それでは自らを省みて、自分の活動は初期の目的を達成しているのだろうか。このことはある意味において進展を見ており、別の意味ではもう放棄していると言っていいだろう。
では、どこが進展し、どこが放棄しているのか。
放棄しているという活動は、社会的に貢献する手段が失われたからである。社会的に貢献するには、どうしても何処かの組織に属していないと難しい。市井の一個人においてはもはやこの歳では望むべくもない。
次にどう進展しているのか考察してみる。私は現在自ら主宰するホームページの運営に全ての精力を注いでいる。
たかがホームページされどホームページであって、その運営にはかなり複雑なスキルが要求される。1から作りあげていくには、それなりのステップを踏んで全体像へと仕上げていくというプロデューサー的側面と監督のような側面がある。
第一のステップはホームページ(以下HP)を公開する場所をどこの置くかである。
私の場合、レンタルサーバーを利用しているので、そこのランニングコスト(年間)、サービス内容(どのような機能を使うことができるか)、利用できるスペース(年間何ギガ)、テクニカルサポートなどを検討して選定した。3年経つがトラブルは全然ない。外資系企業らしく会社名はよく変わるからサービスに影響が出ないかが懸念材料だ。
次のステップは、自分のHP作成スキルである。これに関しては現状見ていただいているHPの出来具合やアクセスの使いやすさがポイントだが、自分の方向性としては、リンクボタンNOTEを押しコンセプトのページを参照していただきたい。トップページにご案内しているように今年度一杯かけて内容の充実とスキルの向上に努めていく積もりだ。
最後に、HPは内容(コンテンツ)が命である。内容の素材は基本的に毎日のフィールドワークのウォーキングから得ている。元々は健康維持のために始めたのだが、漫然と歩くのでは面白くない(楽しくない)ので、このHPのキーワード「風を楽しむ」を客観的に表現する手段として、ウォーキングに色々な視点で観察するテーマを設け、それがこのHPの骨格となっている。
実際に歩き、撮影し、内容を正しいものとするため文献調査で検証する。この過程で実に多くの学ぶべき点があること今更ながら驚いている。例えば「東海道神奈川の宿場」の跡を歩くと、昔から多くの人が歩いてきた道の歴史が透けて見え、その賑わいを想像し、更なる好奇心が掻き立てられる。
「公園散歩」では、実際に木に触れ、その匂いを嗅ぎ、姿をカメラで撮る。樹木の知識はカラッキシであるので、何種類かの木々図鑑を頼りに名前や属性を調べる。木の生い立ちというのは生態系にまで知識が及ぶことも楽しみの一つだ。
「風を楽しむ」ということは、四季折々の色彩、香り、形が変容する植物の姿が重なり合って自然のハーモニーとなって体を包み込んでくれる。「木」は「気」を体の中に呼び起こしてくれる。
8月末からはトップページに「日常細事」というコラムを設定した。これは身の回りの些細なことに拘って1つのテーマを大体4,5百字でまとめたものである。どうでもいいような内容だが、「ああ、そんあもんか」という感想を読者が持ってくれれば書き甲斐がある。3日に1回更新に努め、読者の関心を引き付けるよう頑張る積もりだ。
話の最後に、私はただ楽しむだけに歩き、 雨の日は本を読むという、いわば受け身の姿勢から、HPを通して情報発信するという能動的姿勢へと、老後の人生を変えつつある。(完)