2014.8.3 時計(mono)
時計の電池交換を商店街の電気店に頼んだ。今回は久しぶりに(mono)時計をテーマにしたい。
人は一日何回時計を見ることだろうか。欠かせない装身具のひとつだ。重宝な道具で腕時計などは男女を問わずいつも身に着けているmonoだ。(エッセイで時計の簡単な歴史について言及している)
私はエッセイで書いたように、国産時計を代表する3社製の時計はいくつか持っている。TPOで腕に着ける時計の種類が変わる。時に応じて使い分けるという使い方だ。
散歩やウォーキングに向いているのは、カシオのGshockでデジタルとデジアナの2個を使い分けている。それぞれに一長一短がある。デジタル型は多機能で実用一点張りだが、文字が小さくて老眼には少々見にくい。アナログ形式は機能的には落ちるが、見易いと言う利点がある。
カシオは、比較的最近の製品なので、動力はソーラーで時刻合わせは電波時計仕様である。手入れは不要でタフが売りの製品だ。ストップウォッチ機能やタイマー、アラーム等々テンコ盛りの機能満載で小型コンピュータ並みだ。この2つは無骨で愛想がない。礼服には似合わない。それ用にはクオーツでボタン電池で動く、アナログ型のセイコーを装着することにしている。ムーンフェースが月齢を表示する、とてもおしゃれでレトロな風情を漂わす逸品だ。これは宝物待遇で、普段は小箱の中で眠っており、少なくなった出番を待っている。
こうして見ると、デジタルにはデジタルの、アナログにはアナログの顔のようなものがあり、時計とは不思議な魅力を備えたグッズだ。
2014.8,7 秋立つ
「随分日が短くなりましたね」そう言われれば「確かに日暮れが早い」と感じる。本日は、暦の上では二十四節気「立秋」に当たる。丁度、夏至と秋分の中間にあたる。この日が暑さの頂点となると言われている。これを境に残暑と呼ぶのだそうだ。
秋という言葉の響きは、涼しさに結びつく。襟元をかすめる風に涼しさを感じるには、気のせいか。
ここの所、季節に関する話が続いて恐縮だが、暑さで脳の機能が柔軟性を失い、多方面に話題を展開できなくなっている。しばらくこの調子でおつきあい願いたい。
体調にも微妙な変化が出ている。何となく体が軽くなったようだ。体重が5-6キロ減ったことも原因かも知れない。お寺の食事のように厳しい管理に置かれているせいもある。家の典主は絶対的権限を保持している。自分でも相当ストイックだと思う。
そういう事もあり、体調は快方に向かっていると言って良いだろう。そこで、散歩の距離を少し伸ばそうと考えている。それに加えて、躰と相談しながら、ソフトボールの壁投げなどを2年振りに再開したいとも考えている。まだ腰は重いのだが、こんな事になったこと自体、我ながら驚いている。半分諦めていた地元ソフトボールチームの朝練に参加できるのも、ひょっとすると夢ではないかも知れない。
思い立ったが吉日。立秋を境に心機一転、躰を攻勢に向かわせることにしよう。
2014.8.11 ロビーコンサート
生の音楽が聴けるロビーコンサートなるものを鑑賞してきた。このコンサートは知人のイタリア歌曲の独唱会で、練習の成果を問う場でもあった。
川崎市の文化事業の一環として、市内の文化人に対してロビーを解放し、広報活動まで手伝って行われる定期的コンサートのひとつだ。
私の記憶では、クラッシックの歌曲を生で聴くのは、実は初めて。兄の影響で小学生の頃からオペラのアリアをよく聴いていた。兄の歌うのを真似て、風呂場で「帰れソレントへ」や、今回会場で聴いた「カタリカタリ」などを大声で歌ったものだ。今にして思えば、伴奏なしのアカペラだから、さぞかし聞くに堪えない近所迷惑な騒音だったことだろう。本人は風呂場というのは音響効果がいいし、喉も湿っているので、ご喜楽そのものに酔いしれていたのだが。良き少年時代の思い出だ。
時は移ろい、セミプロ級の歌い手による「カタリカタリ」を聴くと、そのほとばしるようなヴォリュームに圧倒された。時空を超えて音楽の魅力を再認識した瞬間だった。
会場は市庁舎のロビーをコンサートに使っているので、専門のコンサートホールとは違う。音響効果などには配慮されていない空間で、コンサート用の雛壇を設けて、ロビーに椅子を並べただけの場所だ。
そこに100人余りの聴衆が集まった訳だから、立見が出る始末で、「普段にはない活況だ」と常連の人の言葉。
コンサートの司会は、歌い手の師匠筋に当たる人物で、その道では知られた人とかで、曲紹介と語りが軽妙で、場に溶け込み聴衆を上手く引き付けていた。
途中退場者もないままにフィナーレを迎え、聴衆と一緒に「故郷」を唱和するに至って、最大の盛り上がりを見せ、幕を閉じた。爽やかな感動を与えるコンサートだった。
2014.8.15 健康器具<前編>(mono)
どこの家にも孫の手のような健康器具が、2つや3つは転がっている筈だ。我が家にも大小取り混ぜてかなりの数のその手の器具がある。身体のあちこちが痛い時、対症療法的にこうした道具は使われる。小さい道具から、電気仕掛けのマッサージ器まで、その時々で使い分けている。
そこで、今回はそれらのモノを前・中・後編に分けて、木や竹製品のモノと、プラスチックや電気で動くモノを紹介する。(製品の画像はここをクリック)
指圧棒というのがある。これは円錐形に削った木製品で、躰のツボを押して使う。実はそのツボの構造は、本を見れば分かるが覚えられない。100近いツボが存在すると言われるから、覚えられるはずがない。その都度本を参照して、痛い場所を確定している。
孫の手は、旅行先の物産店で買ったモノ。竹細工で背中が痒い時に重宝だ。先っぽが孫の手のひらのように可愛らしいので、そう名付けられているのだろう。これは本棚の後ろに落ちた小物類を引きずり出すのにも便利だ。
肩たたき器。これも民芸品らしい。取っ手の先に球状の頭が付いていて、それで凝った箇所を叩くとういう仕掛けだ。軸の部分にはローラーまでついていて、モモなどの上で転がし刺激すると気持ち良い。
踏み竹は、どこにでもある定番の道具で、太い孟宗竹を65センチ位に切り、半分に割き、中心部に2列各5個ほど小さい穴が穿ってある。土踏まずでその穴の部分に足を載せ立って、足踏みすることで足裏のツボを刺激するというものだ。(中編に続く)
2014.8.18 健康器具〈中編〉(mono)
足踏みローラーは、座ったままで足をローラーの上に乗せ、蹴り出すように回してやる。回転するローラーには丸い突起物が魚の鱗のように付いており、適度に足裏を刺激して気持ち良い。(製品の画像はここをクリック)
続いて金田式健康棒というのがある。これはかの有名な球史に残る金田正一氏が考案し、発売したもので、40年ほど前に購入した。見た目は木刀を真っ直ぐにし、丸く削り、両端をこけしの頭のように丸くしたもので、ストレッチをする時、色々と使い道がある。屈伸運動や腰の回転など梃(テコ)のようにして使う。樫でできているので丈夫で長持ちの見本みたいな健康具だ。すっかり手に馴染みあめ色の艶が出ているのもいいものだ。
今までに説明してきた健康具は、自然素材のぬくもりのあるモノである。これから説明するのは加工素材で電気でモーターを動かすものもある。
先ず金属ローラーだが、片手に乗るくらい小さい。強化プラスチックの枠組みに金属製のトゲトゲが表面を覆うローラーが付いている。このローラーを動かして、直接ツボを刺激してやる。片手で操作できるし、軽いので身近な場所に置き使っている。
次はおなじみの中山式快癒器で、プラスチックの台座に金属のボールを埋め込んで、バネを利用してツボを刺激すという仕掛けだ。2つ玉と4つ玉の2種類ある。
孫の手に似ているが背中を掻くのではなく、ツボを押す背中ツボ押し器(勝手に呼称)というのもある。硬質のプラスチックをU字型に曲げ、手元にグリップ、先端に爪が付いている。ツボを探して、自分で力加減して圧迫する。グッズはまだ続く(後編へ)
2014.8.21 健康器具〈後編〉(mono)
肩たたき器には電動式もある。角度や振動を変えることができる。残念なのは少し重くて、長く使っていると肩が凝ってしまうことだ。今では殆ど使われていない。
低周波のパルス波を発生させて治療するオムロン低周波治療器というものもある。これはコントロールパネルとパッド(交換式)とセットで電池で動く。パッドを治療したい箇所に左右または上下に2箇所貼る。パネルで指定された部位を選びモミ方や強度を選ぶことができる。強度が10を超えると、貼った場所がピクンピクンと動き、感電したような感覚を覚える。余り気持ちいいものではない。パッドは水を塗ってやれば繰り返し使えるが、もう古いので交換パッドがあるかどうかは分からない。
最近2つほど通販で購入したグッズがある。その一つは腰痛防止クッションと呼ぶもので、運転者の腰痛防止を目的に販売されたものだ。低反発のクッション素材を使っており、結構効果があるようだ。中にバイブレータが付いているが、シガーソケット用のプラグしかない。家で使うためにAC変換器を購入してしまった。サービスが半端な製品だ。
最後に紹介するのが首もみマッサージャーという製品。これは中々の優れもので、首だけでなくほとんどの部位で使える。中にモミ玉が入っており、コリコリと回転し凝りを解消する仕組みだ。他にもバイブレータや温熱ヒーター、15分タイマーも付いている。結構強力で、ライフジャケットの首の部分のような形状で、軽くて使いやすい。
私はコリ性なので、このように凝りをほぐす道具は色々使っているのだが、一時しのぎの道具と割り切っている。
(製品の画像はここをクリック)
2014.8.24 秋残照
夕方近くに散歩に出た。外はまだ暑く、珍しく雲一つない快晴で、襟元を掠める風が心地良い。西日が真横から強く差し込み、木々の陰影が際立つ。建物は西日を浴びて黄ばんで見える。
公園に入ると夕日が射さない場所なので、薄暗く感じる。この公園は桐の大木があることで知られている。桐の大きな葉は虫食いだらけで、枝には大きな実がたわわに実っている。もう直ぐ落葉の時期を迎える。「桐一葉落ちて天下の秋を知る」とは、桐の紋章の豊臣家が滅びるのを予言した片桐且元の言葉。桐は樹木の中で、秋に最も早く葉を落とすのだそうだ。
木々の葉に囲まれた公園は、蝉の声が相変わらず騒々しい。その中にツクツクボウシの鳴き声が混じる。矢張り本格的秋が間近に迫っている様子だ。桐の葉が散ろうというのに、街路樹の銀杏(いちょう)や楓の葉は、装いも真新しくまだ小さく青々としている。落葉樹の変化は日に日に色や形を変え、季節に合わせた自然の営みを知らせてくれる。
帰り道日が傾く中、稲穂に似たススキが白っぽい羽毛に包まれて芽吹き始めたのに気が付いた。十五夜の月見を飾るススキの出番は、まだこれからだ。
「秋は夕暮れ」(前掲7月27日緑萌え立つを受けて)という言葉が、やっと実感として伝わる夕べの散歩道ではあった。
2014.8.28 灯(ともしび)懐古
終戦から69年。私が3歳の時この大戦は始まった。昭和18年には縁故疎開といって、母の実家に身を寄せていたが、辛い思い出ばかりの年月だった。それでも心に残る多くの思い出を、凝縮して残してくれた懐かしい時代でもあった。
今回のテーマ「灯」は、そんな時期に遡って始まる。何事も倹約の時代だから、当然のように電気も統制下にあった。停電は当たり前であり、電気と言えば夜間照明位にしか使わないのに、それでも灯火管制と言って夜は暗闇の中で過ごすことが多かった。家の中の微かな明かりは、ロウソクか灯油ランプ(江戸時代に油商人が行商で売っていた油)だった。
結局戦争に敗れ、日本は究極の貧困状態が続いたため、電気がどこの家庭でも使われるようになるまでは、長い時間を待たねばならなかった。
電気が使えるようになったといっても電燈の話で、今ほど電化製品はなかった。電球と言えばマツダである。ガラスの中を真空にして中のフィラメントに通電して光らせるもので、ここでやっと光が戻ってきた。今家庭では殆ど見かけられなくなったが、蛍光灯にその地位を奪われる前までは家の明かりを一手に引き受けていたものだ。
次に照明の代表格になったのが蛍光灯である。当初は明るくなるまで時間がかかるため、「反応の鈍い人を表す」陰口の代表格でもあった。それでも技術大国だけのことはある。改良を重ね、電気を食わず、反応も早く、長持ちして、その上、昼光色や白熱球の光で従来の悪いイメージは払拭されていった。
ところが最近LED電球が出現して、その地位は危うくなっている。値段はまだ少し高いが、消費電力が桁違いに少なく、電池でも長時間保って重宝である。光の直進性が強いので、直接目に入ると眩しく、拡散性が弱いのがイマイチであるが、まだまだ、これから改良を重ねて活躍の場は広がっていくことだろう。
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