2014.4.3庭先御免
春の息吹が強く感じられる季節が再び廻ってきた。いつも散歩で歩く道にもその気配が強く漂っている。それは戸建ち家の石垣の上の斜面や、柵越しに見える庭木や野草の花の開花である。「ああ春だな」と実感する瞬間である。人は老いても、花は毎年変わらぬ姿を見せ、人の目を楽しませてくれる。こうした変化を感じ取るのは、齢を重ねないと実感として受け止められない事かも知れないが。
こうした光景は、路地裏を歩いてみないと中々見つけられないが、ちょっと散歩のコースを変えて、細い路地に入り込んでみると、お目にかかることができる。たまに行き止まりの道に入り込むこともあるが、それほど大した距離でもないから、目を楽しませるだけの価値はある。
道順にそって写真を撮っていった。(3月24日)実は今まで街路樹の観察はしてきたが、花を中心に撮影したのは初めてで、恥ずかしながらほとんど名前が分からなかった。家に帰って花図鑑で調べたが、正しいという保証はない。中には花なのか新芽なのかと疑うものもあった。
一応アルファベット順に紹介する。(スライドショウはここをクリック)ボケ(木瓜)、チョウジガマズミ(九州・四国地方に多く咲く、関東では珍しい)、コブシ(辛夷)、スイセン(水仙)、タンポポ(蒲公英)、トウバイシダレ(唐梅枝垂)、ツバキ(椿)、ツメクサ(爪草)などを紹介してみた。
2014.4.8気分転換
人は生活している限りストレスが溜る。自分の思うように事が運ぶ訳では無いから、当然の事ではあるが、精神的にストレスが溜ることになる。一方、肉体的にストレスが原因で、身体に異常をきたすこともある。
特に私のように年中パソコンに向かっているような人間には、首や腰に疲労が蓄積し、それが肉体的にストレスになり、不眠に陥ったり、身体のあちこちが痛くなる現象が起きる。
ストレッチや散歩、マッサージや理学療法で解消することが多いが、自律神経失調などに及ぶとそう簡単には元に戻らない。
ストレスの解消には、精神的にも肉体的にも新しい息吹を送り込む必要がある。そのための気分転換としては、泊まりがけの旅行が一番だ。上げ膳据え膳で、のんびりと温泉に浸って、気の合った友人と話に興ずるなどすれば、効果てきめんである。
これは少々贅沢な部類に入るので、そう度々機会は訪れない。市内の公園などを散歩した後に、スーパー銭湯などでゆっくり汗を流すのも、その代替手段ぐらいにはなるだろう。
身体的に貯まるストレスは、通常適度な運動をすることを習慣化すれば解消するはずだ。
ただし、毎日欠かさず行うのは結構大変なことで、あまり無理すると体調を崩してしまうことにもなり兼ねない。
適度の運動とは、自分でこれを楽しんでいると感じる度合いのことだと思う。
私の場合、最近は簡単に家の中の何処ででもでき、道具もいらない腰痛体操を、ある本で見つけたので、それを実践している。これは結構効果があるようだ。
いずれにせよ、ストレスは目に見えないものだから、自分の身体に表れる変化を察する他に、自分では見つけにくい。ここで敢えて結論付けるなら、今まで述べてきた手段の他にも、人によって解消法は沢山あるのではないかと思う。
自分なりの気分転換法を見付出して、先ずは実践することである。
2014.4.12ヤモリ
家に棲みつく小動物は、飼うと言うのではないが結構いるものだ。
その中の一種がヤモリ(守宮:家守)である。我が家にも長く棲みついていた。マンションの大規模修繕を境に姿を見なくなった。それまでは多くの世代交代を重ねて我が家に棲み着き、始終壁を這い回っていた。
家族のものは嫌がっていたが、私は「うい奴」と言う思いで、その挙動を観察していたものだ。
ヤモリはトカゲの一種であるが、特徴がある。先ず、目がちょっと飛び出しており、クルクルと良く回り、広い視野で獲物を見つける。家の中にいる蚊やゴキブリのこどもなどの害虫を駆除してくれる。もっとも直接捕食の瞬間を目撃したわけではない。
他の特徴としては、足の指の先に吸盤が付いており、壁を思ったより素早く移動することが出来る。私は爬虫類は嫌いな動物の一つだが、ヤモリは好きな部類に入る。キーキーという鳴き声も愛らしい。
ヤモリを守宮と書くのは、家を守ってくれる有難い生き物であるからだ。古い木造家屋を好んで棲み家にする。古い家には、それだけ餌が豊富にあるからだろう。
比較的新しいマンションだった我が家に棲み着いたのは、珍しい例だったのかも知れない。棲み家を追われた我が家のヤモリは、再び戻ってくるのだろうか。再会を待ち侘びている私なのだ。
4/16 持ち帰り弁当
たまに家族が出かけたりすると、昼食や夕食を弁当屋の弁当で済ませる事がある。
普段は、血糖値の関係で野菜を多くした健康食を余儀なくされているので、 この時ばかりは、自分の嗜好に合った食物を選択できる。と言ってもそれほど代わり映えするものでもない。品数が多いわけではないからだ。
和洋中とあるが、私はカツ系の弁当が好きだ。ロースであったり、ヒレであったり、海老混合であったりする。次は天丼で、これには海老を欠かせない。できれば2本は欲しい。他には、崎陽軒の弁当。定番はシュウマイ弁当だが、私は横浜チャーハンが多い。たまには気張って中華弁当にしたりもする。昼は中華饅頭にすることもある。
この時ばかりは、野菜と魚が姿を消す。魚介類は好きだから例外だ。こうして見ると総じて脂っこい。普段とは違う味を楽しむのもの、たまにはいい。
とは言え、これはあくまで例外で、週一回あればいいところだ。弁当もそのくらいにしておかないと飽きがくる。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の譬えの通り、何事もほどほどにすることだ。
2014.4.20 日本の食文化
食べ物の話が続くが、食べ物に関しては、日本はタブーが存在しない稀有な食文化を持った国である。今回は我が家の食文化の前振りとして、大きな視点から食文化について考察してみた。
日本の食文化には、宗教的制約がなく、B級グルメではないが、価格帯にも幅があるため、選択肢が広い。
勤め人は、会社帰りに行きつけの居酒屋で一日の疲れを解消する.。帰宅は午後10時をすぎるのは当たり前ということになる。
相変わらぬ喩えの「亭主元気で留守がいい」は健在のようだ。奥方たちも昼間連れ立って食事会という光景も珍しくはない。
それもこれも日本の食文化には難しいルールなど存在しないからだ。かけ蕎麦からフレンチの三ツ星まで、そのメニューの数は膨大である。
日本の食文化については、多くの情報をインターネットを通じて得ることができる。ここで紹介するのは、外務省のホームページ「日本の食文化」について、少し言葉を拝借して、前知識を仕入れる事にする。
「日本の食文化の中心には米がある。米と野菜や魚介類を組み合わせた、伝統的な料理は江戸時代には完成されており、それが現代の和食に引き継がれている。」
そこに大きな転換をもたらしたのが、明治維新により急激に外国の食文化が流入したことである。日本人はあらゆる文化の流入に対して、日本的アレンジを施してしまう。
ちょっと例を上げてみても、カツレツ、すき焼き、てんぷら、カレーライスなどが思い浮かぶ。その結果として、驚くほど豊かでバラエティに富んだ日本独自の食文化を生み出すことになったのである。
2014.4.24 我が家の食文化
一般的家庭の食事の光景は、朝はご飯に、味噌汁、漬物に卵焼き、それに干物の焼いたものなどが定番であろう。
我が家はいささか異なりコーヒーにトースト、野菜にハム、バターそしてヨーグルトというブレックファーストと決まっている。
昼は、麺類、パスタ、チャーハンなどで済ますことが多い。これは会社勤めの人がお昼に取る食事と同じようなものだ。偶に弁当であったり、丼ものであるのも同様だ。つまり昼は軽食ですませる。
夜は日本的食文化の登場となる。普通の家庭の朝食に加え、品数が多少増える。とは言っても、旅館のように器がやたらと多い、料理では手間もかかるし、大体並べる食卓が狭すぎる。後片付けも大変になる。効率的な食膳ということになる。
ご飯に、漬物、サラダ、味噌汁、ここまでは一般家庭の朝食に同じ、それに揚げ物が加わる。天ぷら、ハンバーグ、カツ、ポークソテー、何かのお祝いの時はステーキ、最後にデザート、フルーツか甘いもの。中華の場合もある。冬は鍋が多く食される。
まさに、和洋中折衷の国際色豊かな、日本的食文化の花盛りとなる。このようにバリエーションの多い食事の最大の効果は、飽きが来ないことだろう。
三食豪華な食事などにすれば、家計も持たないが、まず体がだめになる。日本の家庭料理は、軽重合わせてバランスが取れているのことが一番といえる。
健康の源は、バランスのとれた食事にこそあるのであって、主婦の献立にゆめゆめ注文をつけてはいけない。
2014.4.28昼間眠る街
街は時間帯でどこも違った顔を見せる。普通の家庭では、朝の起床に始まり夜の就寝で、一日を過ごすのが普通だ。ところが街によっては、違う始まりと終わりがあるところもある。
買い物の都合で、地下鉄関内駅で降り、野毛の商店街に向かって、散歩がてらに歩いて見た。その時の話である。
伊勢佐木町と野毛との境に都橋という名の橋がある。ここを渡って左に曲がり、買い物目的の店を目指したのだが、川沿いには、川を挟んで福富町と宮川町がある。宮川町を左側に見て歩いたのだが、ここには川に沿って細長くうねった二階建ての店舗が存在する。 殆どの店が呑み屋であったり、小さなバーであったりする。うらぶれた店が軒を連ねている。昼間開いている店などどこにもない。きっとこの街の表情は、代こそ変われ半世紀以上も変わらないのだろう。ここでくらす人たちは、居付きなのか、通いなのかは知る由もないが、昼間は寝ていることだろう。どこも入り口を閉ざし、人の気配さえしない。
私はこの街の夜の顔は知らない。酒を飲まないから訪れたことがない。きっと覚醒した街は、その輝きを取り戻すのだろう。川を挟んだ福富町は歓楽街で有名である。規模も大きく、店もクラブのような格の違いを感じさせる店が多い。それでも、そこも昼間はここ同様眠る街である。「夢は夜開く」という歌があったが、こうした夜遅くに煌めきを取り戻す街が、この川沿いには多く点在する。
街は私が生活する住宅街と歓楽街とでは明らかに違う顔をもつ。物事に表と裏があるように、街も二つの顔を持っているようだ。