元気であるということの重み
新年から「体調不良によりしばらくすべての執筆作業が出来なくなりました」とお知らせしましたが、現場復帰できるようになりました。今回はそれに関して、体験上の記録として、特別仕様のコラムとさせて頂く。
後期高齢者については、このコラムでも何回も取り上げてきた。この歳は、人生の大きな節目の年となることが多い、特に肉体的に関門となるようだ。
自業自得と言ってしまえば、それまでだが、生活習慣を甘く見ると、そのツケをしっかり払わされることになる。流行の言葉でいえば、「倍返し」のツケを。
今更嘆いても仕方がないが、元の体に戻すにはハンデを少しずつ減らしていくほかに道はない。
このホームページ自体が、高齢者向けに構成されているので、それを踏まえて話を進めると、人は何気なく安穏な毎日を過ごしているとそれが当たり前になり、それはずっと続くものと思い込んでしまう。
そして、いつか突然、私のように体にメスを入れるようになると、その世界は一変する。
そこに至って、やっと「何でもない生活」が如何に大切であったかに思い至る。
言い古された言葉、「後悔先に立たず」という事態を招来しないためにも、賢明なる読者は、日ごろの食事や運動に心を配られんことをと、一言申し添える。
100均文具(mono)
我が家の居間、そして私の作業場は、手の届く範囲に文具が城壁を造っている。
その構築物の大半が100均文具によって支えられている。
目の届く範囲で、どんな100均文具があるのか観察、レポートしてみよう。
書籍ラックは針金を黒くコーティングした幅30センチ、高さ38センチ、奥行き24センチのもので、これを二段重ねにしたものが2組ある。この高さがあれば、A4サイズの書籍やファイルが楽に収納できる。PC雑誌なら1枠で40冊は入る。
次に、収納トレイである。これは何種類かあるが幅34センチ、高さ10センチ、奥行き26センチの引き出し型トレイには、スペアの手帳や筆記具など未使用のものを入れている。難点は箱の上に本などを数冊乗せると引き出しが、重くて引き出せなくなる点だ。これも重ねて使ったほうがいいかも知れない。また、小さいトレイは幅14センチ、高さ7.5センチ、奥行き18センチである。ここにはUSBメモリやSDカード、接続ケーブル、筆ペンのリフィール、フック、小型のカラビナなど脈絡なく、ギッシリ詰め込んである。
ボールペンやシャープペン、ネジまわしやペンチ、マーカーなどは、いろいろなサイズや形をした小物立てが、本棚のちょっとした隙間を埋め尽くしている。大体が手を伸ばせば届く範囲に置いてある。部屋が狹いせいもあるが、狹いのもいい面があるものだ。
こうして、我が家の居間兼作業所は100均文具に取り囲まれている。今や100均文具は、収納に欠かせない存在である。
今回は文具に絞って紹介したが、100均日用品には、まだまだ便利なグッズがたくさん揃っているのでまたの機会に紹介したい。
話の間
私は落語、それも古典落語が好きである。志ん生、5代目柳屋小さん、志ん朝そして円楽(新作もある)など皆故人であるが、CDが沢山出ており、iPod touchにアルバムとして保存してあり、100話ほど収録されているので、好きな時に聞いている。
特に円楽(顔の長い)の語り口は、聞くたびに味が増す。彼の話しの特徴は、独特な「間」である。そのタイミングが絶妙である。
人は誰でも話をする。それぞれに個性がある。それでも、話に引き込まれることはそうそうお目にかかる事はない。
語りはただダラダラ、メリハリなく続けられると、内容に関わらず退屈してしまう。抑揚やテンポも大切だが、何より大切なのは「間」である。
話しの腰のようなもので、空白の時間であるにも拘わらず、欠かすことのできない要の働きをする。
円楽の落語の魅力が、その間の使い方にあると述べたが、誰でも真似ができるといった簡単な技ではない。剣道は間合の見切りにあるというが、それに似ている。円楽の間は実に絶妙な技。聞く人を円楽ワールドに引きずり込んでいく。
先にも書いたが、私など興に乗ってくると、ついついアップテンポになり、前のめりになる癖がある。聞く相手は口を差し挟む余地もなく、共感することもないだろう。いつに「間」の欠如である。間とは、人と呼吸を合わせるところに生まれる。
講演会で話をする先生方ですら、聴衆との息が合わず、自分の持論に酔いしれて、聴衆置き去りというシーンを演じている人もいる
こうした先生方でも、聴衆一人ひとりと対面して、語りかけるように心がければ、自ずから話し方は変ってくる筈だ。
ここで大切なのは「間」の取り方で、まさに「無用の用」のような存在だ。
間を体得するには、時間をかけ修練するしか道はない。