2016.6.2 スマホに悪戦苦闘(mono)
私の外出時の通信環境をお話しすると、仕事がら普通の人(特にお年寄り)とは少しかけ離れている。 昨年までは携帯電話(ガラケイと呼ばれる通話専用の機種)とモバイルルーターとiPodと3機種持ち歩いていた。昨年暮れにルーターは契約切れで、継続使用できなくなり解約した。それに代わる手段として公衆無線LANと契約し、喫茶店でiPodを使うことにした。ところがこれが大変使い勝手が悪く、どこでもつながる訳ではない。とくに散歩中は電波を拾うことができない。ナビが使えないのでアナログ志向な、携帯できる地図を購入して対応することにした。
ところが再三言うように私は大の方向音痴、右とか東とかいう方向感覚が全くない。ゴールデンウィーク中の散策はことごとく道を間違えた。
これからが今回のテーマ「スマホに悪戦苦闘」に進む。つい最近一大決意をし、3台と1冊を1台でこなす格安スマホに、同じ会社の携帯電話から乗り換えた。以前のWi-Fiルーターの月額使用料より安く上がり携帯使用料1台分得した気になってしまった。これでナビが使えることになるので、行く先々で迷子になることはないだろう。
ところが今一つ使い方が飲み込めない。簡単に使えると疑わなかった。今まで使っていたiPodに携帯電話機能を付加したようなものなのだが、電話を掛けたり、メールの授受に四苦八苦する始末だ。結局何回も販売店に通い設定してもらうという、パソコンお宅の私としては、屈辱を味わうという体たらくである。
システムの違うものを連結したものだけのものと高を括っていたのは間違いのようだ。使い方を身に付け、十分に活用できるようになるためには、考え方を一度リセットしてかからないと、宝の持ち腐れになってしまう。
ここしばらくはスマホと格闘しながら、習得していくしか方法はないようだ。これも新たなチャレンジと受け止めて、取り組んでいくことにしよう。
2016.6.5 トンネル考(1)
私のよく散歩するコースに東横フラワー緑道がある。緑道紹介で既に紹介済みだが、今回はこの緑道の途中にあるトンネルを取り上げて話を広げていきたい。
元々旧東横線の反町側から青木橋側に通じるトンネルであったが、廃線後緑道の一部となった。旧東海道五十三次で紹介した本覚寺の山の下を掘削してできており、高島山トンネルという名称が付いている。このトンネルは歩行者専用の緑道の一部なのであるから、当然歩行者しか通れない。自転車もスケーボーも禁止である。前後を注意しないでのんびり歩けるので、散策路として近隣の住民に親しまれている。トンネルの中は元々が鉄道が走っていただけに、天井が高く幅も広い。リニューアルしてあるので照明も十分で、白い塗装も清潔感があり、暗くジメジメした感じが全くない。
トンネルというと何か閉塞感があるというイメージが強いが、広々とした空間が、それを感じさせない。初夏の今頃は、日の強い中を歩いてきて、ここに入ると、ひんやりとして心地良い。日が射さないことと風が抜けるせいだろう。250メートル近い長さなので、中で一息つきたいところだが、ベンチのようなものはない。トンネルゆえの制約があるのだろう。トンネルを出ると、約10分ほどで横浜駅西口に着く。
トンネルは別の表現ですると隧道のことである。市内には歩行者専用のトンネルとしては、「大原隧道」が知られている。京浜急行南太田駅から徒歩10分ほど保土ヶ谷駅方向に歩くと隧道の入り口がある。昭和初期に整備された現役の水道用トンネルである。煉瓦積の坑道は出来た当時そのままで、人のほか自転車も通行できる。近隣の人が保土ヶ谷駅に向かうためのショートカットに利用されている。
今回は横浜市内の歩行者専用トンネルについて記したが、次回はも少し考えを広げて地下構築物も含めて観察を続けることにする。
2016,6,9 トンネル考(2)
トンネルというと思い浮かぶのは、鉄道や高速道路のそれで、交通機関の一部もしくは地下鉄のように、もともと地下のトンネルを走るようにできているものもある。
最近特に都市部では土地利用の問題から地下に構築物ができるケースが増えている。そういう視点で見ると、地下街なども道路ではないが、地下に入り地下から出るという構造を考えるとトンネルの発展形と見られないでもない。
地下街といえば、横浜駅西口ダイヤモンド地下街や東口のポルタを上げることができる。最近できた地下鉄みなとみらい駅は、少し変わった街づくりのインフラとしての効果が大きい。地下4階にホームがあり3階と2階に改札口がある。改札口も横浜・渋谷側に4つ+元街・中華街側に1つと多くの出入り口がある。
これらの地下街の構造についてウィキペディアでは
「みなとみらい駅は、横浜美術館やランドマークタワー、国際会議場と展示ホールを持つパシフィコ横浜、クィーンズスクエアなど、文化施設や商業施設が立ち並ぶみなとみらい21中央地区の中心にある。特に、クィーンズスクエアと駅は、ステーションコア大吹抜により空間的に一体化しており、地下約23Mにあるプラットホームからも、自然の光を感じることができる。
地下鉄に直結する「MARK IS(マークイズ) みなとみらい」の建物は地上6階建て・地下4階構造で、商業施設面積は約43,000m²となっている。同地区における商業施設としても最大規模を誇っており、みなとみらい駅とも地下4階で直結、えきまえマーケットを形成している。2013年6月21日にグランドオープンした」
発展を続けるMM21地区を見ると上に高く、地下は深く、広くと土地の有効活用が最大限に働いている。
トンネルに話を戻しまとめると、横浜のように丘陵地帯や崖の多い場所では、どこに行くにも坂道を通るという回り道が避けられない。東横フラワー緑道のようなショートカットのトンネルがもっとできると、私のような足腰に問題を抱えるものには嬉しい限りなのだが、こればかりは夢物語で終わりそうだ。
2016.6.13 どこか変な梅雨
今年の梅雨入り宣言は6月5日で、普通では11日が梅雨入りとされることが多い。したがって1週間ほど早いことになる。
大体梅雨は40日ほど続くそうだから、その間じめじめと湿っぽい雨季になるのだが、どうも今年は勝手が違うようだ。宣言された2~3日はその兆候が見られたのだが、その後今日(12日まで)初夏の日差しの日が続いている。梅雨はどこに行ってしまったのだろう。報道では首都圏の水瓶である利根川水系のダムは雨が降らず、毎日その水位を下げ、節水の噂も出始めた。
今回は梅雨の鬱陶しさを取り上げるつもりなのだが、何とも書きにくい。ポツポツでもシトシトでも雨が降っていれば、雨の中に目立つ紫陽花などを取り上げて「雨に映える花」とでも銘打って一文が仕上がるのだが、日差しの中の「アジサイ」では様にならない。
晴れていても、一応雨の準備をして散歩に出る。眩しい日差しと照付ける太陽で、ご婦人方の傘は日傘となる。日差しを避けて、一休みと行きつけのカフェに入る。いつもはホットな紅茶を頼むのだが、アイスティーなど注文することになる。実はあまり冷たい飲み物は好みではないのだが、その気にさせるほど外は暑い。
汗ばんだ体は冷房と冷たい飲み物で、急速冷却される。アイスティーにしたのを後悔する。この時期は外と建物の中とは温度差が激しい。そこでリックサックからカーデガンを出して着込むことになる。
暑い盛りにリックサックを背負うのも背中に汗をかいて、気持ちいいものではない。しかし、傘と冷房除けの上着を持ち歩くとなると、装備が大きくなるのはやむを得ない。
こんな塩梅の天気、この気まぐれには困惑する。降るのなら、それらしい季節感を演出して貰いたいものだ。
2016.6.16 街で見かける難読地名
緑道散策に出かける時などは、出発点近くまでバスや地下鉄で行く場合が多い。大体横浜市内それも私が住む神奈川区近辺から少しづつ足を伸ばす。バスや地下鉄は停留所や駅名が事前に案内される。
そうした中に漢字では、地元の人でなければ読めない地名がある。
そこで今回は「街で見かける難読地名」を紹介する。
先ず地元の六角橋から始める。我が家から徒歩20分ぐらいで行ける商店街だ。神奈川大学の門前市のような学生街である。
ここの地名には由来がある。「日本武尊が東征の途中この地に立ち寄り、その際食事した時五位木(ごいぎ)という六角形の木の箸を使った。その箸を宿泊先の主人(豪族)に贈った。主人はこの箸を大切にし、毎日拝んでいたことから、この村の名前が『六角箸村』となったという。それが後に『六角橋(ろっかくばし)村』になった」という話である。
六角橋バス停の次は「神奈川大入口」という名前である。神奈川大学は地元では神大(じんだい)と呼ばれている。その次の次のバス停が「神大寺」で、「じんだいじ」ではなく「かんだいじ」と読む。隣接しているので、つい間違えて読んでしまう人も多い。神大寺は1丁目から4丁目まである市内でも古くから存在する地名で、神大(じんだい)は歴史的には新参者ということになる。
散策路を大口方面にとると、大口駅から20分ぐらいのところに鶴見に向かう道路に行き当たる。この交差点を「内路(うつろ)」という。これはバス停の名前で地名ではない。車の交通量も多い所で町名は松見町だが、通る人は皆「うつろ」と読めるはずだ。漢和辞典で見ても「内(うち)」を「うつ」と読むという記載は見つからない。
中でも最も有名な難読地名は、何と言っても「大豆戸(まめど)」であろう。ここも我が家からそう離れてはいない。バスで綱島街道を進み、菊名を過ぎると環状2号線と交差する。そこが「大豆戸」と呼ばれる交差点である。ここは「むかし真間処(ままど)という地名があったが、この地区の師岡(もろおか)熊野神社で祭りに大豆を奉納する。この大豆と谷戸を合わせ「大豆戸」とした」という言い伝えがあるとかないとか。「大」は発音しない。他にも神奈川新町近くの埠頭にある出田(いづた)町埠頭や、国道沿いの反町(たんまち)も難読地名と言えよう。このように我が家の近くでさえ、これだけ挙げられる。漢字は訓読みとか音読みとかあり、読み方を複雑にしているのが、難読地名を生んでいるのであろう。
2016.6.19 路上観察
最近古書で「路上観察学」なる書籍を購入した。これを読んで、今まで自分がこのコラムで書いていたことが、結構この本に書かれている観察対象と一致していることに気が付いた。「学問」というには大げさだが、この本の著者(学者)たちは、路上観察を体系化した先駆者といえよう。私が先に紹介したマンホールの観察などは、はるか以前にその中の一人が徹底的な考察を行っていた。それを知っていたら、あれなどは書くことはしなかっただろう。
これらの学者もしくは探究者の観察眼は偏執狂と思えるほど、徹底している。これに比べ私が散歩の片手間の話題として取り上げてきた、散歩道の観察やそれに対する調べ方は児戯に等しい。
私はこの本の存在を知ったからと言って、自分のやり方を変える気はない。普通の人の目線で路上観察を続けるつもりだ。
路上観察の視点は、散歩する人なら誰でも似通っている。観察する対象はおそろく草木が多いだろうが、歩道の造りの違いや、公園のベンチや構築物、山坂の多いところの階段など、視線の向きで新しい興味が喚起されるのだ。
それをどこまで掘り下げて追及するかというところで個人差が出る。漫然と眺めて歩くのは散歩である。これは健康志向で観察はおまけと言っていいだろう。路上観察に重きを置くのは散策で、さらに目的を絞って集中的に調べ上げるのは探索と言うことになる。
私の場合は健康志向の散歩もあれば、話題を探す散策もある。時には事前に調べてその場所まで赴き取材する探訪もある。
コラムを書き続けるという自分の仕事(老後の生き甲斐もしくは時間つぶし)に欠かせないのは、常に四囲に目を配り、そこに話のネタを探し出すよう心がけることである。
ということで、路上観察次回は町で見かける「階段」について取り上げることにする。
2016.6.23 街で見る階段
横浜はどこを歩いても山坂が多い。そこでいたる所に高低差があるということになり、どこにも階段があるということになる。
車が走る場所はスロープになっているが、狭い路地などでは高低差は階段で道を結んでいる。
こうしたどこにでもある階段も、よく観察すると形や素材、段数など多様だ。そこで外見からどういう違いがあるか、見ていくことにした。
我が家の場合は集合住宅で、山の傾斜地に建っているので、入口から道路までの間を20段ほどの階段を上り下りすることになる。素材はコンクリートにタイルを貼ったもので、ヘリには滑り止めの刻みが入っている。それでも段数が多いので、中間部と道路に接する部分には踊り場が設けられている。
私ぐらいの歳になると足腰が弱くなるので、出かける時の最初と最後の難関として階段が立ちはだかっているということになる。無事下り切って道路に出るとホッとする。
これは少し大げさだが「転ぶ、滑る、躓く」はお年寄りの歩行三大災厄だから、先ずは安全第一に足元を確保して歩くことを心掛けねばならない。
路地に入ると、いたる所で階段を見ることができる。どこの住宅も玄関前には一段ないしは二段の階段がついている。家の入り口にある階段はコンクリートにタイル張りというのが通常のようだ。アパートなどの階段は、二階の住居用に外付けの鉄製の非常階段兼用のものを多く見かける。
坂が多いので、狭い路地などは階段を登って上に行く。古くからあるものは大谷石を組んだものが多い。大谷石はもろく、風化して欠けたりつなぎ目がずれて中の土が見えているものもあり、結構危なっかしい思いをする。
高台にある公園などにも階段がある。石造りのものが多く、素材は花崗岩や御影石など自然の石を加工したものだろう。土の自然を生かし、スロープを擬木(木に似せた杭や枕木)で土留めしてあるものもある。これは緑道などで多く見かける階段だ。
最後に階段の立派さにかけては神社仏閣の石段が別格である。石も御影石などの高級石材などで細工も細かい、そのうえ幅も広く段数も多い。イメージとしては鎌倉八幡宮の石段を思い浮かべてもらうとよい。信仰の場だけに階段づくりにも手が込んでいて、歩きやすく滑られないような心配りが感じられる。
今回は建造物の中の階段には触れなかったが、いづれそちらの方にも観察の目を広げてみたい。
2016.6.26 どちらを選ぶか
英国のEU離脱に関する国民投票が行われた。これを書いている時点では離脱派が優勢で、ドル売り円買いが進み金融市場は上や下への大混乱だ(結果は離脱派勝利)。
私は政治ネタを話題にするつもりはない。
人は誰でも、二者択一を迫られる時がある。そうした場合、何を基準にして自分の判断基準とするのだろうか。
今回のケースを自分のこととして考えるなら、自分自身の利害得失という、かなり利己的要因が大きい判断材料となるだろう。
こうした要因は、今回のEU離脱判断(個人の利害得失優先)にも大きく影響していると思う。もっとも自分が特定の政治団体などに属しているのなら、選択基準は組織の判断に従うだろうことは想像に難くない。
「私の利害得失とは」と言えば、高齢者であるが故の物差しになる。年金に頼る生活者にとっては、福祉の向上が一番自分に恩恵があるので、そこが判断を決めるポイントになる。
憲法問題とか日米安全保証など、国家の行く末を左右するであろう重大事項よりも先ずは足元の問題が優先する。
人は意外と高所大所の視点で決断するのでなく、極めて個人的事情で判断する傾向が強いということだ。
従って、その判断結果が先々国にとっては誤った方向に行くことになろうとも、その選択を責めるのは酷といえよう。
人生長く生きていると、よくどっちかを選べと問われる局面に出会う。その結果が人生の分岐点であったりする場合だってあるのだ。
戻ることのできない道だけに、少し立ち止まって状況判断する先見性を身につけたいものだ。
2016.6.30 生活をリセットする
今までにも再三書いたように、持病の糖尿病対策には色々努めてきた積りだ。
生活改善の手始めとして、食生活と適度な運動を実践してきた。
食生活に関しては、かみさん任せで糖尿病対策のメニューをありがたく頂いてきた。
ここには自助努力といったものはなく、出されたものを食べるという、受見な姿勢しか見られない。元々甘いものが好きだから、ちょこちょこ菓子などを間食していた。
実はこれでは効果が出ないのは、後で分かることになる。
三ヶ月毎に一回行う定期検診(血液検査)での血糖値の数値はHbA1c(ヘモグロビン・エイワンシ-)といって、簡単に言うと血管内のブドウ糖の数値で示される。普通の人の場合この数値は6.5以内に収まっている。私の場合は8.0以上もある。この数値が下がらない限り病気は改善されていないということになる。
ここ数年努力を続けてきたが、この調子では方向性が見えないので、一念発起して自助努力で何とかしようと考えた。
今年4月から生活習慣の更なる転換にチャレンジしている。明日から7月であるから、やがて3ヶ月が経過することになる。
何をどう変えたかというと、昼食をバランス食品に変えた点が一番大きい。家での昼食は家族がいる手前摂りにくい。そこでいつも11時頃には家を出て散歩に出かける。30分ほど歩いて行きつけのカフェに行く。そこで紅茶を頼み、水をもらって決まった薬(腰と胃腸の薬)を飲み、バランス食品(各種変えるが1食分限定)を摂る。これで昼食は終了。以降夕飯まで原則間食はしない。そしてまた30分ほど歩いて家に帰る。約6000歩から8000歩のウォーキングとなる。
この生活パターンをおよそ3ヶ月続けた。毎日自分で血糖値を測るが、間食さえしなければ、これで血糖値は正常値(130以内)に収まる。HbA1cの検査結果はまだ見ていないが、多分相当改善されているはずだ。
今のところ病院で出される食事並みのカロリー制限に耐えている。つまり生活習慣を一度リセットしたということである。これはかなりストイックな生活を強いられるので、いつまで持つかは自分次第ということになる。
目下の目標はインスリン注射(1日1回最低限の量を打っている)の呪縛から脱することである。