 今は庭先で採れるみかんでも、とても美味しくなった。きっと温州みかんの苗木が家庭にも普及してきたせいであろう。身近な果物として、口にできるのは嬉しいことだ。友人の話によると、「三浦半島などにもみかん畑が造成されて、20数年前から観光ミカン園として、現在まで観光客に親しまれている」という。
 さて、今年のみかんであるが、とても甘い。大粒なものでも皮が薄く、身がプリプリして、袋のまま食べても美味しい。
 毎年みかんのシーズンが来ても、皮も厚く、袋も硬く、食べにくく殆ど口にしなかったのだが、今年に限っては例外である。一日に3、4個は食べる。年内か年明けまでか分からないが、食べ頃が続けばいいなと思っている。

2013.12.10 柿くえば(甘党)

 朝晩めっきり寒くなった。散歩に出ると庭先で目立つのが、葉をすっかり落とし、真っ赤な実をいっぱいつけた柿の木である。誰も手を付けず、烏さえ突かないところを見ると、あれは渋柿なのだろう。
 子供の頃、丸々とした円錐形の柿を盗み食いして、その渋さに驚いた。罰として、糞づまりを起こしひどい目にあったことを思い出した。柿は甘い柿の方が種類が少ないそうだ。富有柿、次郎柿そして、それらの元になったと言われる御所柿の三種類が、代表的な甘柿と言われている。
 昔の話になるが、子供の頃家に富有柿の木があった。独特の丸みを帯びた大きな実が熟すのが待ち遠しくかった。それほど多くは実らず、家族で味わうのが精いっぱいの貴重な甘味源で、その瑞々しくねっとりとした甘い味は忘れられない。甘柿は今が出盛りといったところか、今年はまだ口にしていないが。
 先ほど触れた渋柿であるが、何の役にも立たない邪魔者かというと、決してそうではない。渋柿はタンニンという成分が渋みの原因で、果物の中でもビタミンCが豊富といわれる。この渋味さえ取れば最上級の甘味源となる。しかし、加工に手間がかかる。
 良く耳にする樽柿は酒樽に詰めて、酒樽に染みついたアルコール分で渋抜きをするのだそうで、さわし柿などと言われているのが主流だ。
 渋柿の加工品としては、矢張り干し柿が一番だろう。皮をむいたり、天日干しをしたり、ひと手間も、二手間もかかる。市場に出回る時は高値で売られるから、今や高級贈答品といった位置づけになる。
 先日あんぽ柿というどちらかというと、半熟の干し柿といったものを食べてみたが、とても甘かった。値段も高かった。
 干し柿と言えば、何といっても昔ながらに、軒先に簾のように連ねた干し柿だ。甘味が外に出て白い粉を吹くまで、1か月以上も外の寒風に晒したものは、冬の風物詩を代表するものだ。これも姿の良いものは高値で取引されている。
 柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺  正岡子規

2013.12.13生活時間帯

 朝6時頃はまだ暗い。日の出が最も遅い時期である。
 家々を観察すると、灯りがついている家は約3分の1といったところか。逆に、夜11時頃には3分の2程度の家に灯りがついている。
 早寝早起きという昔の慣習は、遅寝遅起きに変わってきている。この現象は今に始まったことではない。都会では農村地域とでは明らかに違った事情がある。生活スタイル自体が異なるのが、その要因の一つであろう。お陽様と連動する農村と、通勤と連動する都会の生活とが異なるのは当然とも言える。
 我が家の近くは交通の便が良いため、職住近接地域と言うことができる。(地域の利便性については、note:エッセイで記す) 会社や官庁は大体始業が8時半頃からである。商店やショッピングセンターは、概ね10時頃に開店する。働く人は、できるだけ長い時間寝ていたいし、家で過ごしたい。そういった時間は出勤時間に連動する。
 ということで、我が家の近辺は7時ごろから始動するのが普通のようだ。朝が遅い分夜更かしする。子供までが宵っ張りの朝寝坊が多くなっている。テレビの影響も大きいと思う。私なども、ニュース番組等は夜の10時過ぎに集中するので、それを見て寝ると大体12時過ぎるのが日常である。定年をとっくに過ぎて隠居生活のご老人は、概ね早寝早起きである。察するに、それが一番健康にいい生活時間帯だからであろう。

2013.12.16師走

12月旧暦で師走という。師とは先生とか僧侶を指しているそうだ。先生はお医者さん、僧侶はお坊さんである。
 この二者が走るということの意味は、だいたい推測がつく。昔は、年の暮れは寒さも手伝い、病人が多く出て、お医者さんは往診に駆け回っていた。お坊さんも、新しい年を迎えるのに備えて、檀家参りに忙しく動き回っていた。
 ところが、最近は事情が違う。急病人は救急車で病院に搬送される。檀家参りも都会ではあまり見かけなくなった。
 今走るのは、事業主が金策に走るとか、政治家が地元に帰り、支持者のあいさつ回りに走り回るといった光景が想像できる。
 どちらにしても、暮れは確かに忙しい。街中はクリスマス気分でみなぎっている。市営バスまでクリスマス飾りの満艦飾というのに乗り合わせた。いやが上にも雰囲気が年末に向けて盛り上がっている。
 街の熱気をよそに、外の空気は確実に寒さを感じさせる。北国では雪に対する備えに大童であろう。
 明日は満月である。
 凍る風 月冴々と 闇照らし  風楽

2013.12.19日氏神様(前編)

 日本では伊勢神宮系、出雲神社系といったメジャーな神社から、道の片隅にひっそり祠が残る地元の氏神様まで、まさに八百萬之神が存在している。
 神奈川の宿場に紹介している神社は、健在どころか益々隆盛を誇っているように見える。信者が多いのか、社屋を新造したものも見受けられる。
 これらの神社は常駐する宮司もかなりの数がいる。一方で、祭事の時だけ宮司が派遣される普段は無人の神社も少なくない。
 我が家の近くにある白幡神社もそういった中の一つである。今その氏神様が存亡の危機に瀕している。地域の人たちが守り続けてきた氏神様である。それを支え続けているのが高齢者の住民ばかりで、昔からここに住んでいる人たちだ。
 氏神様とか神社はたいてい高い場所にある。とくにここは海も近いのでそうなったのであろう。山(丘)の頂上にある。標高50メートルはあろうか、老人の足では辿り着くのさえ大変な場所だ。
 若い人が中心で祭りを盛り上げる商店街も消えてしまったこの街では、ボランティアに頼る活動には、限界が有るのは事実である。(若者の人口は増えているが、エッセイで書いたように地域のコミュニティーには関わらない人が多い)

2013.12.22日氏神様(後編)

 白幡神社が祭礼を催すのは、夏祭りと正月の2回である。その時には宮司が派遣されてくる。運営の中心はボランティアの手で全て取り仕切られる。それが高齢化が進み、リタイヤしたり、動けなくなったりで、手に余る仕事になってきているのは確かだ。
 そこで神社側の要求とそれに十分応えきれないボランティアとの間でちょっとした齟齬が生まれたらしい。神社側ではもう人は送らないという話で進んでいるようだ。おそらく何百年も続いた年中行事に終止符が打たれることになるだろう。
 まさに、天照大御神が岩戸の陰に身を隠す事態が生じたわけである。
 一方で盛り上がる神様、他方で見捨てられようとしている神様。近くには他の神様がおられるから、そこに詣でればいいではないかという人もいるかもしれない。事実、鶴ヶ岡八幡宮や寒川神社に初詣する住民の方が多いかもしれない。
 そういう人もいるかもしれないが、毎年ここにお詣りする人たちには、なにか釈然としないものが残る。
 神様が消えてしまった町はどうなってしまうのだろう。神様の怒りに触れなければいいと、無信心の私でも気にかかる話ではある。

2013.12.25クリスマス

 私が小学校1年生の冬、横浜で初めてクリスマスなるものの存在を目にした。
 昭和20年12月24日のことである。当時横浜は進駐軍の兵隊さんであふれていた。兵隊達はジープに乗り小学校の校庭に乗り入れ、チョコレートやチューインガムをばら撒き、小学生たちは喜んでそれを奪い合うように拾っていた光景をお思い出す。その頃の小学生はアメリカ兵がジープでやって来ると、その後を追いかけて、Give chocolate chewing gumの大合唱でジープの後を追いかけたものだ。どこかの国でも今このような光景が繰り広げられている姿を目にすると、痛ましい気がする。決していい思い出ではない。
 そのことは置いて、クリスマスは占領軍がもたらした最大のイベントである。
 今ではすっかり日本に定着して、子供達にとってサンタさんがプレゼントを届けてくれる、楽しみな一日となっている。
 日本人はキリスト教の慣わしを、いとも簡単に受け入れる。ハロウィンやバレンタインデイしかりである。別に信者ではないのに全く異国の宗教に拘らない。お祭りが好きなのである。
 私にとってのクリスマスは、イブの夜、カミさん手造りの鳥の丸焼き、デザートは苺のデコレーションケーキを楽しんだ。家族揃ってシャンペンで乾杯するのも、気分を高揚させる。
 学校は休みに入り、家では正月の飾り付けや、大掃除、お節料理に準備に大忙しの中、あっという間に大晦日迎え、紅白歌合戦を見ながら新年を迎えるということになる。

2013.12.28年越そばと初詣

 毎年大晦日の夕飯は、年越しそばと決まっている。海老が入っているが、車海老ならぬブッラクタイガーだ。どっちみち私にはその見分けはつかない。そんなおっかない名前は辞めて、ホイール(車輪)ぐらいにしとけば、美味しそうなのに。
 さて、年越しそばの由来は、「江戸時代中期には毎月晦日にそばを食べる習慣があり、中でも大晦日に食べる蕎麦を年越蕎麦といってその習慣のみが残ったと言われる」(年中行事大辞典)
 我が家で年越しそばを食べる時間になると、NHK紅白歌合戦が始まる。恒例の華やかな歌の祭典で、ファッションも舞台の飾りつけも豪華なので、つい見てしまう。一家で集まって団欒のときを過ごすうちに、今年も終が近づく。氏神様に初詣する準備にかかる。神様も存亡の危機は乗り越えたようで、今年はその準備ができたという話である。氏神様も年を越せることができて目出度いことである。
 今年最後の「日常細事」を、大晦日に掲載すると、直ぐにお正月になってしまい、直ぐに、更新しなければならない。たった数分の掲載では読む暇もない。そこであえて28日に掲載した。これを読む方も、御用納めを済まし、家でゆっくり寛いでおられることと思う。私も更にブラッシュアップして来年に臨みたいつもりなので、期待していただきたい。