saji

2014.7.3 おんぼろの頑張り

 我が家の軽自動車はよく走る。13-4年前に買ったのだが、私があちこち擦った傷跡は残っているものの、定期点検と車検の整備だけで、故障知らずに元気に走り回っている。私はここ2-3年運転しないから、女房の足代わりで働いている。
 前の車(普通自動車)は故障が多く、大体5年ぐらいで乗り換えていた。この車は初めて乗った軽自動車なのだが、馬力もあるし、小回りが効く。恐るべし軽の威力。燃費が普通車並みと言うところが、玉に瑕と言ったところか。
 この車の例はおんぼろになって性能が落ちても不思議でないのに、手入れ次第で十分用を果たす好例で、心配をかけない孝行者と呼んで良い。
 自分の身体同様、周囲のモノもおんぼろ世代に入りつつある。10年以上使い続けており、当初の役割を果たしたオーディオ機器や撮影機材は、古いテープやカートリッジ、フロッピーディスクの再現(先ず無い)用に残してあるが、博物館行きの代物である。当時は高級品だったので、丈夫でまだ動く。処分しても良さそうなものだが、愛着があって手放せない。
 ひげ剃りやヘアカッターは前にも紹介したが、矢張り10年以上も前の新商品だが、造りがシンプルだから、油をやり、掃除をしてさえやれば十分現役で働いてくれる。動力源は単3電池で、最近のように充電式ではない。充電式は面倒で劣化が早いので嫌いだ。パソコンは充電式だが直ぐ充電を促されるようになる。
 使い捨て時代、部品は5年で壊れるようにできているようだ。そこをいくとおんぼろまで働くモノは手入れさえ怠らなければ、相応以上の力を出してくれる。
 人もモノも同じで、手入れと動かすということが、寿命を伸ばすと信じてお互い頑張ろう。

2014.7.7 記念写真
 親しい友達との集まりや、同期会といった定期的な会合がある時、必ずデジカメで記念写真を撮る。
 クラス会や同期会は、定年後になっても15年間続いている。その都度記念にと写真を撮り続けてきたが、見返すとそれぞれに時の流れを感じさせるものがある。
 メンバーは決まっているから、増えることはなく、物故者などもあり、減ってきている。時の流れは、容赦なく人を老いへと追い込んでいく。それ故に、その都度集まることができる人の姿を残しておきたいという気持ちが強い。
 前にも書いたが、記憶を記録に変えて保存しているのだ。
 15年という永きに亘る時の経過は、顔つきや、体に変化をもたらすのは避けられず、相応の姿を見ることになる。
 それでも集合写真となると、いい表情でカメラに向かってくれるので、まだまだ元気だと、精一杯の笑顔を浮かべるものだ。
 それぞれ仲間うちのこと、表情には出ていないが、体の中にはそれぞれの悩みを抱えていることは承知している。
 記念写真の一枚は必ず出席者に送ることにしている。今まで撮った写真の数は、アルバム数冊に及ぶほどあるが、私の場合はアルバムという名のフォルダを作り、パソコンに残している。バックアップも取ってあるので、パソコンを変えても、データは残る。
 今回ひとつの会合が終わりを迎えた。それは中学校の恩師を囲むクラス会で、毎年七夕の近くの日曜日に開催してきたもので、七夕の会とも言える一年に一回の昼食会を続けてきた。それも昨年恩師が帰らぬ人となってしまったため、追悼を兼ねてクラス会ファイナルとして、多くの友人が集まってくれた。
 最後の会の記念写真は、「いつまでも元気な姿のまま無事で在って欲しい」という思いを込めた祈念写真でもある。

2014.7.10 水のシーズン
 暑さが日増しに厳しく体に感じられる。特に日本の夏は湿度が高いので蒸し蒸しする。
 こうなると水が恋しくなる。水と言っても色々で、喉を癒やす飲む水だったり、噴水や滝のように観て涼しさを味わうものだったり、泳いで直に体を冷やす水泳だったり、更には台風がもたらす水害など、数え上げると結構あるものだ。
 と言ったところで、水に関わるあれこれについて考えてみた。
 海開きは場所によって日が違うが、鎌倉は大体7月1日と広報されている。私は水泳など30年ぐらいしたことがない。自分では金槌だと思っているので、自分の背より高いところまで行くことができない。泳げるのだが浮くことができないから、浮き輪なしでは長く水の中で泳ぐなど思いも及ばない。プールも行かない。
 私よりはるかに年上の知り合いは、健康維持のため毎日泳いでいると楽しげに語っていたが、とてもそんな気にはなれない。不得意のスポーツの一番であろう。
 旅に出て、滝など見て、オゾンをいっぱい吸うのは気持ちもいいし、気分が和らぐ。不思議な水の力だ。人工の産物ではあるが公園にある噴水が定期的に吹き上げる、動きのある水の舞を眺めるのも好きだ。自然にカメラを向けて撮影する気になる。一時期節電のため市内の噴水が一斉に止まったことがある。あの時は夏の風物詩を一つ見損なった気がしたものだ。
 最後に水がもたらす災害。今も巨大な台風8号が北上中で、異例の特別警戒警報が発令されている。ニュースのトップは当分このことで持ちきりで、11日には関東地方もその影響を受けると報じている。自然の水は美しくもあり、たまには恐ろしい牙をむくこともある。備えあれば憂いなしの例えで対処しよう。
 それでも毎日の生活に欠かせない水、その恩恵に感謝する。

2014.7.14 台風一過
 日本にやってくる台風としては最大級の台風8号は、各地に大雨をもたらし、多くの被害をもたらした。今回はじめて特別警報という異例の発令が出され、万全の体制が敷かれた。結果台風自体の被害は比較的軽微に済んだが、梅雨時ということもあり、梅雨前線が刺激され、飛んでもないところで大きな被害が出た。
 今回は前回に続き、水に関する話題を取り上げてみた。まず気象予報についてであるが、北米では台風はハリケーンである。このハリケーン「カテリーナ」の大きな被害を教訓に生まれて「タイムライン」という予測手法が、日本でも取り入れられた。防災手順と起こった場合の対処法などが細かく想定されており、これが住民に受け入れられるようになれば、人的被害は劇減するように思える。
 しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れるの喩えもあるように、工程表のように専門性が強いこともあってどこまで住民の意識に浸透させられるかは課題となるだろう。
 台風一過、暑い日差しが戻ってきた。湿度も高く蒸し蒸しする毎日になってきた。とは言え、まだ梅雨明け宣言は出ていない。まだまだこれからが本格的台風シーズンだ。せめて次の台風が来るまでに、防災意識を見直すことにしよう。

2014.7.17 高校球児の夏
 7月12日には夏の甲子園を目指して県下190校という、日本一参加校が多い戦いが始まり、高校球児たちが、勝ち残りを賭けてグランドに汗を流すことになる。
 私も久々に横浜スタジアムに足を運び、贔屓の高校を応援してきた。この場所を訪れたのは何十年振りのこと。
 最初に、スタジアムの変貌にまず驚かされた。テレビで見るのと、この目で見るのとでは、矢張り違うものだ。張り出したエキサイティングシート、鮮やかな光を放つオーロラビジョン、何よりも内野のシートの良さに驚いた。腰の弱い私が2時間近くも座り続けても平気だったのだから。
 天候は薄曇りで、この時期では絶好の観戦日和。途中、陽が差し腕が赤くなってしまったが、真昼のスタジアムでは当然と言える。
 さて、肝心の私の応援する高校は、選手の仕上がりも上々で、完封で初戦を飾った。この調子で行けば、「ベストエイト進出も夢ではあるまい」などと贔屓の引き倒しのような期待を持ってしまった。
 応援するチームが、どこまで勝ち残れるかは、実のところ私の思い入れだけの話。それでも10年振りという節目でもあるので、この際運にも手伝ってもらって、私の祈りが通じた暁には、横浜スタジアムに必ずや馳せ参じようと心に決めている。
 これからが楽しみな高校野球は、まだ始まったばかりだ。写真スライドショウ

2014.7.20  声出しイロイロ
 前回の高校野球観戦では、双方の高校の応援合戦も面白かった。
 「フレーフレー❍❍」、「イケイケ✘✘」と言ったように、バンドや太鼓も混じえて賑やかで試合を盛り上げる。
 今回は、こういった人が発する声について、幾つか紹介する。
 地元の商店街を歩いていると、「お客さん!安い取り立て野菜!今がお買い得だよ」などと言う口上で、人を呼び込む声を聞く。バナナの叩き売りのような売り口上を耳にすると、レトロな商店街の雰囲気が漂う。
 かつては行商と言って自分で荷車や、かごを背負って物を売る人をよく見かけた。「金魚ー金魚」、「焼き芋!芋」、「トーフー、トーフー」(そこにのどかなラッパの音)という売り声が、路地を通り抜けって行った。懐かしい物売りの風物詩であったが、都会では段々と聞かれなくなってきている。移動型行商は、軽自動車とスピーカーに取って代わり、味わいを失った。
 今の時点、京都では祇園祭が終盤に差し掛かっている。その中のクライマックス、「還幸祭」が24日に行われる。三基の神輿が八坂神社に向けて練り歩くもので、神輿の担ぎ手は「ヨイサ、ヨイサ」、「ヨーイ」、「ソーレ」、「ハア」、「コノ」、「マダ」、「ドッコイ」など様々な言葉が重なった囃子言葉になるのだそうだ。
 関東と関西ではお国柄の違いか、耳慣れない言葉も混じっているが、気合いを入れる言葉は、元々聞き分けるのは難しいものだ。
 次は、花火大会で聞く「玉屋」、「鍵屋」、歌舞伎の「よ!成駒屋」、「播磨屋ー」と言った掛け声で、観客が感動のあまり発する言葉である。
 似たような発声に「野次」があるが、最近話題になっているのが、議員先生方の品のないセクハラ野次だ。選挙で選ばれるような、住民や国民の代表は、それなりの品格を示してもらいたいものだ。せめてセンスとユーモアのある野次で場を和ませてもらいたいものだ。
 最後が、自分自身に気合いを入れる言葉で、「ファイト、ゴー、?!?」と良く分からない掛け声もある。選手に聞いてみたが、覚え無しという答えが帰ってきた。

2014.7.24 CM花盛り、健康食品
 プロ野球のライブ放映を視るため、シーズン中はCSの野球セットに加入している。
 有料なのだが、試合の合間には、しっかりとCMが入る。その殆どが健康食品か美容に関するCMだ。これは、ほんの一例だが、こんな風に人の気を惹く「この栄養食品を始めてから、体の調子が見違えるように良くなり、毎日の散歩が楽しみだ」などと、大体は高齢者の出演者が製品を褒め称えると言う図式になっている。
 かくいう私も、つい乗せられて利用したので、大きな口はきけないが、こんな謳い文句だった。「グルコサミン、コンドロイチン、さらに6種類の有効成分で躰を改善。通常価格を初回半額で、2000名様限定で提供します」。それでは試してみようと、3か月分セットに加入した。さらに、別に更にお得な別のメーカーのものも3か月試してみた。結果6か月使ったことになる。さて、その効果であるが、CMのようにはいかなかった。相変わらず腰の状態は良くない。今は、整形外科のクリニックの薬一本に戻して、躰の矯正に努めている。
 思うに、私のように半年ぐらいで、このような健康食品の購入を取り止める人は多いだろう。しかし、それを上回る高齢者が加入しているのだろう。かくして、健康食品ブームは続く。CMの効果絶大と言ったところか。

2014.7.27 緑萌え立つ

 「春は、曙。夏は、夜」という出だしは、枕草子。私は夏も曙のほうがよろしい。日本の夏は現在ヒートアイランド現象で熱帯化している。
 夜明け前太陽が顔を覗かせる直前ごろが特に良い。その時刻に散歩に出かけると、周りの景色が新鮮な緑に塗り替えられている。
 しっとりと露を含んだ新緑の葉の茂る道を歩くと、身も心もリフレッシュされる。歩く通りは、あまり車が通らない路地が良い。今咲く花は、夏に咲く花で、緑の中に埋もれて目立たない。梅雨のあいだ中咲き続けた紫陽花も、色を失い形だけが残り、存在を主張している。まさに七変幻の名に恥じないあり様を、そこに見た。
 緑が萌え立つように目に映るのは、背の高い木々が新しい葉を繁らせているせいもある。欅が息を吹返すように、落葉樹が一斉に葉を身にまとう姿は、清々しい。
 そうして、自然の営みは、日に日に姿を変え、道行く人の目を楽しませてくれる。
 夏の暑さは、日が昇り始めると同時に強さを増し、水を含んだ空気は、湿り気を帯び、身にまとわり付くようになっていく。そうなる前に、家に戻って朝の散歩を楽しむのが、季節に相応しい。
 矢張り、夏も曙、日の出前後が良い。

2014.7.30 風が拔ける場所

 先日某テレビで「自然の力で家を冷やせ・−3.5℃の街づくり」と題する番組を視た。
 それによると、街の入口に高木を植え、足下には水場を配置することにより、街全体の冷却効果を生みだそうという試みだ。他にも色々仕掛けがある。
 例えば、公園には「打ち水」、「足水」といったものを造り、気温を下げる工夫をしている。また、家の配列を斜めにして、各戸に均等に風が拔ける工夫もしている。
 他にも色々工夫が見られるが、最近のアーバンデザインは、自然との調和を図って共存していこうというコンセプトが明確で、とてもいい傾向だと思う。もっともこの発想は、既に江戸時代にあったと思われる、京都の町家に、その典型を見ることができる。昔の人は、風のぬける家造りをとうに知っていたのだ。ま、「温故知新」といったところか。これまでが、テレビの受け売り。
 さて、そこで我が家であるが、共同住宅で通路を挟んで両側に各棟が配置されているため、風の抜け道がない。今更どうなるものでもないが、共同住宅を選ぶなら、風が抜ける構造の建物を選ぶ方が、快適な自然の力を得ることが出来る。
 自然を活かす。このことがこれからの住居や街づくりに大切な要件となる。そういうことで、最近、人に優しい街づくりが各地に広まっているのは、良い傾向だ。
 これからは、風の抜ける道を選んで、散歩のコースを変えることにしよう。