2014.2.3福は内
今日は節分である。そして明日は立春。春の到来を待ち望んでいた人にとって節目の日である。夜になると、家々から「福は内、鬼は外」という声が聞こえてくる。豆を撒いた後は、年の数に一粒加えた豆を食し、福を招くというのが、古来からの慣わしとなっている。流石にこの歳になると年の数の豆を食べることは出来ない。せいぜい8粒がいいところだ。それでも、内に福が来てくれることを願う気持ちは強い。
豆まきで有名なのが、成田山新勝寺である。今日も早くからTVで横綱「白鵬」や人気急上昇の「遠藤」が4万人の参詣者を前に豆を撒く映像が流れていた。このお寺では門前の仁王様が鬼を追い払うので、「福は内」だけしか唱えない。
神社でも豆まきの慣わしはある。本県では、箱根神社が有名で、ここでは巫女たちが、水上スキーの鬼に向かって豆を撒くのがユニークな祭事である。寺院は「節分会」といい、神社は「節分祭」と呼ぶ。内容は同じである。いかにも日本らしい神仏混交の慣わしで、異教徒の外国人には到底理解できない信仰のスタイルである。
もっともこうした祭事は、年中行事の商品化につながっており、日本の仏様も、神様も中々の商売上手である。
国が平和で豊かになると、昔からの年中行事が見直され復活してきていることは、町づくりや、街の活性化にもつながるものであり、大いに推奨されるものだ。
2014.2.7 春よ
2月は普通の月より日数が少ないせいか、何となくせわしい。受験生にとっては、正念場の月であり、その家族にとっても気を遣わせられるなど苦労の多い月である。
さて、前回は節分でまるで春爛漫といったポカポカ陽気だったが、翌日の立春は一転して真冬の寒さが襲来し、小雪などもちらつき、この冬は定まらない天候に振り回される毎日だ。
立春のその後の寒さ言い会へる 石塚友二(入門歳時記より)
立春とはいえ、旧暦では今が正月なのだから、まだまだ寒い日が続くのかも知れない。そうこうしているうちに直ぐにバレンタインデーだ。例によって宗教観などまるで無い年中行事である。商戦に上手く乗せられて、義理チョコが日本中にばら撒かれる。尤も最近は高級なチョコは自分へのご褒美として買い込む女子もいるいそうだが。
私などこの歳になると、まるで無関心な行事なのだが、チョコレートは好きだ。カミさんがチョコレートケーキでも焼いてくれたら喜んでかぶりつく。今年はどうだか期待薄ではあるが。
そうなれば、ホットチョコレートなど自分で作って、ゆっくりと味わうとしよう。
ユーミンの歌に「春よ遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする」ああ、春よ早く来い。
2014.2.11 椅子(mono)
腰を据えるという言葉がある。その意味は「じっくり構える」ことを言うのだが、物(mono)視点で見れば、腰を据える道具、つまり、椅子のことを指す。
私のように物を書くことをライフワークと考える者にとって、作業に椅子は欠かせない。下書きしたり、PCを操作するには、椅子が果たす機能は大きい。しかし、椅子を色々変えて、試行錯誤を繰り返しているが、いまだ「これだ」という椅子には巡り合っていない。
作業環境を考えると、椅子と机はセットで考える必要がる。先に述べたことだが、我が家は執務環境といった大げさなものはない。狭いので、作業場所を確保するのに一苦労する。一か所だけライティングデスクの前だけは固定しているが、部屋の片隅で物で溢れかえった通路の一部なので、腰を据えるより、落ち着かないといった場所にある。そのため、椅子は直ぐ片付けられるような、軽量で折り畳みができ、背もたれの着いたものを使っている。
この椅子にしろ、この代に至るまでにキャスター付きの重い椅子や、デカすぎるイタリア製のロッキングチェアを無理やり押し込んで失敗した経験の末に、今の場所を得ているものだ。
このように椅子といっても色々で、結局行き着いたのが、場所を取らず、軽くて、折り畳めるものというのが共通点になる。
スタイルは2種類で、脚の着いた椅子と座椅子に大別される。座椅子はアウトドア用の布地の背もたれがベルトで調節でき、マットにもなる多機能型のものが気に入っている。当然、机は座卓である。この他折り畳み机で、高さ調節ができる物用には、矢張りアウトドア用の袖付ディレクターチェアを使っている。その時の体調や気分に大きく左右されるが、たかが椅子、されど椅子。未だ腰が据わらぬまま何とか凌いでいる。
21014.2.14工夫するということ
工夫とは生活の知恵から生まれる。大きくは環境に順応するために、例えば気候(四季)の変化に対するため、またモノの機能を自分にフィットさせるために工夫することが挙げられる。
第一の四季への対応として、衣食を適応させることである。「衣」については、冬は重ね着やコートを着て、保温する。逆に夏は気温に合わせて薄着をする。中間の季節の春と秋は、合着という名前の衣料もある。暑さや寒さに対しては、人によって感覚の差があり、一年中裸に近い状態で過ごす豪の者もいるが、これは例外で、一般的には自分の皮膚感覚で着衣は選ばれる。これが伝統的ともいえる気候の変化に対する人の工夫であるといえよう。
次に「食」であるが、冬は「鍋に限る」と言ったように、食べればすぐ温まる食事が好まれる。夏は「冷麦」のように氷を使った喉越しの良いものが好まれる。尤もカレーライスのように四季にかかわらず人気のある食べ物もあるが、あの辛さは冬は温まり、夏は大汗をかかせて体をリフレッシュしてくれるからだ。
このように、環境の変化に対応して衣食を変えるなどの工夫することは、日本では当たり前のことであり、その工夫する心があらゆる分野に及んでいるという、広がりの大きさが、日本人の特性と言えるのではないだろうか。
何に対しても置かれた環境に合わせて工夫を施すことが、習性にすらなっている。工夫しない者は、単なる無精者であるとさえ言ってもいいだろう。
工夫して新しいモノに生れ変えさせる知恵を出すのが、特に町工場など、中小零細企業である。生き残りを賭けているので、必死に独自性あるモノ造りに挑んでいる。その結果、従来の製品に一工夫加えて、世界市場で認められるようなモノ造りをしている企業が、沢山生まれてきている。これもひとえに、日本人のくじけないで工夫して、何とか他より優れた品物を作り出す苦肉の知恵の発露なのかも知れない。
2014.2.18 頑固者
私は普段穏やかで、人と口論する事など皆無である。腹の中で相手と考えが違っても、正面切って口論することも無い。
従って、一見優しそうで、大人しい人という印象を与えている筈だ。でも、それは外見の話。長年連れ添っているカミさんは、私は頑固者だと言う。私としては精一杯相手の話に合わせている積りなのだが、どうやら、根本的なところで周波数が合っていないようだ。
ちなみに、カミさんの血液型はO型、私はA型である。一般的に言われているのは、逆のパターンが理想の相性のようだ。逆の場合、外見には亭主関白で女房は忍従型に映る。しかし、このパターン定年過ぎなると、倍返しの逆襲を受けることになる。究極の逆襲は定年離婚という形で収まる。
我が家では、カミさんが家事全般を仕切っており、私は何もせず、それに従う。少々気に入らないこともあるのだが、「ま、いいか」で大概は済ませてしまう。
それでも、カミさんは、私のことを「頑固者」という。これはある意味核心を突いている。何故なら、私自身は何を言われようと結局はマイペース、自分の我を通す。やりたいことはやり通す。行動や考え方を変えるなどという本質的なところは妥協を許さない。我慢はするが、自分の信条に反することについては、相手がたとえ強要しても先ず妥協しない。その辺を見抜いてカミさんは私を「頑固者」と言っているのだろう。
2月22日という日
二月も下旬になったが、道の隅には残雪がこんもりと汚れた姿をさらしている。未だ春一番の訪れもなく、まだ寒い日が続いている。
2が3つ並ぶので、2月22日はどんな日なのか調べて見た。結構面白い日であることが分かった。
概ねが語呂合わせからきているが、中には「猫の日」(1987年制定)のように「ニャン、ニャン、ニャン」と鳴き声で語呂合わせしているのは、ひねりが効いて面白い。尤もこの語呂合わせ、音からきているので、日本だけでしか通用しない。ちなみに、この「猫の日」、ロシアでは3月1日、米国では12月29日に定められている。
似たように語呂合わせから「おでんの日」と云うのがある。おでんを食べる時に「フーフーフー」と息を吹きかけ、冷ますところからきている。
もう一つ、ちょっとひねりの効いたのに「ショートケーキの日」と云うのがある。これは比較的新しく、2003年に仙台のお菓子屋さんが決めたもので、カレンダーでは15日の上が22日と決まっており、上に15(イチゴ)が乗っかっているところから、ショートケーキと「オチ」まで付いている。
まだまだ「夫婦の日」とかいろいろあるが、最後にこの日は「風生忌」(俳人富安風生の亡くなった日)である。
私の好む一句「生くることやうやく楽し老いの春」で締めることとする。
2014_2_25ソチ五輪雑感
報道では、ソチ五輪での日本選手の活躍に期待し、こぞってメダルの獲得への記事に力を入れていた。その五輪も23日に閉幕をした。
「やれやれ終わったか」と言うのが率直な感想だ。と言うのは、時差ボケからやっと解放されたからだ。
メインの競技は、日本時間では真夜中、午前3時から5時の間、無理やり眼の皮を押し上げて視たせいか、翌日は眠気と戦う羽目になってしまった。
別に、私個人としては、メダルがどうのこうのと言うことには関心は薄く、新聞やテレビで報道される、メダル獲得者のお涙頂戴の話には、今一つ乗れなかった。
あれ程騒ぎ立てた背後には、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの存在が影響しているような気がする。
冬のスポーツと言えば、スキーかスケートが定番であるが、スキーの種類の多さには、いささか驚かされた。つい最近までは気にしなかった種目が随分あった。ハーフパイプなどという種目は、日本のスキー場ではあまり見かけないのだが、10年以上の前から外国では人気があるスポーツのようだ。
ショーン・ホワイトと言う選手がいるが、彼が編み出した技(パフォーマンス)が関心を呼び、彼は一躍この世界のカリスマとなり、大きな財を築いたという話だ。
察するに、これはスポーツと商業主義がうまく折り合った例である。
日本が、もっとメダル獲得に意欲を燃やすのなら、五輪のアマチュアイズムのルールの隙間にある新しい力を考え出し、魅せるスポーツへと変身させるような経営努力が必要だと、今回の五輪を通じて思い知った。
2014_2_28雛祭り(桃の節句)
2月は28日で終る。(但し、閏年は29日。次は2016年、オリンピックのように4年に1回巡ってくる)
明日からは、いよいよ弥生3月である。寒さも、やっと峠を越した。家の玄関の僅かなスペースに、一組の雛人形が飾られている。カミさんが嫁入り前に精魂込めて作った、木目込みのお雛様である。
本来ならフルセットで飾るものなのだが、再三言うように、我が家にはその場所が無い。お内裏様をこの様にして飾るので精一杯なのだ。それでも、この一対の雛人形が、我が家に春を運んでくれる。幸い我が家には娘ができたので、3月が近づくと、このお雛様にお目にかかることができる。
今年の桃の節句には、いつものように「ちらし寿司」と「蛤のお吸物」が出てくるのだろうか。それとも、アサリに化けたお吸物が出るのか、私には、判断が付きかねる。
蛤はその貝殻が「対」のもの以外は、合わせることができない。それ故、徳川8代将軍「吉宗」は結婚式の祝膳にハマグリの吸物を発案し、二夫にまみえぬ貞節の教えとした。それ以降風習として、蛤のお吸い物がひな祭りに出されるようになったと言う話である。
今の世に「二夫に見(まみ)えず」などと言ったところで、話は通ぜず、その場の雰囲気が急に冷え込んでしまうのは、目に見えている。従って、私はアサリのお吸物でも一向に構わない。