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2016.5.3 私のGW2016
 国民の休日で、最も期間が長いのがゴールデンウィーク(GW)、お盆休み、年末年始の正月休みと言えるだろう。
 中でも行楽シーズンの休日は、なんと言ってもGWで、4月29日から5月2日と6日を休暇をとれば、8日まで最大10日の大型連休となる、実に1ヶ月の3分の1になるから、終わったころには、家族連れで楽しんだ人は身も心も財布の中身も軽くなっていることだろう。
 今日は3日で、憲法記念日の祝日。私は横浜の一大イベント「よこはまパレード(国際仮装行列)」を見物しに出かけるつもりだ。5日には横浜美術館が無料開放される。展示は「複製技術と美術家たち -ピカソからウォーホルまで」と題する版画展である。普段65歳以上¥1200であるから、さぞ混雑することだろう。
 私にとってのGWは5月一杯続く。暑くも寒くもなく天気も良い、散歩の範囲が広がる最も恵まれた取材ができる月だからだ。自然は花と緑が一杯で、どこでもいい絵が撮れる。緑道巡りも佳境に入り、未踏破の場所は少なくなってきた。5月中には全踏破を達成したい。
 他にもぜひ訪れたい場所がある。既に紹介した「舞岡公園」と取材済みの「陣ヶ下渓谷」を含む、横浜市が進める「緑の7大拠点」と呼ぶ地域である。残る五つは「こどもの国周辺」「川井・矢指・上瀬谷」「円海山周辺」で、これもぜひ訪れたい場所である。
 これらの地域はそれぞれ川の源流となる谷戸があり、水場が多いため、樹木が育ち、農地に適している。この自然が守るため、緑道や公園が整備され、町ぐるみの観光スポットとしての取り組みも見られる。こうした場所を訪れると空気は新鮮で、素朴な原風景を眺めていると、一服の清涼剤を味わう感覚が蘇る。
 どこまで動けるか足腰と相談しながら、この「私のGW2016」を楽しむとしよう。

2016.5.7 春の嵐
 春は天気が良くても風が強い日が少なくない。耳元を風がビュービューと音を立てて吹き抜け、帽子なども押さえていないと飛ばされそうになる。南東の強い風は暖かく、夏の到来かと思うぐらいだ。
 広い道路に出ると、風をまとめに受けるので、足が止まるほどで、転倒しないよう神経をすり減らすことになる。街路樹の葉もザワザワと音を立てて枝がしなる。まさに風の強さは嵐そのものである。
 この春の嵐とは、どうして起こる現象なののだろうか。
 政府の広報ページによれば『日本付近で急速に発達した低気圧によって「春の嵐」や「メイストーム(5月の嵐)」と呼ばれる激しい現象が発生し、台風並みの暴風や猛吹雪、海岸では高波となることもある』 として、出かける時の注意喚起を呼びかけている。この発生要因について「日本付近に北から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む温かい空気がぶつかりあって上昇気流が生まれることで温帯低気圧が急速に発達するため」と更に詳しく説明している。
 連休明けの10日過ぎには、この風がもっと酷くなるという話だ。気候が良く、お出かけシーズンでもあり、私なども外出する機会が多い。この風では、どこから何が飛んでくるか見当も付かないので、それこそ飛んだ目に会うかもしれない。周囲に気を配って、風の様子に注意しながら、取材の散策を続けたいと考えている。
 今回も人の作品で纏める。歌人長澤一作最後の短歌「吹き荒れし春の嵐は夜もすがら虚空を遠く過ぎつつあらん」。

2016.5.11 新発想
 阿部首相がプーチン大統領との会談で「北方領土問題に関する話し合いについては、新発想で臨む」旨の報道がなされている。
このコラムでは政治ネタや特定な宗教、思想について語ることは、当初のルールでご法度にしている。
 従って、今回もキーワードとして「私に必要な新発想」について取り上げることにした。
 発想とは「アイデアを生み出すこと」で、これだけで新しいものだから、あえて「新」をつける以上、そこに相違点がなければならないはずだ。
 私のホームページでは、サイトマップ(索引のような一覧表)で、性格の異なる内容は分類している。このマップ上に、ジャンル別にそれぞれ個別の作品が配置されていることになる。
 見方によっては、こうした手法は、共通の視点で作品を創作しているようで新規性に欠けるものだ。どこか視点を変えないと「新」とは言えまい。
 新しい切り口で、いま構想しているのは、北斎の富嶽三十六景などのように解説が必要だと思われるものの扱いである。外国からのビジターも全体の四分の一ほどおられるので、これを英文対訳で掲載したいと考えている。それほどの語学力はないので、翻訳ソフトを使いたいと思って、少し試してみたのだが、いまいちである。原文を平易な言葉に変え、短くすれば、どうにか通じることは分かっている。ところが時間がかかるので、やりかけたままで、放置してある。頃合いを見て公開することになるだろうが、これが実現すれば、新発想のページが誕生すると言えるのではないだろうか。ただし、あまり間口を広げると、雑な仕事が更に雑になるというのも心配だ。
 創作のアイデアに新しい発想を取り入れ、従来とは異なる独自性のある表現(自分のカラーを出す)ができないだろうか。このことに関しては、別稿「書く(write)」で紹介したい。

2016.5.15 初夏の唄(茶摘み)
 「夏も近づく八十八夜~あれに見えるは茶摘みじゃないか」。今は5月中旬、八十八夜が5月1日だったから、すでに2週間は過ぎている。静岡、足柄、狭山などの茶所では、これからが茶摘みの最盛期に入る。
 ここ数日良い日和が続いている。湿気がなく爽やかで、散歩が楽しい。私が歩くところでは、茶畑は見られない。お茶は足柄の鮎沢のように、年中霧が出ている場所が適地なのかもしれない。
 今回は茶摘みについて調べてみた。茶摘みは全国的に見ると、一番茶から三番茶、秋冬番茶そして 冬春番茶とほぼ一年中摘む時期が絶えない。土地によっては一番茶(3月下旬~㋄下旬)だけのところもある。昔は年1回だったようだが、改良されて、多い場所で4回ある。足柄茶は年2回のようである。
 とくに八十八夜に摘まれた一番茶は、上等なものとされ、これを飲むと長生きするという言い伝えがある。
 日本茶は、日本人の生活に欠かせないものであるが、お茶が庶民の口に入るようになったのは、1200年の歴史の中で、つい最近の江戸末期以降だという。
 その歴史をホームページで調べると「お茶は江戸末期まで高級品であったため、貴族や位のある武士など一部の階級にある者たちの口にする飲み物であった。
 お茶の歴史は古く、お茶を日本に広めたのは、鎌倉時代の禅僧栄西禅師といわれている。禅の修行には、不眠覚醒作用が必要であり、禅宗の行事に茶礼が欠かせないことが、普及の動機だと伝えられている。
 そして、現在の緑茶は 永谷宗円(永谷園の先祖)が 青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)を編出し、それまで茶色のお茶を緑に変えたり、香りも味も格段と向上させることに成功した。
 それを普及させたのが、山本山の創始者で、商人の山本嘉兵衛で、現在の煎茶文化が生まれるきっかけを作った」という記述がある。
 「日和つづきの今日此の頃を、心のどかに摘みつつ歌ふ、摘めよ摘め摘め、摘まねばならぬ、摘まにや日本の茶にならぬ」先ずはお茶で一服するとしよう。

2016.5.19 職人と匠
 日本の労働者の多くは職人と呼ばれる人たちによって成り立っている。
 特に工業系の労働者は、大体職人と言っていいだろう。職人と言えば、身近な存在としては大工、左官、塗装などの生業を営む人たちが思い浮かぶ。
 私が子どもの頃、家に普請に来ていた大工さんがいて、その人のカンナさばきが実に見事で、材木の表面を削る時に出るカンナ屑が、透き通って見えるように薄く、クルクルと渦巻き状になる様を飽きずに眺めていたのを思い出す。ノミの使い方なども神業で、削った後に他の材木を組み込むのだが、寸分の狂いもなくぴたりと収まる。
 私はこういう人の技を「匠の技」というのだと思う。年齢は70歳を過ぎていたかのように見えた。この人はどうしてこのような技を身に付けたのだろうか。元々は並みの職人だったに違いない。この人を見ると、職人と匠とのわずかな境界線が見える。その僅かが中々越えられない線だと思う。多分どこかが並みでないところがあるに違いない。
 想像してみよう。そこから見えるのは、まず年季が入っているということを挙げられる。徒弟から入り、50年この道一筋に働いてきたに違いない。継続は力なりの見本である。継続できるということは生活もかかっているかも知れないが、この仕事がどこかの時点で好きになっているのだと思う。
 そうでないと天職などという言葉は使えない。仕事ぶりを見ていると集中力が違うし、自分が納得するまで手をかける。見ていても手抜きをしない。もしそういうことをしたら、子どもが飽きずに眺めるはずがない。匠の仕事は、人を引き付けるオーラのような雰囲気を纏っている。
 今の時代は効率が優先する。時間をかけ、仕事を味わいながらすることが、工務店の仕事では許されないのだろう。職人もビジネスマン化している。宮大工や工芸家でないと、職人から修行して、匠にまで到達するのは難しいだろう。
 我々定年後の生活者は先が長い。単なる大工職人で終わった人も、その後は好きなように仕事を選ぶことができるはずだ。それに長い経験と、ちょっとしたアイデアを盛り込みながら、それから20年も続ければ「匠」の仕事ができるかも知れない。

2016.5.22 犬も歩けば
 「犬も歩けば棒に当たる」とは、本来の諺の意味は「犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。」がそれが転じて、「じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあう。」ことのたとえとされている。
 今回は「何でもいいから始める」をテーマに考えてみた。
 この5月は近来まれに見るぐらいに、よく出かけた。それは私にとって5月いっぱいはGWだと公言した手前もある。それに好天続きも大きな出かける要因になる。出かけるということは、私には取材の機会でもあるので、その結果は、私のホームページで紹介する。
 毎日長く歩くのは結構体にはきついが、あちこち興味を募らせて歩いていると、何とか動くものである。ひたすら歩いても収穫が薄い日もあるが、後で撮影した映像を見直すと、何らかの見返りがあるものだ。
 再訪する場所もある。季節が変われば、その表情も変わる。自然の姿はその時々で別の顔を見せてくれるものだ。特に史跡巡りなどは、結構見落としている光景があり、別の感動を得ることができる。
 「動かなければ始まらない」というのが結論で、無駄足だと考えると何もしなくなる。それでは何も変わらない。したがって今は動けるから「歩く」を日課にしている。
 「今日も又 歩き歩きて 切り取りし 写真見直し 筆を取るなり(風楽)」。

2016.5.25 風呂敷と手拭い(mono)
 久し振りにモノ(mono)を話題にしたい。
 今回のモノは風呂敷と手拭いである。両者とも日本の伝統的グッズだ。長い歴史があるので、呼び方や使い方にも変遷を重ねてきた。
 初めに風呂敷の由来を調べると、「その名が示すように、風呂で敷く布のことなのだそうだ。風呂というと湯に浸かるイメージが強いが、江戸時代までは蒸し風呂で汗を流したらしい。そのために、今のサウナのように、バスタオルを簀子(すのこ)の上に敷くのと同じ感覚で、風呂敷が使われたことが、そもそもの始まりという。それが時代が下がり、蒸し風呂が湯船に変わり、風呂敷も本来の目的から、ものを包むものへと変化した。手拭いにつては、古代から生活に密着したもので、神事の際の装身具の一種として使われていたものが、江戸時代に風呂の普及とともに庶民にも一気に広まり、その用途も風呂に使ったり、汗を拭くだけのものでなく、風除けや埃除けの「頬かむり」にもなり、縁起物として贈答品にも使われた(日本の伝統文化しきたり事典)」。
 現在の戻り、これらのモノがどうなっているか観察すると、十分生き残って広く使われていることが分かる。風呂敷は着物に合う装身具のようで、街中ではあまり見かけない。携帯が楽で何でも包んで運べるので、重宝なので決して無くなることはあるまい。
 サウナに使われた風呂敷はバスタオルと名を変えて健在だし、手拭いもタオルということが多くなったが、形もハンカチから台所の布巾、温泉で配られるタオルなど幅広く使われている。
 今治(国内最大規模のタオル産地、四国愛媛県北部の地で、百十余年の歴史がある) のタオルなどは使いよさと材質の良さから珍重されて、世界的にも広く知られているグッズとなっている。

2016.5.29 辞典を読む
 私はこのホームページを毎日更新し、新しい記事や絵や写真などを発信するのが自分の仕事だと心得ている。書くという仕事に欠かせないのが辞典や事典の類である。
 辞典と事典には違いがあり、使い分けする。一般的にその違いはどういうことかと言うと、
「辞典の「辞」の字には、「言葉」という意味がある。 辞典は言葉を集めて配列し、意味や発音、文法や例文などを解説したものをいい、他と区別するため「ことばてん」とも呼ばれる。
 辞典には「国語辞典」「英和辞典」「古語辞典」などがある。事典は事物や事柄の知識を集めて配列し、内容を詳しく解説したものをいい、他と区別するため「ことてん」とも呼ばれる。事典には「百科事典」「歴史事典」「科学事典」などがある。その他、字典は漢字などの文字を集めて配列し、読みや意味、用法などを解説したものをいい、他と区別するため「もじてん」とも呼ばれる。字典には「書体字典」「かな字典」などがある」(インターネット:違いがわかる事典).。
 思うに辞典は引くもので、事典は読むものであるとも分類できるのではなかろうか。
 ところが、中には読む辞典がある。読んで面白いので、ついつい読み進んでしまうものがある。この類の辞典は「文章や表現という文字が含まれる辞典」に多い。
 文例や書き方のルールなども詳細に書かれていて、国語辞典とは全く違い言葉の意味を調べるものではないし、漢字の読み方を調べる漢和辞典とも違う。
 私がもっぱら愛読しているのは「新文章辞典」で、これが結構読み物として面白い。ここのところ寝る前に少しづつ読み進めているもので、書き方に関する先人の知識の集積を見ることができる。1000頁にわたる分厚い辞書で、編者はひとりだ。きっと一生かけて集めた研究の成果であろう。編者に敬意を表しつつ、寝物語の代わりに読み続けたい。