2014.3.4春の空気を味わおう
3月6日は啓蟄と言って、二十四節気の第三、二月節に当たる。この頃になると、冬ごもりしていた虫たちが外に這い出てくる。啓はひらく、蟄は虫が土の中に隠れるという意味がある。
人も気候が暖かくなると、分厚い冬着とおさらばして、軽装で春の野原を散歩するなど、外出の機会が増える。家の中にも窓を開いて、春の外気を取り入れよう。
日本の古い木造家屋は良く出来ていて、日本の気候に合うような、生活の知恵が盛り込まれていた。時代が進み、建材も変わり、家屋の構造自体が大きく変化してしまった。
昔を懐かしむ訳でもないが、古い家屋を少しだけ思い返してみよう。今の家には廊下という概念は無いようだ。昔の家は庭に面して廊下(幅90センチ)があり、周囲はガラスの引き戸で囲われていた。更にその外側は、杉戸の雨戸があり、これは戸袋に収納されていた。この廊下の部分を縁側と呼び日当たりのいい場所にあり、庭から石の踏み台に履物を脱いで家に上がることができた。縁側の陽だまりの中、猫のように昼寝をしたことを思い出す。
あの頃は、時間がゆったりと過ぎていたような記憶がある。今はそうした面影を残すのは、古い旅館ぐらいである。生活は貧しくとも、めぐる季節に合わせて模様替えする古い風習は、すっかり影を潜めてしまった。
昔を懐かしんだところでしょうがない話だ。ここは一番外に出て、花が咲き乱れる公園など散歩することにしよう。
2014.3.8一日一万歩
ウォーキングを始めてから十数年が経つが、一日一万歩を歩くという事がどれほど大変かは、結果が物語っている。私の歩幅から推測するに、距離に換算すると約7キロの道程である。上り下りの多さなど条件は異なるが、一日一万歩という目標設定は適切だと思っている。一日一万歩を超えるウォーキングは、天候などに左右されるが、一週間で一回ぐらいで、大体八千歩前後の日が多い。遠出して市立の名のある公園や名所巡りなどは、一万歩を軽くクリアする。4時間位の行程が多いから当然ではあるが。
普段は近場の決まった道を歩く、ご近所ウォーキングでは、中々一万歩は達成できない。万歩計が文句を付ける。「もう少し頑張りましょう」などと言うメッセージが出る。
自分では頑張っている積りなのだが、歩き放しの一万歩は自分には無理である。途中に必ず30分ほどの休憩を挟まないと、体にきつい。
ご近所ウォーキングの場合、約2時間半かかる計算になる。午前中一杯かかる。大体一日一回と決めているので、それで一日の歩きは終了する。
元々健康第一のためのウォーキング、持病の腰痛と糖尿病との折り合わせをつけての習慣化、決して無理はしない。
三月は今までにも書いてきたように、開花の時期で、散歩を趣味とする者にとっては、出かける機会の多い季節である。できるだけ一万歩を超えて、万歩計にお褒めの言葉を頂けるよう、気合を入れることにしよう。
梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪
2014.3.12良質な睡眠が欲しい
人間は人生の3分の1を眠って過ごすと言われている。その眠りは、その深度から二種類に分類される。これは広く知られていることで、その一つがレム睡眠であり、もう一つがノンレム睡眠である。
レム睡眠は、Rapid eye movement sleepの略語で、直訳すれば、急速眼球運動を伴う睡眠のことで、体が眠っているのに、脳が活動している状態の睡眠である。夢を見るのはレム睡眠中で、急速眼球運動を伴わない睡眠をノンレム睡眠で、いわゆる熟睡状態である。
私の記憶では、ノンレム睡眠に入ったの記憶は殆ど無い。という事はスッキリした目覚めを知らないに等しい。導眠剤を使っても、中々眠りに入れないことがしばしばある。起きているのか寝ているのか、うつつの状態が続くので、すぐ目が覚めて、寝起きも悪い。
調べたところによれば、私のように糖尿病に罹っている者にとって、睡眠不足は体内のインスリンを更に低下させることになり、質の高い睡眠が大切なのに、悪循環に陥っていることになる。
私もそれなりの努力はしている。眠るために、腹式呼吸をしたり、頭の中を無の状態にするなど試みているが、中々ノンレム睡眠の世界には入れてもらえない。夜中に何回もトイレに行くために起き上がらなければならず、眠りはリセットされてしまう。
目を瞑れば自然に眠気が訪れるような睡眠コントロールは、未だにできていない。
完全に健康な状態は、よく眠るところから始まると言われている。訓練を重ね、ノンレム睡眠の世界を経験できるようにするのが、大きな課題となっている。
2014.3.16ローマ字変換の罠
物を書いていてよく引っかかるのが、文字の変換が思い通りにいかないことだ。私の場合、キーボードはローマ字入力しか使わない。ローマ字自体が日本語変換に使われるなどとは、想定していない時代に考案されたもの(起源については、神奈川宿2で紹介している)なので、その方式に従って入力すると、思ったように変換されないのは、当然と言えば当然なのである。
例を上げてみる。tuzukiを変換すると、求めている「続き」や「都筑」とは変換されない。正しくはtudukiと入力しなければならない。ローマ字のルールでは「ず」または「づ」はzuと表記するするのが通例である。他の入力で悩ましいのは、長音である。例えば、東京のローマ字表記は「tokyo」であり、京都は「kyoto」が正しい。これを見ると「長音」を示す文字が欠落している。従って、ローマ字変換する場合は、toukyouであったりkyoutoという風にuを入れなければならない。ōという長音表記が変換辞書にあるが、アルファベットから拾い出せないから実用的ではない。
濁音の場合、先に示した「ず」や「づ」の他たくさんある。jiの「じ」やdiの「ぢ」は音は同じだから、日本語に変換してから、間違ったことに気づき(kizukiだと築きになる)、打ち直しとなる。
意味や前後の関係を推しはかって入力すれば、間違えることは少なくて済むが、一度は間違えるものだ。おそらく多くのライターが、こんな「罠」にはまって手間取っていることだろう。
2014.3.20彼岸と法事
明日は春分の日、お彼岸の中日である。最近はさぼっているが、お彼岸には墓参りするのが慣わしであった。またこの時期は何故か法事と重なることが多い。
私は八人兄弟(姉妹)と大家族の中で育った。今75歳で6番目の子供であるから、いままでに祖父、両親、兄、姉の4人を失ったが、長命な家系である。男は兄と私の2人、女系家族である。姓の違う親戚が多く、法事などで集まると、孫子を入れて30人は集まる。賑やかなものである。どうでもいい個人的人間関係を暴露してしまったが、わが家系の法事は賑やかだということを言いたい訳である。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌までは法要が行われることが多いから、詰まる所毎年親族が顔を合わせることになる。
毎年のことなので一周忌法要は神妙であるが、それ以外の法要は懇親会のようなものである。懇親会と考えれば、故人を偲んでしんみりしたり、涙を流すということはない。故人はそこそこ長生きし、親族に見守られて逝ったことも場が湿らない理由であろう。
と云うことになると、話はお斎(おとき)の話に変わる。型通りに献杯し、普段では口にできない料理を堪能し、酒を飲める者は、(私は全くの下戸)酒が入るほどに盛り上がっていく。殆どが四方山話で盛り上がり、どうも故人の思い出を語り合うシーンには巡り合わない。三回忌以上になると、悲しみは薄れ、思い出も遠くなる。悲しみなどは余り引きずるのは良くない。
故人にとって、法事という行事をきっかけに、多くの家族が集まり、その絆を深める場所を提供しているのだと知れば、それが一番の供養になることだろう。
2014.3.25習い事
先日テレビを視ていたら、アンケートで小学生に「今習いたい事」は何という質問に対する答えをまとめていた。男女均等に聞いたせいか、自分で思うような結果ではなかった。1位「サッカー」2位「水泳」、3位「英会話」だったと思う。
男女別別に聞いたら別の答えになっていたと思う。「野球」が選外と言うのは不思議だった。私の子供時代は「サッカー」ではなかったはずだ。理由が「プロになって親孝行したい」だから、今やサッカーは男女を問わぬ国民的スポーツになったのであろう。
さて、文化的「習い事」に「ソロバン」や「お絵かき」が入っているのには、いささか驚いた。デジタル化が進む中で、このようなアナログ的ものが残っているのは嬉しいことだ。これが私の子供時代であればもっと順位は上であったろう。私だったら迷わず「お絵かき」を選んだであろう。
電子ゲームがない時代、楽しみといえば、漫画を読むことだった。その影響か私のノートや教科書の余白はびっしり漫画で埋まっていた。戦後直後だったので、ゼロ戦や戦車そしてノラクロのようなものが主であったと覚えている。あれほど戦争でひどい目にあったのに、何故戦に関する題材を好んだのかは不明だ。そんな風に絵を描いている内に、絵を描くこと自体に興味を覚え、将来は絵描きになろうと思っていた少年時代だった。
そして、長い空白の時を経て、今頃になってまたぞろ絵心が頭を持ち上げてきている。尤もアナログの絵ではなく、コンピュータグラフィックスという名の絵である。その手始めが、トップページの「人物百相」と「生物百様」である。今は古い時代のイラストに色を付けるだけの塗り絵であるが、いずれか自分独自の絵の世界を広げようと目論んでいる、これで夢がまた一つ増えた。
2014.3.29別れと出会いの交差点
3月末から4月始めにかけては異動の季節だ。この時期になると、多くの学生が、卒業を迎え、企業では同様に多くの企業戦士が定年で会社の一線を去ることになる。また、職場では人事異動が行われる。これは、人生の節目の儀式のようなもので、誰もが経験する関門である。
その背景には、悲喜こもごもの人生模様が織りなされる。晴れて希望の進学を果たすもの。昇進して人の羨む地位を得るもの。受験に失敗して再度の挑戦を余儀なくされるもの。左遷されて、都落ちするもの。笑いあり、涙あり、それが人生経験として一人の人としての歴史の中に積み上げられていく。
そして、月が変われば、新たな環境が待っている。希望に満ち溢れて、その場所につくもの。失意の中で、悔しさを噛みしめて新たな挑戦に備えるもの。そして、新たな場所に赴任するものがいる。
でも、それは外見的なもので、それでその人の一生が決められた訳ではない。上昇するものにとっても、厳しい競争の世界が待ち受けており、都落ちしたものも、素晴らしい土地と人が迎えてくれるかも知れない。
誰もが幾たびか通過する人生の交差点。渡った先に何が待ち受けているかは分からない。
いかなる場所、いかなる人に囲まれても、人生楽しみの種はあるものだ。そのひと粒ひと粒を大切に育てよう。