2014.6.4 IDカード
引き続きカードの話であるが、支払いには直接関係のないカードもカード入れの中に入れて常時携帯している。
身分証明書の代わりにもなる運転免許証や敬老パスそして保険証がある。そして歳を重ねるに従って、枚数が増えているのが診察券の類である。
歯医者から始まり、内科、整形外科と続き、眼科、皮膚科へと増えていった。紹介で行った大病院のカードもある。泌尿器科や消化器科といった内科の専門部門である。かからないのは婦人科ぐらいのものといった、自慢にならない満艦飾(トランプのフルハウス状態)の呈をなしている。
人間70歳を超えると急激に身体の老化が進むという証でもある。たまにではあるが、医者いらずで同年代の人と出会うと奇跡の人のように見えてくる。
私の場合は、致命的な病には罹っていないが、一歩間違えれば命に関わる急性の病を得たこともある。まあ言ってみれば、一寸先は闇というところか、後期高齢者としては、受け要らざるを得ないのが実情である。
正直な話、日本の現在の医療制度は素晴らしいと思う。この制度があるから日本人は長生きできる。そうでなければ、江戸時代から昭和の終戦まで、人生50の時代に戻ってしまうであろう。
私など、この制度で生かしてもらっているようなものだ。生と死は裏表、いずれそ の時は来る。こうして医療カードを使いながら、今は生かされているのだと、それを支える人たちに心から感謝している。
2014.6.7 旅の宿
昔の職場に一緒に入った、いわば同期生と定期的に会合を持っている。もう一線を離れて30年近くが経とうという仲間たちである。メンバーも10人近くから6人ほどに減っている。それだけに逢う瀬を大事にしている。
一泊二日の集まりである。旅と言っても温泉場を巡るような大層なものではなく、安近短の宿で顔を合わせて元気でいることを確認できれば、それで十分な旅だ。
宿は公務員の共済組合が運営するものに殆ど決められている。バブル崩壊後はその数が急激に減り、今では県内では数軒しか残っていない。大体会うメンバーは、麻雀を楽しむのが狙いだから、宿が限られてしまう。
現在会合に使っている宿は、交通の便がよく、麻雀卓が用意されている。
温泉付きとなると箱根湯本か湯河原まで足を伸ばさなければならない。その上料金が同じ共済の宿でも3割方高くなる。
今馴染みの宿は、共済の施設で設備も風呂も老朽化しているが、元は誰かのお屋敷を旅館に改装したものらしく、平屋で一部二階を建て増した造りになっている。庭が広々として、庭園とも言えるものが魅力である。サービスは悪くない。いつも翌日昼食を摂って解散するのだが、ゆっくりできるのが一番である。キャンセルも一週間ぐらいまで融通がきくのもいいところだ。年寄りは何時なん時調子を崩すか知れないので、予定が変わるのも考慮に入れておく必要がある。
こんな不安定な状況で会合を続けているのには訳がある。皆老齢で先が見えないから、生きているうちはお互い元気を確かめ合おうというのが、最大の理由だと思う。人は歳を取るほどに人恋しくなるものである。
いつまで続くか、それが分からない故、動ける間は集まる。旅の宿は、そういう人たちの癒しの場である。
長雨に 客もチラホラ 旅の宿 風楽
2014.6.11 癒しの音楽
最近は散歩に出るときは、よく音楽を聴くようになった。音楽と言ってもジャンルは広い。私は洋楽、それもイージーリスニングを好んで聴く。 その昔、マン卜バーニー、ルーモン・ルフェーブル、パーシーフェース、カラベリなどといった大楽団が全盛を極めていた頃、流行ったジャンルである。
一世を風靡したジェットストリームは午前零時になると城達也がナレーシ ンで語りかける。その甘い囁きが、多くのファンを生み出した。そこで選曲された曲がイージーリスニングというジャンルである。
イージーリスニングとは、文字通り耳に優しく響く音色を持っており、バンド演奏のものは、各種の音色が混じり合い、絶妙なハーモニーを醸し出す。偶にボーカルも入り、意味は理解できないのは残念だが、色合いを濃くするのも、魅力がある。
なにも考えたくない時など、イヤフォンを通して聴いていると、心が安らぎ、癒される。
頭の中を吹き抜けて行く風のような軽さは、邦楽には無いものだ。文化の違いなのだろうか、リズム感の違いなのだろうか。
何事も消化してしまう日本人のことだ、いずれ日本独自のイージーリスニングが誕生することに期待することにしよう。
2014.6.15 ひと工夫
工夫するということ(2.12)の続編である。
そのまま使ったのでは、何となく物足りないモノがあるものだ。
食べ物を作る時に、隠し味を忍ばせるように、ちょっと工夫を加えると、物足りなさを解消できることがある。
ひとつ例を上げてみると、例えば、座椅子で結構ハイバックなモノが、和室に置いてある。これはそのまま直に使うと、固くて背中も尻も痛くなる。折り畳みテーブルを出して、その高さに合わせ、足のある椅子の様に使おうと、これも折り畳み式の踏台(収納する場所に限界があるので、前にも書いたが何でもコンパクトを心掛けている)の上に乗せて座ってみた。どうも不安定で頼りなく、後に反り返りでもしようものなら、いとも簡単にひっくり返ってしまう。
これでは危険で怪我の元になる。それではと、座椅子の上に踏台を乗せ、小振りなクッションを敷いて座ってみた。ハイバックなので背中をもたせかけることもでき、パソコンを使うのに、丁度良い塩梅に収まった。
このように、ほんのちょっとした工夫を加えると、思いの外良い結果が得られる。小物などは工夫して使わないと真価を発揮できないモノの典型だ。使う際に、発想を少し変えてみたり、逆転の発想を取り入れるのも、また工夫する時には必要なのかも知れない。
2014.6.22 うたた寝
夜の睡眠が浅いので、昼間よくウトウトする。そういう時は作業を中断し、床に枕となるものと薄めのフロアマットを敷いて、ゴロ寝して休憩することが多い。うたた寝であるので、精々15分ぐらいがいいところだ。それ以上は、不自然な状態を続けることになるので、体のあちこちが痛くなり、休んだことにはならない。
ゴロ寝の姿勢は、テレビを観るときに多い。少し枕を高くして、足は伸ばしたり、何かの上に乗せる見方が通常の観戦スタイルとなっている。
不思議なもので、人は横になると眠くなる習性があるようで、試合内容がスリリングな展開でもしない限り、直ぐに眠気が襲ってきて、知らぬ間に寝入っている。野球を最初から最後まで、目を見開いて観るのは、この姿勢に関しては至難の業と言えよう。このスタイルで、執筆していると、同様に頭が朦朧とし、瞼が自然に垂れ下がってくる。
よく見かけ得る光景ではあるが、電車の中でウツラウツラと舟を漕いでいる人を見かけるが、遂には見ず知らずの他人の肩に寄りかかって、すっかり寝入ってしまう。寄りかかられた人は、迷惑そうに体をモゾモゾさせる。するとくだん(件)の人は、多分無意識に元の姿勢に戻る。この繰り返しがしばらく続く、可愛い女子学生は例外で、男なら大概は自分もネタ振りをして感触を楽しむ。これを称して狸寝入りという。
このように寝方は様々。次回は更に突っ込んで、寝方十態と称して紹介して見ることにしよう。
2014.6.24 寝方十態
前回は転(ウタタ)寝とごろ寝について述べたので、今回は残る八態について観察してみる。
三・四・五態は時間帯による眠り方で、最初は早寝早起きの早寝で、日が沈むと寝るような寝方。次は朝寝坊の朝寝、夜更かしが過ぎたりするとこうなる。五ツ目は国によっては公然と認められているシェスタなどの昼寝。昼食後に30分ほど休んでいる姿は、散歩途中工事現場などでよく見かける。
六つ目は添い寝。母親が赤ちゃんにお乳をやりながら横になっている姿が目に浮かぶ。乳幼児の頃は母親が片時も目を離せないので、寝る時も一緒に付き添って寝かしつける。絵になる寝姿だ。
七つ目は一人寝。これは子供が親離れして、一人で寝るようになる、独り立ちの第一歩と言ったところか。一人寝の歌でいう様態は、枕を抱えて寂しく枕を濡らす寝方も一人寝の一種だ。
八つ目が雑魚(ザコ)寝。学校の合宿などで、一室に布団を並べて大勢が一室で寝る状態で、誰でも経験した事があると思う。他人でも友達でも、相手は誰でも同室で寝るときは、早く寝ついた者勝ちで、寝遅れると他人のいびきや歯ぎしりで悶々と一夜を過ごす羽目に陥る。翌日は寝不足で楽しい筈の旅行も台無しとなること請け合いだ。
九つ目は空(ソラ)寝、別名狸寝入りとも言う。寝たふりをして聞き耳を立てて他人の話に聴き入っている様で、都合の悪い時に選択する寝方で、余り長くなるとこれも寝不足につながる。
最後の十態目は不貞(フテ)寝。すねて寝ることで、夫婦の痴話喧嘩みたいに口論して「俺は寝る」などと捨て台詞を吐いてうそぶく寝方で、最悪の寝方といえよう。
「寝方には色いろあるんですよ」と言ったところで、また寝(ネ!)。
2014.6.27 ファンのつぶやき(2)
ジャイアンツの優勝で交流戦は決着した。私が応援しているベイスターズが、交流戦で7年ぶりに13勝11敗で勝ち越すという好成績を残すことができた。ファンとしてはやれやれと安堵した。今回の戦力は今までには見られなかった粘りを示して、どうにかこうにか勝ちをモノにしたというのが率直な感想だ。
リーグ戦に戻れば、また最下位からの再スタートで、首位との差は10ゲーム。交流戦での勢いを維持できれば、クライマックスシリーズに勝ち残るのも夢ではないと、密かな期待をしているところだ。
もう夏至も過ぎ、いよいよ夏本番。どうも今年は空梅雨で終わるような気がする。天気に恵まれて試合は順調に消化できたようだ。ペナントレースは、まだ折り返し点まで行っていない。これからが正念場。選手には過酷な季節になる。
ベイスターズは、現在主軸選手が多く戦線離脱しており、代わりに上がってきた選手の活躍で、どうにか持ちこたえているギリギリの戦力というところが、順当な見方だろう。今後どう戦力を維持していくかが鍵を握る。
中畑監督の一喜一憂がテレビを通して伝わるぐらいだから、監督の精神も相当タフでないと勤まるまい。現在2チームの監督が休養中で復帰の見通しは立っていない。チームにこれ以上の故障者が出ないことを念じて、後半戦でも健闘し、ファンの期待に応えて欲しい。
2014_6_30 高揚する
ワクワクドキドキするということは、気持ちが高揚している状態を言う。
若い頃には人前で喋ったり、同年代の異性と付き合ったりする時、気持ちが高ぶりアドレナリンなり、ドーパミンといった神経伝達物質(敢えて自己流に解釈するなら、アドレナリンが体育会系物質でドーパミンが文科系物質で、共に身体に興奮を喚び起こす分泌物とでも説明しておこう)が湧き出る。その前兆として変にドキドキしたり、ハイな状態になる。結婚式の司会などやらされると、当事者よりアガってとんでもない醜態をさらすことになる。本番に興奮しすぎて言葉を忘れたり、手順を間違えてしまう。こんな例はそれほど珍しいことでもない。さすがにこの歳になると、亀の甲より年の功といって、表面上は何とか誤魔化してはいるが、気分は結構高揚するものだ。
この興奮作用のいい例として、プロ野球をテレビで視ていて思うのだが、選手はボールの動きに全神経を集中させ、守備で追いかける時は物凄くアドレナリンが出ているのだろう、フェンスに激突しながら、ボールをキャッチする。そしてまた次のプレーに戻る。試合が終わって、どこそこを骨折していたなどと言う話を聞いたりする。どうもアドレナリンが出ている間は、痛さを感じないのだろう。
どうもこのアドレナリンが出て、ワクワクドキドキするのが楽しくて、プレーしているようにも見えてくる。確かに興奮の少ない隠居生活では、神経伝達物質の出も少ないので、あちこち痛くて運動をしなくなるのかも知れない。適度の興奮作用は幾つになっても必要で、何か一心に打ち込める趣味は必要だと思う。