2014.5.1 柏餅
ゴールデンウイーク(GW)真っ只中、今年のGWは飛び石連休である。人によっては、最長11日の連休を取ることができるそうだ。
私はこの期間も、普段と何ら変わらぬ生活を続けており、言って見れば毎日が休日みたいなものだから、改めて特別な期間ではない。
それでも、日本の食文化ではないが、時期限定の菓子「柏餅」を口に出来る。 桜餅に続いて柏餅、端午の節句を祝う菓子の登場である。
ちょっと文献で調べてみると、「偏平な円形にした新粉餅(うるち米を精白し、洗って乾かして粉にひいたもので、上新粉とも言う。この上新粉を捏ねて蒸し、ついたり、捏ねたりしたものを柏餅に使う」とある。 この生地を使った和菓子には、花見団子やスアマなどがある。
餅を包む柏の葉は、「新芽が出始めて、古い葉が落ちるので、男子の成長と子孫繁栄を願い、武士の間で縁起を担ぎ珍重された」という。
和菓子のお店に行くと何種類かの柏餅が置いてある。代表的なのが餡子(あんこ)が小豆の粒あんだったり、こしあんだったりする。他にも餅にヨモギを混ぜたものや、うずら豆の味噌あんなどがある。私は中でも粒あんの柏餅が好きだ。
桜餅は、葉ごと食べるが、柏の葉は食べるには固すぎる。この時期にしか出回らないので、短い期間であるが、あちこちの店の味を楽しむのもいいものだ。
2014.5.4 こどもの日(端午の節句)
明日5日はこどもの日。こどもの成長を願う祝日であるが、端午の節句と言われ、男児の祝いとされていたものを、昭和23年から、法律で男女の別なくこどもの日として祝日にした。
私が小学生の頃はまだ男の子の節句で、鯉のぼりがあちらこちらの庭に立てられて、何匹も泳いでいたものだ。いまでは近所ではほとんど見かけない。
鯉のぼりは、鯉の滝登りを象徴したもので、立身出世のための縁起物である。いまのこどもに立身出世といってみても、今ひとつピンとこないかもしれないが、お受験に代表されるように、親は本心では願っているかもしれない。
端午の節句は伝統ある行事で、柏餅や粽(ちまき)を食べるのは、邪気払う慣わしの名残りである。
私が小学生の頃には、父親が座敷の床の間に鐘馗様の掛軸を、付け替えていたのをよく覚えている。
おっかない顔をして、鎧に身を固めた姿は、五月人形として今でも売られている。魔除けの神様であるので、今流行りのご当地キャラで売り込めば、結構いるけるのではないだろうか。
今は少子化の時代、こどもは国の財産である。子供に対する対する暴力(DV) は、正に家の中に潜む邪気である。こどもが元気で健やかに育つためには、こうした目に見える邪気は、社会的悪として、世の中から一掃しなければ、こどもの安全も未来も約束できない。
2014.5.7 利き××?
字を書く時普通は右手であるが、最近は左手で書く人も多く見かける。幼少時に箸を持つ手は右といったような、矯正を受けることが多かったせいもある。本来利き手となる筈が、後天的に変えられるケースで、野球などでは右投げ左打ちのように、利き腕よりベース間の距離を少しでも稼ごうと変える場合も見られる。天性のままなら利き××は、自然に決まる。
今回は利き××について、色々観察することにする。私の場合、利き目が左であることは、以前から知っている。判断する方法は簡単で、目の前に指を立て、後方の別の物体と会うように焦点を定める。そして、片目をつぶって眼の先の指が、動くようならそちらは利き目ではない。反対側の目で見れば、指は動かないはずだ。それが利き目の見分け方である。
このことから体の運動に関わる器官で、利き××と呼ばれるものを探ってみよう。
利き目に関連して利き脳もあるそうだ。普段全く意識しないのだが、どちらの脳が利き脳なのか見分ける方法がある。自然に指を組んだ時、どちらの指が上にあるか、更に腕を組んだ時、どちらの腕が上にあるかによって分かると言う。私の場合、指も腕も左が上になるから、利き脳は右脳ということになるそうだ。
では右脳の働きについて調べると、右脳は感性の脳だと言う。ついでに左脳は、理論や言語の脳と言われている。
自分では感性よりも論理的に判断する左脳人間だとばかり思っていたのだが、まあそんなものかと考えるとしよう。
利き耳というのがあるのを、知っているだろうか。聞き耳を立てるとは違う生理的な話で、見分け方は、受話器を取る時とっさに出る手が右手なら右耳が利き耳ということになるそうだ。かつて職場研修で電話は左手で、右手はメモ用紙と教わったが、いつの間にか右手に戻っていた。
他にも利き鼻もあるそうだが、説明が長くなるので、この辺で止めにする。
2014.5.11 物の値打ち
私は身の回り品は必要に応じて購入する。できるだけ安上がりに済ますことが出来れば、それに越したことはない。衣料品購入の場合、判断基準はデザイン、材質、色、サイズなどが必須条件となる。通販で買うものもある。写真と仕様だけで判断するしかないので、値段的には良くても、大概は身体にフィットせず外れが多い。
物の価値は自分がどこまで気に入ることが出来るかがポイントだから、直接手に触れ、体に合わせないと見分けることが出来ない。値段が比較的手頃なユニクロの下着などは、満足できるものが多くある。
上着類は街のワークショップや洋品店で試着して、身体にフィットすれば買うので、そこそこ要求を満たすことが出来る。気に入ったものは何年でも使い続ける。
昔の話になるが、サッカー観戦に名古屋に遠出したとき、ちょっと肌寒かったので、通りかかった洋品店でベストを千円で購入した。リバーシブルでデザインはダサいが、何故か気に入り、毎年シーズンには引き出して、もう10年以上も家の中で着ているが、全然傷まない。行った先がトヨタスタジアムだった所から「トヨタのちゃんちゃんこ」などと家族の者は呼んでいる。
神田小川町で買ったKOAの山用のウィンドブレーカーも気に入っており、15年以上もスリーシーズンで着用している。そのため、裏の特殊コーティングがはがれて、洗濯するたびに白い滓のようなものが出る始末である。ファスナーは使わず、フック式のボタンばかり使うため、1か所ボタンが抜け落ちてしまって、正にボロボロと言った塩梅だが、捨てられずに未だに愛用している。
縫製が良く、色落ちもせず、元々携行用だから軽くて、型崩れもしない。そんなところからいつまでも手放せない。
そのようにくたびれてボロボロにならいと実感できないのが、物の値打ちなのかもしれない。
2014.5.15 五配り
接客、接遇マナーの基本に五配りというのがある。目配り、気配り、心配り、手配り、声配りの五つである。言われてみれば、聞いたことあるなと、思い当たる人もいるだろう。
ホテルや旅館などの代表的接客業に限らず、ごく普通の社会人にも大切なマナーであるので、考察してみる。
2020年には東京五輪がある。テーマは「おもてなし」.これは人に対する接遇を、確り行うことで達成することができる。
接客マナーの基本になる「目配り」、「気配り」、「手配り」の三つは、社会人にも必要なマナーということができる。
「目配り」は周囲に目を向け、疎漏のないように取り計らい、相手の心に響く接し方である。人が困っている時に「どうしました。何かお役に立てますか」などと声を掛けるのは、その一例である。
「気配り」は接する相手の状況を機敏に感じ取り、相手の立場を思いやる接し方である。これは「心配り」と似ているが、さりげなく心遣いすることで思いやりのようなものである。例えば、電車の中で若い人が、お年寄りに席を譲る光景を目にすると、周囲を何か心温まる気持ちにさせてくれるような振舞いである。
「手配り」は、何かの集まりなどで、帰り際に帰りの足などで困っている人がいる時、タイミングよく、かつ押しつけがましくなく手を貸すことで、相手に余計な心配をかけないような手配りをすることである。
最後は、「声配り」であるが、これはあまり耳にしない接客マナーであるが、「声かけ」のことである。接客業では最も大切な「配り」の一つであり、私たちが普段何気なく使っている「こんにちは」、「お疲れ様」など、挨拶のようなもではあるが、声かけの典型である「声配り」のひとつなのだ。
2014.5.19 アングルを変えて見る
ワイシャツだけで散歩できるいい季節なった。その分長い距離を歩くことが出来る。MM21地区には、道端に置かれた花壇の花が今が一番の盛りで、身の心も癒してくれる。
今回はちょっとコースを変えて、遊戯施設が立ち並ぶ運河沿いを歩いてみた。
ここから見るMM21の中核は、水辺の一番低い場所から見上げる形になる。目に映る光景がいつもと違うと感じられた。(スライドショウ)
ランドマークタワーを下から見上げると、実に巨大でのしかかる様な圧迫感を覚える。この地区で一番高い建造物程度の認識しかなかったが、この地区のボスであると再認識した。
目を反対側に転ずると、コスモクロックの巨大なホイールがゆっくりと回る姿を眼前に捉えることができる。まるで大きな柱時計のように、時の流れを、刻んでいる様子は、ランドマークタワーと好一対のモニュメントである。
このインパクトある光景は、目の錯覚により、既成のイメージを別の次元へと変えてしまうほどの力を感じさせる。
MM21地区は巨大建造物の集合体である。遠くから見える姿と近くでクローズアップしたアングルには、別の発見が生れる。
普段既成概念となっているイメージは、角度とズームインするだけで、いとも簡単に覆ってしまう。まさに「目から鱗が落ちる」とはこのことだろう。
物を見る際のアングルは、その物体のかもしだす別の属性のようなものを露わにする。
今回の経験は、「日常細事」で取り上げる、取るに足らない事柄を、既成の体験や視点に基づいて書いていることに、ある種の警鐘を発する。
アングル(視点)変えると、別次元の世界が見えてくる。
2014.5.23 ファンのつぶやき
プロ野球交流戦が始まった。この間に5割をキープできないと、勝ち残りが難しい大切な時期である。
私は3月プロ野球のシーズンが来ると、スカパーのプロ野球セットに加入して、オープン戦から観戦を始める。普段あまりテレビは見ない方だが、シーズン中は例外である。
下手の横好きというやつで、昔は観るより自分でやる方が好きで、今のように毎日試合を何時間も観るなんてことはなかった。いずれ「下手の横好き」は書きたいと考えている。
さて、地元ということもあり今はベイスターズを応援している。完全にベイスターズファンになったのは、権藤監督率いるチームが、大魔神佐々木投手の大活躍で日本一になってからである。
佐々木投手がマリナーズに移籍してからは、元の弱い横浜になってしまった。ここ最近では「横浜銀行」などと陰口を叩かれている始末だ。
それでもファンとはありがたいもので、見捨てないで応援している。私は直接グランドでのプレーを観ることは、腰痛が出るので行かない。家で横になってテレビを観ながら、ひとりで一喜一憂している。
その昔は、隠れ巨人などと言われて、巨人の試合しか観なかった。スターが揃っており、いつも上位をキープしているのだから、応援する方も、し甲斐があるというものだ。それに比べ、我が横浜はいつも底辺をさまよっており、実に心もとない。そんなチームだから、草野球で負け戦を重ねた私にとって、負ける悔しさに共感を覚えるのだろう。
最下位での交流戦は初戦をものにしたものの順延となった2戦目は完封負けした。何とか、交流戦の間に5割復帰を果たしてもらいたいと祈りながら、心からのエールを送る。
2014.5.27 猫に小判(DIY)
使ってみて、これは自分では使いこなせないという道具がある。日曜大工の電動工具がいい例である。
まだ現役で働いていた頃、日曜大工にはまった時期があった。普通に考えればマンション住まいに、大工仕事など馴染まないと思うのだが、そうでも無いキッカケが生じたりする。
使い古したソファーを買い替えるに当たり、何かに再利用できないかと考えたのが、そもそもの始まりである。
先ず、解体して使える部分を取り出すことにした。それには先ず道具が必要だ。手早く、大して力仕事にならないようにするには、電動工具一式を揃えようと考えた。ドリル、ノコギリ、トリマーとその付属品、そして工作台などである。どうも大体男というものは、お膳立てができないと、動けない動物らしい。計画では分解したソファーから、モノを乗せたり、収納する台(キャスター付)と腰掛け台を作ろうと考えた。
作業に入ってみると、思うように工具を使えない。それもそのはずだ、技術が身についていないのだから。マニュアル通りにできれば、プロはいらない。結果、切り口は斜めで真っ直ぐにならない。ドリルも変に曲がってネジの頭が出っ張ってしまう。切込みをつける技など無いから、仕上がりが不安定で、キャスター付きの台などは、転がらない。下手をすると一瞬の内に壊れてしまいそうだ。
これに懲りて工作はやらなくなり、買い揃えた工具一式は、 大きい 茶箱の中で長い眠りについている。
私にとって、電動工具類は「猫に小判」と言うのか、それとも「豚に真珠」とでも言うのだろうか。
2014.5.31 キャシュカードのマジック
カードにも色々あるが、今回は、クレジットカードやポイントカード、プリペイドカードなどの電子マネー を取り上げる。
最近は、現金より電子決済の買物が多くなったせいか、財布の中の現金は旅行などの時を除き、少額になっている。それに代わってカードスペースが無くなって、ポイントカードなどはまとめて突っ込んである。散歩の途中で寄るカフェもプリペイドカードやTポイントカードを使う。よく立ち寄る書店や電器店もポイントや割引があるので、VISAカードで決済する。
ことほど左様に、直接払いでないので気軽さが禍し、倹約という観念が吹っ飛んでしまう。決済通知が届いてギョとするが、後の祭りで預金残高の心配をすることになる。
と反省しつつ、喉元過ぎれば暑さ忘れの喩えのように、毎月債務超過と、丸で国家予算の如しである。酒も賭け事もせず、僅かなアルバイトで、この歳になっても自分の小遣いぐらいは捻出しようと、努めてはいるが、そんな健気な私でも、電子マネーのトリックにまんまと引っかかっているようだ。
世のご同輩たちも、現金第一主義で、財布の紐を確り締め直してかからないと、とんだしっぺ返しに合うことになりますよ。