2016.12.3 荷重オーバー
このタイトルはトラックの積載量オーバーを想像すると思うが、全く違う話の展開となる。
質量保存の法則という学説がある。何のことかわからないが「化学変化の前後で全体の質量は変化しない」という内容だったと思う。
実際どういう事かヤフー知恵袋で検索してみた。分かりやすい説明に出会った「例えば、炭を燃やすと、残った灰は軽くなる。これだと質量保存の法則には合致しない。ところが燃やした時発生する二酸化炭素などをすべて回収すると最初の炭の重さと同じになる」ということで、これはCOP21の 温室効果ガスの排出量につながる。この法則が地球温暖化に大きく関わっていることが分かる。
なぜこんな関係のないような話を取り上げたかというと、年を重ねるごとに色々なことが負の方向に向かっているからだ。どういう事かというと、肉体にかかる負荷は年を取っても減ることはなく、その分あちこちが機能不全を起こすことになる。身体を空気のように軽くできれば負荷は無くなるのだが、そうは問屋が卸さない。生きていくためには必要なカロリーを摂取するから、体重は変わらない。
私の場合は特に重力の影響が大きい。立ったままでいるとすぐ腰に来る。人は成人になってからは体にかかる負担は、その大きさに応じただけかかるということで、年齢には関係ないようだ。このことは押しなべて老朽化すると、もともと同じ負荷が積載オバーに感じるという図式が成り立つ。
変な例えで文脈が成り立ったかどうか怪しいものだが、生きている限り背負うものの重さは変わらないという寓話だと受け取ってほしい。
2016.12.7 男の化粧品
男と化粧というのは、ちょっと似つかわしい感じがしないでもないが、無精者の 私も幾つかの化粧品を使っている。
男の化粧品と言えば、デーモン閣下のように歌舞伎役者顔負けの厚化粧をしており、外ですっぴんの顔の時は、誰にも本人とは認められないだろう。
最近では化粧している男性はタレントや歌舞伎町のその手の店では珍しいことではない。歌舞伎役者に限らず、昔の公家さんなどは、口紅をつけたり厚化粧は当たり前の時代もあった。
動物界では雄の方が派手であるから、これは男の本能に組み込まれているものなのかも知れない。
そのことを考え合わせると、私の使っている化粧品など非常に限られた品数で、大げさなタイトルを付けるほど、御大層なものではない。
主に風呂で洗顔する時に使うものが殆どだ。風呂場の片隅に私の洗顔セットがバスケットに入っている。毎日髭を剃るのでシェービングクリームやアフターシェーブローションとか洗髪用の薬用シャンプーとリンスなどが収まっている。
髭を剃るのはジレットの替え刃式の安全カミソリだ。かつては電動シェーバーを使っていた時もあったが、仕上がりは安全カミソリの方が良い。それに面倒なしだ。
洗髪に薬用シャンプーを使うのは、皮膚科の先生が薦めたもので、脂漏という老人に多い皮膚病に罹ったときに使い始めた。非常にソフトで、ついでにその泡立ちを利用して顔や体も洗ってしまう時もある。それが薦められるものとは思わないが、いちいち石鹸を替える手間が省けるからだ。
洗髪後の手当てにリンスやヘアローションなどの調髪剤も、かつては使っていたが、これも置いてあるだけの存在になってしまった。
ざっと風呂場の男の化粧品だけの話である。クリームやテオドランドなど風呂上りに使う化粧品もあるが、こう数え上げると自分では無精者だと思ているものの、結構人並みにオシャレに気を使っていたのだなと。化粧品の品数では判断できそうだ。だだし、今は使用期限切れのモノが多い。
2016.12.10 書き入れ時
今回は年末の慌ただしさの中、少々荒っぽいコラムになってしまう。
『「酉の市」を取り上げた(2014.11.20)時、書き入れ時は、熊手でお宝を掻き入れるのだから掻きいれ時が相応しい表現だが、これは誤記である』と書いたが、実態はどちらも同じようなことで、商いは何が何でも手段を選ばず金を掻き集めることで、そうしなければ商売勘定が滞って年を越せなくなる。「儲かりまっか」「ぼちぼちでんが」と関西風に表現してみたが、金の工面に東奔西走する師走の風物詩みたいになっているのが「書き入れ時」の言葉を体現している。
昔はと言っても、コンピュータが普及する前までは、勘定は大福帳のようなものに書き入れていた。帳簿のことである。今では家計簿ぐらいなものしかアナログな書き入れはない。
スーパーに行けば決済は全てレジを通す。ここではバーコードで売上を読みとる。これは入力された売上がコンピュータ管理されることで、コンピュータサーバーという大きな大福帳に書き入れるという作業にほかならない。
できるだけ多くの商品を売るのが商売だから、特に正月準備に忙しい師走が、書き入れ時になるのは当たり前の話なのかもしれない。
企業で働く人達にとっても、年末はとかく物入りだ。それにはお金がかかる。そこで雇い主は従業員にボーナスという形で余分のお金を分配する。これがうまく回転しないと、気分よく正月を迎えることは出来ない。これはサラリーマンにとっても書き入れ時なのだ。
こうして見てくると年末が忙しく、慌ただしく、賑やかという状態でないと、書き入れ時という表現に勢いがつかない。こうした街の表情の変化を見るのも、隠居の見で埒外の世界で生活する私でも、その活気に何かホッとするものを感じる。
2016.12.14 一獲千金を夢見る
人の心の中にはどこか射幸心といって、まぐれ当たりの幸運を手にしたい欲求が潜んでいる。
今話題のカジノ解禁案(IR整備推進法)の賛否は大きく分かれる。
反対派はギャンブル依存症の拡大や周辺地域の治安悪化、さらに青少年への悪影響なを論拠として審議には応じていない。一方推進派は雇用創出と税収の増大、地域の活性化、観光の拡大などを打ち上げて、アベノミクス経済改革の一つとして押し進めようとしている。とこれまでは報道のニュースで伝えられていることだ。
言ってみれば、捕らぬ狸の皮算用的法案とも言えよう。従来の公営ギャンブルやパチンコとの兼ね合いにも片を付けなければならない。
色々な思惑を含んだ法案であるが、その根っ子には人の射幸心を煽るところがある。
かつてこのコラムで「幸せか金か」という比較できない話題を取り上げたが、一獲千金を夢見る人にとって、その人の人生を大きく変えることになるのは確かだ。
私も今年の年末ジャンボ(1億円)10枚セットを買った。当たった験しはないが、どうしてもミニのジャンボ宝くじに手が出てしまう。値段は同じだが当たる確率が高いというケチな考えから、どうせ当たらいなとは知りつつ止められない。これもギャンブル依存症か。
こんな程度なら可愛いもので、ギャンブルとはほど遠いものだろうが、射幸心の誘惑に負けたということでは同類であろう。
人は何かのきっかけでシンデレラのようになるきっかけに夢を託す。夢が夢のままで終わることが殆どだ。それでいいのだろうが、心のどこかで当たりを期待する声があるのも確かだ。
老子に「足るを知るものは富む」という言葉がある。その意味は「欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が豊かである」ということなのだが、分相応では満足できないのが、俗人の常であろうというところで、話を締めることにしよう。
2016.12.18 棚(mono)
今回はモノ(mono)シリーズとして棚を取り上げてみた。
家の中には色々な種類の棚が存在する。棚の用途は広く、種類も多い。
そこで、棚について少し掘り下げて考えてみる。
ホームページで紹介している字源で棚という字の起源を調べると「会意と形声の兼用文字で木と音符朋(並ぶ)で板や棒を並べたもの」とある。
これをもう少し詳しく説明すると「棚(英:shelf,rack)は、板を水平に渡したもので、物をのせる装置」というのが辞典の表現になる。
その板や棒の取り付け方であるが、棚の形を見ると、垂直な棒や板を使って固定したり、水平版を直接壁に取り付ける方法などが見られる。
棚は用途に応じ、固定されたり、動かせるものがある。移動できるものは「置き棚」と呼ぶそうで、戸棚、茶棚、書棚などがある。どこの家にでもある棚だ。これに対し固定された棚は、電車の網棚のように括り付けの棚などをあげることができる。
戸棚は、前面に引き戸をつけたものである。本棚は本を置く棚で、書店や図書館などに見られる書架と呼ばれる棚があげられる。
商品棚は商品の陳列に用いられる棚で、商品が平置きにされるテーブルのような棚で、何かを見せるところから「見世棚」と呼ぶ。店を「たな」と呼ぶのはこれが元になっているという。
棚は本棚とか食器棚は本来目的以外にも、茶器や模型などを陳列する棚にも変貌することがある。
棚の形から別の意味で使われるのが、棚田とか大陸棚で、階段状になっているので棚という表現を使っている。
最後に棚にまつわる諺を上げてみよう「棚から牡丹餅」「棚に上げる(自分の都合にいいように)」などがある。
このように棚は昔から物を置く什器として必需品で、平安時代の棚に関する記述によれば、「二階厨子」といって、日曜家具の一つで上段に半挿(はんぞう)といって水や湯を注ぐ器を置き、下段には両開きの扉があり、「唾壺(だこ)」という痰壺が置いてある。平安期における棚は、器を置く場所であったということだ。
最近のラックなどは、スチール製の棒と金網状の棚板のセットで自由に組み立ててなんでも置ける棚として重宝されている。
2016.12.21 マイナス思考
一般的に人は、ついつい悪い方に物事を考える傾向が強いものだ。こうしたマイナス思考になる要因にはマスコミなどの報道が動機になる例が多い。マスコミにはそういった面で、世の中の方向をマナス思考しないという責任も負っていると思う。
とくに将来のイメージを悪くするような記事の掲載には慎重を期して欲しい。一例を上げてみよう。これは日経新聞の12月19日付一面を飾った大見出しだ。「社会保障債務2000兆円に達する」先ずこの数字に気の弱い私などドキッとする。実のところは現在の話ではない。2030年の予測記事である。経済学者の予想ほどいい加減な読みはないぐらいに的を外す。記事の内容をピックアップしてまとめると「現在後期高齢者一人当たりの医療費の平均は93万2千円で総額50兆円に上る」これをベースに予測すると「1961年次は8.19人の現役世代が年金者を支えていた。それが2030年には支え手は1.65人に減ってしまう。それは団塊の世代が80歳に達するからだ。その結果社会保障給付費は170兆円(現在50兆円)になるだろう。とりわけ後期高齢者医療費は1.5倍の212兆円に達する。こうなると、国と地方の債務残高は名目国内総生産(GDP)の250 %に達し、日本経済は破綻する。これは主に働き手の減少に起因する」といった内容である。
こういう記事を読むと、何か生きているのが悪いような気になる。保険料1割負担の後期高齢者は、自分たちの存在が世の中を苦しめているのではないかという、マイナス思考に陥ってしまうだろう。記事を書いている側は社会に警鐘を鳴らしているつもりだろうが、全く裏目に出て、単なる年寄りいじめになっていることに気が付かない。
どうも報道の体質は、現在の状況判断だけで先を見ようとする傾向が強い。プラスの要素を書けば、もしそうならなければ、そのツケを払わされるぐらいに考え、外れても「好転して良かったね」ぐらいに逃げ道を残しておく。経済通が揃っている日経なら、日本の将来をプラス思考で捉える要素を探し出して、国民を勇気づけてもらいたいものだ。
2016.12.24 年末の行事まとめ(前編)
今年の冬至は21日だった。夕食にかぼちゃを食べ、風呂は柚子湯にして、温まりながら考えた。
日本の伝統文化や行事は年末年始に多く集まる。
そこで今回は年末の行事とかしきたりについてまとめて見た。
行事の順番で、冬至・天皇誕生日・クリスマス・餅つき・正月飾り・歳の市・大祓・年越しなどの行事があるが、全部は紹介しきれないので2回に分け、前編は歳の市までを紹介しよう。
1.冬至(21日)
冬至に食べるカボチャは、特別に冬至南瓜と呼んで、秋に収穫したカボチャをこの日まで保存して食べる。冬至カボチャを食べると、風邪をひかないとか、中風(中気ともいう)にならないという言い伝えがある。
また、柚子(ユズ)湯に入ると身体が温まる。言い伝えでは柚子湯に入ると一年間病気に罹らないという、医者知らずの効能があるということだ。
2.天皇誕生日(23日)
今上天皇の誕生日『 明仁(あきひと、1933年〈昭和8年〉12月23日 満82歳 )は、日本の第125代天皇』で、これは法律があって「国民の祝日に関する法律」によるもので、即位した天皇の誕生日が祝日になる。昔は天長節という呼び方があった。これは老子の言葉「天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと、天地長久に由来する」
3.クリスマス(25日)
キリストの誕生を祝う降誕祭であるが、24日の前夜祭(イブ)が一番賑わう。今年は連休の関係で22日が公立学校の終業式だったこともあり、街中の盛り場には多くの人が繰り出すことだろう。既にこれを書いている23日にはMM21地区などは来街者で人や車が溢れ、地元の私などはこの時期近づかない。ケーキが飛ぶように売れて、景気の良い話となる。
4.餅つきと正月飾り
正月の餅を年末に搗くのであるが、これには古くから言い伝えがあり「29日に搗く餅はクニチ餅といい、大晦日に搗く餅は一夜餅といって禁忌とされている」また、同様に大晦日に正月の飾り付けをすることを「一夜飾り」といって、年神様(正月に家々に迎えて祀る神様)に対して誠意に欠けるということで忌む。
5.歳の市
12月の半ば以降に各地で行われる年末の市で、大きな神社やお寺の門前に、伝統ではガラクタなどを並べて売る骨董市のようなものであるが、今は正月の仕度などのものも売っている。路上にシーツを敷き商品を並べる。年末の風物詩ともいえよう。
この他の大祓(おおはらい)や年越しなどの行事については次回紹介する(28日)。
2016.12.28 年末の行事まとめ(後編)
前回に引き続き残りの二つの行事を紹介して、今年の締めくくりとする。
6.大祓い
晦日に行われる罪や穢れを払う行事。もとは宮中行事の一つで、とくに天下万民の罪穢という意味で大祓と呼ぶ。1年のうち、毎年6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われるものを恒例となっている。県内では寒川神社で大晦日の師走大祓が行われる。
7.年越し
旧年を越して新年を迎えることで、大晦日に氏神様やお寺などに詣り、年を越す人で賑わう。最近では街なかの渋谷センター街なども越年する人が多く集まるなど、必ずしも神事に関係なく賑わう場所も多い。年の終わりには寺では108の鐘が鳴り、神屋では篝火が焚かれ、甘酒なども振る舞われて、正月の初詣が始まる。私も普段は近くの八幡様に詣でる。高台にあり、遠く港が見える。そこから停泊する貨客船が鳴らす汽笛のボーッという音が聞こえ、年越しは最高潮を迎える。
ちなみに、晦日の夕食は年越し蕎麦と決まっている。
なぜ、寒い最中に年が切り替わるのか、これは正月には年神様が各家々を訪れるからで、トシとは米のことで、農事と深い関わりがある。
したがって新年の豊作を約束してくれる神様だから丁重に迎える。子どもたちはこんな童歌を歌って年神様を迎える。
「お正月さまござった どこまでござった ××までござった 何に乗ってござった ゆずり葉に乗って ゆずりゆずりござった」